調整めんどくさいのであいてるカラム。
 調整めんどくさくなくなったら何かしら文章で埋まるかも。
 Mar.26.2018
恋情デスペラードが連載終了とのこと。暴力描写と愛らしさ、シスターフッドの描きかたが絶妙な作品なだけに超残念……。新章に突入とかそういう方向の話ならいいけれど、そんな都合良くもいかんだろうしな……。
久々にcssをいじりました。行間が微妙に狭くてルビがちゃんと表示されなかった人はどうにかなってるかな、と思わないでもないですが、細かいことはわからん。どうにかなってるといいですね。
バーチャルユーチューバーに不用意にハマってしまい、あ、声フェチだったなそういえば、と再認識している今日この頃。誰が好きかというとカフェ野ゾンビ子ちゃんと東雲めぐちゃんが好き。ことめぐちゃんは能登麻美子さんを中学生にしたような声質で、配信を見ていると自分で思っている以上に元気になる。まさかSHOWROOMのアプリを落としてまで見るようになるとは自分でも思わなかったよ……。ゾンビ子ちゃんはゾンビゾンビした見た目に反してスゲー普通の女の子っぽいテイストが好きなのだけど、直近の生放送が異様で笑ってしまった。締めにマクロスFのライオンを歌っていたところCGセットにパトカーが突っこみ、ロケットランチャーの弾が乱れ飛んで人間と銃撃戦を繰り広げながら、生き残りたい、と歌う.書きだしてみると改めて意味わからんな。最終的には処理落ちとボロボロのセットで終わって、フリーダム加減がすごく、Vtuberの動画をちょこちょこ見てはきたけど、さすがにここまで笑ったのははじめてというくらい笑った。いまいちばん応援してるVtuberです。
先日、よくつるんでる四人(ほぼ電脳軍事探偵3で書いてたマンズ)が、東京からはるばる北関東まで遊びに来てくれた。ワンルームにオタク四人がみっしり詰まってポプテピピック最終回を見て、突然のデスクリムゾンやら突然の蒼井翔太やらに驚愕しつつAC部ごっこに興じ、その後、布団に潜って修学旅行の夜のノリのまま仕事絡みの秘密の話やヒデー話などを聞くなどして笑いつつ、大変楽しい一夜を過ごした。
 鶴見線に乗りに行ったメンバー(小学生レベルの脳みそが詰まってる)でもあるので、この一夜で留まりもせず、翌日は一路、山梨へむかったりしましたね。富士山のベリービッグマウンテンぶりに茫然としたり、ゆるキャン△に登場したお店でほうとうを食べたり、ほったらかし温泉で一時間以上湯にとっぷり浸かったり、これまたゆるキャンに登場した温玉揚げを食べたり。酔い止め薬を飲んだうえでの車移動だったため意識がちょくちょく飛び、気づけば富士山が近くに見え、なんだかファストトラベル感があった。マップ移動という感じ(地図上にいくつも表示されている地点を選択してそこに飛ぶというフィールド移動をしないタイプのアレ)。意識と空間が分断されて遠いところへと直結される感覚は、電車だと慣れているのに、車だと不思議に思える。
 その後、ほったらかし温泉から見下ろした甲府盆地なんかは結構見ものでしたな。山に囲まれた平地に、ばらり、とレゴブロックを撒き散らしたような光景で、遠景に照る富士山と相まってスケールに強烈な狂いが生じ、書き割りっぽさがすごい。HUJIのフィルターを通したら良い感じにディテールが潰れて、箱庭ゲーの高地から見下ろしたような光景に。夜が張り詰めると一気に光の海となって淡い色のうごめきがあふれ、なのに街へ降りると閑散としてグラフィック表示量の限界があるから簡素な表示にしとくね、みたいな妙な落差での違和感を憶えた。もちろんその違和はまやかしでしかなく、ただ単に降りた頃には人通りが少ない時間になっていただけの話なんだけど……。温泉に入っている時間が体感よりずっとずっと長く、一時間を優に越えていたから、時の流れが感覚として破綻しているから生じた感覚なんだろうな。ひどいゲーム脳だ。

 ここしばらく臥せっていた分、ゲーム脳なことを言いつつも世界が多かれ少なかれみずみずしく見えた。今回のアレコレを計画した輪ゴムうま煮さん(a.k.a.先坂棗)には感謝。あと帰りがけに買った十個入り信玄餅で久々に信玄餅メーターがフルまで達したのでそれも善き哉。そんな週末。
 Feb.28.2018
調子悪く万事停滞中。幸先悪い!
