▼拍手にお返事。
>>HKさん
拍手コメ見落としてました、マジ申し訳ねぇ……。まあ動くタイミング見失ったのアホタレやんなってのに尽きる話なので、心痛み損てなもんですね。うーわ莫ッ迦でーと思っといてください。誰が莫迦だてめぇこの野郎容赦しねぇぞ。いやわたしか……莫迦……(そうだよ……)。
>>pan_tarohさん
オッスオッス、お久しぶりです。
依談いいすよねー。個人的には「攀縁」がお気に入りですわ。洒落怖の怖さや既存作品が持つ構造のリソース化。民俗学的なネタを散りばめて断片状にしたお話と、その配列。純粋に民俗ホラー短編として恰好良くうまい。と思いきや、穏やかな作法を突然かなぐり捨て、やっぱネットで遊んできた人ならこうよね~的な露骨でイヤなジャンプスケアを仕掛けてくるとこも好きです。「しんに」の隠しメッセージなんかもそうですよね。笑う。
ちなみにSPCはクソダサミスタイプですわ……。直しておいたから許しておくんなさい……。
▼ということで五月中の更新にギリ間にあっ……てなあああああい!! 油断するとバリクソ放置しがちですね貴様。しがちです。
特に何か進捗があったというもんでもないんだけど(お話作業はいまプロット調整で七万五千字くらい)、とりあえず
ツイの新垢をヒッソリ用意した。運用方針も何も決めてないから当面はリゼるる観測アカウントっぽい見かけだと思うけど、必要があればそっちでなんかつぶやくかもです。てかいま見るとbioの字面が物騒なせいでvt愚痴垢っぽく見えてちょい怖いな……。直さんけど。面倒くさいから。基本的には推し全肯定botだからイヤなファンやアンチ以外について愚痴ることはない。ないのよ。
あとはあれだ、いまだプレッテ5を買えてない昨今です。バイオ村もソフトだけ届いたら悲哀過去最高値で泣きライオットしちゃうからキャンセルした。つか買えんどころか、つべくんの無作法が炸裂してオススメにスンゲー量のネタバレ動画が表示されちゃって、もう、死を感じましたねェッ。にじさんじ周辺のアーカイブ見るのに毎日使うから感じざるを得ない。リリースから半日せずに隠し要素まで丸出しで、しかもそれを雑に投げつけるの最悪。いくらバイオシリーズのデータ解析動画やmodを見てたとはいえ。断片をもてあそぶのとネタバレを眼前にバーンッて突きつけられるの別なんよ。ここ一年ちょっとのつべくんはホントダメ。空気読まずにつまらんこと言っては面白い人アピールしてくる人風情の挙動。許せねぇよなァ!
許せるのは推しのバイオ村配信だけだよ……。買えたら買うけど、それはそれとしてるるちゃんとまちゅかいの配信を眺めるかたちで楽しんじゃったよ……。
▼まあ可処分時間の大半でにじさんじの配信アーカイブを流してるわけです。ここ最近だとるるちゃんとまちゅかいの新衣装お披露目がホオオオオオオオオオオントよかった。二人とも新衣装/髪型/小物がバリエーション豊富で、まだある、まだまだある、と見てて眼を白黒しちゃった。
るるちゃんは原宿っぽいゲーミング衣装に含まれた、どこかスゥお姉ちゃんを思わせる造形が良かったな。あれは気持ち揺さぶらいでか。魂を継いで戦ってく、深淵歩きの魂流々に相応しき造形であることよ。なにより眼鏡好きおたくとしましては、眼鏡も用意してくれてたさいねさんへの感謝の気持ちが濃厚。ボーイッシュさが全面にでた短めなショートカットで眼鏡かけたるるちゃんとか、もう、さァ……(絶句そして噛み締めた歯の間から血を流して絶命)。もうiPhoneがスクショだらけなんよ。
まちゅかいもまたデフォの衣装と違う趣で、軍服風、メイドさんと待ちに待った初の新衣装だけあるかわいさ。るるちゃんもだけど、複層化して組み合わせ次第で印象がまったく変わるデザインになってるの善き。小道具もフル武装で、持ってると森薫チックなランタン、お眼々グリングリンな黒猫ちゃんとどちらもファンタジックカワイイ……。黒猫ちゃん抱えてる姿良すぎなのよ。しかもボブカット(部分的に編み込み)だとおしゃまさんな表情も映えまくりなのよ。あんた。いやホントiPhoneがスクショだらけなんよ。
