最近よかったもの
◆小説
日本怪獣侵略伝/アンソロジー
どこから行っても遠い町/川上弘美
TOKYO REDUX 下山迷宮/デイヴィッド・ピース
文学刑事サーズデイ・ネクスト ジェイン・エアを探せ!/ジャスパー・フォード
錆喰いビスコ/瘤久保慎司
アルテミス/アンディ・ウィアー
魔術探偵スラクサス/マーティン・スコット
保健室のアン・ウニョン先生/チョン・セラン
ひとんち/澤村伊智
余寒の怪談帖/余寒
人文とかエッセイとか
簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった!/山下泰平
Jホラーの幽霊研究/大島清昭
恐怖の作法:ホラー映画の技術/小中千昭
チョコレートガール探偵譚/吉田篤弘
ふしぎな部落差別/角岡伸彦
児玉誉士夫 巨魁の昭和史/有馬哲夫
怪獣はなぜ日本を襲うのか?/長山靖生
二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史/大塚英志
現代怪談考/吉田悠軌
動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか/ニック・タース
◆コミック
CITY/あらゐけいいち
ワルプルギス実行委員会実行す/速水螺旋人
黒街/小池ノクト
いんへるの/カラスヤサトシ
岡崎に捧ぐ/山本さほ
花織さんは転生しても喧嘩したい/氷川へきる
勇者のクズ/ナカシマ723
スケバンと転校生/ふじちか
地獄楽/賀来ゆうじ
模型の町/panpanya
◆音楽
苦楽/人間椅子
FNCY BY FNCY/FNCY
Current/Tame Impala
愛のシュプリーム/fhana
The Lockdown Sessions/エルトン・ジョン
THE ZOMBIE/アイナ・ジ・エンド
Reflexion/にじさんじ
POP/NOMELON NOLEMON
BADモード/宇多田ヒカル
Blue Archive Original Soundtrack Vol.1/ミツキヨ、KARUT、Nor


旧ログ
 過去ログはどんどんしまっちゃうので、外部リンクから飛んできた場合はリンク元から確認できる当該日付を探してくだされ。
2017.09-12
2018.01-032018.04-062018.07-092018.10-12
2019.01-032019.04-062019.07-092019.10-11
2020.01-032020.04-06
2021.01-032021.04-062021.07-09
 Oct.12.2022
前に更新してから半年ってマァ?
 マのジなんよ。
 諸々が滞ってるし月録よかお話作業したほうがよくね、書くこともマジ不調だわの一択だし、と考えてたらこのザマですわ。ワハハ。なにわろてんねん。不調は心身広範におよべども、もはや省略の域。ご新規で言いますれば、コロコロワクチン3rd接種のときに頭痛以外の副反応が全部盛りんなったり、このところひどい動悸がよくでなすったり。おおむねそんなん。
 それとまあ例によってメンヘラこじれると何もできんね。
 愛は心の仕事です、とは菊池桃子のアレだが……。
 心がないとなんもかもダメだわな……。
お話のわけわからん構造について悩むのを一旦やめ、本編をちゃんと書く作業は進めているつもりなんだねェ、一応。ここ二ヶ月くらい。しかし、なかなか小説の書きかたっつうのを忘れてるもんで、いつの間にか日本語が崩れやすく、泣いたり笑ったりしちゃう。自分で見たいものを自分で作るとの性質上、納得してないとのちのちつらい気持ちになるので、あれね、適当な文章で垂れ流せないのがキチー。融通きかねー。
 どうにか近いうちにお披露目できたらいいナー……ってこれ毎回言ってるな。言うのはタダの精神。でも、文章的にはわりといつもの伍藤っぽいカンジになってると思うし、ね、どうにかね……したいとはね……思ってるね……心からね……。
 ってログ遡ってみたら丸一年前に来月辺りからお話しはじめてェとか言ってんじゃん! どうしようもねェな! ボケがよォ!!
 ちなみに現在の進捗は……?(一五〇〇〇字……(少ねェッ!))
最近良かったうたみた二選。
 まちゅかいの酔いどれ知らず、良すぎる……。おすましなキュートさ、甘ったるいセクシーさ、微笑みかけるクールさの使い分けが好みすぎる。というかまちゅかい、Kanaria曲との相性めっちゃいいな。いやはや、最高。ラヴ。何回も聴いてる。

 茜音カンナちゃんにもハマってる。おしゃべりはものすんげー柔和でお餅みたいな口調なのに、歌ではパワーあるの良い。小中学生の頃、倖田來未の歌が結構好きだったんだけど、その気持ちを呼び起こす声質。この曲だと一桁年代にあったJPOP×和風のサウンドを彷彿とさせる音作りが、ラップを含めてきれいにフィックスしてる。いやもう、最高。ラヴ。やはり何回も聴いてる。

カクコトナイノヨネと言いはしても、ブルアカのことだけは書くことわりとあるな(えー)。
 ちょっと前にまた区切りを迎えたエデン条約篇、非常に良かった。ちょっと駈け足気味な、言わばソシャゲであるが故の尺不足こそうかがえるけど、その戦いがたどりついた結末はかなりよかった。大団円としての爽やかな読後感はなにものにも代えがたい。
長いから折り畳んどくか……。  今回は、秘匿されし学区をむごたらしい実験場としてあつかっていた「ゲマトリア」の一柱――ベアトリーチェとの対決というお話の縦軸に対して、横軸では、自分の行為に過度な代償を払おうとする二人の女の子が描かれてた。
 裏切りの代価として家族を奪われかけているサオリ。
 裏切りの代価として人生を奪われかけているミカ。
 二人とも自他の悪意に翻弄されながら失策(しくじ)り、その辻褄あわせをしようと、独りで案じ、視野狭窄しながら、仮想敵に必死の睨みを据える。その胸にはねじくれた道のりのなかで芽生えた、ゆがんだ責任感がある。それが自責に変わりゆくことで、二人は「自分がなんらかの苦痛へと堕すこと」を答えとして見いだしていく……と、いうのが第四章完結を前にしたクリフハンガーで、読んでるほうとしてはハラハラしっぱなしだった。ある戦いは自分ごと叩き壊す自傷のようで、またある戦いは誰かの傷を引き受ける自己犠牲で、幸福のなかに立つことを諦めて崩折れながら、しかしただでは倒れずに銃弾であらがうことこそが自分にふさわしい、とする盲信が悲しかった。その過程で、苦痛で棹さす子たちが交わす敵対/理解/和解も、痛々しい切なさに満ちてた。そんな、「誰か」を信じきれなくて痛みにくらみ、震えてる手に、先生が触れて、心の暗がりから連れだす展開がすごいよかった。
 戻りようのない場所まで遠ざかることを否定するために、先生(わたし)としての意思表明はかなり前面化されてた。ブルアカに触れはじめた頃にも感じたこと――失敗して、学んで、何かを得て、未来を描きだせるように<先生>がそこにいる――を改めてことばにして、足がかりとなれるよう敷きつめていた、というか。きみを見捨てない。騙したり、苦しませたりもしない。きみもそこにいて、一緒に笑っていられる世界がいい。だから、怖がらずに一緒に来て。そんな思いを伝える声が、こうやって子たちに寄り添えたら、というわたしの気持ちも上乗せして響いてた。
 お話は、まだミカが家路についただけ。犯した罪に対する処遇や贖いについてはこれから決まっていくだろうし、きっと重ね重ねめちゃくちゃに怒られはするのだろうけど、それでも暗澹たる気持ちで滅びに浸らず、あたらしい選択をするところまでこれた。その軌跡が、こういうのを読めたら、という願いに本当に最後まで応えてくれてたな。それに、戦いの先ではサオリが率いるアリウススクワッドの子たちもひとつの答えを見つけられてたんだよね。

どこだって、これから私たちが初めて歩く道だから。
私たちの青春は、私たちだけのものだから。

――アツコ/アリウススクワッド

 憎悪と苦痛で縛りつける物語は、もうここにはない。少しずつでも、苦難が多くても、信じて歩いていけるんだ。その表明が、エピローグにおけるちょっとした会話なのにホロリとしてしまう。
 そんなお話のディテールとして、補習授業部が誰かの助けとなれるように動いてくれていたことも嬉しかったな。
 家族同然な子たちの未来を祈り、往きて帰る道をしめす子。
 心に宿す善を信じて、傷つきゆく人のたからものを守る子。
 陰謀の渦中でさまざまな蹉跌を心身に食いこませ、それでも前に進んだ子たちが、いま苦しむ子たちのために想いを託す。それはもう素敵としか言いようがないよね……。
 特にコハルちゃん。
 コハルちゃんは、本当なら、正義実現委員会という学内執行機関に属するだけの、取るに足らない、どこにでもいるような女の子のはずだった。担当業務は押収品管理。委員会内でのあつかいは、一部の先輩からうける寵愛を別にすれば、恐らくモブ委員とさほど変わらない。人物像だってかなりへっぽこ。何分、よほど心をひらいた相手でないと大きな声をだせない。内弁慶とスケベ妄想癖がくっついて一人で発奮してしまう性格だし、その内面は、公式設定で「頭が悪い」と直截に表現されてしまうほどだった。しかも、委員会に籍をおくことがプライドを担保してたにも関わらず、頭がよくない点を利用されて補習授業部に移籍させられちゃう始末。エデン条約編第1章〜第3章の「それっぽく派手なシーン」では、離れ駒みたいにされていた。
 そんな普通の子が、偶然得た大事な友だちと駈け抜けることで少しずつ変わっていき、補習授業部として迎えたエンディングの彼方に、今回の話があるんよな。
 チェンジ・ガール・ナウ!(岡村靖幸並感)
 もちろん、なにかが変わったとしても、ストーリー上の活躍はささやかで、「銃を撃って戦って」はいなかった。ただ、いたずらに傷つけられようとしている人をかばった。魔女狩りが誰かの大事なものを焼き尽くそうとしたとき、それをひっそりと守った。喧嘩とは言え銃弾が飛び交う世界で、あまりにも些細に見える戦い。
 それは、具体的な敵を相手どってはいなかった。アリウス・スクワッドに盲従をしいた観念――悪意との戦いだった。人心を人形劇のように操るベアトリーチェが好むところの曖昧な糸は、学内での事変が阻止されたにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、トリニティの生徒たちをもからめとり、集団的な振る舞い(モブ・シーン)をねじれさせていた。そこにあるのは「普通であること」で自他を均す衣。それから「普通ではないもの」にむける嘲りの松明。ふたつを手にした子らの瞬間的な憎しみは空気感となって学内に漂い、普通は許せないでしょ、と言うように同調者を増やしていく。そういう普通を盾にすることを、コハルちゃんは是としなかった。それは補習授業部でともに時間をすごしたアズサちゃんが、誰かを傷つけるための空気なんて読まずにイジメっ子と戦ったのとも重なる。コハルちゃんは小心者だから拒む声こそ小さかったけど、立場や仕事ではない、自分がそうすべきと思う善意にしたがって動いた。高校に入ったのち、正義実現委員会という場に導いたであろう気持ちのひとひらが、大きな傘を広げて、礫から守ろうとした。それが、先生の気持ちとともに、ひどく痛めつけられた女の子のささえとなったのが、すごく嬉しかったんだよね……。
 コハルちゃんが委員会にいたいと願う気持ちの根っこ。厳しい先輩に大事にされてる理由。そういうバックボーンの感触を、ほんのりとではあるけどお話の動きから感じられるようにしてあるのは素晴らしい。しかも、コハルちゃんの動向を通してミカの人物像をも引きだすんだから、本当にすごい。ミカ自身は不埒な性格が災いして矢面にたつことにはなったけど、それでも以前はトリニティの生徒会長の一柱ではあった。その所以というか人間的なすごみが、コハルちゃんへのちょっとした態度からうかがえる、というね。いやー、スゴ良い。善さしかないとは斯様な図を言う。
 なんか、もう、いまの気持ちとしてはアレね。ミカコハ仲良しをくれ。原典も二次創作も。頼む。そんな気持ちを抱くわたしのドラムがヘビメタを熱演してる(岡村靖幸並感2)。

