▼前に更新してから半年ってマァ?
マのジなんよ。
諸々が滞ってるし月録よかお話作業したほうがよくね、書くこともマジ不調だわの一択だし、と考えてたらこのザマですわ。ワハハ。なにわろてんねん。不調は心身広範におよべども、もはや省略の域。ご新規で言いますれば、コロコロワクチン3rd接種のときに頭痛以外の副反応が全部盛りんなったり、このところひどい動悸がよくでなすったり。おおむねそんなん。
それとまあ例によってメンヘラこじれると何もできんね。
愛は心の仕事です、とは菊池桃子のアレだが……。
心がないとなんもかもダメだわな……。
▼お話のわけわからん構造について悩むのを一旦やめ、本編をちゃんと書く作業は進めているつもりなんだねェ、一応。ここ二ヶ月くらい。しかし、なかなか小説の書きかたっつうのを忘れてるもんで、いつの間にか日本語が崩れやすく、泣いたり笑ったりしちゃう。自分で見たいものを自分で作るとの性質上、納得してないとのちのちつらい気持ちになるので、あれね、適当な文章で垂れ流せないのがキチー。融通きかねー。
どうにか近いうちにお披露目できたらいいナー……ってこれ毎回言ってるな。言うのはタダの精神。でも、文章的にはわりといつもの伍藤っぽいカンジになってると思うし、ね、どうにかね……したいとはね……思ってるね……心からね……。
ってログ遡ってみたら丸一年前に来月辺りからお話しはじめてェとか言ってんじゃん! どうしようもねェな! ボケがよォ!!
ちなみに現在の進捗は……?(一五〇〇〇字……(少ねェッ!))
▼最近良かったうたみた二選。
まちゅかいの酔いどれ知らず、良すぎる……。おすましなキュートさ、甘ったるいセクシーさ、微笑みかけるクールさの使い分けが好みすぎる。というかまちゅかい、Kanaria曲との相性めっちゃいいな。いやはや、最高。ラヴ。何回も聴いてる。
茜音カンナちゃんにもハマってる。おしゃべりはものすんげー柔和でお餅みたいな口調なのに、歌ではパワーあるの良い。小中学生の頃、倖田來未の歌が結構好きだったんだけど、その気持ちを呼び起こす声質。この曲だと一桁年代にあったJPOP×和風のサウンドを彷彿とさせる音作りが、ラップを含めてきれいにフィックスしてる。いやもう、最高。ラヴ。やはり何回も聴いてる。
▼カクコトナイノヨネと言いはしても、ブルアカのことだけは書くことわりとあるな(えー)。
ちょっと前にまた区切りを迎えたエデン条約篇、非常に良かった。ちょっと駈け足気味な、言わばソシャゲであるが故の尺不足こそうかがえるけど、その戦いがたどりついた結末はかなりよかった。大団円としての爽やかな読後感はなにものにも代えがたい。
長いから折り畳んどくか……。
今回は、秘匿されし学区をむごたらしい実験場としてあつかっていた「ゲマトリア」の一柱――ベアトリーチェとの対決というお話の縦軸に対して、横軸では、自分の行為に過度な代償を払おうとする二人の女の子が描かれてた。
裏切りの代価として家族を奪われかけているサオリ。
裏切りの代価として人生を奪われかけているミカ。
二人とも自他の悪意に翻弄されながら失策り、その辻褄あわせをしようと、独りで案じ、視野狭窄しながら、仮想敵に必死の睨みを据える。その胸にはねじくれた道のりのなかで芽生えた、ゆがんだ責任感がある。それが自責に変わりゆくことで、二人は「自分がなんらかの苦痛へと堕すこと」を答えとして見いだしていく……と、いうのが第四章完結を前にしたクリフハンガーで、読んでるほうとしてはハラハラしっぱなしだった。ある戦いは自分ごと叩き壊す自傷のようで、またある戦いは誰かの傷を引き受ける自己犠牲で、幸福のなかに立つことを諦めて崩折れながら、しかしただでは倒れずに銃弾であらがうことこそが自分にふさわしい、とする盲信が悲しかった。その過程で、苦痛で棹さす子たちが交わす敵対/理解/和解も、痛々しい切なさに満ちてた。そんな、「誰か」を信じきれなくて痛みにくらみ、震えてる手に、先生が触れて、心の暗がりから連れだす展開がすごいよかった。
