最近よかったもの
◆小説:筺底のエルピス/オキシタケヒコ(小学館)
◆小説:ファタ・モルガーナ 幻影の王国/ウィリアム・コツウィンクル(福武書店)
◆小説:ポポロクロニクル 白き竜/田森庸介(偕成社)
◆小説:魔の四角形/武宮閣之(文渓社)
◆小説:AIと人類は共存できるか?/アンソロジー(早川書房)
◆小説:バーナム博物館/スティーブン・ミルハウザー(白水社)
◆小説:ウィンドアイ/ブライアン・エヴンソン(新潮社)
◆小説:グランダンの怪奇事件簿/シーバリー・クイン(論創社)
◆小説:アンチクリストの誕生/レオ・ペルッツ(筑摩書房)
◆小説:木島日記 もどき開口/大塚英志(角川書店)
◆人文:ペンタゴンの頭脳/アニー・ジェイコブセン(太田出版)
◆人文:ボディ・スタディーズ/マーゴ・デメッロ(晃洋書房)
◆人文:東京湾諸島/加藤庸二(駒草出版)
◆コミック:たそがれたかこ/入江喜和(講談社)
◆コミック:ふたりモノローグ/ツナミノユウ(講談社)
◆コミック:別式/TAGRO(講談社)
◆コミック:恋情デスペラード/アン・トンシク(小学館)
◆コミック:夜さんぽ/木村いこ(徳間書店)
◆コミック:サーカスの娘オルガ/山本ルンルン(エンターブレイン)
◆コミック:雑草たちよ 大志を抱け/池辺葵(祥伝社)
◆コミック:違国日記/ヤマシタトモコ(祥伝社)
◆アニメ:リック&モーティ
◆ドラマ:ゲットダウン
◆ドラマ:オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック
◆ドラマ:ブルックリン・ナイン・ナイン
◆ドラマ:ストレンジャーシングス
◆ドラマ:パニッシャー
◆音楽:愛の関係/GREAT 3
◆音楽:Cupid & Bataille, Dirty Microphone/JAZZ DOMMUNISTERS
◆音楽:ミクロボーイとマクロガール/スチャダラパーとEGO-WRAPPIN
◆音楽:Humanz/Gorillaz
◆音楽:ROOMS/AM444
◆音楽:異次元からの咆哮/人間椅子
◆音楽:Heaven Upside Down/Marilyn Manson
◆音楽:Somebody Better/Blackhoney
◆音楽:MISSION/NONA REEVES
◆音楽:サタデー・ナイト・クエスチョン/中島愛
 Nov.21.2017
 アイフオーンの写ルンです風カメラアプリと聞いて「HUJI」を導入したら、写真よかPS4のフォトリアルグラフィックなゲームのキャプ画みたいになった。ピントのズレ。青みがかった色彩。このふたつが作用して、現実のテクスチャをショボい方向に補完してるんだろうな。画像をフルサイズ表示するとわかると思います。光沢を過剰にする部分もフォトリアルっぽく、ここ最近のゲームで類似したグラフィックとしてOutlastやバイオハザード7があげられるかね。これと「VHS cam」を使って夜の路地をウロウロしてると、バイオハザード7的に世界を認識する遊びができそう。いい大人が夜にごっこ遊びという光景は非常にヤバいものがあるけど。


 リアルを追求したテクスチャによって生み出される本物っぽさと、その本物っぽさが拡大してよく見たらそこまで本物っぽくない限界点、というのがあって、それが衝突してるこの不思議な感じ。現在のグラフィックという心地。独特の曖昧さで笑ってしまう。
 この味噌とかな。とろける味噌という語感の嘘っぽさに、ぼやけ加減も相まって、ゲームのステージ中においてあるアイテムっぽい強い虚構を見いだしちゃう。現実の延長線上を舞台にしたゲームという趣はとても好ましいもので、まあなんだ、めっちゃわかりやすいフェティッシュですね。たぶん、根本的なところは九〇年代終盤〜一桁年代前半。PS1時代のバイオハザードやパラサイトイヴやロックマンDASH、DCのルーマニア#203やブルースティンガーとか辺りのゲームのステージ空間やアイテムとかそういうのがある。あとは絶体絶命都市とか塊魂、結局一度もプレイできず大人になってからプレイ動画でオアーとなったジェットセットラジオもか。頭がガンガンに悪いときやってたゲームのテクスチャ、文字通り、質感がぴったりとハマってくる。
▼ヤマシタトモコの違国日記が尋常ではないくらい、自分の倫理観とか、願いとか、祈りとか、そういうのにパーフェクトかつマーヴェラスにハマる漫画で驚いて何回も何回も読み直してしまった。昔、Plasti Talkerという小説を書いたけど、あれで大事にしたかった何かを思い出した。ホントいい漫画。みんな読んで、という気持ちになる漫画は久々。