 恋愛ではなく信頼の物語に触れたい――以前、ツイッターでそんなことば(要約だけど)を見た。わたしもまたわかる〜〜〜〜となった思いなんだけど、いまんとこ、ブルアカはこれにきっちり応えてくれてるね。フィクションとしてキモチヨクする都合上、ブルアカもまた、生徒ちゃんたちの個別ストーリーで恋愛感情に近接した感情や性的ビジュアルをつめこむ部分が多いわけだけど、個人的に、そういうのはそんな得意じゃない。けれどそれはフックであって、本筋となるお話の部分では、信じて、信じてもらうことも、たくさん描いてくれる。だからなかなか、こう、まじまじと読んじゃうんだよな。
 すべてのプレイは祈りである(all play is pray)
 コンシューマにせよソシャゲにせよ、ゲームをやるわたしの胸に常在するこの語呂合わせに、血を通わせてくれるお話なのです。だもんで、もう、泣いちゃうね。というか今回は泣きっぱなしだったな……。ほんとブルアカありがとうの気持ち。
ちなみに今日で終わる大運動会イベントもわりと良い感じ。
 恐らく夏イベ同様に前後編構成であろうお話のうち、前編と思しき今回は、開催前夜がテーマ。「みんなが楽しい運動会にしたい」という気持ちをめぐり、また異なる信頼のかたちが描かれている。みんなのためにと仕事を抱えまって疲れてる子。運動が苦手だから大運動会そのものを中止させようと企む子。そんな子たちに、一人で抱えこみすぎないで、と告げる話。
 中止を願う子たちの暗躍をみんなでがんばって阻止して、そのうえで、妨害しようとする心に刺さったトゲも抜いてみせよう、という態度はすごいよかった。運動できないせいで嘲られたという子たちでも、こう変えれば楽しめるかもしれない。そう考えて困りごとに即応するのは、学生自治によって生徒会が強い力を持つ世界観ならではの裁量とともに、悲しげな子を置いてきぼりにしたくないとの思いがでてたな。新規に追加された生徒ちゃんを活躍させる展開でありつつ、ブルアカの良さも体現してる。理想論で動いて、より良くしたいという思いを莫迦にせず、素直に実現してく。そういうところが愛らしい。
 ゲームの脇にあるサービス精神にも感じ入るものがあるのだな。さまざまな学園が伍する大運動会である以上、必然的に、劇中でフォローしきれない生徒ちゃんたちはでてくる。その姿を、ドラマCD/コミック/ラノベで補完するっていうね。これは素敵な処置だと思う。しかもイベント後半戦にむけた空白期間(とわたしは勝手に信じてますが)に発送してくれるっていう心遣いよ。
 サントラ第2弾の発送タイミングがえらい遅かったから戦々恐々としてたんだけど、十一日の時点で発送メールが来てて安心……。仕事あるから受け取るのは先のことになるけど……。まあそれはそれとして楽しみ。超楽しみ。
 一方で、次の本筋はどのエピソードが更新されるんだろうなーとも思ったり。たぶん区切りがついてるようでついてないカルバノグの兎篇のつづきよな。こないだも新規実装生徒に兎隊のモエちゃんが入ってただけに、可能性は大きい。まあでもどの話が来ても良いなとは思ってる。ブルアカのメインストーリーは、各エピソードの要素が螺旋を描いて、からみあうことでひとつの大きな直線を描いてるから。
 いまうかがえる大きな直線のむこう側に、より深い奥行きがあってくれるといいな。連邦を打ち崩すにいたった「前周」の流れを回避することは中期目標であってほしい。生徒ちゃんたちと一緒に崩壊を阻止したあと、先生がキヴォトスの地にたっている理由や意味が問われる――とか、なんかそんな長期的なうねりがあってほしいなーっつう。
買ったり。
 本朝幻想文学縁起コンパクト版/荒俣宏
 極東事変4/大上明久利
 木島日記 うつろ舟/大塚英志
 北神伝綺/大塚英志
 北神伝綺 妹の力/大塚英志
 地下出版のメディア史/大尾侑子
 九段下駅 或いはナインス・ステップ・ステーション/マルカ・オールダー
 怪異と遊ぶ/怪異怪談研究会
 怪異猟奇ミステリー全史/風間賢二
 屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理/春日武彦
 平井呈一 生涯とその作品/紀田順一郎&荒俣宏
 龍と勇者と配達人8/グレゴリウス山田
 ひとんち/澤村伊智
 完本 妖異博物館
 ビバリウムで朝食を1/道満晴明
 奇異譚とユートピア 近代日本驚異小説史/長山靖生
 蝶と帝国/南木義隆
 ゴゴゴゴーゴーゴースト1〜3/蛭塚都
 妖怪の誕生 超自然と怪奇的自然の存在論的歴史人類学/廣田龍平
 人種主義の歴史/平野千果子
 スケバンと転校生1/ふじちか
 淵の王/舞城王太郎
 日本近代社会史 社会集団と市場から読み解く1868-1914/松沢裕作
 武士ちゃんとメンヘラくん1/豆村ケイタロウ
 宿神思想と被差別部落/水本正人
 大東京三十五区 亡都七事件/物集高音
 余寒の怪談帖/余寒
 日露戦争秘話 西郷隆盛を救出せよ/横田順彌
 現代怪談考/吉田悠軌
 シャーロック・ホームズとシャドウェルの影/ジェイムズ・ラヴグローヴ
 ここしばらくの要所に絞って。つか自分で見返したときの利便性とダルさがぶつかって、ダルさが勝ったからリンクはもうやめですわ! 木っ端あつかいの百円本も含めて、買ったのは紙のノートに書きつけるようにしてるものね。今年入ってから。
 ここんところの際立って大きな収穫は余寒の怪談帖奇異譚とユートピアの二冊を買えたことかねー。
 前者は怖い話配信、禍話の朗読でおなじみの怪談をまとめた同人誌。初版を逃したのが口惜しかったもんで、二版の注文はかなり大急ぎでござった。余寒さんによる静謐な語りを、かぁなっきさんの朗読が呼び起こし、聴き心地にめちゃくちゃ良いシナジーがもたらされることでおなじみの怪談帖なんだけど、これがまあ文章で読んでも楽しいのだな。怪談であり、また民俗学モチーフを用いた綺談短編/ショートショートとしての面もある。なにより好みなのが、文芸として砥いだことばで語ってるとこ。この嬉しさは実話怪談本に対して抱く、どうしても鮮やかな文章は感触は二の次となる構造である、との私的認識が関係しんだろうな。
 そも、実話怪談の作法は聞き書きに近い。体験者とのコミュニケーションによる口承(語り)と語り手による再構成(騙り)が形作るもの。そうした再話行為は、文章に落としこむ際に恣意性を働かせないかぎり、小説の心地よさとは別種のものとして成立する。それはたぶん落語や講談が、文語的なものとは違う、話しことばとしての美しさを有するのと似たものなのだと思う。実話怪談の場合は、そこから修飾を削って、意図して話しことばにしている、というか。ことによってはブログ文体とも言えよう、淡々とした、あるいは軽い文章が多い。そのドライさに、現実と地続きの怖さを引きたてる面があり、またライブでの演技的な抑制/解放をしたがえればさらに映えるのだろう、空白部分がある。ただ、個人的にはその選択的な淡白さがあまりなじまんのだな。文章がこなれてない怪談作家さんだと、ドライを通り越して朴訥になっちゃうことも多いし。
 んでまあ翻って怪談帖は、実話怪談の筆致を引きつつ、小説としての精度が高いのがとても好きなんよな、という話。シチュエーションとアトモスフィアに関する「描写」が濃い。ことばを操ることで、既知と未知のさかいにしがみつく、イヤな闇の色に輪郭をあたえていく。それは格調と言い換えてもいいかもしれない。お話にあうことばを選んで、読点打ち打ち、ひとつの文章で二行、三行とまたぐ文体もまた好ましいよねっつう。片方を上げるための片方を下げるみたいな良からぬ話になってしまっちったけど、まあそういう。たぶんだけど、おのれの愛着の根っこにゃ怪談のたぐいだと小泉八雲の怪談(平井呈一訳)がもっとも好きという性状も関わっていようね。ンー。
 中身に関しては、やはり好きなのがS町の凧芋うに辺り。祭り覗き山羊のいた家狂言獣檜舞台崩れ神輿なんかは、小説として体感すると幻想の味わいがしみじみとよろしいね。どの話も単に奇妙な趣だけでなく、知覚してはならないなにかを知覚したことで心が危機的状態に陥ってしまう感覚を、真っ向から叩きつけてもくれる。まあなんだね、奇想強めのイヤな、怖い話を読みたい人は絶対買ったほうがよろしい。物理書籍はそのうち増刷されるらしいし、なんなら電書もある故。
 おまけで収録されてる未放送分、ドッペルゲンゲルに関しては高橋洋的な魅力があるなーっていうのでまた長文書きそうになったけど、割愛。というか省略。よそで一回ダラダラと書いたし。
 後者の長山本はほぼほぼ定価くらいで買えてよかったー。SFMのバックナンバー読んでて、これはまとめて記事に触れてェ〜と思ったところからの、在庫切れ値段高騰といういつものやつだったから……。そういうの多い昨今。許せねェよ。まあそれはいいとして(全然よくないけど)、古めかしい様式をいまの脳で構築する、つまりはスチパン的な思考遊戯が楽しい時期はまだまだつづいてるから、こういうのは良い栄養になりますわ。怪異猟奇ミステリー全史本朝幻想文学縁起、ヨコジュン先生のなんかもそう。パルプなスチーム伝奇やりたさに圧が充填されてくのはちょっと気持ちいい。ヨコジュン明治小説に関しては、ここまできたからにゃ菊花大作戦も文庫入りして欲しいとこだけど、どうなんかね。竹書房文庫の担当さんにはよろしく頼みたいところ。もはやSFでもなんでもない冒険小説だから難しいかもだけど……。やや、でもそれ言ったらセイヴィング・サイゴードンもSFではねーのだけど。
 上記に近接したところでは、大塚の偽史三部作の未刊行分がスゲー勢いで刊行されてるのも良いねー。これで調子と興が乗って続編書かれるとハッピーなんですけども。ただまあ、終盤を人類補完計画みたいな、と言えるような精神世界寄りの演出で終わらせるとこに手癖っぽさがあって、そこは薄っすら引っかかってたり。木島日記もどき開口から八雲百怪につづいて、木島日記うつろ舟のラスト(書き下ろし)もその傾向が強かったんだねェ。それ自体は嫌いじゃないのだけど、反復が多いとちょっとな。そもそも最初にハマったときは、事件簿モノっぽく仕分けしてくお話に恰好良さを見いだしてたわけで、だからこそ思っちゃう。いや北神伝綺のほうはまだ読めてないから、そっちがそれだった場合はごめんなさいなんですが。どうなんだろうか。そしてああいう格好良さでやってる伝奇事件簿モノ、他にもないだろうか。まあないから中学の頃からずっとウーウーうなってるんだが。
 あとあれ、蝶と帝国の読後に残る気持ちが変で、大変心騒がしい。面白くはあったのに、心がまったく満たされなかった……。自分の魂が欲しがってた帝政ロシアにSF要素を加味して異化する感覚は、ちっともあたえられずに読み終えちゃった、というか。どうしても大蟻食御大の天使がデジャヴュっちゃうとこもあるし。なんだろう、こう、百合を読みたくて読んだわけではなくてだな。たぶん、その、あれよ、もうちょっとジャンル的にケバいものと想像してたのかもしれないな。まあおおむね過度な、かつ角度の間違った期待が悪い。この心の隙間を埋めるものが欲しいー。えぁー。
好きな作家が亡くなった。齢こそわたしの母よりも上ながら、それは公人としちゃ若い範疇でもあり、病を得ていたことも知らず、だからってのは変だけどショックは余分に大きい。ずっとなにかを紡いでいらっしゃると勝手に思っていた。おのれの愛着と、ときに苦笑のむかう先でありつづけると勝手に信じていた。本当に勝手なもので。
 ずっと好きだった。いつから好きでいたものか。かの人の本と出合ったのは高校時分だから、十六年前ぐらいか。全然善い読者ではいられなくて、いつか単行本で読めると踏んで最新の稿を寄せた本とて買わずにいたりして、そんな調子ではあるが、ずっと好きだった。出合いで魅了されてから、そのままここまで来たというか。
 最初に手にした本が、やたら贅をつくした短篇集だったのを憶えている。美しさ、恰好良さ、忌まわしさを兼ね備えた短編が、凝りすぎて手放すのも惜しくなる装丁に包まれ、それはミニチュアの宝物庫としか言いようがなかった。わたしに幻想と怪奇の麗しさを、そして文体の愉悦をも教えてくれた本だった。美観という宝石がはじめて掌に転がりこんだのは、あの本を読んでいるときのことだと思う。そこから十六年を経て、それはいまでもわたしのポケットに入っていて、ずっと入れっぱなしなあまり傷は免れず、なのにとりだしてみると輝きは少しも損なわれてない。のぞきこむたびに死にかけの胸に搏つものがある。
 得々と記すようなことではない。でも、大事にしていきます、ということだけは記しておきたい。多くの読者と同じように。
 ありがとうございました。大事にしていきます。それをくれたあなたの深い眠りが、どうか、穏やかでありますように。
 Apr.03.2022
今回はド月末更新に滑りこみ失敗ですわ(擦り傷大流血)。そんな今日この頃がどんな今日この頃であったかといえば、憂鬱で虫食いになったり、寝るつもりが突然夜の町を歩きはじめてしまったり、ブルアカの最新エピソードを楽しんだり、久々に会ったお友だちと奇想のモード展に行ってうまいもん食って元気回復したり、まあそんな感じで生きておった今日この頃でした。ひとまず生きてる。偉い。
拍手にお返事。
>>HKさん
 ごめんごめんごめんごめんもうホントごめん……。またしても拍手をば見落としておりました。過去ログ確認しててハワワッてなったわけですが、いやホントのホントに申し訳ない……。二回分まとめてということでひとつ……。
 アレですね。どうにかヒソヒソやっとりますが、全然、俄然、当然、然が三個並べてあまりある程度には納得いかん状態のままですね。ずっとやることなすこと自信絶無期のただなかだからってのもありましょうが、やったるで感の薄っすいこと。
 そういうダルンダルンな感じを多少なりとも愉快さで払拭したいねー、との気持ちも込め、タイトルは自分の出処ジャンルである超伝奇らしさを意識してみた次第。意識した分に見合うよう設計はすませたので、せめて人から投げかけてもらえる期待値の半分でも満たせるよう、いまは外周の構造を整理しております。いまいちキまんない第一話の流れが最低限固まればメキッと出力すると思いますので、こう、アレよ、がんばります。
 首を短くして待っとってクレ。