戻りようのない場所まで遠ざかることを否定するために、先生としての意思表明はかなり前面化されてた。ブルアカに触れはじめた頃にも感じたこと――失敗して、学んで、何かを得て、未来を描きだせるように<先生>がそこにいる――を改めてことばにして、足がかりとなれるよう敷きつめていた、というか。きみを見捨てない。騙したり、苦しませたりもしない。きみもそこにいて、一緒に笑っていられる世界がいい。だから、怖がらずに一緒に来て。そんな思いを伝える声が、こうやって子たちに寄り添えたら、というわたしの気持ちも上乗せして響いてた。
お話は、まだミカが家路についただけ。犯した罪に対する処遇や贖いについてはこれから決まっていくだろうし、きっと重ね重ねめちゃくちゃに怒られはするのだろうけど、それでも暗澹たる気持ちで滅びに浸らず、あたらしい選択をするところまでこれた。その軌跡が、こういうのを読めたら、という願いに本当に最後まで応えてくれてたな。それに、戦いの先ではサオリが率いるアリウススクワッドの子たちもひとつの答えを見つけられてたんだよね。
どこだって、これから私たちが初めて歩く道だから。
私たちの青春は、私たちだけのものだから。
――アツコ/アリウススクワッド
憎悪と苦痛で縛りつける物語は、もうここにはない。少しずつでも、苦難が多くても、信じて歩いていけるんだ。その表明が、エピローグにおけるちょっとした会話なのにホロリとしてしまう。
そんなお話のディテールとして、補習授業部が誰かの助けとなれるように動いてくれていたことも嬉しかったな。
家族同然な子たちの未来を祈り、往きて帰る道をしめす子。
心に宿す善を信じて、傷つきゆく人のたからものを守る子。
陰謀の渦中でさまざまな蹉跌を心身に食いこませ、それでも前に進んだ子たちが、いま苦しむ子たちのために想いを託す。それはもう素敵としか言いようがないよね……。
特にコハルちゃん。
コハルちゃんは、本当なら、正義実現委員会という学内執行機関に属するだけの、取るに足らない、どこにでもいるような女の子のはずだった。担当業務は押収品管理。委員会内でのあつかいは、一部の先輩からうける寵愛を別にすれば、恐らくモブ委員とさほど変わらない。人物像だってかなりへっぽこ。何分、よほど心をひらいた相手でないと大きな声をだせない。内弁慶とスケベ妄想癖がくっついて一人で発奮してしまう性格だし、その内面は、公式設定で「頭が悪い」と直截に表現されてしまうほどだった。しかも、委員会に籍をおくことがプライドを担保してたにも関わらず、頭がよくない点を利用されて補習授業部に移籍させられちゃう始末。エデン条約編第1章~第3章の「それっぽく派手なシーン」では、離れ駒みたいにされていた。
そんな普通の子が、偶然得た大事な友だちと駈け抜けることで少しずつ変わっていき、補習授業部として迎えたエンディングの彼方に、今回の話があるんよな。
チェンジ・ガール・ナウ!(岡村靖幸並感)
もちろん、なにかが変わったとしても、ストーリー上の活躍はささやかで、「銃を撃って戦って」はいなかった。ただ、いたずらに傷つけられようとしている人をかばった。魔女狩りが誰かの大事なものを焼き尽くそうとしたとき、それをひっそりと守った。喧嘩とは言え銃弾が飛び交う世界で、あまりにも些細に見える戦い。
