調整めんどくさいのであいてるカラム。
 調整めんどくさくなくなったら何かしら文章で埋まるかも。
March.11.2021
拍手にお返事。
>>HKさん
 いやいや、超長期的ほったらかしになってました。スマヌ……。そのうち新垢作って戻ってくるかもなので、関心がありましたらまたよしなに。
>>イワクギさん
 どもども、恥ずかしながら帰って参りました。シン・エヴァ、マーーーーージで面白かったですね。すごい真摯な完結編だったんじゃないかしら、あれは、本当に。もっかい観たい。絶対観る。
 新作は頭悪い路線で、どーにかがんばってきたいと思っております。たぶん連載物でございます。乞うご期待。
シン・エヴァンゲリオン劇場版見た。すごい良かったー。こういう諦めを踏破していく終劇のかたちが欲しかったんだ、と思い、見終わったあとに心から笑える最終回だったな。
 シンジくんが誰かと通じ合うことに時間をかけてくれたのはとても嬉しい。ヤマアラシのジレンマで山積してきた苦しさに決着をつけるために、「信じること」、「伝えること」、「あなたは必ずしも孤独である必要はないこと」をすごい勢いで語ってて、それはもういっそ笑ってしまうほど。もう何もしたくない。掌に何もつかめやしない。鬱々と背くシンジくんが、大事に思ってくれる誰かの気持ちを受けとることで逃避を覆し、前に進んでいく図は良い。崩壊後を生き抜こうとする人がいて、過去をなかったことにしない戦いがあって、あたらしくつむがれていく生命があって、手渡される想いのバトンがあった。独りであることの否定でもなく、もう何もかも失ってしまったのだと思わないで、と。それがあることで、許せることも許せないことも受け入れて立ち向かっていく足取りは、ことばを交わすことさえ恐れてた人にさえむかう。心に接して受け止めることさえできる。それがもう嬉しくてしかたなかった。
 見てるあいだは何度となく安堵の涙がでちゃいましたね。もう。事前に公開された約十分のアバンのあとに控えるシーンですでに一回殴られてた。たった一言の台辞だけで殴りつけられて、周りの人は申し訳ないけど鼻水すすってしまった。Qにおける絶望的な状況へのミスリードに根っからはめられてたねきみは。兎角、最後の最後まで心を引っ張ってもらえた。断絶していない、継がれていくものに震えること。繰り広げられる壮絶な戦いに息を呑むこと。すべての終わりを、寂しいけれど胸いっぱいの愛で見送ること。たっぷりと楽しませてくれてありがとう。そう言う他ない。
 エンタメとしての気持ちよさも随一。シリアスな瞬間のボケというか、とっさのしょうもない台辞まわし(超いい意味)や新規ビジュアルの展開なんかはかなり小気味良かった。レイアウトの再利用、無人在来線爆弾、Nノーチラス号vsレッドノア、惑星大戦争、さよならジュピターなどなど――さまざまなモチーフをカバー/セルフカバーしていく、ガイナ特有の楽しさも最終形態って感じの火力だったし。いい仕事です。
買ったり。
 大正箱娘 見習い記者と謎解き姫/紅玉いづき
 五月の晴れた日/小松左京
 恐怖の構造/平山夢明
 明治の炎 「警察手眼」の世界/武藤誠
 大衆新聞がつくる明治の「日本」/山田俊治
 妖魔逢ヶ刻 異形ミュージアム1 時間怪談傑作選/アンソロジー
 各所を偵察しては中古でしか買えん本をかき集めてる。アマゾンマケプレがゴミと化した分、手と足で稼がにゃなんも手に入んないご時世になったと痛感することマジ多い。ただまあウロウロしてるだけで釣果はでるので心持ちはよございます。ブコフでたまの犬の約束を安く買えたのとかテンション上がったし。
