真夜中ハ純潔:其ノ後
大キナ声デ名前ヲ呼ンデ

「そうさ パーティーは いつか終わるけれど」
「終わるから またパーティーしましょ」
――船を建てる/鈴木志保



 眠るさなかでも熟寝より深いとわかり、なのに呆れに先立つものがあった。覚醒の水面で頬がゆるんだのもつかの間、呼び声が強引に醒ました。
「おぉいっ、騎士さまよ、き、う、うっわなんじゃこりゃあっ……」
 あけた薄眼のむこう、いつの間にやら誰かが日傘をさしてくれていた。広場は焚き火の熱を絶やし、火の主もおらず、明けとも暮れともつかない琥珀色に眼を凝らせば、ミリイが毛玉の塊で胆を潰しながらやってきた。ただでさえの上背をかさ増しする木底靴がへたへたと歩幅を乱して歩く。疲れがにじむけたたましさに驚いたのだろう。全身にしがみつく毛玉の分離であたたかな波が一気に引いた。底冷えに震えたグスターフィアは、ひゃむう、と悲鳴とあくびの変てこな混ぜ物を洩らすと、丸綿外套(ボン=ボン)の丸口襟を顎にぐいぐいと引き寄せた。
 迷惑顔のノ=ノ氏を抱き寄せて云う。
「貴公、どうしたんだい……。いまなんどき……」
「ったくもお、猫布団にくるまってるんも結構すけどね、あんた、もうじき夕方すよ」
「おやあ、いけないね」
 いつ以来とも知れないすっきりした眼醒めが、グスターフィアをくすりと微笑ませた。
「世話焼けるうえに暢気だなあっ。こちとら、慌てて探して足ぃ挫いちゃったんすからね。ヒナ殿んち行ったかと思えぁ酔い潰れてるし、ようやっとこさ見つけたと思えば」
「そんなに急いで。ずいぶん心配をかけたようだ」
 と云いながらも気分は清々しく、今度は眉を吊り、
「まさか、もう次の影がでたのかい」
 隠れ神殿潰しからこちら、影とやりあう頻度は減っていた。それを覆して何かよからぬことが起きているのではという気がしてしまったのだ。
「やぁ、そんなに大事じゃねえんすけども。いや大事か。大事だわ。すこぶるの大事すわ。六号櫓の旦那が衛兵とお馬を使い走ってくれてね、かれこれ一時間も前か、来訪者を見たって。赤毛に傷っ面の女。黒ずくめに物騒な得物をさげた旅行鞄風情ってさ」
 口疾(くちど)なミリイの物云いに、グスターフィアは眼を白黒させ、理解が追いつくまでに時間がかかった。影の襲来を見張るべく建てられた遠見櫓の、こと六号櫓は惑わし森の方面を版図とする。グスターフィアが連合市国の領土を訪うのに通った道筋――つまり、世を渡ってウルタールを目指すのなら必ず通る道だ。聞かされた特徴も他の何よりよく知ったものだ。あの娘が旅支度ならそうなるに違いないと思えた。
 だからこそ、グスターフィアの眼の前は真っ白になって、抱きすくめたノ=ノ氏の耳と耳の谷間へ鼻を沈めた。寒さではない、瘧に憑かれたような震えが重い枷となった。
「なんで黙ってんすか」
 ミリイの抑揚がいきなりに落ち着く。
 グスターフィアは洗われた猫のようにしぼみ、こわごわと見あげるだけだ。
「大事な人、なんすよね……」
 と、ミリイはかたわらで膝を折って、
「何年も待ってたじゃないすか。なんにまた、そんなぶすくれっ面を構えてるの」
 そう云って縛りつけられた腕をといた。小さな指に重なる大きな掌。指の節を噛む癖がこさえた胼胝と乾燥とでかさつく、あたたかい、グスターフィアをささえてきた女の手が。
「信じて待ってるんだって云うてたじゃないすか」
「そうだね」
「じゃあ鷹揚に出迎えてあげなきゃっすよ。それが従者を重んじる主人(あるじ)の務めでしょ」
「そう、だね」
 グスターフィアの背骨が震え、首肯した。しょげ返って消えかけている心が、じわりと熱を取り戻すのがわかったのだ。それに相応しいことばを知っているはずなのに、もつれあって胸で絡まり、つっかえてうまくでてこない。