それは、具体的な敵を相手どってはいなかった。アリウス・スクワッドに盲従をしいた観念――悪意との戦いだった。人心を人形劇のように操るベアトリーチェが好むところの曖昧な糸は、学内での事変が阻止されたにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、トリニティの生徒たちをもからめとり、集団的な振る舞いをねじれさせていた。そこにあるのは「普通であること」で自他を均す衣。それから「普通ではないもの」にむける嘲りの松明。ふたつを手にした子らの瞬間的な憎しみは空気感となって学内に漂い、普通は許せないでしょ、と言うように同調者を増やしていく。そういう普通を盾にすることを、コハルちゃんは是としなかった。それは補習授業部でともに時間をすごしたアズサちゃんが、誰かを傷つけるための空気なんて読まずにイジメっ子と戦ったのとも重なる。コハルちゃんは小心者だから拒む声こそ小さかったけど、立場や仕事ではない、自分がそうすべきと思う善意にしたがって動いた。高校に入ったのち、正義実現委員会という場に導いたであろう気持ちのひとひらが、大きな傘を広げて、礫から守ろうとした。それが、先生の気持ちとともに、ひどく痛めつけられた女の子のささえとなったのが、すごく嬉しかったんだよね……。
コハルちゃんが委員会にいたいと願う気持ちの根っこ。厳しい先輩に大事にされてる理由。そういうバックボーンの感触を、ほんのりとではあるけどお話の動きから感じられるようにしてあるのは素晴らしい。しかも、コハルちゃんの動向を通してミカの人物像をも引きだすんだから、本当にすごい。ミカ自身は不埒な性格が災いして矢面にたつことにはなったけど、それでも以前はトリニティの生徒会長の一柱ではあった。その所以というか人間的なすごみが、コハルちゃんへのちょっとした態度からうかがえる、というね。いやー、スゴ良い。善さしかないとは斯様な図を言う。
なんか、もう、いまの気持ちとしてはアレね。ミカコハ仲良しをくれ。原典も二次創作も。頼む。そんな気持ちを抱くわたしのドラムがヘビメタを熱演してる(岡村靖幸並感2)。
恋愛ではなく信頼の物語に触れたい――以前、ツイッターでそんなことば(要約だけど)を見た。わたしもまたわかる~~~~となった思いなんだけど、いまんとこ、ブルアカはこれにきっちり応えてくれてるね。フィクションとしてキモチヨクする都合上、ブルアカもまた、生徒ちゃんたちの個別ストーリーで恋愛感情に近接した感情や性的ビジュアルをつめこむ部分が多いわけだけど、個人的に、そういうのはそんな得意じゃない。けれどそれはフックであって、本筋となるお話の部分では、信じて、信じてもらうことも、たくさん描いてくれる。だからなかなか、こう、まじまじと読んじゃうんだよな。
すべてのプレイは祈りである。
コンシューマにせよソシャゲにせよ、ゲームをやるわたしの胸に常在するこの語呂合わせに、血を通わせてくれるお話なのです。だもんで、もう、泣いちゃうね。というか今回は泣きっぱなしだったな……。ほんとブルアカありがとうの気持ち。
▼ちなみに今日で終わる大運動会イベントもわりと良い感じ。
恐らく夏イベ同様に前後編構成であろうお話のうち、前編と思しき今回は、開催前夜がテーマ。「みんなが楽しい運動会にしたい」という気持ちをめぐり、また異なる信頼のかたちが描かれている。みんなのためにと仕事を抱えまって疲れてる子。運動が苦手だから大運動会そのものを中止させようと企む子。そんな子たちに、一人で抱えこみすぎないで、と告げる話。
