▼わたしは角灯片手に闇を迷うことしかできない。弱い火の手が照らす細道を頼りに、あっちへ行き、こっちへ行き、徒労に息をつくことばかりが生の大部分を占めている。抱くものの大半は諦念であり、それでもどこかあるような気がする柔らかな明るみを求めて、ずっと歩いていく。ときどき別の灯りの持ち主と肩を寄せあい、借りた光で自分の灯りだけだと見えないものを知る。それが好きだ。同じくらい好きなのが、ときとして出会う、腕に強い火の手を抱いた素敵な人を見つめ、その人のあとをついて歩くことだ。強い光はここにいたるまで届いて心を温めてくれる。その人が去っていった。わたしの前から去っていく理由に、憤怒と憎悪を呼び起こして闇を深くしようとする人々がかかわっている事実には強い悲しみがある。憤りだって重荷となるほどだ。でも、だからといってそいつらの求めるような苦痛に屈して、加担してやる必要はない。同じ土俵にたつ意味もさほどはない。あの人の抱えた炎は強く、わたしの角灯にその熱量をわけてもくれたからだ。暗闇に惑わされながらさらなる深みに引っ張られなくたっていい。角灯の光がいま照らしている、自分が歩くべき方向に行くべきだ――と、しばらくは癒えない痛みを抱えながらでも思う。わけあたえてもらった光はいつか弱まるかもしれないけど、消えることなく、ずっとわたしの角灯とともにあってくれる。本当に歩けなくなって足痕が終わるそのときまでは。いつか、見たことのある輝きとすれ違うときが来るかもしれない。そのときにそっと手を振れるように願い、祈りながら歩いていく。
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