 Nov.8.2017
▼ヒールの高いブーツがほしい。
▼木島日記の完結編、あるいはひとつの大きな区切りになる「もどき開口」がとんでもなく面白く、そんで本を閉じるとともにひとつの時代が終わった、と心底から思った。そも中学生時分、月姫からFateへ……という時期に読んで本格的に非萌え方面の伝奇にハマるきっかけとなったのが木島日記だった。ちょうど文庫版が刊行された直後くらいだったかな? 当時から絶えず引きずってきた愛着なのでかれこれ十四年くらい? んで集大成として、もどき開口で柳田國男による仕分け、はかりごとが遂げられたからもう動揺。感激。本当に。と、いうのも、今作では自分が抱いてきた伝奇や偽史に対する感覚にむけた解答が、かなりはっきりとした形で記されている。終盤はそれへの問答がつづく。
「そもそも歴史に神話を接ぎ木などすれば齟齬が生じる」
 もう、この台詞に尽きる。
 日本には天孫なんつう異質なストーリーラインがある。わたしはかねてからこのストーリーラインに「設定臭さ」、「オカルティックな嘘の物語」という印象を強く抱いてた(別に大学で学んだりとかしてないので漠然とした印象)。同じく島国で王を戴く伝奇的にも便利なお国、イギリスと並べると、なんか王権の感触があんまりにも歴史ではなく設定臭い。そういうのがあるから天皇ネタとか好きなわけだけど、この漠然とした感覚にさっきの台詞を叩きつけられたからたまらない。最初に好きになったものが、十余年を乗り越えてきて解答をくれる嬉しさったらもう、という話。
 大塚自身は今年でこの手の仕事をはじめてから三〇周年らしい。名前を出せないゴーストライターやってた時期もあるらしいから曖昧だそうだけど、めでたい。東京事件のリテイクである東京オルタナティブとか、またいろいろお話関連が活発になってくみたいだから、改めて応援していきたいなー。あと「日本がバカだから戦争に負けた」がすごい面白そうなので、遠からず読んでいきたい……と思いつつ、これタイトルがあんまりにもあんまりだよな。内容的には角川と教養をあつかうもので、幼い頃から角川に踊らされてきたので必読なのだけど。恥ずかしい。字面が。
▼亡くなった人を何度となく心馳せても詮無いし、自分の心さえ慰撫できないけど、それでも、やはり伊藤計劃がもどき開口を読めずに鬼籍に入ったのは、残念でしかたがないと思う。もどき開口がはじまったのは二〇〇九年の四月。彼が亡くなったちょっとあとのこと。そういう意味でも、もどき開口は何かの、時代の区切りなのかもしれないな。
▼買ったり。
 木島日記 もどき開口/大塚英志
 輝ける闇/開高健
 中国たばこの世界/川床邦夫
 なんらかの事情/岸本佐知子
 ふたりモノローグ2/ツナミノユウ
 ネクサス上下/ラメズ・ナム
 gift/古川日出男
 サーカスの娘 オルガ1/山本ルンルン
 日本怪奇小説傑作集1/アンソロジー
 ブックオフの百円コーナーをウロウロして、シールべったりで汚れてる本を修繕するのが最近のマイブーム。処理のスキルツリーが業者並みになってきてる気がする。
 Oct.31.2017
▼散歩は好きなれど、だいたいはチャリンコに乗って深夜に溶けた景色を眺めてばっかりなので、空間への注視というのはわりかし隙だらけで、ちょっとしたものを見落としては改めて見てウワッと思うのがたまにある。ここんとこだと信号機ね。ぼうっと信号待ちしてるとき、ウワッ薄い……と凝視。気づけば分厚い信号機は消え、点灯方式が違い、薄い、庇もほとんどない、例のアイツばっかになってた。いつの間にだ。意識しないと見知ってたもんがどんどん消えてくな……なんてのを飲み物やお菓子でなしに思わされたのは久々。これが積み重なってくと、知っていた景色が何とも言いがたい異物になんだろな。そういや前、昔住んでた地域をチャリンコでウロウロしてて、よく行った駄菓子屋がほぼ消え去りだいぶ新しくフラットな風景に、ノスタルジーともつかない、見知ったものの作り物というような心地がした。新築で似たような家ばかり白々と並んでると、なんか雰囲気は知ってるはずなのに、やたらとフラットな嘘に見える。信号機はそのうち意識もしなくなって断片として馴染むんだろうけど、この町角の心地はどうだろう。いまのところは、うろついててあまり楽しくない(そもそもうろつくなって話だけど)。統一感できれいに均す風景はヨーロッパに顕著だけど、日本の、非観光都市で雑多な町となると、「柔らかい色をした真新しい郊外」というか、ふんわりしたひと塊になっちゃう感じ。揉みたての油粘土。あたらしいニュータウン感。町という空間を歩いてる気持ちのしなさ。そのうち古びるのかな。古びると、それはそれでまあ、好きにはなりそうな気が……。