中止を願う子たちの暗躍をみんなでがんばって阻止して、そのうえで、妨害しようとする心に刺さったトゲも抜いてみせよう、という態度はすごいよかった。運動できないせいで嘲られたという子たちでも、こう変えれば楽しめるかもしれない。そう考えて困りごとに即応するのは、学生自治によって生徒会が強い力を持つ世界観ならではの裁量とともに、悲しげな子を置いてきぼりにしたくないとの思いがでてたな。新規に追加された生徒ちゃんを活躍させる展開でありつつ、ブルアカの良さも体現してる。理想論で動いて、より良くしたいという思いを莫迦にせず、素直に実現してく。そういうところが愛らしい。
ゲームの脇にあるサービス精神にも感じ入るものがあるのだな。さまざまな学園が伍する大運動会である以上、必然的に、劇中でフォローしきれない生徒ちゃんたちはでてくる。その姿を、ドラマCD/コミック/ラノベで補完するっていうね。これは素敵な処置だと思う。しかもイベント後半戦にむけた空白期間(とわたしは勝手に信じてますが)に発送してくれるっていう心遣いよ。
サントラ第2弾の発送タイミングがえらい遅かったから戦々恐々としてたんだけど、十一日の時点で発送メールが来てて安心……。仕事あるから受け取るのは先のことになるけど……。まあそれはそれとして楽しみ。超楽しみ。
一方で、次の本筋はどのエピソードが更新されるんだろうなーとも思ったり。たぶん区切りがついてるようでついてないカルバノグの兎篇のつづきよな。こないだも新規実装生徒に兎隊のモエちゃんが入ってただけに、可能性は大きい。まあでもどの話が来ても良いなとは思ってる。ブルアカのメインストーリーは、各エピソードの要素が螺旋を描いて、からみあうことでひとつの大きな直線を描いてるから。
いまうかがえる大きな直線のむこう側に、より深い奥行きがあってくれるといいな。連邦を打ち崩すにいたった「前周」の流れを回避することは中期目標であってほしい。生徒ちゃんたちと一緒に崩壊を阻止したあと、先生がキヴォトスの地にたっている理由や意味が問われる――とか、なんかそんな長期的なうねりがあってほしいなーっつう。
▼買ったり。
本朝幻想文学縁起コンパクト版/荒俣宏
極東事変4/大上明久利
木島日記 うつろ舟/大塚英志
北神伝綺/大塚英志
北神伝綺 妹の力/大塚英志
地下出版のメディア史/大尾侑子
九段下駅 或いはナインス・ステップ・ステーション/マルカ・オールダー
怪異と遊ぶ/怪異怪談研究会
怪異猟奇ミステリー全史/風間賢二
屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理/春日武彦
平井呈一 生涯とその作品/紀田順一郎&荒俣宏
龍と勇者と配達人8/グレゴリウス山田
ひとんち/澤村伊智
完本 妖異博物館
ビバリウムで朝食を1/道満晴明
奇異譚とユートピア 近代日本驚異小説史/長山靖生
蝶と帝国/南木義隆
ゴゴゴゴーゴーゴースト1~3/蛭塚都
妖怪の誕生 超自然と怪奇的自然の存在論的歴史人類学/廣田龍平
人種主義の歴史/平野千果子
スケバンと転校生1/ふじちか
淵の王/舞城王太郎
日本近代社会史 社会集団と市場から読み解く1868-1914/松沢裕作
武士ちゃんとメンヘラくん1/豆村ケイタロウ
宿神思想と被差別部落/水本正人
大東京三十五区 亡都七事件/物集高音
余寒の怪談帖/余寒
日露戦争秘話 西郷隆盛を救出せよ/横田順彌
現代怪談考/吉田悠軌
シャーロック・ホームズとシャドウェルの影/ジェイムズ・ラヴグローヴ
ここしばらくの要所に絞って。つか自分で見返したときの利便性とダルさがぶつかって、ダルさが勝ったからリンクはもうやめですわ! 木っ端あつかいの百円本も含めて、買ったのは紙のノートに書きつけるようにしてるものね。今年入ってから。
ここんところの際立って大きな収穫は
余寒の怪談帖と