▼七人の暗殺者の解説の記述に乗っかってエイダン・トルーエン=ニック・ハーカウェイで間違いなし、と書いてから二ヶ月。ハーカウェイ兄貴、先日フツーに別人格だわよってゲロっててだいぶ笑った。ネタばらしにたどりつくの早かったな。しかも
トルーエン×ハーカウェイ対談の途中で。
兄貴の次作はいつになったら翻訳されますかね。ずっと待ってます……。タイガーマンもグノモンも……。いや、トルーエン名義の本が刊行されたからロスは多少埋まったし、いつもの作風にしたって大冊かつ訳しづらい感じだってのはわかってるんだけど。原文からして迷宮みたいに入り組んだ文体、と言われてるのどっかで見かけたもんな。でもあれが好き。好きすぎて真似してたら自分でもナンジャコリャって文章を書くようになってしまった人生です。そして、続刊待ってます……。
▼四月から五月にかけてはNetflixで映画版のドラえもんとクレヨンしんちゃんをちょっとずつ見てた。あれ映像エンタメ二本柱だったな。マジで。いやゴジラS.P.も見てんだけど。しかもドラえもんも配信されてると気づいたのが遅くて、結局のところ、配信終了までに見終わらなかったけど……。そうは言っても配信されてなきゃ見るタイミングをずっと逸してたわけで、期間限定とはいえ、げにありがたきは供給力。
そも、クレしんは本郷/原両監督期がどれも好きだった。モスト善きはブタのヒヅメ大作戦で、原恵一や湯浅政明のテイストとなれば、いまにいたるまでモロ好みに影響をあたえてくれてるのだけど、一桁年代の原監督離脱以降から十年代となるとこれがまるで見てない。そこで以前より友だちに薦められてたヤキニクロードを見たんだけど、奇妙なグルーブ感が面白くってもう。ここ何年かつらつら考えてた「こーゆージュブナイル物触れたし」との視点に触れるものがあったから、これをアリアドネの糸として、配信されてると偶然気づいたドラえもんにも食指を伸ばした……というのが事の次第。映画ドラえもんも昔はそこそこ見て関心を抱いてたわけで、そこに作画厨時分に
のび太の恐竜2006の予告からうけた作画スゲそーな印象が重なった。んで、ちょっと前に予告を見て気にしてた作品から順にちょっとずつ触れはじめた。本題はドラえもんなんすよ。
のび太の月面探査記
のび太の新・日本誕生
のび太の南極カチコチ大冒険
のび太の宇宙英雄記
のび太の恐竜2006
のび太の新魔界大冒険
のび太の緑の巨人伝
新・のび太の大魔境
新・のび太と鉄人兵団
のび太のひみつ道具博物館
結果として、見れたのはこのあたり。楠葉宏三(第二期ドラえもん総監督)の二作品もマストかなとは思えど、体調崩してずっと寝床に臥せってたり、るるちゃんの配信をリアルタイムで追ったりしてたら配信終わってた。粗忽であることよ。ともあれ、見た作品はお話の作りや出来に好き嫌いはあるもののだいたいは楽しかった。
一発めに見た月面探査記は飛び抜けて好きな一本になったな。かぐや姫伝説をモチーフとして、月を舞台に描くボーイ・ミーツ・ボーイ。遠くから訪った子と仲良くなることで非日常の戦いに巻きこまれる構成は王道で、それでいて心の距離の作りかたが(他の作品と見比べるともう何歩分か)ていねいだった。月にかかわるモチーフを各所にあしらうことによる作品独特の重力もまた好ましい。ゲストキャラのルカが空き地に現れるシーンで月見草を挿入するレイアウトや、月の描写を経由して心情描写を強化するシーンなど、意匠性に富んでるのよな。それはまた、舞台としてのあつかいとあわせて月に抱きがちな郷愁(二〇世紀の記録写真や映像やはたまた平沢の「ヴァーチャル・ラビット」や筋少の「少女の王国」を経由したノスタルジア)をちょっとずつ刺激してもくれた。荒涼とした静謐の奥行きを行く探査ロボットがとらえた何らかの異物――という冒頭からして、非日常の予感をあたえてくれる。
