調整めんどくさいのであいてるカラム。
 調整めんどくさくなくなったら何かしら文章で埋まるかも。
 Sept.29.2019
おたくマン八人で集まって新宿御苑ピクニックに行ったり、マイメンと一緒にLEO今井と人間椅子の対バンライブ行ってきたりでお出かけが充実している昨今。LEO椅子もとい大都会ツアーは恐ろしく楽しかったな……。両方ともめちゃくちゃハードなサウンドで暴れ、轟音がビシバシ身体をブッ刺してくるっていうのに、どこまでもハートフルな立ち回りとMCで素敵なこと。LEO今井が研ちゃん&ワジーのあいだでプレーリードッグみたいに不思議な動きしてる光景もそうだし、シゲクニさんと研ちゃんが一緒になってカクカク振動してたり、岡村夏彦さんとワジーが一緒にギター奏でてたりって光景も、絶対に他では見られないと思う。すごかった。最後のアンコールで一緒になってどだればちを奏で終えるところとかニコニコしてしまったね。あとは開演前にトイレ行ったとき、バックヤードのドアからちょうど出てきた岡村さんとすれ違ったのはめちゃくちゃに嬉しかったな。びっくりしてドギマギしながら素で二度見しちゃったしヒゲ眼鏡超かっこよかった(あのビジュアルが大変好き)。ガンたれた感じになってたのだけが心残り。違うのです、ラブなのです……。
げに難しくはフラグ調整というかなんというか。鈍足ながら完成にむかってる和ブラボ超伝奇作業でなまじっかなミステリもどき構成をもてあそんでいることもあり、ここのところフラグ調整というか、どういう順番で情報を拾っていくと具合が良いのかに関して頭抱えてる時間が多い。長い。しんどい。それによってなんとなくインタラクションの違いを想起した。わたしがお話をやる際に好んで……つうか往々にして手癖でやってることってのは、ステージの内外をうろうろしてイベントを発生させては敵を倒していくことで次の段階への進行条件を探し、徐々にお話を進める、まあ普通のアクションADVやRPGみたいな手順の踏みかたなのだな。RTAとかそういうのは別としてね。
 翻っていまやってる作業は、どちらかというと一定数の手順のなかで正解を探していくようなたぐいかもしれん。一定数の手順、というのを具体的にすると、例えば日付によるターン制。あるいは放ったらかしてもゲーム内時間は刻々と過ぎていくリアルタイム制。ゲーム内で限られた手順から、正解を探るという形式。その感じでパッと思い浮かぶのは神宮寺三郎シリーズとアマガミくらいしかないんだけど(偏りすごいな)。あとは昔よくやってたPS2のゲームで、特撮番組をロールプレイする正義の味方ってのがあった。たしか三十分番組のロールプレイに何か行動を起こすごとに変動する視聴率システムなんてのもあり、面倒くさかったけど独特の味わいがあった。 まあそういうのをやるのと似た、状況解決に必要な手順や、これがあることでこっちにつながるという情報の動線をタイムリミットのなかに配置していくことの難しさに、もうめっちゃくちゃ振りまわされている。
 それから、短編(と想定してたら中編に……)内でやれるミステリ的手順てのは、そりゃーーもーーーー限定されていると気づくのが超絶遅かった。手許にあるのマグカップだと思ってんだけどデミタスカップでした。まず土台にしている超伝奇自体、土台となっている怖気を暴力でひっくり返す、ホラーとアクションを複合した手順のあるジャンル形式みたいなのを持っているだけに、そこらを考慮してやらないとどんどん紙幅を食っていく。怖いなこれーという学びが合ったので、いかしていきたいねぇ。。。
 と、言ってたらまたページが……増えて……。
買ったり。
 ブレードランナー2 レプリカントの墓標/K.W.ジーター
 フレームシフト/ロバート・J・ソウヤー
 バビロンまでは何光年?/道満晴明
 極微機械ボーア・メイカー/リンダ・ナガタ
 日本の町/丸谷才一、山崎正和
 持ち重りする薔薇の花/丸谷才一
 サイレントヒル2/山下定
 幽霊島/アンソロジー