 数秒の沈黙ののち、グスターフィアは小首を傾げ、
「そんなによろしくない面構えをしているかい……」
「まったくもって。知らん相手と褥で一発やらかしたあとの寝起きよりひどい」
なんてこと(ウララララ)、良い眠りだったのに」
 と云い、意に反して渋ったままの腰をあげようとすれば、ミリイが手を貸してくれた。おのれの息根を探るように深呼吸をし、
「いけない、いけないね。グスターフィアとしたことが。最後の従者、麗しき野蛮、紅色の騎士娘に、範をしめさねばならないというのに。掟の虜囚となりて、澱血(よどみ)奥処(おくが)よりなお穢れし罪を抱く氏族――墓守りの契約につきながら、誇り高き猫守りの誓約に列する、このグスターフィアらしからぬ気弱だ」
 一語ずつをたしかめながら気取りを鼻にかけ、ひと息に云いきった。いまさら恰好をつけても遅かろうが、言の葉にすれば、ふらつく想いの傲岸不遜なささえとできる気がした。
「一応は大丈夫そうすね」
「臆病風にむかいあえるほどには、ね。明星が照りし猫眼の澄んだ真円に誓って」
 片腕にぶらさがったまま尻尾を振るノ=ノ氏に頬でぐりぐりし、今日ばかりは満更でもなさそうに唸る巨体を放した。ミリイは懐から小さな香水壜をとると、グスターフィアの手首を月 香 薔 薇(シャッテン・ロート)の甘やかな一滴でこすり、世話役の笑顔で云う。
 ご武運を、と。
 グスターフィアは大いにうなずき、走りだした。
 ノ=ノ氏が途中まで先導してくれた街路の狭隘を駈け、水路にかかる橋を越えて、門をくぐり、小道でつまずきかけながらも一秒とて足は止めない。千猫祭りの二日めにむけて膨らむ人混みを抜けてから、街道までまっすぐ走っていく。走るよりも飛ぶような思いを秘めた身体に、夜の押し流す風が吹きつけた。袖をはためかせて髪の毛を絡めとり、切りつける勢いに心臓まで凍りつきそうだ。
 息のつづくかぎりに弾ませる鼓動が、耳の奥を大太鼓のように聾して、静寂にひとしい時間のなか、いきなり降りてきた沈着さがためらう自分に気づかせた。話がしたかった。しでかした失敗を聞いて呆れてほしかった。でも、何から云えばいいのだろう。元気にしていたか。遅かったとの難詰。それとも感謝のことばか。第一声を決定づけるただしさなんてわからず、詮ずるところ、単純でいてとても大事なことをちっとも考えていなかった。
 どうすればいいのだろう。
 兎に角、何事も納得できような形にするのは無理でも、心のかぎりは尽くしたかった。眼つきが悪い、笑うのが下手な、心をこめて名を呼ぶと嬉しそうに振りむくあの娘に。
 面差しがはっきりと思い浮かんだ。
 ただしいとかただしくないとかではない。
 ああ、答えはあんまりにも単純だ、最初に思いつきもしないなんて、このグスターフィアはよくよく阿呆になっていたらしい。薄っすらと苦笑した。
 間もなく眼に映えるとぼとぼ歩く人影――ぬか喜びさせる夢なんじゃないかと疑いかけるくらいに、あっさりと行き会えた。残照ですぼんだ風采は、かすみ眼に余計、薄汚れて見えたが、見間違えるはずもない。足を速めると、威厳の残滓もなにもかなぐり捨てて思いきり息を吸った。そして、声の限りに叫ぶのだ。
「リツっ」
 咽喉が痛くなるほどの大声で。
 大事なあの娘の名を。


 グスターフィアは、ついに足を止めた。
 乾ききった瞳が息切れとあいまって潤んだ。溺れてひしゃげる視野で焦点があうまでに、拍がいつつ、赤く高鳴り、やっと面差しがはっきりした。