そしてまあ、ルカ(皆川純子声エスパーショタ……)の造形や振る舞いがかわいくってしゃーないのですわ。クレしんだったらボーイ・ミーツ・ボーイと見せかけてボーイ・ミーツ・ガールでした、となりそうな風合い。もちろん、心の琴線バチ殴りにするのはラブリーなビジュアルだけじゃない。偶発的とはいえ不死と異能を秘めて生みだされたために生みの親と別離し、果てしない時間のなかを、それでも素直な気持ちのままで生きてきた子。その子が他者感覚とて薄れるほど長く一緒に過ごしてきた兄弟とのコミュニティを離れ、地球でのび太と出会う。ちょっと遠巻きなところから、のび太と意気投合して、友だちになるまでの過程がまたラブリーでいじらしいこと。「友達が悲しい時には自分も悲しいし、嬉しい時は一緒に喜ぶ。ただ友達っていうそれだけ、助けていい理由にだってなるんだ」――月面ドライブのシーンでのび太が語ることばは、孤独な魂に熱を分け与える。そうして友だちになれたあとで折り返し地点として訪れる、ルカにとって二度めの別離が、また切なくてたまらない。ただの一歩で、どこでもドア越しに遠く隔てられる彼我の距離。しかも、今度は自分が大事な人を彼方へ送りだす側となってしまうという。そしてそれは地つづきだった日常としての東京、非日常としての荒涼たる月の距離感が決定的に変わり、危険をともなった冒険の契機にもなる。ここから描かれるシーンはジュブナイル物として最高だった。友だちを助けるべく月へむかう支度をして、家を抜けだし、あるいは不安に包まれて二の足を踏み、夜の街を行く子どもたち。そういう強い気持ちで非日常に駈けていく光景に胸が高鳴ってしまうのよもう。暴れに行く後半へのつなぎかたが本当に好き。
お話の根幹にまつわる道具「異説クラブメンバーズバッジ」により、
視差や認識の被覆を生じさせるのも、構造をわかりにくくしてはいるけど面白い。薄っすら不評っぽい要素だけど、恐らくガジェットの効果射程が不明瞭なせいよな。道具固有の設定が魔法同然の曖昧な枠組みしかない世界観で、いくらか具体性のある論理が生じると、頭のなかで適宜整理していくのが難しくなる、というか。個人的には、想像力による観測から局在的な世界分岐を作りだして、基底現実(人間が認識しているこの次元)に道具を通してのみ認識できるかたちで貼りあわせてるのかな、と考えてる。いや適当だけど。どうとらえても難しいっす。とはいえそこを整理したうえでたどりつくラストは代えがたい。
そうした視聴感覚をささえてくれてたのが、脳内にあった大山のぶ代期とのギャップだった。序盤からして日常空間(自宅や学校)や演技の取り扱いでリアリティラインを構成して、画面内におけるモチーフの連携を強く感じさせる。ていねいな美術と画面レイアウトのどちらも、カメラがとらえる視点を適度に感じさせつつ、「特別なことが起きる予感」を作りだす。人物の振る舞いや演技は、小話の都合が働く「ドラえもんとしての一連の流れ」よか、日常から飛びだしていくドラマとしての面が強い。「いま作られる劇場アニメ」としての強靭さ。あくまで子ども向け想定である長寿TVシリーズの劇場版という規範のなかで、演出の違いが作る高低差には感心しちゃった。前提に沿うならスケールと作画精度をあげるのが順当な作法である……と思うし、そうした作品も多いけど、同時に「映画」をやろうとしてる作品も並立し得るのな。そこらの風合いの違いを比べてくのも楽しかった。