奇異譚とユートピアの二冊を買えたことかねー。
前者は怖い話配信、禍話の朗読でおなじみの怪談をまとめた同人誌。初版を逃したのが口惜しかったもんで、二版の注文はかなり大急ぎでござった。余寒さんによる静謐な語りを、かぁなっきさんの朗読が呼び起こし、聴き心地にめちゃくちゃ良いシナジーがもたらされることでおなじみの怪談帖なんだけど、これがまあ文章で読んでも楽しいのだな。怪談であり、また民俗学モチーフを用いた綺談短編/ショートショートとしての面もある。なにより好みなのが、文芸として砥いだことばで語ってるとこ。この嬉しさは実話怪談本に対して抱く、どうしても鮮やかな文章は感触は二の次となる構造である、との私的認識が関係しんだろうな。
そも、実話怪談の作法は聞き書きに近い。体験者とのコミュニケーションによる口承(語り)と語り手による再構成(騙り)が形作るもの。そうした再話行為は、文章に落としこむ際に恣意性を働かせないかぎり、小説の心地よさとは別種のものとして成立する。それはたぶん落語や講談が、文語的なものとは違う、話しことばとしての美しさを有するのと似たものなのだと思う。実話怪談の場合は、そこから修飾を削って、意図して話しことばにしている、というか。ことによってはブログ文体とも言えよう、淡々とした、あるいは軽い文章が多い。そのドライさに、現実と地続きの怖さを引きたてる面があり、またライブでの演技的な抑制/解放をしたがえればさらに映えるのだろう、空白部分がある。ただ、個人的にはその選択的な淡白さがあまりなじまんのだな。文章がこなれてない怪談作家さんだと、ドライを通り越して朴訥になっちゃうことも多いし。
んでまあ翻って怪談帖は、実話怪談の筆致を引きつつ、小説としての精度が高いのがとても好きなんよな、という話。シチュエーションとアトモスフィアに関する「描写」が濃い。ことばを操ることで、既知と未知のさかいにしがみつく、イヤな闇の色に輪郭をあたえていく。それは格調と言い換えてもいいかもしれない。お話にあうことばを選んで、読点打ち打ち、ひとつの文章で二行、三行とまたぐ文体もまた好ましいよねっつう。片方を上げるための片方を下げるみたいな良からぬ話になってしまっちったけど、まあそういう。たぶんだけど、おのれの愛着の根っこにゃ怪談のたぐいだと小泉八雲の
怪談(平井呈一訳)がもっとも好きという性状も関わっていようね。ンー。
中身に関しては、やはり好きなのが
S町の凧と
芋うに辺り。
祭り覗きや
山羊のいた家、
狂言獣、
檜舞台、
崩れ神輿なんかは、小説として体感すると幻想の味わいがしみじみとよろしいね。どの話も単に奇妙な趣だけでなく、知覚してはならないなにかを知覚したことで心が危機的状態に陥ってしまう感覚を、真っ向から叩きつけてもくれる。まあなんだね、奇想強めのイヤな、怖い話を読みたい人は絶対買ったほうがよろしい。
物理書籍はそのうち増刷されるらしいし、なんなら
電書もある故。
おまけで収録されてる未放送分、
ドッペルゲンゲルに関しては高橋洋的な魅力があるなーっていうのでまた長文書きそうになったけど、割愛。というか省略。よそで一回ダラダラと書いたし。
後者の長山本はほぼほぼ定価くらいで買えてよかったー。SFMのバックナンバー読んでて、これはまとめて記事に触れてェ~と思ったところからの、在庫切れ値段高騰といういつものやつだったから……。そういうの多い昨今。許せねェよ。まあそれはいいとして(全然よくないけど)、古めかしい様式をいまの脳で構築する、つまりはスチパン的な思考遊戯が楽しい時期はまだまだつづいてるから、こういうのは良い栄養になりますわ。
怪異猟奇ミステリー全史、