▼そんなことを思う景観だけど、ちょっと区画から外れると壁に錆ついたマルフクの看板とか残ってたりする。町っぽいなって思う。
 Oct.26.2017
▼アトミック・ブロンド見てきた。ジョン・ウィック2で本気の置いてきぼりを食らってひどく、それはもうひどく滅入ってしまい、以来、アトミック・ブロンド観る直前まで三ヶ月くらい憂鬱をずーっと引きずってたので不安にもなりつつ、しかしこちらはすんごい面白かった。というのも、不安にせよ期待にせよデイヴィッド・リーチがJW1時点での共同監督だったからだけど、あの映画の褒めるべき点をおよそすべて継承している。つーか映像的な格調を拾いあげてアクション以外の美点を添えてたのはおまえだったのかーッ!との気づきを投げかけてきた。
 まず冒頭からレーガンの演説をブラウン管の荒さで映し、それを茶化す演出をラストまでの通奏低音に、東西を隔てる壁が崩壊直前にあるベルリンでの追っかけっこへとつながっていくところでテンションがガンあがり。その後も静謐な空気とチャカチャカした空気、聴取中の現在と潜入中の数日前、と静動をシャッフルしながら、機密奪還を目的に送りこまれたロレーン・ブロートンのスパイ活動が描かれてく。この過程が、事前に予告から受けとる印象と同居する、えらく実直で様式に対して真摯な態度を感じさせてくれて嬉しくなっちゃったね。もう。描出のスタイルに関して言えば、ジョン・ウィック1の美的感覚でスパイ・ゲームをやる、と表現していいのかもな。不透明なピースが用意されていて、現在の視点から過去を語り、あるいは語らず、徐々に輪郭を描いていく……というスパイ・ゲームのそれを、真面目にやってるから。アトミック・ブロンドはキャッチコピーや劇中のセリフで「誰も信じるな(トラスト・ノー・ワン)」とあるように、「欺瞞」が意外なほど真面目で、聴取する側=観客を煙に巻き、最後まで行動の駆動因が明かされないのもよかった。あと駆動因がバッカみてーなのもよかった(漫画感すごい)。
 登場する情報機関が五つ――英・秘密情報部(SIS)、米・中央情報局(CIA)、仏・対外治安総局(DGSE)、露・国家保安委員会(KGB)、東独・秘密警察(シュタージ)――と多く、勢力が入り乱れてちょいわかりづらく見える構図なのも、絶対にわざとだと思う。インテリジェンス慣れしてるとそんなでもないとも思いはするけど。これらの思惑が衝突し、情報戦、内通、内輪揉め……と見せかけた揚げ句、その果てできっちり引っくり返す手際はだいぶ見事。80sポップスをBGMにガンガン使うのも、SISエージェントを活躍させるためのファッショナブルな盛り上げと見せかけ、実はそれそのものがバイアスをかける欺瞞なのもよかった。どう欺瞞かは秘密。本編を見て、との気持ち。ここらの選曲はわかりやすいセレクトをしつつ、マンソンがミニストリのStigmata(88年リリース)をカバーした曲が入ってきてるあたりにオタク臭さがあって素敵に良い。単なるカバーでなく、嘘っこ80sポップス風アレンジなんだもの。
 劇中でなにより良かったのが後半での長回し。BGMなし、ひとつながり、泥臭い至近射撃とステゴロで敵勢力の排除を描く勢いがとても好みの琴線をキックしまくってくる。キュアロンのトゥモローワールドか、と突っこんでしまい、なおかつ心中でそれを軽々と乗り越えてった。戦闘に関しての描写はザコ対応こそ華美に見せかけ、なのにここにきて派手さの削がれた窮地になる。非常事態に追いこまれ、脱するために痛々しい撃ちあい、殴り合いをしいられる構図。主人公は徒手格闘のプロだけど、体格や体力の差で埋め合わされ、ゆえにズタボロの戦いをせざるを得ない。どうにか切り抜けたけど、ちょっと失敗してたら壮絶な失敗を遂げていた……と思わせる迫真性をあの長回しに寄せているとこで、なんかもう一京点をつけちゃう。脳の配線がちょっとこわれる。
 追跡者(ストーカー)を撒こうとタルコフスキーのストーカーが上映されている劇場で観客にまぎれ、映像をバックに至近格闘となる。さりげなくロレーンがCARシステム風の据銃をする。そういう文系茶目っ気もあるし、古きを解釈しなおすファッション・スタイルが服から下着までどれも可愛く、久々に根っから自分向けの映画を見れたなという気持ち。ちなみにわたしはベルリン到着時のパンツスーツ&ベストがお好みだな。