 見据えた最愛の騎士ときたら、はじめて見るようなこ汚いありさまだった。赤々とした髪は砂色に汚れ、肩へ届くだろう長さで旅の年月の一端を語る毛先は、紐で粗雑にくくって見るからに不精だ。小さなハットもずたぼろ――はしばしが病葉さながらにほつれ、ほとんど破れた飾り羽根がいただけない。どさ、と革トランクの角が地を(なぐ)る音で、呆然として把手を放してしまったのだとわかった。迎えにあるまじき覚束なさだ。半びらきの唇は何事か云おうとしては黙り、リツも同じなんだ、とグスターフィアをどうしてか泣きだしそうな心持ちにした。それもつかの間、くしゃりと赤い眉根にしわが寄る。
 (くら)い眼をしていた。何かを信じ、同時に裏切り、腹の中身が相反するもので引き裂かれようとしているものの眼だ。名付けがたく、しいて云えば狼狽の色と似ていた。懐かしい被甲長靴が砂利を擦り鳴らして、進むべきか退くべきか、と逡巡したように見えた。
 そして、太陽がほとんど伏せた須臾。
 トランクを抱えてわたわたと踵を返し、逃げだしたのだからグスターフィアも魂消(たまげ)た。
「なんで逃げるのぉっ」
 と、グスターフィアは後を追った。
 重ったるい荷物の数々は騒がしい音をたて、リツの走りを妨げ、おぞましいことに、紅の騎士装束には革ベルトが円盤鋸までを吊っていた。手を覆うのも自傷をもって瀉血する手甲ではないか。不在のあいだ、いかなる戦いをくり広げ、追いついてきたのだろう。よからぬ予感が締めつけて、心臓がいやな脈を()った。
 どこに考えをいたらせたのか、はたまた混乱しているのか、リツは草叢に逃げた。そもそもグスターフィアは手ぶらなのだから、追いつくのはわけないことだった。待ちなさい、と叫び、飛びかかって頼りない背中を抱き締める。円盤鋸や散弾銃、得体の知れない軍刀。別離を金型に鋳こめたような道具類が、胸に腹にとごつごつした角を当て、この無骨ないたたまれなさに阻まれぬよう、グスターフィアは汗臭く湿った懐かしい背筋に強くすがった。
「なんで逃げるのぉ……」
 情けなさすぎるほど語尾を落とすと、リツの荒い息が、徐々に(ども)って、
「心の準備が」
 喘ぐような云いもまた情けなかった。しかし、グスターフィアには返すことばがない。おたがいに準備不足なままでここまできたのだ。大事な娘の体温を失っていた愚か者として、たしかな手触りが、痛々しい刺繍をこみいらせていた理性のベールを一枚も残さず取り払うのを、グスターフィアは感じた。
 大事なものに触れたら苦痛なんて一瞬で嘘になる。それが素直に驚かせた。力任せに振りむかせ、眼を覗く勇気がなく胸許に顔をうずめた。深く嗅げば黒シャツとリボンタイに鼻を突くほど染みついた汗や血、土のにおいに、鉛筆と似たにおいが混ざった。
 頬が熱くてしかたなくなる。
 それはリツの、リツだけのにおい。
 だからこそ次にでたのは正直なだけの、直情を振り絞った叫びだった。
んぐぁん(ベゥルク)っ――くさい(サ・ピュ)っ――まったくもう(マンファン)っ」
 と頭で絡まった片言を叫べば豊かな胸に挟まってくぐもり、もう一度、深く嗅いで、
「んぁっ、くさいくさいくさいくさいくさいっ。貴公っ、湯浴みも水浴びも一日と欠かしたらいけないとあれほど云ったじゃないかっ。ちゃんとドレサージュしたじゃないかっ」
「ごめんなさいっ」
 とリツは明らかな狼狽で語尾を上ずらせ、
彼方此方(おちこち)と行き来に気をとられて」
 云い訳を含みきれずがたつく胸から、グスターフィアは顔を引っこ抜き、一歩離れた。
「なでて」
「はい……」
 リツが呆気にとられて猫背になった。
 グスターフィアは睥睨にも近い涙眼でまじろぎもせず、手甲を引っこ抜くと、いまだ彫像のように硬まったままの堅く 戦 慣れした手を、無理矢理に引いて頭の天辺に乗せた。
「貴公のことをなでてあげるから、貴公、リツもグスターフィアのことをなでなさい」
「でも、あなたは」