 なんか百円で色々買ってるけど管理が雑で思い出せない。幽霊島はいろいろあって御苑ピクニックのときに大戸又ニキから賜ってしまった。ありがたい。そして平井呈一先生の訳はカッチョイイ……。いつも冗談めかしてテイイチくんと呼んでいる(黄昏乙女アムネジア感)けど、心のなかの師匠筋のひとつでございますからな。あとはひとまずサイレントヒルが2のノベライズも安く入手できたのが嬉しくて、しかもレッドピラミッドシングの大ナタをあしらった栞がくっついててなお嬉しい。出来に関しては3のオリジナル要素が突出してたんだなーってなところ。
 Sept.01.2019
九〇年代なかばから末期辺りはまだ駄菓子屋がそこそこ残ってただろう時期で、その時期に住んでいた赤羽周辺にも、そこそこ大きな店のほかに、小規模勢力がぽつぽつとあったのを憶えてる。わたしは駅近くに住んでいたので、友だちと連れだって種屋という店によく行っていた。一日二百円ほどもらい、色とりどりの駄菓子から蒲焼さん太郎やわさびのり、ヤッターめん、キャベツ太郎、一粒ずつ売ってる十円のアメ類辺りを好んで買ってたな。うまい棒はチーズ味、コーンポタージュ味、サラミ味主体で、たまに甘いバリエーションを買っては大後悔してた。当時はまだ学校の怪談シリーズが上映されていた頃でございまして、あれとのタイアップによる組み立て式の遊べるジオラマのようなものも好み、ちまちまとしたプラスチック細工なんてそう興味が長つづきするようなものではなし、どうせすぐ部屋の藻屑と化すのがわかっていても見つけるたび買っていた。お子さまだとコスト意識とか皆無だよな。
 この店の他にも憶えているのが、ほんの数度だけ行った、自分が住んでいた辺りからは少し離れた神谷の商店街の駄菓子屋。この店内に展示されたトミカのショーケースがとても印象にある。ショーケースというのは取り扱いラインナップを格子状の区切りに一種類ずつ入れて展示する専用のそれで、ずらり、と数十種類が並んでいるやつ。玩具店ではないのに、という意表を突かれたのだと思う。あのお店はまだあるのかしら(種屋はバリ健在)。
 と、いうのがいきなり湧きでてきたのには一応の理由があり、デコラティブ、そしてミニチュアールなものの愛好ってここらへんが強く与しているのではないか、と考えたからなのでした。駄菓子ってある種のバロックみたいな部分があるかもしれん。同時に、好きなアニメのアートワークスにおける線と形体の凝集みたいのも好きな子どもではあったから、あるいはそこらとの複合。
 Aug.30.2019
VT文化においてどれだけ一般的かは別として、にじさんじではライバーが引退、卒業するとなるとYoutubeのチャンネル上から動画がすべて失われる。まっさらになって視聴者の記憶(またそれを断片的に補う切り抜き動画)にだけ残る。それは現実における誰か、他人との関係の一回性と同じようなもので、本来的な人間の機能としてはそれが順当なのかも。記録媒体や動画共有サービスによる保存状態のよろしい記録ではない、記号化され、時間経過によって曖昧になっていく記憶。一期一会というやつでありますか。鮮やかな君の面影を僕は見失うかな、と歌ったのはアジカンのムスタングだったか。とはいえそれを突きつけられる感覚が、どんな形で、前向きなお別れであるにしてもつらく、寂しい。どんどん新しいライバーがデビューしても、好きなライバーが増えても、この感覚だけは当然のことながら変わらない。仲がいい人とお別れするのに慣れないのと同じだな。以前、ニコニコでよく触れてたゲーム実況文化はどちらかといえばゆるやかな引退が多く、動画が消されるというのもそれほどないもので、また感覚が違って、ああ、これがVT追っかけるってこと……なんてボンヤリ思ったり。でもまた、忘れられない君との誓い、それだけが僕の誇り、とのことばもムスタングにあったのを思い出したりもする。誰かとの約束や誓いが消えない何かを残すように、ライバーを通じて残るものもあり、それが生のよすがともなろうものよな、人と人だものな。なんて感傷的に思った夜明け頃であった。
 Aug.25.2019