>>三月二六日のななしさん
 気持ちの整理とあわせてサイトをいじってみました。無駄を省いたり、省いた分を足したり、フォント大きくしたり、更新表も若干野ざらし感あったので削ったり。ちなみにトップの構成自体はリニューアルと見せかけて五、六年くらいロールバックしてたりします(いじったあとで気づいた)。
 もうずっとお話を載せられてないですが、どうにか無事書いてきたいですネ……。
ブルアカ、最新章も波乱があってすごい良い。
 抑止力として設立されたエリート特殊部隊の卵でありながら、育ちきることなく居場所(ガッコウ)を失くしたRABBIT小隊の話。学校の閉鎖に逆らって特殊部隊の子らが蹶起するところからはじまるあたり、今回はMGSテイストが強めだな。治安戦(COIN)部隊として設立されながらテロルにおよんだのち姿を消した「FOX小隊」とか。段ボール箱やドラム缶で潜入を成功させた工作員の伝説とか。それらの小ネタもそう。
 今回の更新分は斯様な要素を散りばめながら、裏で何かが動いていることのほのめかしと信頼の獲得に終始してたな。ひたすらに不穏。新登場の治安問題担当者――防衛室室長のカヤなんかは、エデン条約時のミカをもろに思いだして穏やかなじゃない。表面上は協力的な態度も、チェスと将棋が趣味というのも。3rdPVにおける白/黒四個ずつのチェス駒がピンクの光に照らされているところを直結せずにおられましょうかよ。そんなことを思ってたら早々の後編公開が発表されて、どうやらFOX小隊が御出座しとなるらしい。
 白い駒と黒い駒。兎と狐。信頼と不信。
 強大な作戦執行能力を持て余されてしまう特殊部隊と、それを目指していたひよっ子たち。
 きっと両者が何らかの相克、あるいは策謀に導かれて一度でも相対するのではないか、と想像すると少し胸が痛む。と同時に、発端からして最高指揮官――連邦委員長の失踪で割を食ったお取り潰しだから、その政治的状況とストーリーラインが、次でどう活きてくるのかを楽しみにしてる。それと、小隊の子たち(みんなちょっとずつ不安げ)が居場所を見つけたとき、規律/規範にすがるのでなく自分の道を見つけられる場所であればいいな、とも思ったり。
 なんにせよすべてがわかるのは更新されるのは四月六日。心して待つ。
奇想のモード展、なかなか面白かった。書いて字のごとき奇妙な想像力によってケバケバしさをも帯びる内容。メモをとらず(故にたぶん記憶違いもある)、友だちと一緒にヘェー……ホェー……と言いながらノンビリまわったことも相まって、審美の力場よりかは見世物興行のような味わいが強かったな。
 なにせ、時代をきざはしとして展示の内奥へと導いていく第二章が、フェティッシュな奇想としての「美しい拘束具」からはじまるし。まず配されていたのは見かけを窮屈な型に押しこめる奇形美――コルセットと纏足だった。麗しい造形でありながらも古い時代ならではの暴力性を含み、こと纏足なんかは、柔和な光のなかにあってもグロテスクさが露わにしていたように思う。男権的視線。所有の暴力。それらをもってさしだされる枠組みの毒気にあてられる、というか。だからか、見ているあいだは見世物っぽい後ろ暗さがつきまとってきた。隣で纏足を見てたカップルの女の子が、かわいい、とつぶやく声に耳を打たれてヒェッ……となったりね。徹して否むわけでなし、なんともいえないぞわつきがある。
 第三章では人体の断片としての毛髪を用いた品が並んでいたのも、見世物小屋っぽい風情を強めていたかもしれない。とはいえ凄惨なものでないんだけどね。遺髪をこめてある小さなブローチなんかは、故人を静かに慈しむような趣がよかった。死を添わせるというので言えば第一章における鳥の剥製を縫いつけた帽子なんかも、居心地の悪いインパクトを持ってて記憶に残ってるな。
 順路を追ってくうちに強く眼を惹いたのは一八世紀における盛り髪の肖像か。その昔、縦方向に髪を持ちあげるのがキャバ嬢のあいだで流行ったけど、あの意地と美感で勝負をかける感じの元祖みたいなアレですわな。もう頭上にちっちゃい船乗ってんだもん。いやこれはボディビルの掛け声で言うとこの、肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい、という修辞ではなく、もう物的に。マリー・アントワネットが流行らせた異装であるとの話はそこそこ有名だけど、図としてははじめて見たので笑ってしまった。オモロを重視して見かけを異化していくあまり横ずれしていく造形は良い……。ちなみに調べたら全高四〇センチくらいあったそうな。べらぼう。あとで画像検索して笑ってしまった。
 そうそう、そこかしこにあったシュルレアリスム運動とモードの交錯をしめす作品群も、そこにあるだけで異空間に誘ってくれた。オブジェが存外に多いのは嬉しかった。会場に入ってすぐダリの「抽き出しのあるミロのヴィーナス」「炎の女」で気分があがり、順路を経たのちにマン・レイの「贈り物」まで見られてかなりドキドキ。「贈り物」は思っていたよりずっと小体でびっくり。いやまあ現物はアイロンをベースにしているから当然なのだけど。第五章のシュルレアリスムとモードでは、デ・キリコやマン・レイの絵画を間近で見れたのも、だいぶ嬉しかったな……。前提となる情報を見ないようにして行ったものだから、あんなにたくさんあるとは思わなんだ。ファッション誌の表紙を飾ったソリッドな「業務」の数々も恰好良かったっけ。なんにせよ、ここらはかなり素朴な喜びでございました。
 終盤を飾る第八章では展示が近年の流れへと入っていくのだけど、そこにおいては奇想を彩るデペイズマンがシュルレアリスムの時代と異なり、どこか戯画的というか、玩具やコミックに近い様相を呈していくのは笑った。過剰であること。なのに妙に整いまくっていること。それがからみあっているからかしら。
 舘鼻則孝は、これはまったく失礼だし申し訳ない話だけど、ただただギャグと感じてしまって。ヒールレスシューズシリーズのそばにいるあいだは、終始、ディヴァインと今石洋之が頭にちらついていた。これは石橋義正辺りがどれだけ真面目なパフォーマンスを演出しても、妙に冗談めかした趣が優ってしまうのと似てるかも。
 その流れのあとでめっちゃ好ましく思えたのが串野真也による靴たち。生物的な……というか動植物が直結したキメラたちの、するどく、なめらかで、躍動感のあるデザインはファンタジックですごい楽しい。あれは、その、アホの子らしい表現をするなら、ロールプレイングゲームの装備品なんよもう(ああ言うてしまいましたねあなた)。鳥類をあしらう「Bird-witched」とか大振りな羽をあしらう「Stairway to Heaven」、あるいは羊の角を模した「Aries」とかすごいわかりやすくかわいい。これはもとから知ってて眼に馴染み、そして、調和のとれた場違いでもあるからだろうな。妙に整いまくっていること――どこかどこか奇妙な棘っぽさを打ち消してしまう風情を抱く。そういう意味では舘鼻則孝のほうが攻撃的なものと見られようか。
 そうして順路をめぐり終わり、ベンチに腰掛けたときに首をもたげたのが最初に書いたことで。枠組みは、どうしても男なのよな。女はガラスケースに飾られる写像のなかにばかり。その印象が拭われることはないままだった。
 思えば、作品でもって語る側において強く焦点をあてられていたのはエルザ・スキャパレッリくらいじゃなかったかしらん。ショッキングピンクという華々しい色彩の生みの親。ダリたちと通じて、シュルレアリスムという時代感覚をデザインに取り入れた大胆不敵な人。それは展示のなかで重要だけど、そこだけで足りるかというとそうではなくて。いや、他にも一点のみの展示ながらめだつものとして、ザハ・ハディドがユナイテッドヌードとコラボした「Nova Shoe」を忘れるべきではないのか。あとはヴィヴィアン・ウエストウッドのミュール、おっぱい(ティッツ)モチーフのTシャツなんかも(でもおまけって感じ)。
 兎角、充実しているとは言えなかったかな。モードと並行して語られるシュルレアリスム運動は男性芸術家を中心としたものなれど、そこから約一世紀先の現代ファッション史のなかに、女性の視座、霊感はもっとあったんじゃないか、と疑ってはしまう。より枠組みを揺るがすものが、と。よそから借りてこられる所蔵品、あるいは展示の色相の都合もあろうけどさ。
 ただ、これは同時にわたしの認識不足も大いにあるだろな。装う/装わせることの欲望の相互関係と文化史が、男/女の視点とつながりきらない部分はあまりに多いから。きっとファッション史の細部をつかんでいれば、また何か言語化できたり、いまの自分の見方の間違った部分もわかるんだろう。あれかね。鷲田清一の「ひとはなぜ服を着るのか」を読み返すか、未読の「ちくはぐな身体」に手をつけるかはしてもいいのかもしれないね。
 なーんてイチャモンをつけつつも愉快な鑑賞でございました。良きに傾けど悪しに傾けど引っかかりがあることは幸いなり。
おっぱいモチーフで、中学生の頃にあれと似たTシャツが欲しかったのを思いだした。多重人格探偵サイコの影響。西園弖虎の初登場時、都庁テロの話で着てた胸に片乳の切り抜きがプリントされたやつ。中二病ノスタルジア。
買ったり。
猫のいる日々/大佛次郎
ムー民俗奇譚 妖怪補遺々々/黒史郎
近代日本と軍部 1868−1945/小林道彦
ベアゲルター6/沙村広明
二葉亭四迷の明治四十一年/関川夏央
おでかけ子ザメ/ペンギンボックス
罪人楽園/水城水城
傭兵と小説家/南海遊
SPY×FAMILY 家族の肖像/矢島綾
きょうも厄日です1/山本さほ
無慈悲な8bit1〜4/山本さほ
名探偵ハリー・ディクソン2 地下の怪寺院/ジャン・レイ
 ぼちぼちいろいろ買ってるけど、まあ近い範囲で。ハリー・ディクソンはアホみたいな値段になる手前でコンプリートできてよかったー。ベアゲルターは前の巻を読んでるはずなのに内容どんなだったか思いだせず、しばし呆然としてしまった。陰謀系の話でスパン空きすぎるといかんな、やはり。あとで最初から読み返そ……。
 Feb.26.2022
年、明けてんねェ……(明けすぎよ)。まあ何をしてるかと言えば本読んで作業して散歩してブックオフ行って檸檬堂飲んで寝て仕事してって感じでござい。良いか悪いかと評価軸もうけたら、明らかにもう明らかなことになるのが眼に見えてる故、このところはあんま考えんようにしております。
ブルーアーカイブをプレイしだしたところ、文頭にド級のドが五個つくレベルでハマっちゃった……。必死んなって既存のメインストーリーを解放してラストに到達するまで約二週間弱。だいぶ本気でやっちゃうくらいに良くって。そも、ストーリーマジ良いからやってほしい、との言をおニュイさんの雑談配信で聞いたのが契機(VTの影響を受けやすすぎ)なんだけど、嘘偽りなく善きのなかの善きであった。
 学校ごとに強い自治権を有する超大規模学園都市キヴォトスが舞台の青春×ミリタリーストーリー。そうしたなんとなくの前提と下のティザーPVがしめす透明感は、実際のプレイのなかで生真面目なまでに守られてた。
 劇中の生徒各位は一部をのぞくと日頃から大暴れしてる子ばかり。不良や悪党を退治し、便利屋の仕事をし、ヤミ金相手に銀行強盗をし、大喧嘩をし、学食を占拠し……さまざまな理由を掲げて銃や爆弾でどつきあう。学校でも街でも硝煙のにおいはしっぱなしだと思う。ただその一方、キヴォトスは「死」が生じにくい環境で透明感を担保してもいる。女の子たちは一人ずつが頭上に光の環(ヘイロー)をもち、それを壊すような「特別な手段と殺意」が行使されないかぎり、死ぬこと、殺すことは起こりにくいのですね。
 銃、爆弾、戦車といったものが日常に隣り合わせて、しかし「死の表徴」となりにくい。劇中の現実に穏当な規範が、女の子たちがいくらブッとんでて自由奔放でも、人殺しにはならないよう気を使ってる。暴力描写を入れつつも、そういう加減をしてるとこがすごい好きだな、と伍藤は思ったわけです。いかんせん、手放しで描く子ども兵というものに少なからぬ嫌悪感があるもんで……(ガンスリンガーガールとかが超苦手)。
 主人公は、そうした世界で連邦捜査部(シャーレ)へと召喚された<先生>として、連邦生徒会長の不在という緊急事態のなかで事件を解決すべく、超法規的権能をともなう判断でもってキヴォトス各地の学校を助けていく。
 第一部『対策委員会編』では、閉校の危機にあるアビドス高等学校を救うため、対策委員会をお手伝い。
 第二部『時計じかけの花のパヴァーヌ編』では、ミレニアムサイエンススクールのゲーム部の取り潰しを回避するために奔走する。
 各エピソードでは、もちろん敵がたちふさがる。学校を簒奪しようと企む大企業であったり、あるいは学内の特殊工作メイド隊(Cleaning&Clearing)であったりして、さらにはキヴォトスの価値観や情勢に触れていく途中で禍々しい干渉を企む謎の勢力――<ゲマトリア>も不穏な影を落とす。おそらく直接的な<悪い敵>の概念と言えるのは<ゲマトリア>よな。やつらは生徒を術中にはめて、窮地に陥らせることさえあった。そうしたいろいろなかたちで迫りくる危機にあらがう戦いは、それなりにハードなもの。だけど女の子たちは、自分たちが出会えたものを大事にするために逡巡なく突っ走っていく。無謀な賭けさえ辞さないお話に、青く、ガラスのように華奢な色彩を宿してあるのが素敵だった。
 そこでの<先生>の役割もまた、なかなかに良くて。どうかちあってもだいたいは怪我ですむ生徒たちと違い、<先生>はどこまでも普通の身体性しか持っていない。武器を握ることもしない。撃たれたら、処置なしだと簡単に死ぬ。けれど、意見を差し挟んで、諦めないように寄り添うことはできるというのが、すごい強みになってた。差し伸ばされた手をとり、生徒の心に触れ、調停するものとして物語のなかに()つ。<わたし>が<先生>だからこそできることで、生徒たちをささえる。