一時期ゲーム実況を見るのが好きで、それを由としてここ八、九年くらいずっとニコニコプレミアム会員だったりする。そもそものことを思い返せばボルゾイ企画のゆめにっき実況にドハマりしたのが最初か。いまだ、ふひきーもとい稲葉百万鉄周辺の実況だけは見逃さないようにしている。
 そこから時を経て、名を改めても相変わらず仲のいい稲葉&がみの二人が再構築版ゆめにっきの実況をはじめてるのを見て、ちょっとというかだいぶ感動してしまった。もちろんゆめにっきがそんなことになってるのもウオーッていう感動があるわけだけど。つづきが楽しみなもののひとつです。というかゆめにっきのアップロードが2008年だから、稲葉はもう十年やってんのか……。気が遠くなる。十年一日とはよく言ったもので。
十年一日と言えば、昔めっちゃくちゃ好きだったWebラジオ「さよなら絶望放送」からも十年が経っている事実に絶望している。放送終了してからでさえ七年とか。 ウェブ上にブン投げてあるそれを聴くと懐かしさがこみあげるとともに、好きだった声優さんがご存命だったり、いまも変わらん関係があったり、ああキャスト陣全員好きだったなと思ったり、なんとも言えないものがある。あとやっぱ斎藤千和ちゃん好き。。。
買ったり。
 ハーメルンの笛吹き男/阿部謹也
 神話の話/大林太良
 死者の書・身毒丸/折口信夫
 傭兵の二千年史/菊池良生
 シンボルの遺産/フリッツ・ザクスル
 霧に橋を架ける/キジ・ジョンスン
 ナジャ/アンドレ・ブルトン
 火の起源の神話/J.G.フレイザー
 マッド・サイエンス入門/堀晃
 文豪怪談傑作選 三島由紀夫集 雛の宿/三島由紀夫
 宇宙像の変遷/村上陽一郎
 卒業とか引越しのシーズンが目前だからか、よく行くブックオフのちくま&講談社学術文庫の在庫が妙に充実してた。SF小説や冒険小説が異様に充実すると、ああ、ご同輩の読み手が鬼籍に入られたか……などと勝手にシンミリしてしまうけど、教養系統はそうでもないもんだな。線が引かれた本を何冊も見つけると気分的にはより軽い(そんなもん売らんで捨てろと言う話だけれど)。なんにせよ、それなりのコンディションのものをフレイザー以外、すべて百円で買えたんだからありがたい。いやこれを百円コーナーにぶっこみますか……と静かなる感嘆符をつけたくなる本がちょこちょこあって驚かされ、ザクスルは見つけた瞬間などは体が三センチくらい跳ねたよ。
 Feb.11.2018
ワハハ、元気元気!と言っていたところ、重めの風邪をひいてダウンしてた。精神的にも随分と落ちてメールチェックとかを放ったらかしにしてたため、各方面への連絡が滞ってます。ゴメンナ。遠からず返します。
先だって、友人五人を誘って組んだお散歩隊で神奈川に通るマイナー路線・鶴見線沿線をうろうろしてきた。やはりそこそこの人数でフラフラするのは楽しい。
 写真を撮るのにはアイフオーンのアプリ、HUJIを使用。面倒くさてサイズ指定で小さく表示させてるから、気になる画像があれば画像だけを表示とか拡大とか努力をしてほしい。本音を言えばCSSの使い方を忘れてしまい、まあなんだ、許してくれ。久々に行った鶴見周辺――前回は十年ちょい前にいろいろイヤんなって&閉塞感取っ払おうと家出したときに行った――はだいぶ変わっていたものの、いなたい空気感だけは変化なし。遅めの時間に行ったこともあり、傾ぐ陽射しがその気配を増していた。安善の人気がない工業地帯、在日米軍燃料基地の空気感は都市辺境という感じで、切り抜かれたような静けさ、空白があった。途中、ドラム缶が明らかにFPSの対戦ステージ用フィールドみたいな積まれかたをした敷地に出会い、これFPSじゃん、FPS!と叫びだす瞬間があり、大変笑った。ああいう撃ち合いするためだけみたいな配置のドラム缶、実在するのだな。