風邪、自律神経失調、それらのダブルショックか味覚障害、部屋のなかでつまずいて右足の親指の爪がちょっと剥離、などなど物理的なダメージがなかなかしんどい今日この頃。爪、一回引っかけると実際のダメージ以上に肉との接着がゆるんだような感触をよこすので怖いわ。
感情と思考の速度が落ちて、他人と違うその速度が日常感覚をすっ飛ばしたりぶつ切りしにしてしまう感がどうも否めない。最近人とほとんどメールとかのやり取りをしておらず、まあそれもそういうことだと思う。たぶん。LINEも活用したいとは考えつつ、よそさんがどんな時間軸に生きてるかわかんねぇ、と考えだすとどうもしがたい。ベリースローラーナー。そして怯懦。まあ大目に見てやってください。
先だって、ヤプーズの「ヤプーズの不審な行動「令和元年」レコーディングライブに行ってきた。純ちゃん四十周年! 灼熱地獄とは斯くの如しと評するほかない渋谷の腐敗の巷を歩み、このときには同行してくれた友だちがおらなんだら絶対に心身ともに根っから死につくしてたな、と八割がた消えかけた心に思った。ふらふらでクラブクアトロ入りしたわけですが、開演後即疲労がたやすく吹き飛んだ。吹き飛ばいでか。ヤプーズのライブは丸五年ぶりなんだけど、純ちゃんのボーカルに伸びがいくらか蘇っててかなりぶちあがりましたね。今回メンバーに入ってるヤマジカズヒデがギターソロパートで尋常じゃない攻撃力を発揮してるのもよかった。二部構成でたっぷりだったし本当に最高だったとしか言いようがない。
 序盤からして二曲目にヴィールス(わたしの人生のテーマ曲と勝手に思ってる)が入ってきて、諦念プシガンガや第二部では肉屋のように赤い戦車、ソロ楽曲との定番が出揃えば、シアーラバーズとか赤い花の満開の下とか聴けるとは思わなかった曲もあってよかった……。どの曲もアレンジにモダンな重みを含んでインダストリアルな風合いまであり恰好良いったらなし。
 あとは制作が間に合わなかった新曲の代わりとして、あたしもうぢき駄目になるが聴けたことの嬉しさは計り知れない。もとの収録アルバムHYSは病葉みたいになった命の感触と、それでも生きる意志に満ちててメッチャクチャ善く、そのなかでも特に好きな曲がこれで(次点が本能の少女)。その禍々しさからライブでも歌ったことがない、というこの曲がゴリゴリなサウンドで、いまの純ちゃんの歌声で、しかも生で聴けるとは思わなかった。ライティングが収録アルバムであるHYSのジャケットを思わせる黄色ベースになったところとか、心を飲みこまれた。
 そのうちでるライブCDのリリースが心底楽しみ。
 二部構成だからたぶん二枚組よな。。。
にじさんじのライバーさんたちが生活の軸足の大事なささえになってくれてるんだけど、なかでも鈴原るるちゃんの配信が最近のお気に入り。強靭な精神で高難度ゲームにたちむかい、あまつさえ楽しいとさえ言う。不屈の戦闘者(アビス・ウォーカー)と呼ぶほかない、他のライバーとはちょっと一線を画す、捕食者にかなり寄った趣にはまっている。配信であらわになる造作もいいんだよな……。目を見開いて四白眼になる顔。清楚系と呼べる配信スタイルなのに敵を執拗に追って狩り殺す勢い。プロフィール上は人間のはずなのに配信上の発言が人間ではないっぽい。でも語彙と仕草は(捕食者感覗くこともあるけど)お嬢っぽい。そしてよくテーブルに膝をぶつける。などなど、なんか美大生という大前提に変な奥行きをつける、異界感のあるアンバランスさが素敵。
 近頃はブラボで狩人と化してるから眼を離せなさに拍車かかってる。以前からきちんと準備してから配信はじめてたけど、ブラボでは千景の狩人と全力でブチあたるために輸血液カンスト状態ではじめたのとか本気で笑った。強い。見てて何より嬉しかったのは、烏羽の狩人アイリーンのイベントを終えて、そこでアイリーンが命を落としたと認識しないでくれてフワフワ狩装束を好んできてくれてることよな。アイリーン生存は同感なのですわ……獣狩りの夜を生き延びて、普通の熟女として過ごすようになってると思うもん。
買ったり。
 ゴードン・スミスのニッポン仰天日記/荒俣宏
 偽史山人伝/詩野うら
 涙煮込み愛辛さマシマシ/にくまん子
 ギャルと「僕ら」の20年史/長谷川晶一