「まだ、たくさん失敗して良いんだよ」
――伊草ハルカ絆ストーリー「間違っていないもの」

 と、主人公はサブイベントで口走るのだけど、つまりはそういうことなのかもしれない。いまだ未来が決定されざる子たちが、失敗して、学んで、何かを得て、未来を描きだせるように<先生>がそこにいる。いざというときに後ろ盾になる。間違ったとしても、そこで道が途切れてしまわないようにする。自治性のもとでおのずと何かを選ぶ場所だからこそ、その手で未来を閉ざす選択肢さえそこには潜むのだけど、それだけが答えじゃない、と<先生>なら言ってあげられる。めちゃんこラブリーですね。ただ、そうした生徒を取り囲む環境はたやすいものではない。予断を許さない謎もある――世界がループしている可能性、連邦生徒会長の所在、生徒たちが有する光の環(ヘイロー)の意味、学校を卒業したあとにどうなるか、キヴォトスとはなんなのなのか。無数にある謎かけは依然として模糊としたまま。いま<先生>が抱く気持ちや祈り、価値観、いまの立場をなんらかのかたちで裏切り、試練をもたらすのではないかとの不安を残す。そうやって謎めく世界でのたちまわりを四方八方へのご挨拶とした先で、物語は風雲急を告げるように第三部へといたる。
 ここからがメインストーリーの本領だ、というように。
 第三部『エデン条約編』では、トリニティ総合学園の退学寸前ガールズを救うべく補習授業部の顧問になる――この筋には、諜報戦の裏書きがあった。牧歌的な見せかけを端緒として、トリニティ総合学園/ゲヘナ学園間でかわされる和平条約をめぐっての暗闘が、物悲しい駆動因となって物語を動かしていくのですな。
 ほんのりミリタリー趣味のお話だったところに、スパイフィクションっぽさの墨を垂らして急激に色彩を曇らせにかかるのは最高だったな……。なんせ話の構図からして、情報機関群の密かな衝突と言えようありさまなのだもの。確執を取り除くための和平条約。その当事者の片割れであるトリニティ総合学園は、複数の学校を統合するかたちで生まれた。だからこそ学内ではいまだに種々の部活勢力がコンフリクトして、そこには複雑な力場がはりつめる。
 ティーパーティー。正義実行委員会。シスターフッド。パテル分派。救護騎士団。それらの相互監視や摩擦は、九一一以降のアメリカにおけるCIAやNSAのような、たがいの手足をからめとる網の様相を呈していた。どこかとの融和を望むものは、同時に別のどこかとの融和を拒む。穏やかでない均衡のなかで最高執行機関となる生徒会――通称ティーパーティーは、襲撃でメンバーが欠落し、さらには愛憎、妄執、不信が渦巻いて判断機能が不全を起こしかけている。不信は罪がないはずの子たちを巻きこみ、学内の裏切り者(もぐら)を切断する装置として、補習授業部を動かす始末。加えて、すべての背後では、統合をよしとしなかったが故に抹消された分校の名を背負う特殊部隊、アリウススクワッドが暗躍している。その目的は、殺意がともなう条約破綻。
 そんなお話のメインパーソンとなるのは、本来なら闘争の主役から外れていそうな補習授業部の子たち。凛として戦闘マシーンのアズサ。平凡を自称するヒフミ。切れたナイフ(出川哲朗文脈)にしてエロ本収集家のコハル。露出狂の奇行師ハナコ。多士済々にして若干クレイジー、しかもテストの点数を全然取れない困った集まり。ポンコツでありながらみんなして大活躍するのだけど、なかでもアズサは。もうひとりの主人公と呼んで過言ではない。
 白洲アズサ。とある目的のためにやってきた、陰謀の中心近くにいる転校生。凛々しさを秘めて、素直な物言いを重んじる戦士。寂しがり屋と立場への自覚がからみあい、他人への迷惑を恐れて距離を作る心の持ち主でもある。

なんという空しさ、すべては空しい(vanitas vanitatum, et omnia vanitas)

 アズサは、スタンスの表明とするように引用句をうそぶく。コヘレトの言葉1章2節――儚い現世にむける寓意は、一文だけを切り取るとやけに冷たい響きを帯びる。けど、コヘレトの言葉の含意がもとより人の生を否定するものではないように、アズサもまたことばをつづける。たとえ全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない、と。ことばに宿るのは諦念でなく決意で、じきに自分を取り巻く人たちとの関係にも結びついていく。
 たまさか出会った子たちと勉強合宿をして、友だちになって、他人の熱を受け取って、一緒に時間を過ごしたいとの強い思いを胸に抱く。一人ではわかりきらなかった自分のありかたを、四人になってそれぞれに見つけられた。もしかしたら遠からず喪うかもしれない、儚い関係でも、それは決して無意味じゃない。

ひとりよりもふたりが良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。
倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、二人で寝れば暖かいが
ひとりでどうして暖まれようか。

コヘレトの言葉 第4章9節〜11節(新共同訳)

 まずもって引用元の含むところがシンプルなこともあり、友情を育むドタバタ劇はかなり素直にリンクしてたな。もちろんそこに説教くさくなんかなくて、もうひたすらにかわいく、ほんわかして、アホで、読んでてあたたかな気持ちになるばかりだった。スパイフィクションとしての面が色味を変えてしまおうとしても、補習授業部の子たちは、澄んだ心を決して失くさない。ちょいちょい茶々入れする露出狂もいてくれることだしな……。ハナコ、例えじゃなくて本当に変態露出狂なのホント笑ってしまった……。
 中盤でそれぞれの立場や切実なきもちが開示されてからは、パラレルな動きであった陰謀も合流。嵐の前の静けさを経て、後半ではついにエデン条約調印式へと収斂していく。調印式周辺の動向は、それこそプレイヤー冥加に尽きる構成だった。
 アリウススクワッドの兵力やとてつもない策謀に圧倒されるがまま、計画されたパニック状態と絶望的な戦いは、ひとつ、またひとつと選択肢を潰していく。けれども、すべてが失われてはいない。<先生>としてやってきた、<大人>としてみんなの選択の後ろ盾になるということ。それがみんなの、たくさんの生徒たちの思いを結びつけて、信じることで血路を切りひらいていく。これをサービス開始から一周年を目前にしたタイミングで投げこむとかもう。素晴らしいったらないじゃんね。
 そこにおける笑いとシリアスのコントロールは王道そのもの。ひたすら心を引っ張られるがままに、珍しく夜を徹してプレイしちゃった。近頃は眠気に弱いのでだいたい眠ィなと思ったらすぐ寝ちゃうのにね。いやはや、早く次が読みたいという心地を久々に味わっちゃった。群像劇としてかわいい人物像をちょいちょい挿入しつつ、重くなりすぎない話をやるのが本ッ当にうまいのよね。いま理想とするお話の形態のひとつです。楽しい話をありがとう、キム・ヨンハ兄貴(プロデューサー)……。
 なんというか、キャラあしらいがうまくて引きこまれちゃうんだよね。第二部なんかもそれを強く感じさせた。あの話では、チュートリアル段階から仲間になってくれる生徒の一人――ユウカが、ミレニアム生徒会(セミナー)の会計役としてゲーム部の廃部を告げに来る。つまり敵の首魁としてのご登場なんだけど、仕方なしの憎まれ役にするのがすごいうまい。実績作りができてないゲーム部に呆れつつも、猶予をくれるし、やることをちゃんとやれたら一緒に喜んでくれる。関係が対立しているだけの人と、本当の悪役との切り分けが上手、とも言えるのかな。そういう感じがすごい好き。あるいは、劇場版クレしんのゲストキャラに抱く感覚にも近いかもしれない(きみ映画クレしん好きね)。
 と、いうわけで、ブルーアーカイブ超楽しいです。
 みんなやろう。
 現状としてはプレイ代としての微課金でもそれなり以上に遊べてるから、かなりの良ゲーだと思う。ちょっとずつやっていけばどのエピソードも読めるようになってるし、イベントエピソードも低レベル帯で読める難易度にしてあるの善きだねェ。
以下、ド・ネタバレ感想。
アズサとヒフミンのこと。

 大切に思うものを守るためにはみずから手放さなければならない――暴力的状況下で抱くアンビバレントな気持ちが、わたしはすごい好きなのですわ。だもんでアズサが補習授業部を離れ、独り戦いにむかっていく展開もめっちゃ好き。大事な人に接せられたからこそ、二度と触れられなくなっても構わないから絶対に守り通そうと思うんだよね。真心をこめた戦意。とはいえ、ヒフミンがくれたぬいぐるみを仕込み爆弾として使うシーンのむごさには胸がすごい痛んだ。愛おしい時間のかけらを手札にしてでも戦い抜こうとしなきゃいけない、という。大事なものを魂から剥離させる痛みは、あんまりにも苦しい……。
 そんなアズサの背中に追いつこうとするヒフミンたちの声は、だからこそすごい響いた。当たり前だけど友だちを大事に思うのはアズサだけじゃない。別の世界の住人として遠ざけてほしくない。ヒフミンがそうだし、コハルちゃんも、ハナコも、アズサのことが好きだから手を離すことにあらがって駈けていく、という。


終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです!
わたしたちの、青春の物語(Blue Archive)を!!