 唯一よくないとこは、ディテールの確認ミスか。冒頭、発端となるSIS要員射殺シーンがある――んだけど、ここで使用される銃に関しての簡単なプロファイリング・シーンで、明らかな間違いがあるんだよな……。実際に出てくるのはスチェッキンAPS(9ミリマカロフ弾を使う)。プロファイル中に映る薬莢の写真も、当該銃器で使われてるマカロフ弾。だけど、台詞上ではトカレフ(七・六二ミリトカレフ弾を使う)ということになっている。情報分析を取り扱う戦いとの建前があるだけに、こういうミスをしょっぱなからかますのだけはアーってなった。ミリオタ的同定のアレというよりは、他の部分への劇中リアリティを信頼するために……と、いう話。でもそれくらい。
 すんげー好みじゃん、と叫べる映画を観たあとは尋常じゃなく機嫌がよくなる。なるとはいえ、自分でもびっくりするくらいの機嫌。
▼買ったもの。
 魚舟・獣舟/上田早夕里
 Oct.14.2017
▼マイメンのパリングさんが真夜中ハ純潔 其ノ後の非常に素敵なイラストを描いて下すったので、是非ご覧くださいませ。嬉しいと照れ笑いが浮かんで仕方ない。アイフオーンのロック画面にしているので一日に何度かエヘヘとなる。
▼人間椅子の「異次元からの咆哮」を聴いている。緩急に富んだ前作から一転、ガシガシと突っこんでいくサウンドが元気な椅子って感じでよろしいのとテルミンの音が嬉しい(テルミンのフョンフョンした音好き)。個人的にはここにドゥーミィな曲がひとつだけあると嬉しいんだけどね。
▼Netflixに再加入したらリック・アンド・モーティに頭の天辺までハマッてしまった。シーズン2の最終回まで一気に見るくらい。カートゥーンがキてるのはアドベンチャータイム以来かな。基本ラインがバック・トゥ・ザ・フューチャーパロのSFバディ物で映画・芸能・音楽ネタがちょこちょこ突っこんであり、そこそこ下品でバイオレンスで人をバコスコ殺したりするわりに、妙に倫理的な側面がある。ひねくれた恰好良さに弱いねどうも。ED主題歌が各話で異なるのは洋ドラでお馴染み――なんだけど、趣味の良さがパーソン・オブ・インタレストに匹敵するのがたまらないですね異様に。インディー・ポップ/インディー・ロック路線多い。Chaos Chaos使ったり、重要エピソードの最後をBlond Redheadで彩ったり、シーズン2最終回にいたってはNINのHurtが流れる始末だもん。こういった種類の趣味の良さに震えちゃう感覚の根っこは、たぶんだけどATBアニメであるフリクリに通じてる。あれもRnMと同じくAdult Swimで放送されてたしな(十四年も前の話だが)。
 人物造形で堪らない部分が多い。主人公コンビにおいてアル中祖父=リックのヘッポコ孫=モーティに対する、ある程度は大事だ、との感覚が限りなく無自覚で、それにツンデレの戯画化って感じがしなくて良い。それを取り巻くのは機能不全家庭で大人になりきれない大人しかいないありさま。関係のもつれが解決したりもするけど、場当たり、即物的、日があけばすぐ元通りになりそうなのが好きなんだよな。ちょっとずつ重ねてけば解決はしそうだけど、本人らは別にそこまでする気ねーなーっ、て感じ。しかもセラピーやる回とかあってまたかー!!!!ってな。そういうところにもちょろっとフリクリっぽさを憶えて、まあそのフリクリっぽさが深く深くブッ刺さっている。「大人になりたい子ども」、「大人になりきれない大人」、「なる必要もなんも感じてない大人」。あれの影響で機能不全バッキバキだけどまあ楽しくブッ飛ばしていく、みたいなノリ好き。
 間違いなしの覇権アニメ。シーズン2の余韻に殴られてしまったのでシーズン3早く来て欲しい。ちなみにわたしの推しエピソードはシーズン1の「ケーブルテレビのアップグレード」、シーズン2の「ハイになれ」。