 戦場のコックたち/深緑野分
 サーカスの娘オルガ3/山本ルンルン
 早いうちに出会ってりゃって資料はたくさんあるわけで、ニッポン仰天日記はそれだな。ちょうどいまお話であつかってる時期の日本についてつづる日誌、カラフルな図版のありがたみ。ゴードン・スミスは民話とかを収集するため日本にいた博物学者というか好事家かというか。柳田が本格的収集をはじめる前にして、ラフカディオ・ハーンと同じ頃――そこらの時期に日本をウロウロしてたって時間感覚が趣深い。趣味で見て回ってるその視点からなる日本の、ファンタジーっぽく異化された風情が面白い。ここらへんはなんとなくイザベラ・バードなんかとは違うな。文章からたまににじむ無自覚な嘲りみたいなものも、手触りがちょっとパルプ的。図版はデカい蟹の甲羅をかぶったゴードン・スミス(意味がわからない)が特に大変良ございます。なんでかぶってるのかは当該の日記を読んでもよくわからない。良い紙を使って装丁がきちっとしてて、そういうのに特有の重みとこういう内容を見てると、出版社が金持ってた頃だな〜との感慨があって、ちょっと胸が揺らいだりもした。
 にくまん子、という名が壁となって好きでありつつ他人には良いと言いがたいのちょっと面白いな。今回のは考えるアシコがよかった。「荒れる嵐よりも静かなさざ波を眺めていたくなる」と胸につぶやく彼氏と、ぽやぽやしてて思案が深まりとっ散らかりがちなデザイナーの彼女の話。大事な他人から目を離さずにいること。当たり前だけど、それで見えない部分はあること。視線がふと上滑りしてるあいだ、見えないあいだに起こること。本の描かれていく話はどれも一方通行で、勝手なこと思い、感情をかぶせ、求め、苦しげに愛し、怒るんだけど、考えるアシコはそこにある程度の尺を割くと同時に、相互の視点で埋めあわせていく手つきが語りとして好ましい。そもそもが感情の、生っぽいディテールをグロテスクさに近しい勢いでどんどん積みあげていき、その重みで首を絞めるタイプの作劇をしてる人だから、作法としてキレイにはまるのかもしれない。醒めた彼氏側の視点からはじめ、ふわついて熱っぽい彼女側の視点で情動の奥を埋めあわせる。それが(紙幅の結構な部分を占める)突き放すこと、ではない部分に作用する。ショートショートスタイルでシチュエーションの衝撃性、バカバカしさを重視した話は面白い。じっとりと肉質、粘膜質の感情で四方を埋めて、涙で溺れさせ、疲れ果てさせる話の重々しさも面白い。でも、誰か/何かを大事にすることの感触というかなんというか、そういうもののほうが、面白くて、かつ愛おしいという思いがボディブローのように沈みこんでくるんだよね。と、思わせる話の直後にすこぶるしょうもない話が挿入されるは笑ってしまった。ひどい。感情と語りの尺度が好きなので言えば、とおくとおくのほしきみはしらないしらないわたしのはなしも良かった。ただ前短編集であつかってた、関係性がかなりこっぴどく壊れてしまうキャラの話を、ああいう形であつかうのはちょっとな……。暴力方面のフィクションだとかなり好きなのだけど、日常に基盤がある話だと具合、居心地がすごい悪い。たぶんそういう感触も込みなのかもだけど。あとこれは個人的な感覚だけど、セックスを描くときの湿気は嫌いでこそないものの、疲れてるときに読むと鬱陶しい感じがかなりあって、読み味の落差が面白いな。性的なことに関してはなんらかの余裕が要るもんで、その余裕が欠けるときには重圧が先立つ、みたいな、なんかそういう当たり前のこと。
 Aug.04.2019
身体的ぐったりに精神的げんなりが重なり、ちょっと伏せってしっとりしていた。マドレーヌから剥がした敷き紙程度のしっとり感。