――ヒフミ/補習授業部

 あらかじめ到達点の決まった破壊と憎悪の物語がたからものを奪おうとするとき、たくさんの未知数を秘めた、<わたしたちの物語>で乗り越えていく。みずからそうしたいと選び、意志をこめて叫ぶ。その行為でゲームタイトルを回収するところは、ちょっと、あんた、もうさァ、スンゲーずるいったらないよね。つまりは最高ッッッ。一連の展開を読み返したくても第二四話のボス戦が強すぎ(やっとクリアしたプレイ開始二週間弱時点の戦力では突破率ニ割ほど)故にやりたくねェエエッ、と、思ってたにもかかわらず、結局何回か読んじゃったくらいに最高。
アリウススクワッドのこと。

私たちの描くお話は、
私たちが決めるんです!

――ヒフミ/補習授業部

この憎しみを、私たちは習った。
それからずっと、私たちのものだと思い込んでいた。

――アツコ/アリウススクワッド

 憎悪に育まれた特殊部隊。つまり、自分たちの思いでなしに、道具として動くべく教育されてきた女の子たち。アリウススクワッドって、物語の現実感を殺意で揺るがす存在であると同時に、ヒフミンが自由意志のもとで叫んだことばと対になってるんだよね。他人の手で<悪い物語>を魂に刻まれ、 破壊へとむかっていくことになってしまった。その結果、明確な殺意で他人に報いたことは、ちょっとやそっとじゃ許されやしないと思う。けれども、信じられる人と出会えたアズサとの対峙で、アリウス側の心に変化が訪ったのはすごいよかった。
 もう帰る場所なんてない。
 逃げ帰れば死だけが待っている。
 なら、殺されることを選ぶくらいなら、お仕着せの憎しみなんて、アリウスで承けた教えなんて捨てて、逃げてしまおう。
 副官であるアツコが、おのずから憎悪の軛を外そうとした瞬間の安堵たるやない。悪い物語ではなくて、自分と仲間のなかにある物語へと眼をむけた。そこで結構泣いてしまったな。そうすることで自分たちの人生への軌を進んでいけるかもしれないんだから。アリウス分校の背後には<ゲマトリア>らしき悪意が介在しているだけに、たやすい道ではないことは間違いない。けれど行く先に怒りでなく、呪いでなく、あの子たちとしての償いと自由の物語があるといいな……。
 エデン条約編PVには未登場シーンが残されていて、そこから察するにアリウススクワッドは今後も登場するんだろうと思う。もしかしたら共闘展開になるんじゃないかな。そのときは<先生>が憎悪から逃れる斥力となってあげられる話になっててほしい。

 良いよね……良い……となる部分はやたらめったら多いのだけど、絶対書いときたい話はこんなとこ。なんかもう結論アズサ好きすぎる。pixivのブックマークとかいまもうほとんどブルアカ絵、ことアズサ絵になるくらい。あとちゃん付けせずに表記してるのに違和感があるくらい……(キャラをちゃん付けするおたく)。もう登場する子たち全員かわいいんだけど、アズサちゃんとイオリちゃんが特段の推しキャラという感じです。現状。
 あと詳細折りたたみのタグ、はじめて使ってみたんだけどかなり便利だね。今後ネタバレとか書きたいときに多用してきたい。
 Dec.20.2021
拍手にお返事。
>>イワクギさん
 拍手どもども。
 禍話はオカルト系ライト文芸の実存化みたいな語り手/聞き手の掛け合いにハマると脱けだしがたい、マジ善きコンテンツですので是非に。個人的には怪談手帖「ぬりかべ二題」のある回、並びに怪談手帖「ヤジウマモドキ」のある回がオススメです。ヤジウマモドキの気持ち悪さがすごい(おちょくり要素のある敵性存在が好きなおたく)。
 お話はァ……あのォ……そのォ……がんばります……。結末にいたるまでの枠組みは決まっとるんですが、と言い訳から入るの最悪なれど言い訳させてくだされッ。現状、何をもってすれば面白いと称せようかと悩んでまして、ショボショボな部分を解決するために展開と各要素を鋭意つめつめ中でございます。平生のシリアスノリでない方向性でやっているため悩む点が多いス。伊藤勢作品も、そうしたなかで参照し直してたり。ああいう元気印を掲げたいですわ……。せめて苦笑くらいは誘える内容にはしたいんすけどね。文体もちょい軽めにしたいんですけどね。なかなか上手くまとめきれておりませんね。
 ひとまず、背と乳がビッグ(当社比最大値)な褐色チャンネーを主人公とした架空アクションRPGの架空ノベライズ(謎コンセプト)みたいな感じになる、と、いい、なァ……と思い、どうにかやっております。
長距離お散歩計画に備え、ホカオネオネのクリフトンを買った。ひとつ前の世代にせよ一万ちょっとで買えるとは思わなんだ。昔は靴を買うことにさほど楽しみを感じなかったけど、歩行を憶えたばかりの赤ちゃんばりにウロウロしてる昨今ときたら、もう、普通にワクワクしちゃった。しかもいざ足を通したら履き心地が別次元でテンションがあがることあがること。異様に軽い。ひたすら柔らかい。前は十キロ弱も歩けば足が鈍ったもんだけど、歩き終わったあともさほどストレスが残らない。いかんせん普段はドクターマーチンのブーツで、散歩中はパラディウムのスニーカーだから、性能を余分に楽しめてるっぽい。
 ちなみに買ったその日はあまりにもテンションがあがりすぎ、全力疾走をしてずっこけた。一瞬で熱が醒めてスンッ……てなる独特のやつを味わい、大人がなにしてん、と寂しい気持ちになったのでした。いや怪我はしなかったからよかったけど。いやはや、再発防止を夢見ていきたいと思います。
ものを根っから大事にできんなら集めるのやめたほうがよくない? と、ここ一年くらいずっと考えてて、たびたび身の周りを整理してる。わたしはどうも小物を集めたり本を莫迦買いしがちだけど、思うにこれってェのは、一時的に心を満たすための代償行為との面が大きいのよね。それによって死蔵されるのは、わたしが愛着を抱く「モノ」たちにとって幸せなことなのかと考えてしまう。大事にしきれんことは悲しいことではとも思う。なんなら、わんさかありすぎると引っ越しや何かあったときの対応も大変だろうとの問題もある。
 だからこのところは本やCDを大事にしてくれそうな人に譲ったり、そうでなくとも今後参照しない本は売る、読みだして心になじまん本もすぐに売るのを念頭においてる。推しのグッズ関係は、死んだ際に副葬品にできそうな紙・布媒体を重視したり。
 んでまあ、本題に入ると、本が減らねェのマアアアアアアジで怖い。
 部屋のすみに積む本がカビてドン引きし、音楽もだいたいサブスクに移ってからこっち、本とCDをより手放してんだけど……本は減った気がせん……。CDを棚ひとつ分減らしたときは変化が見えたのに。棚を整え、愛読書や資料を手近に移動させたから多少めだつのもあろうが、それでも本はトータル千冊くらい処分したじゃんね……。この部屋のエントロピーどぉなっちゃってんだよ。
 と、いったところで買ったりが下にあるので貴様言動と行動が解離してんのよ、と思われるでしょうねこれはね。いやでも買ってる冊数より処分してる冊数のが多いはず。ナンナノ。ホマーニ。
買ったり。
ゆめにっき/日日日
男爵にふさわしい銀河旅行3/速水螺旋人
文学刑事サーズデイ・ネクスト さらば、大鴉/ジャスパー・フォード
恐い間取り/松原タニシ
恐い間取り2/松原タニシ
C席の客/眉村卓
日本語にとってカタカナとは何か/山口謠司
現代短編の名手たち4 ババ・ホ・テップ/ジョー・R・ランズデール
華族 近代日本を彩った名家の実像/歴史読本編集部