 そこからさらに行くと、途切れたフェンスのうちから路上を横切って引かれた線路。広大な敷地でまばらに並ぶ建築のむこう、きれいに狩られた芝のうえで西陽をうけるジェット燃料――JP8の表示がなされた緑の燃料タンク貨物車も見えた。なんでも横田に運ばれるやつらしい。この辺りの景色は米軍が絡む超伝奇っぽい(さすがに軍関連施設なので撮ってない)。なんかオカルト機密物資が偽装されて運ばれてそう、と同行してたねこたろうさんと言いあったりなんだり。あと施設内のテニスコートで一人、ひたすら玉をパッコンパッコン打ってるあんちゃんがいたのも米軍っぽかったな。
 引き返したあとは徒歩移動で通りかかった公園で遊具を見つけ、ワハーッと大声を上げながらブランコを漕ぎまくる、シーソーで臀部を強打しまくる、伐採されて放ってあった丸太を担ぎ彼岸島! 彼岸島!とゲーゲー笑うなどの奇行におよび、いや大人でも狂うときは狂うなとご機嫌になった。同時に、およそ三十メートルほどを隔ててベンチでLOVE…していたカップルに申し訳ない気分にもなった。大暴れ。オトナコドモ×五。
 夕飯を食べに行ったフーターズではお酒+体力消失によって軽く寝落ちしてたので、思い返すとホントに子どもっぽかった。

日本現代怪異事典をのんびりちょっとずつ読んでる。怪談、都市伝説、洒落怖から採集された話を大量に保存する試みはすごい偉いなぁって思わされる良い本です。放っておけば着々と失われ、そうでなくてもかすれていく、時代感覚や年齢的文化圏を恐怖へ反映させた語りが一箇所に集積された形。それというのは、やはり読んでて考現学的趣味性を刺激される。なかなかに心地良い。
 笑ったのは伊集院光の創作怪談――赤いクレヨンが掲載されていたことで、考えた当事者が意図せぬ形で拡散して、創作と都市伝説の間隔を行き来した果ての不思議な感覚がある。もともと伊集院光は噺家、しかも怖がらせる話の構造に強い関心がある人で、一時期、そういうのを考えては人に話すのがブームだったという。似た話題で「お祓い」というシステムの構造、その扱い方に言及したこともあるけど、まあこれはあんま関係ないな(この話自体は観念の操作として膝を打つ部分があり、事典内では心霊写真もあつかっているから考えようによってはかすめなくもない)。で、そうした流れがあってテレビ番組のプロデューサーだかからの注文で作り出したのが、赤いクレヨンだという。この語りがなんの因果か怪談本における「友人が体験した話」として転載されていき、ある日、それを伊集院光自身が読んでびっくりした……。と、そういう顛末が深夜の馬鹿力で話されていた。転じて都市伝説となり、果ては日本現代怪異事典に載ってるんだから、噂話が伝播していくことの面白みがある。
 そういうのと別に、狂女系列やばばあ系列の凶暴なキャラクター造形が多いのは、山姥からの系譜なのかな、とか思いを馳せるのも楽しいな。項目自体は一千以上とあるし、ここまでの本が二千いくらで買えるのはすごい。現状、都市伝説に対する網羅性のある本は少ないし、人文系の出版社がこういうのを堅苦しくなりすぎない装丁で出してくれるのは、もう、なんだ、ありがとうというキモチ。
買ったり。
 少年とオブジェ/赤瀬川原平
 ゆるキャン1/あfろ
 完璧じゃない、あたしたち/王谷晶
 ヒグマ 増補改訂版/門崎允昭・犬飼哲夫
 ふたりモノローグ3/ツナミノユウ
 フューチャー・イズ・ワイルド/ドゥーガル・ディクソン
 欺かれた男/ロス・トーマス
 神が忘れた町/ロス・トーマス
 黄昏にマックの店で/ロス・トーマス