本朝幻想文学縁起、ヨコジュン先生のなんかもそう。パルプなスチーム伝奇やりたさに圧が充填されてくのはちょっと気持ちいい。ヨコジュン明治小説に関しては、ここまできたからにゃ菊花大作戦も文庫入りして欲しいとこだけど、どうなんかね。竹書房文庫の担当さんにはよろしく頼みたいところ。もはやSFでもなんでもない冒険小説だから難しいかもだけど……。やや、でもそれ言ったらセイヴィング・サイゴードンもSFではねーのだけど。
上記に近接したところでは、大塚の偽史三部作の未刊行分がスゲー勢いで刊行されてるのも良いねー。これで調子と興が乗って続編書かれるとハッピーなんですけども。ただまあ、終盤を人類補完計画みたいな、と言えるような精神世界寄りの演出で終わらせるとこに手癖っぽさがあって、そこは薄っすら引っかかってたり。
木島日記もどき開口から
八雲百怪につづいて、
木島日記うつろ舟のラスト(書き下ろし)もその傾向が強かったんだねェ。それ自体は嫌いじゃないのだけど、反復が多いとちょっとな。そもそも最初にハマったときは、事件簿モノっぽく仕分けしてくお話に恰好良さを見いだしてたわけで、だからこそ思っちゃう。いや
北神伝綺のほうはまだ読めてないから、そっちがそれだった場合はごめんなさいなんですが。どうなんだろうか。そしてああいう格好良さでやってる伝奇事件簿モノ、他にもないだろうか。まあないから中学の頃からずっとウーウーうなってるんだが。
あとあれ、
蝶と帝国の読後に残る気持ちが変で、大変心騒がしい。面白くはあったのに、心がまったく満たされなかった……。自分の魂が欲しがってた帝政ロシアにSF要素を加味して異化する感覚は、ちっともあたえられずに読み終えちゃった、というか。どうしても大蟻食御大の
天使がデジャヴュっちゃうとこもあるし。なんだろう、こう、百合を読みたくて読んだわけではなくてだな。たぶん、その、あれよ、もうちょっとジャンル的にケバいものと想像してたのかもしれないな。まあおおむね過度な、かつ角度の間違った期待が悪い。この心の隙間を埋めるものが欲しいー。えぁー。
▼好きな作家が亡くなった。齢こそわたしの母よりも上ながら、それは公人としちゃ若い範疇でもあり、病を得ていたことも知らず、だからってのは変だけどショックは余分に大きい。ずっとなにかを紡いでいらっしゃると勝手に思っていた。おのれの愛着と、ときに苦笑のむかう先でありつづけると勝手に信じていた。本当に勝手なもので。
ずっと好きだった。いつから好きでいたものか。かの人の本と出合ったのは高校時分だから、十六年前ぐらいか。全然善い読者ではいられなくて、いつか単行本で読めると踏んで最新の稿を寄せた本とて買わずにいたりして、そんな調子ではあるが、ずっと好きだった。出合いで魅了されてから、そのままここまで来たというか。
最初に手にした本が、やたら贅をつくした短篇集だったのを憶えている。美しさ、恰好良さ、忌まわしさを兼ね備えた短編が、凝りすぎて手放すのも惜しくなる装丁に包まれ、それはミニチュアの宝物庫としか言いようがなかった。わたしに幻想と怪奇の麗しさを、そして文体の愉悦をも教えてくれた本だった。美観という宝石がはじめて掌に転がりこんだのは、あの本を読んでいるときのことだと思う。そこから十六年を経て、それはいまでもわたしのポケットに入っていて、ずっと入れっぱなしなあまり傷は免れず、なのにとりだしてみると輝きは少しも損なわれてない。のぞきこむたびに死にかけの胸に搏つものがある。
得々と記すようなことではない。でも、大事にしていきます、ということだけは記しておきたい。多くの読者と同じように。
ありがとうございました。大事にしていきます。それをくれたあなたの深い眠りが、どうか、穏やかでありますように。