まだまだホラー、民俗学、明治期に意識がむいたままだったりする。と、言いますのも、スチパン志向しすぎた影響ですな。和ブラをやって以来、「未来そのもの」が舞台で恰好良いものは他人に任せて、過去の織りめに「未来の断片」を挟んで異相を探そう、と考えてることのが多い。もしかすると、未来が持つ機能をぶっこむことで歪曲させた過去のほうが、自分好みの変テコな図を拝みやすいじゃないか、なんて。開化を早回しされる都が、奇妙に肥大して外形化された人意や、怪物の血が宿して燈明の光が強まるほどに深くなる闇にまみれる――そういったアレに、より一層、心はめぐってゆく。畢竟、わたしの趣味性はだいたい奇矯さ(ビザール)美しさ(エステティク)に集約されるので、サイパンから横ズレしてこうなるのはむべなるかなってアレではありますわね。
 フツーに超伝奇やる以外に、ヨコジュン先生的な方向でも楽しさ、カッコヨサを探求していけたらいいなー。これからの自分スタイルとして。そんなものがある、と仮定して。
無駄話を聞いてるのがすごい好きっぽい。ここのところはにじさんじ周辺の雑談とスチャの配信/動画をよく流してて、そんなかで腑に落ちてきた。深夜のファミレスでだらだら話すみたいな、そういうのが楽しいし特に好きって。元々、よく聴いてたラジオもコーナーやリスナーメールへの反応よりか、パーソナリティのフリートークで日常のことやバカバカしい思案に耳を傾けるほうが好きだったしな。
 スチャのトーク動画は本当に素晴らしい。日々やってるだべりを録画しただけですけどねーってスタンスで関心あることをおしゃべりしてる。それだけで楽しい。ずっとつづけてほしい。それと、もういっこは企画が前提になってはいるけど、花畑チャイカ/椎名唯華/卯月コウ/ジョー・力一の四人でやってた大喜利勉強会とか深夜ファミレス感が濃く、ゆるい笑いが気持ちいい。

 ちなみにコーナーやメールレスポンスが好きでないかっつーとそうでもなく、伊集院光の深夜の馬鹿力やふかわりょうのロケットマンショーはどちらの要素もめっちゃオモロだったな、と思い返したり。珍言妄言系。
March.6.2021
死んどった。半年。いや半年以上なのよもはや。特に何かしてたでもない。文章は書けず、極端に寝まくったり寝られなくなりまくり、寝てるときは十六、七時間とかスイッチ切ったように寝て脱水症状起こす始末だから、虚無の海を漂泊してる感じでござった。パッと見の字面が不穏なれど、死んどったと称してジャスト。そうは言えど夜の底を徘徊する日もたまにはあり、なんだ元気じゃん、と思わんでもなかったんだけど、よく考えりゃ負の気持ちが背に寄っかかって押されるがままだったし元気からほど遠い。一等に人間的だったのは古本クリーニングしとるときかも。汚れを落とす、という浄めの表徴。あと鈴原るるちゃん眺めてるときか。去年の十月かそこら、るるちゃんが体調不良でお休みして、ロアちゃんの件も重なったときは情動の溶けっぷりが半端ではなかった。その後、るるちゃんは復調して、ロアちゃんも今年に入ってからにじさんじ内企画に少しずつ関わってるとわかってすごい安心した。誰かの安寧を祈ることしかできない心細さはたまったもんじゃございませんわな。
 とまれ、まー十年分の記憶が削れたダメージは想像以上ですわ。なんせここ数年は心ウンニョリで記憶力に難があり、意識がそこそこ不鮮明で、と、ヘッポコを積み重ねたため思いだせんことは多く、だからツイターは記憶装置と化してた。それはまた他とのつながりを維持するリンクでもあったし。脳みその一部を失くした気分はなおつづく。いやー、意地はらずさっさと見切りつけて新垢作りゃよかったのにね。あんなクソ脆弱なサービスに心情を委託せず。初手がアカンわホント。
 まーまー、そーゆーアレのコレでしたとさ。いままだグッタリかはわからんし、そうじゃなきゃないが良しなのでとりもあえずの過去形。兎角、そういう生活のまずさというか、二度と戻れんほど遠くまで流れちゃう予感がして、あんま虚しい末路も勘弁ねってアレでチンタラうごめく次第。無理してでも一度動いとこって目論見をたててから動くまでのラグ、それを言語化する一文、ともに長すぎる。脳のこんがらがり加減を描出しとんの?