▼精神的不調が重なってあんまり映画を観てなかったんだけど、この頃はちょっとずつ観るようにしている。どうも気合を入れないと観れないね……映画にせよネット配信にせよ……。カール・アーバン版のジャッジ・ドレッド良かった。ザ・レイドを援用したような恰好良さバリバリ!というだけの、ゲーム脳的にゴージャスでデラックスな楽しさ。テーマ性とか以上に「バリバリ!」を意識しまくって、バリバリ以上でも以下でもない過激さはやっぱクるものがある。なによりボブカットの可愛い女の子ちゃんが出てると、どうしてもウフフ……となってしまう。ハイテク装備を用いる手っ取り早さに加え、ひとつの画面で発砲と着弾の完結している銃撃戦描写もご機嫌にしてくれる。こういう銃撃戦は実のところ恰好良い絵と編集にするのが難しく、そういう意味で上手きわまりないのが最近だとジョン・ウィックだったな。発砲/命中/薬莢落下、みたいぶつ切りではなく、放った銃弾が命中した刹那に薬莢が落下して音を立てる、みたいなひと塊感。大事ですね。実際のとこはそこまで緻密じゃないけども。
▼買ったり借りたりもらったりしたもの。
 ごちそう探検隊/赤瀬川原平
 百怪祭 室町伝奇集/朝松健
 怪しい来客簿/色川武大
 イルミナエ・ファイル/ジェイ・クリストフ
 波よ聞いてくれ4//沙村広明
 戦争がつくった現代の食卓 軍と加工食品の知られざる関係/アナスタシア・マークス・デ・サルセド
 アンチクリストの誕生/レオ・ペルッツ
 不死の人/ホルヘ・ルイス・ボルヘス
 ケガレの民族誌 差別の文化的要因/宮田登
 サトコとナダ1/ユペチカ
 Sept.29.2017
▼遠出をして「スイスアーミーマン」を観てきた。伍藤の推しであるポール・ダノが主演のマジックリアリズムでネクロテックでBLな映画。無人島で自殺しかけてた青年が、岸辺に流れ着いた屍体(噴出する腐敗ガスでジェットスキー化)とともに脱出、サバイバルの旅がはじまる。そんな話だけどこれだけだとわけわからんな。
 宣伝は明らかにコメディ路線で狙っているのに、中身はといえばミシェル・ゴンドリー風のきらびやかな演出やDIY感覚を帯びたサイレントヒル……という一言には尽くしがたいものだった。途中から予感はしていたものの、八割は笑いだけど、残り二割のエモーショナルな混乱で心の置き場が見つからなくなる。同じくポール・ダノが主演でわたしのお気に入りである「ルビー・スパークス」もそうだったけど、人生再定義系というか、ちょっとカウンセリング的。序盤からして、「人生って何?」と屍体ラドクリフに問われた主人公が、生のカタチ、意味、を再定義して語りかけていくシーンがある。屍体ラドクリフに「恋を追体験させ」たりするシーンとかね。それでいてギャグとしてはしょーもない感じでガンガンに攻めてくる――オナラにはじまり勃起にウンコ、ゲロやオシッコと直截な下ネタをブチこむし、屍体ラドクリフ関連だと口から水をバーバー噴出する流れはゲーゲー笑った。そもそも最初っから水っぽいオナラの音がブーブー言い、これは容赦ないくらい、大事なモチーフになっている。なんでもダノ氏のを録音したらしい。そうした作劇で前面に立つポール・ダノの演技も素晴らしく、まとわる迫真性や輝きはすごいし、それぞれのカットにおいて異様なくらいにかわいく、かなりわたし向きのバランス感覚。こと過去描写、バス内での後ろ姿や跳ねた髪の毛、そこから振り向く瞬間のかわいさたるや(それに瞬間ごとの眼の演技もすごい)。ラドクリフの死体演技も、首の据わらなさやしんなり具合がホントに屍体みたいで、ちょっと暗黒舞踏的な虚脱の制御すら垣間見えた。良い。とても変で面白い映画です。好き嫌いはバッツリわかれる。
 どうも心のカタチをめぐる物語、何かを見つめ直す物語に弱いな。というのも、半分はエヴァの影響で、もう半分はサイレントヒルの影響なんだろう。今回は後者の、こと2の意識をめぐる痛みや自罰、自傷性、妄想が露骨に響いてきた。結構共通した雰囲気のシーンもあるし、嘘偽りなく、サイレントヒル的だと思う。魂の暗がりをじっと覗きこみ、たまに撫でさする。そんな心地が嫌いになれない人は、単に面白い映画だなって笑う以上に、伝わってくるものがある映画だと思う。
「ポール・ダノはなんで普通の映画に出ないんだろうね……。気軽に見返せるものがないよ……」
 とは一緒に見に行った子の言。同感。いまだズーンてなっている。
 Sept.25.2017
▼あたらしいお話のプロットをガシガシ作って、早い段階から相応の量に達しているので嬉しい。とはいえ、最終的に半泣きで作ることは目に見えているのでご機嫌か、といえばそうでもないが。十三年くらいものを書く遊びをしてマジメにやりだしてから八年になんだから、そろそろ適度な作業量を覚えていきたい。
▼小中学生、ひいては高校生の頃まではFM、AMを問わずラジオをよく聴いていた。いまも聴いてるけど依存度が段違いだったように思う。こと深夜番組ね。聴き逃すと尋常じゃなく気落ちするくらい好きだった。