伝奇をいま現在の感覚で改めてとらえなおそう、つーこってSIRENシリーズのプレイ動画見返し、マニアックスを読み直し、2のマニアックスも買い、というのをやってたら再ブームが。また?! またですわ。1のサントラも買ったんだけどイヤホンつけて音楽作品として聴くと味わい深くて楽しい。湿気が生ぐさくに胸に行き渡るようなダーク・アンビエント感は独特で、海外のミックステープにはないたぐいなだけに。音色や質を変えながら細部に反復されるサイレンの抑揚。セイレーンが人を真似るようないびつな歌声。現代音楽の重々しいテクスチャを恐怖感というか、正気に揺さぶりをかける震えとして援用してる感じ。それらによる重層的な居心地悪さがたまらず、特にテルミンらしき音色がざわめきの織りこめられた「眞魚川護岸工事現場」がぞわつく。ブラボもそうだけど、現代音楽を上手に引きこむ劇伴は強いな。作業用BGMにすると手際がちょい安定し当面お世話になりそう。
シン・エヴァ冒頭十分の「エヴァの軍事転用を禁じたヴァチカン条約違反の代物ね。陽電子砲装備の陸戦用後方支援とお付きの電力供給特化型44Bのダブル投入とは――」と説明台辞のテンションぶち上げっぷりは尋常でなく、見て聞いて書き留めるとともに、声に出して読むレベルで好き。説明ガンガン。でも気持ちいいのはすごく、ここらは脚本と演技の魔力だな。公開は来年六月かー。人生のなかで長い、かなりかなり長い時間触れてきたコンテンツの本当の終着点を、切実に待ち望む気持ちが再燃したね。
madsanというYoutubeアカウントがすこぶる好ましく、やる気が起こらないときによく見てる。過去番組の録画から、あいだに挟まったCMルだけ抜き出してアップロードしているんだけど、これがもう心拍数を上げること上げること。見てて思ったんだけど、こういうのは単純にCM集とのまとめにするのでなく、その番組枠単位で切り取るからこそ、感情の喚起力がでるのだな。なんだろう、そうすることでなにかシニフィエがたちあがるというか。いやもちろん何年代のCM集みたいのも好きは好きなので、否定はしますまい。
 心くすぐってくるのは例によって例のごとく、九〇年代〜一桁年代のもの。いちばんテレビを見てた頃。当時の映像、しかも深夜帯に流れる低予算系となると、覚えてるよりも映像構成と使われているCGの質がしょぼく、「いまの感覚を通して補完されてた記憶」との齟齬が脳みそを刺してくるのが楽しい。ことうーわすげぇローファイじゃん、と笑ってしまったのはアイフルのお自動さん。やばい。これが資生堂とかの化粧品CMだと、デザイン感覚という洗練性が生じてグラフィカルなのでまた話が違ってくる。女優、レイアウト、照明!みたいな。まあでもそれにしても一桁年代以降って時間経過の感覚がどこかしら曖昧になってて、言うてそんな変わってないでしょ、と思っても意外と段違い。コマーシャルではないけど、ウェザーブレイクとかも懐かしさにひるむ。やけに早口な「ウェザーブレイク」の発音。PS1レベルのローレズなテクスチャ。はじまってすぐ終わる構成。深夜まで起きてテレ東のアニメを見ていた関東ローカルのガキンコにはなじみ深い。まだ流れているのかしら。こういうのが気になってテレビが欲しくなってしまう瞬間を否定できない……。
 アニメの提供画面で角川書店やバンダイ、ゲーム会社の名前が並ぶとメディアミックス激攻め時代としての趣があっていい、という話もまたある。めぐりだすときりがない思いをもてあそぶ楽しさよ……いや見てないでやることやれやって話でございます。
買ったり。
 SIREN ReBIRTH1〜4/浅田有皆
 立腹帖 内田百闖W成2/内田百
 死者の花嫁 葬送と追憶の列島史/佐藤弘夫
 スキップとローファー1〜2/高松美咲
 行進子犬に恋文を1〜3/玉崎たま
 チェンソーマン3/藤本タツキ
 のぞきめ/三津田信三
 日本近代科学史/村上陽一郎
 サイレントヒル/山下定
 サイレントヒル3/山下定
 人体六〇〇万年史 科学が明かす進化・健康・疾病上下/ダニエル・E・リーバーマン
 危険なヴィジョン2
 現代思想 2019年7月号 特集 考現学とはなにか -今和次郎から路上観察学、そして<暮らし>の時代へ-
 サイレン2マニアックス