 目的なしには木偶もいいとこの性分なので、まず小説書いて頭の体操しようか、気軽に、と企図しとります。形になるかの不安はあれど。全部うっちゃってバックレようや……とささやくネガと一緒に漂う日々だったもんで、でっかな不安はあり申す。悪あがきもしたいけどね。イメージボードみたいなんを思いついたが最後、楽しげに思え、物語としての実体を楽しみてー気持ちを否めんくなる性分でもございますしね。少なくとも、前はそんなだったはず。昨年の和ブラ本もその一例。なんで、まあ、ずっと案じてるお話――近代血河考(この話ツイッターにしか書いてねぇか)と別に、超伝奇を画策しているでごぜーます。 まー、例によって一・五次創作風情。
 舞台は一九八四年の日本。
 一九五四年を契機に変転してより三十年後。
 合衆国特務・M機関とか、スパイと兵隊のハイブリッドたる特防自衛隊戦調班とか、暴力組織がワチャワチャしてる闘争に、さまよえる人が巻きこまれてテンヤワンヤ。
 そーゆーノータリンなの。
 まー実際の内容がどうなるかはサッパリ。なんせ菊地秀行スタイルの向こう見ずでプロット作成してるだけに……。とりあえずしょーもないことで脳を賦活いたして、うまいことデスみのあるショボクレをいなし、どーにかしたいとは思っとります。しらんけど。
るるちゃん、YouTube配信での枠取りがうまくいかなかったりなんだりでまたちょっとお休みしてるけど、今回はそんなに心配はしていない。フェスの楽屋が寒くてスクワット(暖機運転?)してたって裏話を誰かがしてたってな風聞はかなり笑った。どこの配信で言ってたんだそれ……。聞きたい……。ふたばのスレで見ただけなので裏取りはしていない……。
二月いっぱいで忍者アナライズがサ終してた。普通のアクセス解析にしてみたものの、タグを改めようとするとげに面倒なもんでございますね、マジで。延々と設定してたら頭痛くなった。つか忍者カウンターも終わっとるし。こっちは自分で使ってなかったにしろ、個人サイト/ブログ文化を飾ってた一面だから、ウェブ2.0とか言うてた時代も遠くなりけりと感じちゃってヤーね。わたしがネットでよく遊ぶようになった頃、あっちゃこっちゃに転がってたもんな。あのカウンター。スケベイラストサイトをめちゃ巡回してた頃の記憶が思いでが沸騰する。
消えたり衰えたりはよそにかぎらず、自分もそんながこんな。この一年で白髪と生傷と頭痛が増え、視力も衰微とのありさま。視力はそろそろまずい。よく見えんで眼をすがめることが多い。四、五〇センチ先でさえ焦点がズレがちだし、あるいはスマホ老眼も兼ねてるかもしれん。そろそろ眼鏡買いたいな……と昨年末辺りから焦りを転がしはしても、いまにいたってもタイミングを逸しつづけてるし、さていつ買えるものか。他人事やめろ。さっさと買え。いっそ丸眼鏡でも買ってグラスコード引っ掛けようかな。胡散臭い大人になりたい。いい大人が言うようなことではないが。
眼鏡ほったらかす一方でPS5購入貯金は完了させ、しかしいまだ予約できる兆しとてない。果たしてバイオ発売までに買えるかしら。できれば早めに買って猶予期間でサイパン辺りを遊んどきたかったけど、悠長すぎたかもな。もろもろなんだかねぇって話です。本体転売の煽りを食らい、ローンチがショボめなラインナップなのを別にしても低迷してると聞くし。
シン・エヴァの公開初日チケットを予約した。居場所を、信じられる誰かを見つけられない人の物語が終わる瞬間にちゃんと立ち会えたらいいな。エヴァQの終盤でカヲルくんが言ったように。正負問わず影響を受けつづけ、いままだ好きでありつづけている人として、心底からそう願ってしまうものです。四半世紀も眺めてるとなれば思いはいや増すばかり。