 と、いうのも、単純に楽しかったのもそうだけど、当時は家でこもってグータラする生活がつづいてて外部と接するものがあんまなかったからだ。家で茫洋としてると世界の半径が一気に狭まってしまう。行動半径が狭まると同時に、感覚も一気に削られるもんだな、と自覚するではないにしても閉塞感はあり、当時はネットも引いてなかったからなおのこと。携帯電話のiモード(しかも定額制じゃない)がせいぜいだった。そんななかで、東京の局から届くラジオ番組が、生活上の感覚というか視野というかを超えて、そこに実在してると感じられる世界の範囲を広げてくれてた。「遠く」を意識する趣が好きだった。そんな聴きだったから日曜深夜、放送が終了してフィラーが流れる瞬間に、この世が終わってしまうよな感覚がすごかったんだよな……。懐かしい。
 地方都市に住まうオコサマの、深夜の無聊をことさら癒やしてくれたのは「バツラジ」から「深夜の馬鹿力」への流れ、ネットと連動して遊んでた番組「IR3」、高校にあがってからは「ロケットマンショー」から「アーリーモーリーバード」への流れだった。まだradikoもない頃。最近はもうアニラジくらいしか聴いてないんだけど、いま思うのは一期一会なことだ。アニラジだと声優さんはあっちの番組からこっちの番組へと八面六臂なことが多いけど、パーソナリティさんや芸人さんとかだとそうはいかない。一回その番組が終わってしまうと、そこでバイバイとなってしまうのが寂しかった。強い喪失感を味わったのは「ロケットマンショー」で、深夜以外だと「柴草玲のイヌラジ」が最後か。
 また、喪失感が生じるくらいハマるラジオがあればいいんだけどな。
 その点で沙村広明の波よ聞いてくれはかなり最高なマンガなんだけど、うっかりしてたら四巻を買い忘れてた。読まにゃ。
▼体調が思わしくなくてあんま外出もしてないので、思い出に関することを記録するだけとなりがち。遠くへおでかけしたいもんだ。
 Sept.19.2017
▼「椎名誠の怪しい探検隊」がYouTubeにあがっていた。違法アップロードは良くないと理解していても、古い、ソフト化もされないようなテレビ番組があがってたりするとなんだか嬉しくなってしまう。なかでもスペシャル番組である、東京下町の水路をカヌーでさまようやつには釘づけになった。関心のある時期、フィールド、活動だし、しかも自分が生まれた年の番組なんだもの。あとシーナさんがめちゃ若い。
▼夜中、アイスガイを食べたい、と思うことが多い。先だって、前触れなく食べたいと思いたって調べたら、かれこれ何年か前に販売終了したらしいことがわかってしまったのが発端だ。二ヶ月ほどが近年まれに見るアイス消費月間がつづいてたので忘れていたけど、ここ何年かはアイス消費量が人生でもっとも少ない時期だと思う。好きだったものはそういう時期に消えるね。得てして。そんでないとわかると余計食べたくなる。
 で、アイスガイだ。小学生くらいの頃にはソーダ味のものを好んで食べてて、パピコ系統の封がしてあるけど中身は氷のジャリジャリした食感が強く、ガイと自称するに相応しい硬さだった。難点は半分も食べる前に溶けだした汁を吸いきってしまい、ほとんど味気ない氷になってしまうこと――要はチューペットと同じ現象が発生しやすかった。パピコはならないのにな。それをガジガジと噛んでンーッ……とおいしくなさをもてあそぶのも、わりかし好きだった。バリエーションを見ると見知らぬやつが結構いる。わたしが好んでたのはソーダ味で、あとはカフェオレ味も食べていた記憶は何となくある。画像検索をするとでてくるポンジュース味とか午後の紅茶味は認識の埒外で、わりと驚かされた。こういう好きそうな味があったのか、と思えど、消費物は後の祭りだね。
 調べてて楽しくなったのはデザインの古臭さだ。アイスガイ、それに次ぎよく食べていたアイスボックスのパッケージを見るとじつに古めかしい。色彩感覚、フォント感覚がいまに至るまでにどれだけ洗練されてきたか、という話だけど、九〇年代的色感はドキドキする。飲み物のパッケージデザインもキュンやごめんねとか、ああいうのはなかなか。エネルゲンなんかは変化がなくてすごいな。どの時代も独特であるにせよ、こと九〇年代は自分が子ども時分を過ごした時期だけあってノスタルジアに陶然としがちだ。二十年前。そこそこの昔なのに昔という気がせず、でも実質的なギャップを見ると驚く。書籍のデザインとかもそうだよね――と、古いものを調べるのが楽しいのと同時に、古本をそこそこに買う生活なので思ったりもする。