 ババ・ホ・テップ、人にあげたのちに再入手できないまま非道ェ値段で取引される昨今となっちった故、千円ちょいで買えたのはラッキーハッピーですわ。読むの十代の頃ぶり。わたし自身は、昔は小説=長編派で短編がそんなでもなかった。だからというもんでもないけど主だって好きなのはロストエコーハップとデールシリーズで、まあそこそこっすね、とこの本の初読時には思ってたんだけどいや短編うまいな。ランズデールは。東京創元社や竹書房のゾンビアンソロジーに収まる中〜短編も水際立ってたし、小ネタから一本仕上げる手付きがすごい。あとは言うまでもなくプレスリーvsミイラ男の原作である表題作がエヴァーグリーンですね。ドタバタと切なさの対比がラブリーなランズデールを味わいやすい。それに変テコな設定の組み合わせで世界観をブン曲げるスタイルが好まれがちなこの頃なら、より面白がる人も多そうなもんだし、なんかアンソロとかに入ってほしいな。死人街道がおたくフィクションとして大変面白かったこともあるし、他の作品が訳出されたり短編集が刊行されたりしてほしいな、とも思う。
 Dec.03.2021
油断すると月録もツイもご無沙汰になりがち。何かしらを記録しておく行為が手から指から、ついには頭からも剥落していっちゃうってのは、概してあんまよくない傾向ですわ。はわはわ。
COVID19のワクチン接種を終えた。幸いにして、一回めは腕の痛み、二回めも同様の痛みと軽い頭痛がでる程度の軽い副反応ですんだ。やったぜ。鎮痛剤を飲みまくってた甲斐があったというものかしら。
他方、クレカがわりとデカい額の不正利用を食らいかけて利用停止になり、もろもろ生活の具合も事故り、果ては首周辺をいわしたらしく何日も頭痛が治まらないままになったりで、しぬんだぁ……となったりもしていた。鎮痛剤を服用しすぎ。現在進行形で頭痛は居座ってるし、本を処分してできた小銭の半分くらいが錠剤になってるありさまだから笑っちゃった。
 なんかそんなんばっかだけどガックシこようとくたばるでなし、どっこい依然生きてんので人間どうにかなるんかね、と思いもする。いや、その、作業が渋滞起こしたまま、お話の序盤とてまとまらんテイタラクだから、半笑いで眼を伏して人と眼をあわせられん状態ですが。いまは。いいの、そんなグダって……よくはない……生がどうにかなってるし作業もどうにかしていきたい……。十三万八千字あるうちの十分の一くらいでも清書しちゃいたい……。
ネトフリのカウボーイ・ビバップ、褒めるところもけなすところも半分ずつたくさんあるけど、ヴィシャス周りが根っから致命的だったな。ほぼ「観念」と呼べよう怜悧なボスキャラを、あつかいやすくするためにどこまでも卑俗的な「人間」にこきおろしちゃってて。ジュリアもファム・ファタールでなくなり、だからか別の意味でヤバい女になっててビビらされた。パラレル・ワールドであるにしても無茶。
 でもフェイフェイは無限にかわいかったので許す。
 というか、なんつうかドラマシリーズというかはサウンド・ドラマっぽかったな。ビバップ号三人組のかけあいを聴いて(終始見るよか聴くだった)フフッ……てなるのが楽しみのメインになってた。ビバップは放送当時でもそういうメディア展開をしてなかったけど、もしドラマCDがリリースされてたら、こうだったろうなって感じ。各話の構成がちょっとゆるいのもそれっぽかったし。昔のドラマCDって、テキトーなやつは本当にテキトーな脚本だったよね……(何故か古いドラマCDを集めてた十代時分を思いだす)。
怪談ネットラジオ「禍話」にハマり、イヤホンつけてる時間の半分はそればっか聴いてる。語り手であるかぁなっきさんの小ボケをまじえたスタイルは心にめちゃフィットする。類似モチーフやイメージ、同じ土地で起こったと思しきエピソードが並ぶことで、怖い話がほのかに連続性を帯びてくディープなウキウキ感もすごい。実話怪談や洒落怖の文化を経て、メディアを通した恐怖やイメージの感染性を得て、モダン怪談が到達したところにある、ぞわぞわした聞き心地がたまらないのな。わたし自身は憂鬱で心が鈍麻してるのか、ここしばらくは恐怖感の薄い生活をしているのだけど、それでも禍話は、ホラーや怪奇譚を奇想小説と見る私的な消費スタイルや、鈍った神経の、そのまた奥のほうを逆なでしてくれる。それが超嬉しいったらない。最新シーズンからはじめて二年分くらいシーズンを遡ってんだけど、面白くて止め時を見失いがち。深夜散歩中もVT関係かこれを聞き、夜の暗がりの密度を高めながら歩いている。
 近来のでお気に入りなのは「明ケミちゃん」関連と「すりかえ人形」「例の家」。身のまわり……というかメグリムさんとこのハルヨさんがよく言及してた「例の女」がらみがすごく気になっているので、早くそこら辺にたどりつきたいなと思う。
 怪談手帳も超好き。多用される民俗学や妖怪モチーフもさることながら、忌避感でヤな爪痕を残してくのが素晴らしい。伝聞などをかぁなっきさん自身のことばに落しこむ語りに落語の風情がある一方、こちらは余寒さんから受けとったテキストファイルを参照する形式だからか、小説の朗読のような、異なる魅力がある。聴いたなかでは「芋うに」「面霊気」「S町の凧」「ミドチ」「ぬりかべ」が好み。
 こと「S町の凧(下の動画参照)」は、気色悪い怪奇譚としてサブイボがたつのはもちろん、その裏にある通り悪魔と似たものが琴線に触れる。夕暮れ時に、禍々しい凧のような異物を見た。ただの一シチュエーションと因果の裏に、通り悪魔が人の身に降りる瞬間を観測しちゃったんではないか、と思わせる部分があったのだわ。通り悪魔とは通り魔の語源で、すなわち人心を乱す怪異なもののこと。江戸の代に記された世事百談にいわく――何となきに怪しきもの、目に遮ることありて、それに驚き、魂を奪われ、思わず心の乱れるなり。俗に通り悪魔に会うという、これなり、と。髪を振り乱した白衣の男とのていで現れ、これを見るや、ふら、と凶行に走ってしまう。斯様な話と相通じるものを、忌まわしい予言のようなかたちで、傍観者として見てしまった。少しの深読みでドンヨリできる、こういうホラーならではの心地いい居心地の悪さが善き……。この辺りの話は宮田登先生の本がもうちょっと詳しく、妖怪の民俗学なんかでは髪切り魔や都市型犯罪とあわせて書いてあるので非常に面白かったりする。
 また、禍話自体の構造も大変善き。友人をはじめとした人間関係からもたらされた種々の怪談のほか、「怪談手帳」や「忌魅怖」といったコーナー化された語りが集まり、そこに現在進行系の異常事態といった、小さなエピソードがからみつく。そういう枠物語のような構造は好きだし、好みを別にしても、構成として締まって見える。「例の家」なんかとりわけ枠物語的な好みが先行してる。有名なモチーフの再話と読み替えはもちろん忌まわしく恰好良いのだけど、かぁなっきさんが亡くなった親友とともに触れた過去編エピソードというのが美しい。ロスト・パスト〜〜〜〜な心地にやられて聞いててうめいちゃうね。
 めちゃいいので今後もガシガシ楽しんでいきたい……。
なーんだかなー……と人生が漠たるショボクレに包まれる時期は、ロボピッチャーの曲を好みがち。最近は音楽というとこればっかヘビロテ。新譜も聴いてはいて、にじさんじのドラマ主題歌カバーとかも超良くてちょこちょこ聴いてんだけどね。
 ミニアルバム三枚とフルアルバム一枚、他に配信楽曲がちょっぴり――と、触れられる作品はだいぶ少ない。しかも知ったときにはすでに活動もお休み状態とあって、これからあらたに聴ける曲もないとは思うんだけど、その私的打率たるや、めちゃ高いバンドなのですわ。どの曲もやたらカラフルで、ポップ・ロックとおもちゃっぽさが重なりあう。そこに乗せる歌は憂いの擦り傷にまみれながらも、ほのかな、暗がりのむこうにぽつんと見える希望に眼を凝らしているのがまた良い。なかでも「透明ランナー」「アリバイと40人の盗賊」は、個人的に大傑作だと思う。