 と書いてて、昔、それこそ中学生くらいの頃だったかな、何かで読んだ大塚英志だか誰だかの90sテキストのなかの情景を思いだした。筆者が池袋(だったか?)の劇場で旧劇エヴァを見終わったときに眼にした、寄る辺ない様子の女子高生。それはわたしのなかで、触れたようでさほど触れていない、九〇年代後半をかたどるイメージのひとつになっている。胸のなかにそれが残っているからか、二十年以上を経ていまだ遠のききった感じがしない、寂しさの時代から生まれたものに、どうか、穏やかな結末があるように、と余計に思っちゃうのかもしれない。
読んだり。
 買ったり……も書きたいところだけど、書きだすとキリないし省略。十代以来のホラーブームが来てるから、メインで買ってるのはそーゆーの。
 とりあえず、心からなんか書いとかないとって思った本は、まずエイダン・トルーヘンの七人の暗殺者か。お下品テクノファンタジー犯罪小説。個人的にヒーローあつかいしてる男――ニック・ハーカウェイ兄貴(以下ハニキ)の変名とされる作家の珍妙な一撃に触れられたのは嬉しかった。内容自体はハニキ得意のテンプレにしたがっとる、と断言してよく、だいぶ肩の力を抜いて書いたのがうかがえてこっちも脱力しちゃうよーなしょーもなさにあふれつつも、ドライブ感で突き抜けてく作風だった。
 世の裏に跋扈する狂った人種。
 突然巻きこまれる途方なき戦い。
 ヘンテコ極まる劇中闇産業の数々。
 大変トチ狂ったヒロインとの出会い。
 そして大団円にむけて突っ走るバトル。
 いつもよか一層下品で暴力的なレトリックに包まれ、しかし皮下にあるものは全部おなじみってのが変名らしさにあふれてた。元コーヒー・トレーダーのホワイトカラー気取り四十代コカイン・ディーラー(CV.山寺宏一感)という主人公もそう。縄張り意識が強く、意地も張りまくり、自分の生活圏を荒らした暗殺者セレブ集団相手に、邪智暴虐こみこみの策略で立ち回って、周辺の人間も振り回そうとする人……という多弁で強気な造形は、ガワの雰囲気が全然違う。けど、マジなとこはさほどサイコでもない。吹っ切れたいけど、吹っ切れきれてない。中身はヘッポコ人種だから、読み進むとハニキ作品読者としての親しみがある。弱みを残す男が一線超えて彼岸に渡ろうとする辺りでクレバーでセクシーな女子(手癖)の肩を借りるとことか、もうモロもモロ。それに突然登場する異常な出自の集団や、プレイ内容が特殊で笑っちゃうセックスなんかもモロ。訳を担当してるのだって「世界が終わってしまったあとの世界で」と「エンジェルメイカー」の黒原さんでなく三角和代さんながら、語りたがりで、オフビートで、やけに衒学的で、アホで、ちょっとエモく、あ、この構文は……と思わされたものな。原文はとうとうと語るようだけど、三角さんが読みやすく読点を加えたことで、よりハニキっぽさは感じやすい。もう、うるさい。超うるさい。正直、わたしを過度に信用してくれる人以外、誰一人にだって薦められやしねぇなこんな本。そういうのではあるんだけど、そりゃ、まあ、もう、マーーージ良かった。こういうエーカゲンで莫迦ッ面で特定の人間にだけ愉快な話を、鼻歌フンフン歌うような調子で書けるオトナは恰好良い。そう思っちゃう。もっとも、あ、ここそんな興味ないんで……とばかりに、暗殺者と戦ったりブッ殺したりするシーンのディテールは省略気味で、そこはもったいない。どこまでも主人公完全一人称で展開してくから、眼からこぼれたらどうでもいいこととして省かれてく。いや、でもめちゃくちゃ無惨な方法で敵を殺したり、身体を損壊したりするシーンはディテールそこそこあったな……。やっぱろくでもない。