 スキップとローファーがもつ暖かさは無類で、ちょっと気がささくれてるときに読んだら逆だって引っかかり痛い部分を、一箇所残らずカットされてしまった……。主人公のみつみちゃん(四白眼で猫っぽくて口がM字になるおかっぱちゃん!)の素直に反応して、反省して、前に進んでいく感じは愛らしいし、登場する他の子たちにしてもわんこ系男子でもギャルちゃんでも根暗ちゃんでも、みんな愛らしくて善き。人間関係のとげっぽいとこ、それを越えてける優しさを描くのがうまくて、ずっと読んでいたい漫画にございますわ。触れているあいだの和やかさがすみれファンファーレに近い。
 現代思想誌にpanpanyaさんが載るすごさよ。あたかもその眼で観察してきたような、しかしそのじつ架空である、自分が通ったかも知れない通学路なるモチーフを通して、考現学/路上観察学的な目のつけどころによるエッセイをやってるのが楽しい。これ目当てで買った面が大きいんだけど、それ抜きにしてもすごくいい特集になってた。巻頭の藤森照信と中谷礼仁の対談からして、今和次郎と柳田國男の視差、心の置きどころの違いという基本的なところからはじまり、切り取られる「生活」、生と死、神にまつわる議題にまでつながっていくスケール感とか楽しかったしな……。中谷さんの本も面白そうだしそのうち読みたいものです。寄稿テキストでは、「アーカイブ的統治とフェティシズムから考える考現学」「考現学と帝国主義」が特に面白かったな。考現学に含まれる棘を取り出してるのを読めて、それがいまやってる創作がらみで結構関わってくる感じ。例えば後者における、日本統治下の朝鮮にける調査のなかで、どうして汚い家ばかり写真にとるのか、と若い通訳から詰問されたエピソードに含まれた視線とか。「差別的な発言をすることよりも、この差別を構造化することに加担していることの方がより罪が重いことに気がついている」という記述とか。眼差しという暴力とか。それに抗おうとする態度とか。そういうのを引き出していく。ただの肯定に終始しない。アーカイブ的統治〜にしても、アウシュビッツや格子写真を経由させることで、データベース化に険を覗かせる瞬間があって、読んでてぞくっときた。行為の背面に隠れた反物語的なフェティッシュを可視化する感じもちょっと居心地悪い(褒めことば……なのか?)。わりと何度も読み返してる。ただユリイカもそうだけど、表紙の紙質をもうちょっとどうにかしてほしいな……カバーを掛けられないサイズ感で、そのくせめっちゃ傷みやすい……。
 サイレントヒル3ノベライズは百円だったのでつい買っちった。もう4までのシリーズ全作が好きなんだけど、3は特に我が強く、ふざけんなよ、なんで奪われなきゃいけないんだよ、許さねぇ……という主人公=ヘザーの態度を明確にして弔う話なのが気安く愛しやすい。復讐に関して「自己満足くらいは生むでしょ」と言い放つ、妙な前向きさ。そういう気持ちがあるんだけど、思ってたどころではない細部のフォローっぷりで、気持ちを覆されてしまった。お話が「復讐」という筋の、一歩先にいってた。
 以下、言いたいことがネタバレだけどみんなどうせ3はプレイしてるでしょ、みたいなあれ。日常を奪われた。父を殺された。それが他人への怒りを膨れあがらせる。決して許せやしない。そういうふうな感情が主な駆動因となっているアグレッシブさこそ3の特徴なんだけど、それだけに尽きないように再構成してある。怒りに任せて動く時間が、原作ゲームよりもずっと短くしてあるんだよな。ある段階を超えてからは、「前世の自分=アレッサ」が味わった苦痛の追体験や、苦しみながら抱いた祈りに触れながら、「現世の自分/ヘザー」を追いかけてくる悲しい因果に終止符を打つため、「二人」の、あるいは「三人」のあらがいにむかっていく。
 神を下ろすために人生を奪われた、サイレントヒルに妄執を刻むアレッサ。
 アレッサの写し身として魂を分けられ、サイレントヒルに消えたシェリル。
 そしてアレッサとシェリルが転生し、教団と因果に追われつづけたヘザー。
 サイレントヒルをめぐる怪異の軸にあった三人が、融けあうというよりか、ともに手をとりあうようにしてあらがっていくような作劇が好みのど真ん中(それがスゲー上手とまでは言わないけど)。ゲームと違って「自己満足くらいは生むでしょ」という台詞を使わないように会話劇が組まれてるんだけど、その点に関しても、ヘザーのなかに宿るアレッサの思いの断片とか、そういうものを思うとかなり腑に落ちる。