『今月の星占いは最悪だった聞きたいかい
探しものは見つからなくて待ち人は決してやってこない
だからbaby come on 行こうぜ今夜 トラクターでかっ飛ばそうぜ
大吉のおみくじばかりおいてある神社を探す』
――ループ(「透明ランナー」収録)

 どこか小説的なことば選びは、苦笑いしながら強がるような味わいをつづる。ことばの連なりから描かれる、きれいじゃなくても奇妙な温もりをもった情景はシニカルでいてラブリー。

『馬鹿らしく騒いだ夜などもう過ぎて生活が始まった
守るべき何かが形を変えながら僕を打ちのめす
知らぬ間に右手にできてたさかむけを写真に撮っておこう
2億年も経ったらどこかで意味をもつこともあるだろう
――だいじょうぶ、たぶん(「アリバイと40人の盗賊」収録)

 とか、寂しさをたたえた部分も好き。
 それから、一桁年代バンドが奏でていた音色への郷愁もほのかに含んでいるんだろうな、と聴き返してて考えた。言うて、一桁年代に主として聴いてたのはオルタナ/ポスハー/ゴシックメタル(どんな組み合わせよ)で、ソフトめな音はそんな得意ではなかった。だから膚をかすめていったものへの郷愁なんだけど。昔過ごした街の景色の、リアルタイムでは眼を凝らしてなかった部分みたいな、いい加減な郷愁の欠片を見いだす。