 古い&アイスつながりで思い出したけど、ファミマにあったガラス張りサーバーに入ったシャーベット的なものをプラカップに入れるやつも好きだったな。スラーピーというらしい。あと冷凍弁当の焼肉チャーハンが好きだったな、とか。速水螺旋人さんは昔、角バーガーの記事を書いてたけど、あれもなかなか……。と、この前のインターネットの話もそうだけど、こういう取り留めのないことを思い出したり、生まれては消えてくものをいまと比較する遊びは楽しくてしかたない。きりもないけど。
 ちなみに最近食べたアイスだとパピコ梨味がおいしかった。そもそも梨がすこぶる好きなので、この時期は梨味の商品が増えて嬉しい。
▼買ったもの。
 妖月の航海 王朝アラベスク綺譚/井上雅彦
 グランダンの怪奇事件簿/シーバリー・クイン
 A子さんの恋人四巻/近藤聡乃
 あたらしいひふ/高野雀
 ウォーハンマー・ノベル ドラッケンフェルズ/ジャック・ヨーヴィル
 ランボー全詩集/アルチュール・ランボー
 グランダン、昔悪魔の花嫁を買いはしたけどあんまり気が乗らなくて読まないままに失くしてしまったんだけど、短編集はだいぶおもしろい。パルプなアメリカン伝奇好きなんだな。再確認。
 Sept.9.2017
▼岡村ちゃんがDAOKOの楽曲をプロデュース、というニュースを見て飛びあがってしまった。どちらも好きなアーティストなのだけど、好きと好きが合体したらだいすきになってしまうのではないか。
▼続刊ありで最近も読む漫画も含め、よかったものを思いだせる限り書きだした。よかったの。だめなの。どちらも油断してると驚くほど忘れてしまう。記憶容量よりも、何かを読むこと、消化/消費することへのモチベーション、スタンスの変化が問題なんだと思う。作家やアーティストの名前がとっさにでず難儀するのが多いのも、たぶんそのせい。PCはデフラグ機能があるけど、人間の脳もそれが必要なのかも。思案や好きを整理しないとボンヤリに包まれ、質感どころか、それが入った抽斗も見失う。何事も意識的にやらずにいられるのがいちばん……だけど、やっぱ脳がゆるみ憂鬱にもやられてると、多少、気を張らんとですな。と、書いた翌日には忘れてそうなボンヤリ感(こえー)。
▼忘れると言えば、近頃、自分が触れていたけれど失われてしまってあとはゆっくりと忘れられていくだけの、「かつてのインターネット」に関心がある。管理人による削除。レンタルサーバのサービス終了。検索エンジン最適化による不透明化。そういった要因で視野から消えてしまった古いサイトとか。
 特によく思いだすのは中学生時分――二〇〇三年前後、その頃ですら古臭く見えたhtml手打ちバリバリによる、多重人格探偵サイコのファンサイトがそうだ。自分が見る数年前の、より一層に情報伝達速度が遅く、サイコ自体も前半戦で細かいネタ開示もそれほどされてなかった時期のサイトだと思う。原色バリバリで黄緑のフォントなんかを使っちゃうそのサイトは「ルーシー・モノストーンが実在するか」みたいなことを書いてて、最終的には曖昧なまま結論も出さずブン投げる、という雑なインターネット詩人的語り口が鼻についた。けどその感じが嫌いでもなかった記憶もある(なにせ中一、中二なので妙な気取りに弱い)。しかしいま、そのサイトを探したところで見つかるはずもない。ほぼ完全に失われてしまった記憶の断片。
 似たような感じで失われたページは無数にあって、調べ物をしてたら引きあたるような、記事だけが残って親ページはない、打ち捨てられた小説サイトとかもそうだな。インターネット・トマソンというか。伝達速度、処理速度が早まり、最適化に磨きをかけた検索エンジンはそうしたものを見えづらくしていく。それに商業性も拍車をかける。無駄なまとめサイト。無駄な質問サイト。キーワードの破片がかすってるだけの、ほとんど関係ない通販サイト。そういうのにまみれて消えゆく速度は、一時期よりずっと速まっているのでは。そう思うことが多い。ただでさえ、古いサイトのフワフワした曖昧な質感は思い出補正で引っ張って伸ばしやすい。ただでさえ得も言われぬ寂しさ、妙な愛おしさをこめやすいものだからモーきりがないよな。伝達速度が遅く、のんびり、フワフワとしてた時代に作られたページへ、反比例的に、余計に愛おしさが増していくばかり。思いを馳せるたびになんか頭の奥がツンとしてくる。