 全体的に脇役をフォローする独自設定が多いんだけど、そこにあってクローディアの人物像にも異なった趣が加えてあるのも良い。ヘザーの父にして1の主人公であるハリーを亡きものとした傲慢な司祭。原作だとひたすらこれに尽きると思うのだけど、単なる悪者に留まらさせない人物像がプッシュされて、なかばヒロインポジションになってる。きちんと悲しい因果のひとつになってる、というか。関係性が、いわばアレッサ×クローディアによる百合になってんだよな……。もっと正確に言えば百合のグラデーション(恋とはまた別の愛情)、シスターフッド。ささやかに描かれるエピソード、それ自体は、原作にも断片的に埋めこんではあったのだけど、補完のしかたが本当にずるい。父からの虐待で痣だらけにされながらお父さんのことが大好き、本当に、とアレッサに告げる痛ましさを、前世のフラッシュバックとして挿入してくるのとかもう。それがあることでヘザーが敵対者に抱く怒り以上の感情をもち、中盤でとあるボスキャラと対峙するところでも、ただ倒して踏破していく以上の、寂しい敵愾心を詰めこんでる。虐待されながら父を愛していた。アレッサのこともまた大事に思ってた。虐げられている人々を救いたいと願っていた。なにより、自分もまた苦しみのなかから救われたかった。そういうちょっとずつが積み重ねられ、胸に抱いてた善意が暴力と一緒に刻まれた教理によりどんどんねじ曲がって、孤独と執着が誇大妄想となってしまうのをわりと直球にやって、印象深くしてあるのは小説ならではのやりかただな。ノベライズ独自のエピソードに対応した専用の挿絵(アレッサとお祈りする幼く穏やかな横顔……)と最期のことばが用意されてるのも、ヒロインぽさ強めてた。個人的には、最期のことば――死に際にこぼれた「ごめんね、アレッサ」がことさら好き。この独自要素は作者からクローディアへの優しさであり、またひとつの、魂と物語の区切りだと思う。こうした描きかたも含め、復讐で怒りを拭うのでなく、怒りを乗り越えて「アレッサを縛りつづける呪いは終わりにする」のに注力してるなって読後感。プロットの片づけ方としては原作よりも好きで、十数年越しに感心した(レーベル終焉から数えてすら十年以上を隔てて感心するのもなんだけど)。
 文章的にはときどき表現の使いかた間違え、語彙の手綱もゆるめがち、ジュブナイル小説的な軽さの部分もあるけど、そううい難点をたやすく遠ざけてくれる。思い返すほど善いところが多い。ヘザーが怪物や怪奇現象にたちむかっていけるように、という理由付けのそれらしさ。キャラクター設定や視点、そしてゲームシステムに隙なく意味づけする演出の補完。ゲーム内テキストの引用。武器準備シーンと、それの使いっぷり。個人的に純粋なノベライズに求める段階の践みかたを満たしてる本に当たるのってはじめてで、結構アガる部分が多かった。勢い任せに無印も通販で買ったんだけど、安くてコンディション表記もダメげだったのに帯付き美品が届いて嬉しいかぎり。そのうち読む。
 July.05.2019
今年の十二月でツイッターを使いはじめてより十年、との恐るべき事実があり、まあ初心に少しだけ戻るかな〜とか思いつつ昔使ってた女囚さそり701号怨み節アイコン風のイラストをハルヨさんに依頼したのであった。唐突に。めちゃくちゃ唐突にお願いしたのに受注してくれてありがとうございました。いやもうすこぶるかわいいのでとくと見よ〜(自慢)。梶芽衣子演じるさそりの鋭い眼差しを見事にAKTizeして、オーダーの丸眼鏡もばっちし似合ってるの素敵すぎる。あとラフやってたら梶芽衣子っていうか天野月っぽくなってきた……と途中で言ってたのがちょっと面白かった(たしかにつっこさんぽさもある)。
 July.01.2019