 ちなみに先頃、1stミニアルバムの「消えた3ページ」がサブスク入りしたりもしている。よかったら、聴く環境がある人は聴いてみてほしい……。他の作品よりも差し迫り、ちょっととげとげした聴き心地だけど良い作品ゆえ。
買ったり。
家が呼ぶ 物件ホラー傑作選/朝宮運河編
CITY5〜10/あらゐけいいち
原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史/有馬哲夫
児玉誉士夫 巨魁の昭和史/有馬哲夫
斬魔剣伝上下/伊藤勢
ドラゴンロアーズ/伊藤勢
ニルヴァーナ・パニック/伊藤勢
羅ごう伝1〜2/伊藤勢
異形コレクション 狩りの季節/井上雅彦編
ホラー小説大全(増補版)/風間賢二
残月、影横たはる辺2/叶輝
百年前の日本語 書きことばが揺れた時代/今野真二
岩元先輩ノ推薦2/椎橋寛
スキップとローファー6/高松美咲
サムライ・シェリフ/戸南浩平
血の本6ラストショウ/クライヴ・バーカー
新訂版コナン全集5真紅の城砦/ロバート・E・ハワード
武狂争覇1/藤異秀明
出発点 1979〜1996/宮崎駿
八雲百怪5/森美夏
違国日記8/ヤマシタトモコ
これだけは知っておきたい日露戦争の真実/山田朗
早稲田文学 特集:ホラーのリアリティ
 まーた自分が何買ってるかわからんくなってる(抜け多い)。
 そんな憂鬱で脳の容量がどんどん小さく小さくとっても小さくなっていく生活コンディションでも、古本ハンティングはよくやってた。もはや書く必要なくねって話だけど、やりまくっておりました……。大当たりはホラー小説大全、二冊同時に入手できたコナン全集血の本と、クーポン併用により二百円で入手できた出発点。嬉しい。
 漫画で注目すべきは八雲百怪か。もどき開口でもって昭和偽史物語に終止符を打った木島日記につづき、明治偽史物語もこれにておしまい。木島日記/北神伝綺/八雲百怪の環をゆるやかに閉じて、完結編とする内容だった。ただお話の区切りってだけでもない。あとがきにおいて『自分で「偽史三部作」などと読んでいたシリーズのコミック版に於ける「最終巻」を兼ねる』としっかり明示する完結編。
 小泉八雲の最後の冒険として、しっかり面白く閉幕にいたらしめてたな。青年たちの自死と粘菌と不死身の軍隊――日露戦争へとむかう世相における即物的かつ伝奇っぽい要素を踏み台とし、謎解きっぽくお話が動いていた。中盤からは一気に幻想味の強い幻景へと飛び越えて、ラフカディオ・ハーンの心の根っこを幽世の光で透かす。これまで描かれてきたエピソードよりもっと「私的」な、八雲本人の内面を投影した最後の物語。その手触りは湿っぽくなりそうなのに小ざっぱりとしる。大塚作品においてちょっとめずらしいかも。やり方そのものもジメッとしていた木島日記もどき開口と相通じ、なのに爽やかな寂寥感を残して終わるし。この辺りの風合いはあやかしロマンと称されるに相応しい。読み終わったあとにはため息でた。
 なんというか、偽史シリーズは二十年弱追っかけてきた作品だから結構趣深いね。わたしが民俗学モチーフの物語を好むようになったのは、まず間違いなく大塚の影響で、中二時分、木島日記に触れなければこの趣味性にいたってないと思うのですわ。おつかれさまでした、ありがとう、の気持ちがすごい。そして前言を翻していいのなら、木島日記のつづきは読みたい。あとがきでは論文のための調達したリソースには物語という遊戯に使えそうなものも……とほのめかしてるから、それが冗談から本気になってほしいのな。
 あとは瀧夜叉姫を読んだ流れから気持ちにブーストがかかってしまい、未読のも含めて伊藤勢過去作を買いこんじゃったね。いや羅ごう伝いいわ。ここ二、三年くらいで楽しめる時代の尺度がえらい伸びたこともあり、戦国時代が舞台の作品でも面白いこと面白いこと。時代感覚のアレンジメントは言うにおよばず、物事のこじつけがやっぱ滅法恰好良い。戦国時代にリボルバーやプロテクトギアといったガジェットをだしちゃう遊びも恰好良い。恰好良いだけに、結末らしい結末は得られないのが悲しいな。ベースになっている斬魔剣伝よりも短い。打ち切りか作者の意志かは存じあげないけれど、話が本当の一歩めを踏みださんとするところで終わってるのは、二十年前の作品であろうと、しっかり惜しい……。のちの作品に引き継がれ、昇華されていったのがわかる部分も多分にあるとはいえね。原作付きでありつつ自由にやりまくってるらしく、そしてちゃんと完結してそうな雰囲気のモンコレもそのうち読みたい。
 Oct.03.2021
体調をひどく崩して憂鬱にかまけていたら、あっと言うどころか口開くまでもなく九月も終わりかけておりますわね。こわい……。いまにいたってもきれいさっぱり復調できたわけでなし、軽めの頭痛につきまとわれてふらつきながら生きていルンバ(絶望少女並感)。
 生活自体は、例によって作業/読書/散歩/睡眠が大半を占め、今日この頃は途中に小林さんちのメイドラゴン鑑賞を挟みこんでいる。いきなりハマったなメイドラゴン。日をあけてちょっとずつ見てるんだけど、懐かしい作法で動いてるのいいな。人物描写や生活空間の演出が恐ろしくていねいな天地無用!という趣で、そこかしこからなんとなしの九〇年代を感じてしまう。余分に乗せてある性的要素のせいもあるのかしら。近頃は性的な要素に鬱陶しいな、と思うことのが多いのだけど、バランスがどうにか釣りあってて好きなテイストになってる。おっぱいでござい、と直截に表現する下品さを残しつつ、クール教信者的なくさみをほどよく除く演出に京アニってすごいなと感心しちゃう。
 見ててなんとなく気づいたんだけど、「人が生きている場所」をそれとなく、楽しく描いてる京アニ制作作品が好きなのかもしれない。氷菓、日常、たまこまーけっと、境界の彼方辺りも含め。
先だって初読者向けサイバーパンク小説リストを更新した。ただのアプデだから更新記録には載せてないけど。恥ずかしながら、体調に引っ張られるかたちで憂鬱に負けると、日本語を使う能力がちょいヒくくらい損なわれるもので、それのリハビリというワケでございます。一旦脳髄が下手こくとホント文章書けんくなるのよね。
 内容的にはオススメ作品をちょっと追加して、文章を手直ししました。電書情報を付加したのも追加点か。そんなことやってたら気づけば二万字超になってた。そもそもは抹消した旧ブログの記事で、それを流用して最初に公開したときはだいたい六千字くらい。魚拓だかアーカイブだかに記録されてるのを見つけて、うわ最初そんなんでしたかマジか……と本気で驚いちゃったね。
 分量が増えた原因は手直しに尽きる。元のやつが内輪受けっぽさの強い文章だったもんだから、文体も含めて相当に整えた。なんと言いましょうかね、前のバージョンは鬱陶しいおたくとしてのてらいばかりが前面に来てて、「伝えるためのことば」にはなっていなかったのよね。羅列しているだけでどれが面白いかがなんも伝わってこん。ジャンル者としての誠実さがちょっと欠けとるよ、と、久々に読むにつけておのれに憤るほどにはダメダメだったから、いじってよかったと真底思う。まあ多少のウザさ、きれいに言い換えるならうるさがたっぽさ(きれいに言ってそれなので実相は推して知るべしであるが)はあったほうがウェブテキストっぽいかも、なんて考える部分もあるからほんのり残してはいるんだけど。そーゆー感じで直し、物の言いかたについて考えながら、日本語の書きかたを思いだしていったのでした。
 あとあれだ、アプデついでにアマゾンアソシエイトを導入した。そんな人来るサイトじゃないしお金になるもんでもないけど、どんな作品が買われてくのか見れるのは気になる故に。吉川良太郎の本売れてくれ……と思いながら画面を睨めつけております。
るるちゃんのことでヘラったりしても、相変わらずV(というかにじさんじと774.inc周辺)は好きでめっちゃ見てる。見ずにいられない。ここんとこはまちゅかいこと魔使マオちゃんの3Dお披露目配信が超良かった。
 新衣装配信につづいてがんばりが報われたのすごい嬉しい。本人のピョコピョコしたガキンコムーブったらもう、めちゃくちゃかわいかった……。配信そのものも、ショートコント/ライブ/廃墟探検の組み合わせで一人バラエティ番組になってて密度が一時間分パツパツになってて見応えあったしな。
 お歌関係は「ヴァンパイア」の歌ってみたが善くて本気でわなないちゃったもんだけど、ライブはちゃんとそのライン上に連なる恰好良さ、かわいさでございました。「シル・ヴ・プレジデント」は早口とピョコピョコした振り付けが似合うこと。アンジュとデュエットしてた「magnet」もラブリーだったな。クールネスとヘッポコな言いあいの悪魔合体がラブリーだし、ンァーもう近いよォッ、と距離感にキレるまちゅの叫びからはじまり、都度都度ンジュがウザがらみしにいく図はニコニコしちゃった。最後の「ジョイフル」も、色んな人たちがバックダンサーとして参加する光景に、二年分の積み重ねがあふれでるようで胸があたたかくなる。
 そこにクロスしていくコント/廃墟探検の一桁年代テレビぽい構成もまたご機嫌。自分がいちばんテレビを好んで、気になるバラエティがあれば片端から見てた頃のテイストなのよね。ショートコントは元ネタが十年代の番組でありつつ、配役がVであることにより、かなり異質な雰囲気になってたな。あれだ、ゼロ年代シュルレアル深夜バラエティ――バミリオン・プレジャー・ナイトのそれ(おまえその番組好きな!)。突然車に跳ねられるまちゅ。異常行動をするチャイちゃんの巨躯。笑えるけど、なんか異様でちょっと怖い、石橋義正めいたデペイズマンが宿ってた。廃墟探検にしても、現場に連れてかれちゃう流れが電波少年におけるT部長が出演者を拉致るとこっぽくて好き。というか、まちゅ本人がロシア村にでむくとは思わなんだ。振り返りを聞いた感じだと自分持ちこみっぽいのも、ゲームでビビり散らかす印象が強いだけにすごい意外。しかも厭なフッテージ感だすのが上手。昼なお暗く埃っぽい廃墟を歩きまわる図にはフィルタをかけてるのか、色感が最近の清水崇映画っぽくり、独り言にノイズをかぶせてビクッとさせるのも良い。そういう編集をギリギリまで自分でやってたらしく、マジ偉いなと思ちゃった。
 まちゅ……楽しい配信をありがとう……。
買ったり。
 CITY1〜4/あらゐけいいち
 映画の恐怖/一柳廣孝
 陰陽頭 賀茂保憲/伊藤勢
 瀧夜叉姫 陰陽師絵草子1〜2/伊藤勢
 大江戸スモーキングマン/大石まさる
 りぼんのふろくと乙女ちっくの時代 たそがれ時にみつけたもの/大塚英志
 残月、影横たはる辺1/叶輝
 陰陽師たちの日本史/斎藤英喜
 ミノタウロス/佐藤亜紀
 犯罪乱歩幻想/三津田信三
 ヤマンタカ上下/夢枕獏
 心霊の文化史 スピリチュアルな英国近代/吉村正和
 名探偵ハリー・ディクソン1 怪盗クモ団/ジャン・レイ
 名探偵ハリー・ディクソン3 悪魔のベッド/ジャン・レイ
 せっかくアマアソやっとるし、買ったりも早速リンク化してみたり。
 瀧夜叉姫はシンプル楽しいな。伊藤勢のダイナミックさは絵だけでなく再構成するやり口にも反映されるもので、荒野に獣慟哭すとかもう原作の被膜さえ破って花咲く勢いがヤバかったわけだけど、それがまたさらにするどさを増してる。翻案とリミックスが本当にうまい。晴明がかぶってる立烏帽子を魔女帽っぽくアレンジしたり、人となりの内面に化生めいた相を潜ませる感覚も素晴らしきかな。学ぶところ多い(学んだそばからこぼれていくけど)。
 大蟻食先生のミノタウロスは角川文庫版で刊行されるとは思わなんだね。数ある文庫のなかでも角川文庫のフォント、版面構成、紙質がなにより好きだし、それによって形成される環境でお気に入り作品を読めるということのありがたみたるや。この調子で戦争の法1809辺りも角川文庫入りしたらよりハッピー……(文春文庫版がまだ手許にある)。
つーか、あれですね。もう全然小説を公開できてないし、サイトとしても全然更新できてないし、わざわざサイパンリスト以外を見てくれてる人にはスマヌとしか言えんですね。スマヌ。ウェブ拍手押してくれてる人もスマヌ。
 来月ぐらいからお話公開とかやってけたらいいな。
 一話につき文庫五十ページくらいの分量のを、こう、どうにかつづけて。
return top