月面探査記の演出自体はテレ朝第2期シリーズが成熟した先のバリエーションかと思って見てたんだけど、全然違うのね。後回しにしちゃってた恐竜2006(第二期としては初の劇場作品)には偏見をたしなめられちゃった。恐竜2006の時点で、枠組みが許すかぎり、大人もある程度までフォローできる演出に仕立ててあった。スコシフシギ的な嘘を多用しつつも、首長竜の子を恐竜ハンターたちから守りながら未来に帰還しようとする話を、前述したような美術面の強度とシンエイ動画がパワフルなときの作画でささえる。美術面は見たなかでも随一。恐竜2006と同じく渡辺歩が監督を務める緑の巨人伝にも共通しているけど、「練馬周辺で撮っている」という感覚で舞台を用意してあった。のび太の家や、成長してしまったピー助を隠している公園の周辺――日常空間を非日常が通り抜けてく感覚が好きだから、これがかなり胸に響いた。公園の作りなんかは、石神井公園をそのままドラえもんの世界感覚にはめた風合いで、どこか子どもの眼を通した誇張を含むような密度さえ感じる。そうしたありかたは「ドラえもん」よりかは「劇場アニメ」に強く指向してるところがあって、ひみつ道具をとりだす際の、ファンファーレと背景効果によるお約束描写も省いてるのも、ここで描かれる情景に寄与してる。はず(わりとボンヤリ見る人だから断言すると不安になる)。タイムマシンによる追いかけっこ、恐竜同士の衝突、家にあがりこむ悪役の所作やそいつらとの戦い――非日常の数々もコメディ/スラップスティック/アクション映画っぽさを上手に合致させてて良かった。恐竜ハンターなんかは職業犯罪者っぽくリデザインしてあり、フラットで慣れた口ぶりによる恫喝は船越英一郎の演技と相まってなかなか凶悪。悪役として申し分ない。それらの面白みを担保できる動画は、ときどきすごい暴れかたをしてギャップを生み、湯浅政明めいてフリーキィな絵を呈したカットは本気で笑っちゃった。古代にむかったらタイムマシンが故障してるせいか砂の下に到着してしまい、ドラえもん一行の巨大な顔面が砂に浮きでて、そこから本人ご登場……という図のドラッギーさたるや。あれなんだったんだ……。
お話の上で軸は、もちろん自分が孵した子を守ろうとするのび太なのだけど、その心持ちにある程度の説得力を見いだせるのも良い。身体性/精神性が未成熟でもろく、ふらついた自我は分不相応なものまで無責任に望み、他をうらやんでしまう。疲労にへこたれ、絶望にしょげそうになる。それでも自分が手を伸ばして、届いた相手から顔を背けない。いまはヘッポコな子だけど、いつかその心のなかで形をなす強さの、意志の芽が感じられるというか。大原めぐみが演じる情けなさや悲痛な叫びも、弱気からひねりだす本気を重ねうるものだった。渡辺歩は第一期後期における感動中編系列(九八年の
帰ってきたドラえもんから二〇〇二年の
ぼくの生まれた日まで)で監督をやってるから、それを経て、満を持しての長編で芸風を発揮しようとしてるような味わいですね。のちに公開された緑の巨人伝は、ここからの連続性を透かすと据わりの良いとこがある。こちらもまた幼子を守ろうとしてお話が展開するのだけど、のび太がより近くで保護者であろうとして接する部分が多い。植物のちびっ子を小さな手をとって歩き、心底心配し、見守り、抱きあげ、最後には泣き顔でなく笑顔で見送る。仕草と立ち位置がちょっとだけ成長した感じ。そういう面の連鎖のあと、渡辺歩作品としても、ぼくが生まれた日とリンクするシーンを入れてくるのがずるい。それに、月面探査記が描くルカとのつながり、そしてルカやその家族を助けに行くための意志とも地つづきになってるんだろうなとも感じられる。
のび太と友だちの関係を定義するところもよかった。のび太のとっさの行動に助けられたジャイアンは、命に関わる選択を前にしてのび太と同行することを選び、諦めようと泣くスネ夫も説得する。ささやかな、けどその人のなかで契機となるスイッチング。体制変更後では初となる劇場作品だからこその、グループ内での強い/弱い立場でなく、冒険を遂げていける間柄へ、もう一歩近づいた距離に定義し直すこと。これをお約束の流れでなしにやれるのは、本当に第一作ならではの強みだわな。