戦争は女の顔をしていないのコミカライズにどうもいやな寒々しさを抱いてしまう。気に入らぬは見るべきでなし、と思うものの、倫理的にどうよっつうね。作家にせよ、原作にせよ各個の構成要素は好きって前提がもちろんあるのだけど、創作の叩き台とするのはまだし、直接性をもって「キャラクター化」した消費物へと変えることに危うさがつきまとっている。主観の語りを第三者が聞き書きし、それをまた新たな第三者がかわいらしさに寄った絵で視覚上に引き起こす。精錬よりか、単純化といえよう様相から剥離するものはきっと少なくなくて、それを押し通してまでのコミカライズて……という話。まだうまく言語化できてないけど。
 あとは、昨今の角川の動向も含めて考えるとイヤさが倍化するって話もある。こっちは半分こじつけだけどさ。
ウェブ拍手お返事@ドイさん。
 R.E.ハワードの母に関しては、あまりに大きすぎる心の支柱だったのだろうなと思う部分が多いですね。それを失った時点で何もかも瓦解してしまう観念、あるいは何らかの信仰に似た心地……。そういう(喪失の時点で埋めあわせの利かなさが破滅に達する)観念は自分もまた持ちあわせていまして、なんとなしのリアリティを感じ、ハワードのことを考えたときには四分の一くらいの確率でそこらに思案が志向して悲しくなったり。家族像を伝え聞かすテキストからそういうのが垣間見えると余計ですな。
祝『天外魔境』30周年! 生みの親・広井王子氏にロングインタビュー。ゲームを革命した『天外魔境』から『サクラ大戦』、そして未来へ……――また九十年代エモだ、と思いつつ読む。サクラ大戦の舞台の話から、いま展開されている物事へとつながってくるのとかマジで善き。
買ったり。
 ジョゼフ・コーネル コラージュ&モンタージュ
 注文からひと月、ついに届いた。図録とあって最初に想像していた判や装丁とは、良い意味でまったく違う本で、まず判からして一般に図録と言われて思い浮かぶB4判の大きさでなく、むしろ小説単行本風情の四六判(あるいはどちらかというと国書刊行会でなじみ深い変型判か)で驚いた。外箱にしてもしっかりした作りだし、取り出すと布張りだし。内容はもう刊行が延期されたのもまったく許せちゃうレベル。作品カタログには、会期中に作品の入れ替えがあったことで見られなかったっぽいコラージュ作品がもちろん入ってて、それだけにかぎらず開催中の会場写真、手紙類もフォローされているからその紙面の質とあわさって図鑑を思わせる趣がある。ミニチュアールな喜び……とは最近によく言及してることで、小さな本にたくさんの情報や物語が凝縮してあるとタノシーキモチなのだけど、その系統ですな。タマラ・トゥマノヴァへの手紙と、そこへの返信は何度見ても良い。モチーフとした相手からコラージュ素材の写真をもらい、どころか「でもどうか信じてね、私がいつもあなたのことを心に留めていて、あなたの創造物を喜びと感嘆をもって眺めていることを。私はそれらが大好きで、大切にしているのです」「私の誠意を信じてね。お手紙ください、私を忘れないでね」とまで言ってもらえるラブリーな関係……。これとロスコの妻、メルからの手紙を再確認できたの良かった。テキスト類としては会場で見たなかで、特に心をくすぐられただけに。論考とエッセイも楽しい。フェアフィールド・ポーターによる絵解きをはらんだ批評は楽しいし、スクラップ・ギャラリー:切りぬき美術館から引用された金井美恵子のエッセイなんかは、もうなんか読み手を酔っ払わせる要素にあふれまくってて笑ってしまった。長大な饒舌は瀧口修造宅を訪れた際のことを思い出し、箱に閉じこめられた小品たちを呼びあげ、夢見るように礼賛する。岡本想太郎による展覧会解説テキストも、伝記本が入手しがたい代わりに、コーネルを紐解いてくれてありがたいんだよな。
 惜しむらくは、作品カタログの写真がいくらかコントラストを暗めにしてあり、一部のアッサンブラージュ作品においてはディテイルが潰れ気味になってしまっている部分があることか。基本的には観賞した記憶を偲ぶもの、というような感じがする。結構テキストがコラージュしてあるのも多いから、そこらに注視できれば良いのだけど、全体を俯瞰する図が多いんだよね。ちょっともったいない。
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