 八番目の小人/ロス・トーマス
 二匹目の金魚/panpanya
 妖魔と二剣士/フリッツ・ライバー
 アタマが悪いのでお散歩だつってるのに集合してから一時間半くらいブックオフに入り浸り、二冊ほど重めの本(ヒグマとディクソン本・各二百円)を買ってしまったりしていた。散歩に荷物を増やすんじゃあないよ。
 panpanyaさんの新刊は必読。商業出版において五冊面となる本作では、奇想よりも路上観察趣味に強く焦点をあわせ、エッセイにおける赤瀬川原平翁へのさらなる漸近が見られて興味深い。学校への登下校ただそれだけを、セルフルールを適用した歩みで、こうも楽しく描き出せるか、との転換は愉快。こっちの足から、とかそういうのはやりがちだよね。わたしもいまだに横断歩道や歩道の白線だけ踏むのやりがちだ。かと思えば、交通ルールという外部からの規定にがんじがらめにされ、捻転しちゃった思考が町中の一定区画からの脱出を阻む、強迫観念としてはバラードやエヴンソンに近接した奇想チックな話もあり、この辺はそれこそ赤瀬川エッセイがときに覗かせる神経質な視線も見いだせる。堪らん。なんだろう、こう、赤瀬川翁好きな人はpanpanyaさん好きだろうし、panpanyaさん好きな人は赤瀬川翁好きだと改めて思うんだけれども、どうか(年代的な隔絶もあってか検索してもあんま引っかかりませんねさすがに)。さておき。作ること。思案すること。お話としては、そういう「工程の中間」に強い関心がむけられたものもあり、また改めて本人が「紙の本で手にとって欲しい」と願う辺りに、物体/素材への愛というか執着というかが久々に色濃い。さすがに本人が装丁までやってるだけあるよね、と改めて。カバー下のテクスチャがアルミサッシにはまった窓ガラスなのもよかった。しかも星模様の入ったやつ。毎度のことながら、こういうのに嬉しくなってしまう……。ちなみにわたしは「つづれ」タイプの窓ガラスを妙に好ましく思う。昔々、幼い頃は冬の時期になると何故かつづれの窓に舌先を当てて冷たい感触を感じるのが好きだったんだよな。なんだったんだあれ。
赤瀬川翁の本を読んでないものまできちっと読んでみよう、と思いたって再発掘なタイミングに来てるのだけど、よくよく考えてみればあの人が亡くなってから、もう三年以上になるんだよな。いまだに亡くなったという感覚が曖昧模糊としている。というか、寂しさはありつつも、何かを創る人が消えてしまったあとにありがちな、何かが絶えてしまったという感覚がない。冗談でも何でもなく、いみじくもpanpanyaさんがその息遣いを継いでモノを作っているからだろう、と思う。直接につながりのある人ではないにせよ、魂の根っこや枝葉において相通じるものを持つ人が楽しい作品を作っている。受け継がれていく何かを感じられる。素晴らしいことよな。
 Jan.15.2018
原稿作業のためにユンケル黄帝顆粒を飲むようにしてから調子がいい。絶無だった体力が常人レベルに底上げされているからだろうけど、気力ゲージが普段より若干長くなりメンタルとはフィジカルが生成する信号なのねーということを実感する。人間とて装置である以上、そりゃこういうの入れてりゃ動きもよくなるわな。と、思うと同時にどれだけ虚弱児やねん、とセルフつっこみしたくもなった。
ポプテピピックのアニメ版を楽しく観ているのだけど、ここまでやっていいのか、と瞠目を通り越して白眼をむくレベルの内輪ウケっぷりがホントすごい。普通は半分でもやりすぎだけど十割。ひどい。第一話から原作でやった声優ネタを引いて大塚芳忠&江原正士を配したり、二話冒頭でアフレコネタと本当にあった呪いのビデオネタの合成をやったり、AC部をねじこんでいたり、あまりにひどい。それでいてOPの造りをぱにぽにだっしゅ!で見られたようなグラフィカルなデザインにしてる辺り、キングレコードチックだし、実写を連ねるのもサブカルクソ女という語を好んで投げつけるに相応しい洒落っ気を含んでいる気がしないでもない。