恐竜2006は前述の要素もあって主人公以外に演技を割り振ることに意欲的だったな。演技の大事さは、各作品を比較したうえでより大事に感じた。のび太&ドラえもん以外がおまけと化して、テンポがゆるんだり静止に近づくシーンの眼につく作品は確実にあっただけに。ほら、その、宇宙英雄記さとか……。逆にいちばんうまく処理していたのが南極カチコチ大冒険だった。うまくっていうか、ジャイアンにすごい好きなタイプの演技を割り振って、そこにいるだけの人にしてなかったって話なんですけども。南極カチコチ大冒険におけるジャイアンは飛び抜けてガキ大将としての目端が利いてるのよな。氷の通廊が崩れゆくのも構わず、そのむこうにいるのび太を助けに行こうと無茶するドラえもんを抱きとめ、崩落の寸前で引き戻させる。タイムベルトの時間転移中にはぐれかけたスネ夫の手を、さりげなくつかんで引き戻す。きれいなジャイアン。映画のジャイアン。それらのスラングとしての強調でない、ちょっとした瞬間に身体が動く人としての所作が好き。まあ脇で誰かがなんかしたり、それで小ボケを発生させる図自体が超好きで、南極カチコチ大冒険ではそういうのより強く指向してるから余分に気になってるのかも。ドラマだけど濱マイク、トリック辺りの細かい小ボケ好きなのと同系。
あと、いまんとこ触れて心底気に入った作品――月面探査記/南極カチコチ大冒険/恐竜2006は人物に対するヘイトコントロールがたくみなのも印象的。とりあえず誰かを問題児とするような演出にはそれほど指向しない。ポカやらかすし、勝手なところもあるけど、意地悪で足を引っ張る部分は控えめ。負の面を担いがちなジャイアンとスネ夫から嫌味さを削ぎ、かつドラえもんらしい流れを構築して、チーム物らしく大きな状況に立ち向かう構図は小気味良い。敵キャラも、恐竜2006を除く二作では「ヘイトを稼いで動く人間」というものにはなっていないんだよな。人が生みだしてしまった欲望からの派生系。他者そのものより、悪という状況との戦いというか。あの辺りはちょっと特有の感じがして良い。
逆に、見てて楽しくないわけじゃないけど、どうなん……と思ってしまう作品もいくつかあった。配置されてるけど稼働しきらない設定やモチーフ。サブキャラとの関係や距離感が唐突に思える瞬間。いきなりテンションが変わりブツ切りになるお話。それらを原因として、上映時間自体は一〇〇分前後とそこそこ分量にもかかわらず(エンドロール込みなのは背景絵がエピローグとして作用するがゆえ……)、なお微妙に尺不足とのアンバランスな印象が湧き、またときには間延び感さえ見えてきちゃう。
寺本幸代監督(魔界大冒険/鉄人兵団/ひみつ道具博物館)は、鉄人兵団を除く二作品でそれらの面が強かった。ひみつ道具博物館は、面白く仕立てられてた鉄人兵団のあとだから余計に際立っちゃう。鉄人兵団、瞬間的にボンズ制作のようでさえある作画と新キャラ導入で整理したお話がさまになってたもんな……。翻ってひみつ道具博物館はすごいグダグダ。感情面に訴える要素として設けられた、ドラえもんが鈴に抱く想い出は良い。ひみつ道具が悪役に乱用されてしまうとこも良い。ただ、一時的に四次元ポケットを使えなくする流れの原因をスッポンに委ねてバカバカしくしようと狙うもしくじってるし、悪役が野放図に無茶をやったのに省みることもなく適当にバックレちゃうし、肝心の部分がいただけない。中盤から後半にかけての間延び感は正直厳しかった。博物館を舞台とするわりには世界観をそれほど拡張できてたわけじゃない。完全新作のお話としては、狙いはわかるけど手段において粗さがえらいめだつ。あとのび太が射撃系ひみつ道具の狙いを外すのも好ましくないよな。近頃はのび太の特技がオミットしているのだとすれば勘違いしてすまんなって話だけど。
