▼誰かが光のなかにいる、あるいは光そのものであるということは素敵なことで、輝きがあればこそ自分は自分の場所を知り、勝手な話だけど、誰にも求められてない静かな道は照らされてゆっくりと遠くへと行けるなー……とか思うことの多いこの頃。行った先から戻ってくるにせよ来ないにせよ。光のなかに立っていてね、とはクープランド作品に記されたことばだけど、そう思う時間が多い。相容れない何かへの感情的な反射が生じることだってあろうけど、それは長つづきせず、文字通りに瞬間的で、結局行き着くところは決まってる。何らかの福音があるように。漠然とそう思う。自分が幸福になんぞ一ミリとして指をかけられない分、せめて人々は穏やかであるように。なんてね。
▼相変わらず淡々と作業を埋め、逃避行動として読まなくなった古本をメルカリでちまちまと処分している。クリスタルパックで包み、封筒につめ、という工程をしてるとちょっと心が落ち着く。とはいえ処分するのとほぼ同等の速度で本が増えてるから、無間地獄感がちょっとある。
▼買ったり。
ケルベロス第五の首/ジーン・ウルフ
感情天皇論/大塚英志
探偵ダゴベルトの功績と冒険/バルドゥイン・グロラー
裸婦の中の裸婦/澁澤龍彦、巖谷國士
みんな行ってしまう/マイケル・マーシャル・スミス
希望 行動する人たち/スタッズ・ターケル
恋煮込み愛つゆだく大盛り/にくまん子
泥の女通信/にくまん子
チェンソーマン2/藤本タツキ
ファイアパンチ1~8/藤本タツキ
きれぎれ/町田康
「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に実在したので10万字くらい書けて紹介する本/山下泰平
怪奇小説傑作集2/アンソロジー
図録 シュルリアリスム展 パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による
おおむね、しばらくほったらかしてるあいだに買ったなかで覚えてるやつ。自分のじゃないからカウントしないけど、ブコフでカウントゼロとモナリザ・オーヴァ・ドライヴを三百円くらいで入手したりもしてた。完全に友だち用。
舞姫以下略がすごい面白かった。文学史の上で黙殺というか、まあ別にほったらかしでいいでも誰も困るまいて……みたいな扱いをされてるらしい明治時代のエンターテイメント周辺を掘っていくやつ。戯作、講談速記、娯楽小説、犯罪実録などなどとひっくるめて「明治娯楽物語」という荒唐無稽の群れが隆盛していく流れは、百年越しのラノベ台頭に似た勢いがあって、その善し悪しみたいな質感もよく似通ってて、それを語りだす筆者の身も蓋もなさがすごい良い。前半で「光り輝くヤクザが悪徳キリスト教団を討ち滅ぼす物語(語感が胡乱)」として紹介されてる「緒方力丸物語」周辺が、なんだか今っぽさを感じてへぇーと思う部分が多かった。児雷也や白浪五人男、と別作品のキャラや設定をマッシュアップしてく手付きね。敵として設定されたキリスト教団にしても、尋常ではない付加効果をもたらす信仰とかバカ設定がすごい。筆者いわく伏線の無駄遣いやらであんま面白くないらしいけど、こういう無茶苦茶のための手付きがのちに花咲くものたちの礎になってんだろうな、とかちょっと思った(遠因というか礎というかはいつの時代も大事だよね)。
上記の語りの他にもわたしが好む意味合いとしての「伝奇」の歴史をめぐるうえで重要なこともたくさん入っていて、これで強く思い出したのが「伝奇ゲームファンのための日本伝奇入門」だった。その昔、すごい好きだったサイトに魚石庵というとこがあって、そこで掲載されていた紹介記事。うちのサイトではサイバーパンク小説案内みたいのを載せてるんだけど、あれを書いたのも魚石庵さんの影響だったりする。中世から月姫まで――と、一桁年代に相応しい語りの素晴らしい記事なので、はじめて知ったという人は
是非アーカイブでご覧あれ。まあ消えたよそのサイトのアーカイブを見ろってのはマナー的によくないかもだけど、そこはそれ。読むとわかるのだけど日本伝奇入門は明治期においてかなり抜けが多い。そこに舞姫以下略が、笑ってしまうほどバッチリとハマって補正を駆けてくれるのですな。もちろん渉猟していた分野の違いが生む断絶であり、これを悪く言う気は毛頭ないのだけど、<江戸後期の荒唐無稽な物語は一旦なりを潜めます>と評されていた期間にこんなに、いっそ呆れちゃうくらいの無茶な饒舌が跋扈していたのか、と考えるとテンションが上ってしまう。身体が豆腐のように四角張っている豪傑が大暴れする話。忍術に合流するメスメリズムや動物電気。他にも細々と異形たちはいて、それが忘却されまくっていたことを突きつけてくる。そういう不意打ち的な文学案内としてすごい攻撃力が高いから、伝奇愛者は絶対に読むべき本だと思う。
あと藤本タツキに超ハマってしまった。ファイアパンチが想像以上に面白くて、一切の悪意がないことばとしてジェネリック沙村広明という語が出てくるテイストだったな……。たぶん藤本タツキ自身はすごい生真面目な人で、やるべきと思ったことを突き詰めると物語上の破綻をきたすから、チェンソーマンでは気持ちに絞りを入れてるんだろうな。そう思うくらいにガチガチに身構えてるとこを垣間見せる遠未来SFだった。異形になってしまった主人公が神に祭り上げられ、宗教が形成されていっちゃう刹那を取り巻く高揚と、気持ち悪さ、それを利用する手に視線を馳せているのが妙に律儀。そこに加わる淡々と、拍子を外していきなり入れてくる冗談や台詞回し、長回し風だったり省略したりというアクションがとんでもなく滋味深い。ある意味では弐瓶勉の血も感じるし、読む度になんでアフタヌーンじゃなくてジャンプ系列でやってるんだろうみたいな気持ちになる。わたしとしては再生能力をもつ長命者、ゲスくて映画好きで嘘つきのトガタちゃんが死ぬほど好きで、もう読んでて心を引っ張られっぱなしだったな。ああいう人を描きたい、と感じ、こういう行動を読みたかった、と気持ちを締めくくってもらえるのは心地いい。チェンソーマンも見どころは多いし、心に新たな杭を打ち込んでくれるよう祈ってる。というかリアルタイムで進行してるジャンプ漫画にはじめてハマったの、はじめてだな……(小学生の頃から角川っ子だったから……)。
▼こないだサイバーパンク小説案内的なやつをメンテナンスした。何年か前の自分が妙に特徴的っぽい風情の文章を書いてると大変腹が立つのはなんでかしら。追加情報を少し入れるとともに文体を均した。