 趣味性は電気グルーヴのPVなどでもお馴染みであるとこのアートディレクター、田中秀幸による諸作品――OH!スーパーミルクチャン(2000年・スペースシャワーTV)やLittle Village People(2008年・MTV)、あるいはもっと遡ってウゴウゴルーガ(1992年・フジテレビ)に近いというか。ネタを羅列的に放り投げては十割を言い捨てですませ、カラフルな石をぶつけるだけぶつけて特に感慨なく去ってくような作法はかなりミルクチャンぽく、その作法/文法には違いはあれ、その質感には正統派のにおいが染みついている。あれだ、ミルクチャンのピエール瀧脚本回風情ですね。それ以前に何が正統派なのかっつう話でもあるが。作風や手法の異なるものをシャッフルしつづけるやりかたなんかはウゴウゴルーガの風情があるよね。あるいはオムニバス形式でシュルレアレスティックかつ異様な映像を提示しつづける、というところで見れば、映像作家・石橋義正が監督したバラエティ番組――バミリオン・プレジャー・ナイト(2000年・テレビ東京)に近い部分もあるかもしれない。短いスケッチやショートMV、アニメを多用した構成で、デヴィッド・リンチのようなトラウマ/ショック、鈴木清順めいた世界観に志向したダークな味わいの番組です。ポプテピピックはこれをアニメ/ゲーム/映画に振り切った趣というわけだ。一貫して共通するのは異様さと倫理観の分離か。そういうところで考えると、やはりサブカルメディアとしてそこそこに正統派なのかもしれない。メディアは語源をmediumとし、その意味は霊媒であるけれど、ポプテピピックも「憑いてる」感じがする。
 番組自体は放送局がMXなど限定されたもの、恐らく、ごく端的な私感にすぎないけれど、テレビ東京の日曜深夜枠に流れてたら最高だったのではないかしら、と思う。バミリオン・プレジャー・ナイトのトラウマや、一桁年代テレ東日曜深夜枠への強い愛着がそうした印象を強めて仕方ない。いやーリアルタイムであんなもん見ると、もう、こびりついちゃってしゃーない。
 それにしても、さよなら絶望先生やじょしらく、近頃では鬼灯の冷徹もそうだったけど、ここ十年くらいのキングレコードは内輪ウケというか楽屋ノリのアニメをよくとってくるな。わりとどれも好きです。ただリリース枠をこのハチャメチャなアニメでひとつ潰す、というのはなんか無茶苦茶だなと思う(小売勤務なので余計に)。
買ったり借りたり。
 ripple/青木俊直
 弦巻先生の作家生活/tacocashi
 大江戸恐龍伝1〜3/夢枕獏
 ラテンアメリカ怪談集/アンソロジー
 最近何を買ったかすぐ思い出せなくなる。部屋の各所にモノを分散させすぎ。ちゃんと管理する癖を取り戻したい。
 Jan.10.2018
先日書いたヨークベニマルはどこかイトーヨーカドーとネーミングが似通い、しかもロゴまで似てて、緑と赤のツートンカラーによるハトを使っている。このことからてっきり関連企業だと思っていたのだけど、どうやら一時期まで別企業だったそうだ。嘘だろ、あんなそっくりなのに。