八鍬新之介監督(大魔境/日本誕生/月面探査記)もムラが否めない。ディテールや情感あふれるシーンの作りに反して、もうちょいタメを用意してていねいに描いてくれ……と思う部分が散見される。各作品からうかがえる傾向だけど、大魔境ではかなり顕著だった。後半に描かれる展開――犬の王国に平和を取り戻す戦いにあって、ゲストキャラ:ペコの感情の振りかたがやけに粗い。のび太たちを退かせて一人で戦乱のなかにむかうペコにタメが足りない。孤立するジャイアンの心の動きともっと連携できていれば収まりが良いんだけど、ずれが幾分あることで、ご都合による区切りとの印象をいきなり帯びちゃうというか。大魔境は暴力描写への頓着しなさもネックだったな。ジャングル探検パートでは、一時的に退治する必要があったとはいえ、そこにつづいて野生動物に乱暴するシーンが描かれる。侵略的なノリが、いまの自分にはキツい。また、終盤でのび太は武人キャラ:サベールと対峙し、打ち負かしたところでサベールが空間の崩落に巻きこまれて命を落とす(と思しい)のも、あんま承服しがたい。殺傷でないにせよ、より直接的な死への加担に首を傾げちゃう。漫画大長編の展開を踏襲したものではあるのだけど、この辺りは旧大魔境でペコが代行する形式のほうがまだスマートだったかな……。そして、できれば誰かに救われることで、痛い目に遭ったけど懲りたり償ったりできる余地を設定しててほしいと願ってしまう。恐竜2006で恐竜ハンターが死なずに逮捕されてるように。ほんのわずかでも、誰かに救助されてるシーンが入ってたら良いのにね。それこそ新大魔境として騎士道精神が設定されているのだから、慕っている部下が担いでたりさ。うるせーッ、ワガママ言うな!!(ハィ……)
他にもまあ好きな作品だろうと微妙なとこは内包してる。恐竜2006でさえ。ラスト周辺での長距離移動はもったいないし、タイムパトロールが細かいこと放ったらかしてていいのかってとこが引っかかる。あるいは、後者は時空に展延性があるから問題ないとか、そういう感覚なのかもだけど。月面探査記でも一部キャラの空気っぷりや、背景の省略によりカグヤ星をめぐる物事が断片化がちょっと気になる。映像面やお話に沿う心の動きが好きでも、お話のテーマに回答をだせないとこがめちゃ不出来だな、と思う緑の巨人伝みたいな作品もある。単純に構成や大団円への持ってきかたがユルすぎる作品も多いしね。各作品ごとのちょっとしたズレと歯がゆさは否めず、こういうとこをお好みでない人が多いってのも結構わかった。
とまあ、なんかそんないろいろを見てるうちに思ったんでしたとさ。
時代を追うごとに減っていった子どもが走りまわるジュブナイル映画。それについて、ノスタルジックな心性に導かれるままに考えることが多いんだけど、近しく機能するものとしてドラえもんがあるのなって知れてよかった。クレしんもそうだけど。そういう話をつらつらと書くと長くなるな、と判じて下のほうに持ってきたけどマジで長くなったな。
▼でまあ、それらを見てたら自分がいまやりたいのって映画ドラと映画クレしんなのかも、と気づきが芽生えて笑ったりもした。誰かを気軽には「殺さない」こと。それを許容できる劇中のリアリティライン。そういったものを御するお話づくりの感覚を参照したい。あと根っこにある切実さ、呑気さも。
▼遠くの異界へ乗りこんでいくドラえもん。日常が侵されることで変なことが起きるクレしん。と、ご近所単位のお話を揺り動かすために多用される形式の差を意識することもあり、その点でいうと、どちらかっつーとクレしん形式のが好きかもしれない。たまにホラーみたいな侵食が起こるの良いよね。クレしん。ヘンダーランドで雪だるまが家に押しかけてくるのとか普通に怖いし、本郷みつるが再度監督をやった金矛の勇者なんかも、敵が内/外の境界線を乗り越えて平気で乗りこんでくる。逃げ場を奪ってくる敵は怖い。