 伝達速度といえば、大塚英志が生みだしたルーシー・モノストーンという架空のカリスマをめぐるストーリーライン自体、物語消費論で語られているところの都市伝説云々という伝達される物語を実運用した、ある種の「速度」を取り扱うメディアミックスだったな。こういうのも過去同様の運用は不可能かもしれない。いまは伝達速度がきわめて速く、調べればあっさり答えがでてくる。まとめ。共有。それは検索すれば引っかかりやすいもんなんだよな。都市伝説は、こうした速度の煽りを食らいやすい。例えば、熊野古道で宙に浮かぶ鳥居を見た、という不気味なモチーフが近年にあるけど、いまではこういうのが洒落怖的質感でずっとモコモコした闇に包まれることはないわけだ――闇が伝播し、尾ひれがつくところまでいかない。増田感が九七年に作ったアート作品「音の居」だ、と判明しやすい。他の都市伝説にしたところで、実にあっさりと類似モチーフから「一定の形質」や元ネタが見つかってしまう。そうした手触りは明瞭なもんで、未知という暗がりを晴らしてスッキリさせてくれる。けども、同時に一抹の、これでいいのかな……という気持ちも湧くものだ(不可思議な暗がりも愛する人間としてはね)。
 わたしはそうした暗がりが幅を利かせられた時期を指して、「都市伝説が最後に在れた時期」との言い回しを使うことを好む。思えばそれも伝達速度と明白/曖昧の問題だ。言い回し自体はだいたい一桁年代初頭くらいまでを指してるんだけど、「わたしの好きな形」のそれっぽい都市伝説が在れたのは、本当に、それくらいの時期までだと思っている。それ以降のあっさりと真相に到達する術を手に入れた状態では、モヤモヤや暗さを前ほどは抱えられようはずもない、とか。この前刊行された木村いこさんの「夜さんぽ」でも、こうしたモヤモヤをあつかった回があったな。未知にドキッとしちゃう人には、きっとあるあるなんじゃないか(大変いい話なのだわこれが)。あるいは、こうした感覚をうまいこと転覆させて取りこんだ作品として「電脳コイル」があるな。
 まあ、なんだ。
 忘れていくことや、それ自体が存在することも耐えられない環境といったものに、消えてくことの是非はさておきて弱く、エモートの揺らぎを抱きがちという話。なんにせよ大事にしたい感覚ではある。ちなみに増田感のモニュメントは「kan masuda La Campana del Viento」で検索すると、ある程度しっかりした形を見られる。たしかにこれをふと見かけたら気持ち悪いな……。
 Sept.3.2017
▼「チャイナ・ミエヴィル トリビュートアンソロジー」が自家通販中だそうで。なんか通販分がガッツリ全滅しちゃったのでこりゃイカンと増刷したそうです。わりとちゃんと面白いと思うので、よかったら読んでみてもらえると嬉しいな。伍藤はCIAのなかに変な現象が出るからそれに対策せねば……という変速スパイ風味幻想小説を寄稿しています。
WALKING CHAIR通販ページ
 Sept.2.2017
▼日記のつけかた、というか雑言でも何かの感想でもない文章の書きかたをフツーに忘れてしまったので、なんとなくログをつけようかな、とか思いたった。別段、書く理由も目的もないけど。一桁年代への郷愁は確実にあり、だからウェブログサービスではなく、あえての手打ちhtmlでやるというワケ。
▼いろいろとりこんでて遅くなったけど、あたらしいお話はそろそろ載せます。気づいたら異世界転生ファンタジーになっていた。たぶんダークソウル3をやったのち、ポポロクロニクルを読んだせい。
▼買ったもの。
・ジョゼフィーヌ/ペネロープ・バジュー
・ラヴクラフト全集3/H.P.ラヴクラフト
・破船/吉村昭
 一旦飽きて売ったあと、アー、あれはさすがに……と後悔する本が多いのだけれど、ラヴクラフト全集は最たるもの。その瞬間瞬間の判断がいかにあてにならないかっつーハナシです。  と、言っても前に買ってたときすら五巻辺りで止まってた気がする。そもそも最初にクトゥルフ神話(長音よりフで止めるほうが好み)に関心を抱いたのは一桁年代も前半で、エロゲにおける伝奇バトルが隆盛してた頃、つまりはデモンベインのご時世なのでえらく時が経ったもんですね、との思いが強い。当時は中学生でニワカもニワカ。雑に周縁で触れてた子だったので、Bloodborneに傾倒して改めてきちんとハマり直したという感慨がある。
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