 調べてみると出自からして違う。ヨークベニマルは戦後の一九四七年に紅丸商店として、イトーヨーカドーはより古く戦前の一九二〇年に洋華堂洋品店として創業している。ウィキペディアいわく、ヨークベニマルがイトーヨーカドー同様にセブン&アイ傘下となったのは〇六年のことらしい。吸収される以前からイトーヨーカドーの下位互換みたいな印象(ロゴからしていなたい色使いをしている)があったのだけど……。じゃあどうして同じロゴを……。と、あらたな謎が出たところで、七〇年代から業務提供をしていることがわかった。ふうん、と思うと同時に、洋華堂のヨーカとリンクさせるために、Yorkとつける無理やりさに笑ってしまった。もうちょっとやりようがあったのではないか。
 Jan.06.2018
和ブラ本の通販がはじまったそうですよ。是非ご利用ください。
 WALKING CHAIR通販ページ
簡単に伸ばせる古本クリーニングスキルツリーのうち、簡単に伸ばせる部分が一定まで達したことだし、ここらで一旦、できるようになったこととやりかたをメモしておく。別に衛生的なこととかそこまで強く気にしないならやる必要ないんだけど、いざやると結構楽しくなってしまうものだ。手を動かし、その成果が目に見えて、手触りだって明らかに変わってくることへの喜びがある。
 値札シール処理。必要なものはちょい伸びた爪、ティッシュペーパーないしトイレットペーパー。まず角から攻めて、紙面が破れないよう、傷をつけないように気をつけてはがす。接着剤が残っているなら指で軽くこすって一箇所に寄せ、塊状にしたら除去する。次に薄く痕が残る状態になったら人差し指にティッシュを巻いて、根気強く、でも力を入れすぎないように一〇〜二〇秒くらいこすってるとアラきれい! 最初このやりかたに気づいたときは楳図かずお作画の顔面になった。除光液や消しゴムはPP加工のない書籍にダメージをあたえがちだけど、こっちでやると負担が少なくてオススメです。ただ乾燥しきってカピカピになってるときは、さすがに……アーッて……なるね……(三省堂だかのバーゲン本とかヤバしと聞く)。
 汚れの除去1。必要なものはアルコール除菌スプレー、キッチンペーパー、ティッシュペーパーないしトイレットペーパー。キッチンペーパーに除菌スプレーを吹きかけて軽く拭い、ティッシュペーパーで水気を手早くとる。表面にPP加工の施されていない本、ちくま文庫や古い早川文庫のようなタイプは、古びてると一気に水気を吸ってしまうのでより手早く。これを古い漫画本なんかにやると、裏面への処理だけでもキッチンペーパーが真っ黒になったりして、ドン引きとゾクゾクする楽しさが併存した、なんか、こう、変なきもちになる。揮発による速乾性を考慮するとエタノールでもいいのかもしれない。
 汚れの除去2。必要なものはメラミンスポンジ、消しゴム。こちらの処理はPP加工の施されている本に限定。消しゴムをかけると黒いスレなどの汚れが落ちる場合あり。マットタイプのPP加工の施されている本の場合は、表紙によく水を切ったメラミンスポンジでガシガシやるとガッサリ汚れが落ちる。普通の艶出しPP加工の本も、表紙にざらついた汚れの層がついてる場合に効果あり。ただ、メラミンスポンジは汚れを削り落とすものなので、こすりすぎないようにご用心。
 小口の処理。必要なものは300番台の紙やすり。よっぽど小口のヤケがひどい本は、なんかペットボトルとかそういうのに巻きつけて、優しく削る。薄っすら削るだけで差がすごいのと単純に楽しい……けど、だいたいやる必要はない……あと手許がすごい汚れる……でも楽しい……。
 割れの処理。必要なものは速乾性の木工用ボンド、爪楊枝。爪楊枝の先で絡めとったボンドを割れた部分に薄く塗布して、閉じたときにページへあふれない程度に伸ばしていく。試しに軽く閉じて大丈夫そうならそのまま一日〜二日安置。