 ちなみに変名ってのは訳者による記述だけが根拠なわけでもない。正味、ハニキのツイターで検索かけると過去に隠す気のない宣伝をしてんだもの。本人でほぼ確定だろうな。これがハニキでなかったら自分をハニキと思いこむキ印で間違いなし。つーかイギリスにこんなわけわからんものを書く人がそうポンポンと何人も居座ってたら怖い……。
 仕事場でよく話す常連さんと貸しっこして、波よ聞いてくれと引き換えに読んだトクサツガガガが超ベリベリ(死語というか古墳語)すごくよかった。おたく生活あるある漫画としての「愛着」をとりまくキラメキ/ドンヨリだけでなく、他人との関係の描きかたもラブリーだったな。陽の人生を生きてる同僚。趣味の共通項でつながるとは思わなかったような人々。大人になってからできたずっと付き合ってける大事な友人たち。圧を感じてしまい苦手な母親。それぞれと通じあったり、価値観をちょっとずつすりあわせたり、思っくそ体当りしたりで生きていくチャンネー、仲村さんの眼差しと生活、そして自己正当化がとても楽しい。そっちに気分ブン曲げたほうが楽しいもん、嬉しいもん、心に届くもん――と、いうような勢いがラブリーなのな。
 それを描いてく上での他人との距離には凪のお暇と似た心地よさ、苦みがあって、お話の本筋となるお母さんとの関係もそう。仲村さんは特撮/かっこいいが好きで、お母さんはかわいいものが好き。「好き」を大事にしたい。なのに好きなものを好きである自分のありかたは隠蔽して、縛りつけてくる価値観をうまくいなさなきゃならず、そのたびに頭を抱えちゃう。劇中では幾度かいなすエピソードを経たあと、いなしきれずに突き放してしまう……んだけど、そこで切り離して終わりにしてしまわない。そういう明るい熱っぽさが読んでて愛おしいし、自分の倫理観的にもあう。
 分離しきれてないものも、壊れてしまっているところも、わりきれない思いも、いまの「わたし」と「あなた」として定義し直す。それが後半の山場として描かれ、その先にも、付き合っていく関係が待っているのよかった。今更なんかじゃない。これから。まだ手が届くところにいる人とのありかたを妥協ですませたくない。大事にしてる特撮番組や友達からうけとった勇気を握りしめてたちむかい、もちろん、そこにはおたくかつヘッポコ人間としての打算や笑いなんかも含んでいる。その熱量としょうもなさの加減が楽しくて、嬉しい。こと十七巻でいきつく、一緒の場所で、一緒の時間をすごそうとする仲村さんとお母さんの姿は、劇中屈指の胸がギューッてなるポイントだったな。
「あなたのしたかったことの代わりなんて私やりたくないけど、したいことも欲しいものもあるなら、付き合えるよ」
 この仲村さんの台詞からつづいていくシーンでの、
「もっと、あっちも見ていい?」
 と、いうお母さんのことばや、提示されること――外れる枷は最初のひとつだけど、そのひとつから変わっていくんだって情景がとても素敵だった。ここは読んでるうちに、なんか具合良くしなるゴムの棒で横っ面を叩かれたのかってくらい泣いちゃった。仲間と一緒に歩む時間があって、お母さんがひとり親として一人で戦ってきたことを理解して、それを踏まえての展開だものな。何年か前に、自分自身、母との関係を定義し直したってのも読み心地に影響してるんかもしれん。すれ違ったまま、ゆるやかに拒んできた対話をちゃんとやる実感が、ああいう演出に弱くしててわれながら笑ってしまう。