 表紙折れの処理。必要なものはアイロンとあて布。温度は低〜中温で、裏表にかけていく。上端のちょっとした折れ、潰れをいじるのにそこそこの効果がある。個人的には平凡社ライブラリーで効果を実感。背の上端が潰れちゃってる本も、いざやってみると意外とどうにかなったりして良ございます。
 だいたいこんなところ。古本をわざわざ修繕するとか貧乏くさいザマス、みたいな人がときどきいるけど、稀覯本とまではいかないまでも新品で決して手に入らない本は大事にしていきたいな……との思いがある。本当に。
デビルマンcrybaby観た。OVA全盛期のノリと湯浅政明監督のデビル合体によるデビルアニメだった。序盤〜中盤のエログロバイオレンス路線におけるきわどさは八〇年代〜九〇年代OVAを本当に彷彿とさせてくれて、映像体験としては嬉しい既知感を強く帯びる楽しさだった。換骨奪胎して、駆動因を置き換えていくことで「走ること」をメインに据えてる感じや、それにともなう疾走感も良い。デーモンとの戦いにしても風を切って走るような心地があった。「引き裂く」ことを筆頭に力任せのモーションを多用して、ビタビタとほとばしる血がどこか九〇年代劇場アニメっぽさをくれるのも、懐かしい心地よさというか。直近の作品で言うと、傷物語が同系の劇しさを有している。そういう血みどろさ近頃減ったな(あまり好まれないというのもあろうが)。一貫して用いられる性的描写がサイケデリックで、俗悪なまでのバインバイン感をこめてあるのも笑っちゃった。扇情的でありつつ異様な、奇妙にうねるグルーヴ感を帯びてる。グルーヴ感は湯浅作品ならではだけど、ME!ME!ME!的なエロで前面に援用するとひっどいのね、という痙攣的笑い。舞台も川崎市なだけに周辺の景観を引いてて、逆Y字構造をした河原町団地が出てきてたのも面白かった。ロケハンを感じる作りの舞台設計はとても好き。あと八話で、崩壊した渋谷で唐突に映画「回路」の投身自殺シーン、あるいは崩壊していく東京のパロディっぽいシーンが入ってたのとかも地味に好き。
 と、楽しんだのだけど、終盤でシュンとしちゃった。本作だと美樹の人物造形や演技が最近のアニメっぽく可愛くて、人間賛歌な叫びもこめてあるのだけど、これを終盤の前向きな駆動因としつつも、結局はわかりやすく転覆に使っててちょっと気が萎えた。マンガ史に残る語り草のあのシーンです。かわいい子(それも原典よりよほどかわいく輝かしく描いていた子)を血糊で染める、悪い意味で見慣れたものをこのタイミングで……とか思っちゃった。いかんせんデスゲームのしょーもなさをも乗り越えた十年代後半に、原典通りの、滅び、空しさの手触りを叩きつけられましてもという気分は否めない。もちろんそれを上回ろうと駈けるエモーショナルな部分の変奏はある。バトンを渡すこと。バトンを受け取ること。そういうテーマも転換として効いており、それはラストの飛鳥了にさえ言えて、いまならではの風合いで愛おしくもあるのだけど。引っかかるのは、そこから、一歩先へ、と行くことのなさだ。貞本エヴァの終盤を読んだときのような、なんか、そういう気分。芯の部分は良くも悪くも変わっていない、と。そもそも何が「進むこと」として「ただしいのか」は、漠然としてわからんけど、引っかかってしまった。
 つきまとうのは、ああいうエンディングに特有の寂しさ。それが正しいのだ、と、言われてしまったらそれまでなのだけど。それでも朽ち果てる物語はつらい。なんてことを思った……。ホント諸行無常が不得意だねきみ……。結局、見終わったあとにはカイバを見はじめたとさ。
飛鳥了がちょっと鈴木健也作画っぽいんだけど、サタンになったら完全にギャル子ちゃんな感じになっててちょっと面白かった。
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