 男女問わず、登場する人々がみんなかわいいのも素晴らしいな。作劇のテンションが東村アキコ的というか、ハイテンションで毒舌なとこもあるけど、本音と建前でやりあう姿が、年齢とか関係なしにおたがい楽しくあれる対等な感じで、なんだかんだみんな人がいい。あなたといると楽しいということ。そういうのに忌憚のない造形が好きっぽい、行き着くところ。単純に北代さん――眼つき悪くて無愛想だけどホントは熱くてヤバい三十代眼鏡女性というキャラ造形を長きに渡りやってくれてるってのも最高。カラオケ行くときにコールとかガチで憶えてきてくれたり、変な遊びに本気で付き合ってくれたり、かと思えば泥棒猫ムーブかましてくれたり、劇中でいちばんかわいいですありがとう……。
 劇中劇も忘れちゃいかんよな。おたくの妄想というか、こういう設定や画作りって超興奮しちゃうじゃんね……との気持ちが満載されたパロディ番組の造形がみっしりなんですね。それはお話の主軸として絡む戦隊シリーズだけにかぎらず、深夜特撮「現代妖怪血風録 白狐丸」なんかもーかなりクる。現実におけるライオン丸Gから色彩を借り受け、ガメつくゲスい主人公が繰り広げるグロめなバトルや、とがった造形は、断片的ながら魅力的よな。なんだろう、ディテール面での細やかさも含め、なにかを愛して慈しむことへの力がマジすごかったな。価値観の各所が刺さる。借りるだけですまさず、自前で単行本集めたし。冊数多いけど。全二十巻……。
 アナリー・ニューイッツのタイムラインの殺人者も捨て置けないくらいにスゲー良かったな。SF小説で読む勢いが止まらず一気読みと相成ったのは、だいいいいぶ久々。
 二〇二二年を軸として、タイムマシン閉鎖を目論むクソ男と戦う四十代。
 一九九二年のどん底で、クソな田舎と呪いのなかを生き延びていく十代。
 それらふたつの時系列で女たちの人生がつながりあい、抑圧して踏みつける時代のうねりを押しのけていく、というお話。四十代サイドの主人公であるテスは、特定の権利(ネタバレでもないけど未読で興味ある人がいたら気は削ぎかねんからボカす)が違法化されてることで女性が抑圧された現状を、歴史編集で変えようと動く、「ハリエットの娘たち」なる学者の寄り合い秘密結社に属してる。それが悪意ある編集を目論む連中と遇するところから、お話は幕を開ける。その連中、「コムストック信奉者」と呼ばれる行動集団の狙いは女という性を生殖装置としつづけることにあり、それを不変のものにしようと、古代から存在する時空転移謎オブジェクトを壊そうとしていた。テスは、誰かをクソ溜めで踏みつけにしようとする家父長制的ゲス野郎たちに怒り、あらがい、なにより「大事なもの」を取り戻すために戦っていく。
 お話の全体を通して、性差別や女性側からの生殖の権利があつかわれるのだけど、その切実さったらないのよな。原著がアメリカで刊行されたのは一九年の九月末。タイミングとしては、ジョージア州では人工妊娠中絶が法的に禁止化される、というクソみたいなことが起きたあとだった。同様の法を成立させたのはジョージアだけじゃない。南部周辺のミズーリやらアラバマやらといった、保守的な州のいくつかがこれに列した。そして、連邦地裁が違憲ではないかと指摘して施行差し止めをおこなったのは、刊行直後、十月のこと。宗教性と、さまざまなかたちで浴びせかける差別性。これを帯びたものとの戦いはずっとつづいてて、一九世紀における妊娠中絶規制や、ロー対ウェイド事件、それに日本/アメリカという距離的言語的隔絶が簡単には見えないようにしている無数の戦いがある。抑圧者との戦いに勝ったとしても、なお戦いつづけなきゃいけない――劇中で語られる、歴史にへばりつく悪意をキックする行為は現実と通底してて、怒りに力強い実体をあたえてる。
 十代サイドの主人公、ベスの物語には、そういった悪意がことさら多く降りかかる。テスが払いのけようとする側なら、ベスは押し潰されそうになる側だから。環境による暴力もそうだし、精神的に破綻している父親による有形無形の暴力もそう。ンモー、クソ男キャラは何人も登場するのだけど、この父親の造形がずば抜けてきっしょい。頻繁に家庭内ルールを変えてベスを拘束するとともに、攻撃する理由を作りつづける、どうにかした男。これは「編集で世界が変わる」という劇中ルールに対応した図だと思うんだけど、それにおびえ、機嫌をうかがい、逃げ延びていかなければならない作劇には本当に息がつまる。ベスには戦う手段がない。ゲームで言えば逃げゲー。つらい。それでも先へ、先へと読んでしまう。
 層をなすそれらの要素は、人によっては重たげな印象を抱かせることもあるようだけど、実際のとこ、読み心地がどうかというと全然悪くなかった。なにせスリリングにして軽やかに、時を駆ける戦いが勢いを削ぐことはない。修正の結果に巻かれる状況や錯誤を起こさせる仕掛け。怒りや諦念に追いかけられて揺らぐノワール風の黒い情動。パンク・ロックやZINE文化といったカウンターカルチャー。いろんなものを織りあわせて、しかつめらしく腕組して立ち止まらずにブーツの底で街場を鳴らして突き進む心地がある。それが不格好にならず、「新世代タイムトラベルSF」と粗筋で称するにふさわしい。
 突き進んだむこうで、出会った人々とつながっていくのも楽しいしな。テスの主だった戦いは、女性抑圧や権利剥奪にいたる歴史の重要ポイント――十九世紀末のシカゴを舞台としている。ここで出会うのはダンサーやジャーナリスト、さらには遠い未来やってきたトラベラーといった女たちで、一人一人とつながりあい、つながりをよりあわせて綱にしていく。劇中では善し悪し不問で歴史の大きなイベントは変化させられないとされている……んだけど、集団行動で覆そうとする。歴史のくさびとなって押さえつける悪意に綱を引っかけ、抜き取ろうとするわけですね。そうして後半でたどりつく、テス一人ではない、大勢でのどんちゃん騒ぎのくだりは超ご機嫌。
 そうした話の一方で、テスが編集にたずさわる理由をめぐって抱く悔恨、祈りはすげー苦い。失くしたもの。それを帳消しにすることへの執着がずっと心底にあるからこその痛みというか。これを言うとほぼネタバレ同然だけど、自分を世界に引き止めていた引力が斥力に変わってしまったとき、それがたてる軋み音のキッツいこと。何かを大事に思う気持ちそのものに刃をたてられる行き場のなさは、なにとも比べがたい悲しさで胸に響く。時間SFとしてのひと筋縄でいかなさをシスターフッドのなかで引きずるの、好ましいのだわね。
 派手かっつうとそうでもないんだけど、総じて好みの塊みたいな本だったな。劇中で語られるタイムマシンとか関連設定とかも好きであるわ。
あいも変わらず好きなキャラの傾向がわかりやすすぎる。映像研の金森氏。違国日記の槙生ちゃん。呪術廻戦の真希ちゃん。そして、トクサツガガガの北代さん。一貫性のある好みで生きているなと思うことこのうえなし。
告知とかやるようなツイッター垢もそのうち取得せにゃだな。いかんせん、同人誌もそこそこ売れ残っておりますので……。
return top