いいから(フェ・ヴィット)っ」
「わたしでいいんですか。わたしみたいな、騎士の出来損ないなのに……」
 変わっていないな、この娘は。
 グスターフィアは思い、震える息を肺に落とした。
 頬には努めて微笑を、唇には本当のことばを、それぞれが嘘にならぬよう掲げた。頭から下ろした手の傷だらけな甲を撫で、
「ねえ、リツ。リツがいいんだ。この手で、どうかグスターフィアに触れておくれ。来てくれると信じて待っていたんだよ。嘘だと思うかい。それとも、もういやになってしまったかな……。ふつつかでしかたない主人(あるじ)には、愛想を尽かしてしまった……」
「そんな云いかた、ずるいです」
 と、問いかけを最後まで聞き届けずに、リツの首は振られた。手甲がもう片方も払い落とされ、素膚の両手が柔い御髪(おぐし)を尊び、壊してしまわぬよう恐る恐るなでおろす。記憶がいかに褪せていたか知れる、敬いが、恐れが、それを上回って慈しみがこぼれだす手つきだ。委ねる恍惚に、グスターフィアは泣き笑いとしか呼びようのない間の抜けた面構えで返した。
「ああ、猫の耳、かわいいな。かわいいです。なんだか、お姫様みたいだ――」
 リツは云いきれずに息をつまらせた。
「ありがとう。照れてしまうよ」
 と、諸手を挙げて頬辺(ほっぺ)を包みこみ、
「リツ。もっとよく顔を見せて。ねえ、グスターフィアは貴公が大事なのだよ、ことによると、貴公自身が思っている以上に。なのにひどい、本当にひどい仕打ちをしてしまったね。独りにして、つらい戦いをしいたに違いない。むごい血の道具までとらせて」
 リツが何かを云おうとして咳きこんだ。
 暗いその眼で「本当」を探し、仕えるべき小さな主人の思い、その燠を()べる、発火点とて忘れた胸の炉が、どうすればあくかと悩むように震えた。必死にことばをつむごうと鼻声でうめく。かぶりを振ってはまた少しむせ、眉間から唇まで幼くゆがみ、
「よかったぁ。嫌われてしまったんじゃないかと。わたしは、い、いらないものになってしまったんじゃないかと」
「滅多なことを云ってはいけないよぉ」
 と、見つめなおした顔のなんと赤裸々なこと――決壊した涙と洟でびっしょりにして、なのに眼を逸らさずにいてくれる。冥加にあまる思いとのはこのことだろう。愛らしい傷跡に頬ずりをし、頬を、首筋を、赤い毛筋をなでた。
「ごめんね、本当に、ごめんね」
「いいんです。色々なことがあったけど、でも、それに、わたしこそ遅くなってごめんなさい。ここは、ここはあまりにも遠いから」
 また大きな一滴を伝わせるリツの頬を拭ってやり、うなずいて返した。
 どこよりも遠く、いかに近くに夢見てもいたりがたい場所。幻 夢 境(トロイムラント)。でも、もう大丈夫なんだ、とグスターフィアには思えた。
 憑き物でも落ちたように和らぐその面差しが、あんまりに素直で、決意のほころびが胸にうずいた。涙の誘いに乗ってしまいそうだ。
 接ぎあてまでしたぼろの袖を引き、意を決すると腕をとって歩きだした。それで足りずにおずおずと指を握って、黒い風にざわめく草叢をでた頃には、すくいとれそうな橙の砂糖煮(ママレエド)色で雲のふちを甘く色づける空も、いまや山並みのむこうへと隠れようとしていた。強引な斥力で天に追いたてられた銀盤は退屈げだ。その不本意そうに狂わせる濃淡へ、空に星と雲海がつきしたがい、暗い地平に道筋をほのめかす明るい夜が降りてきた。グスターフィアは主人(あるじ)というより、恋する娘の荒削りなまでに昂然とした心持ちで、長旅に疲れた足どりを導いた。家路。そう呼ぶにふさわしい夜道を幾年かぶりに進んだ。かわすことばは密やかに、それでもときには身振り手振りが大袈裟だ。笑いあっては声を落とし、上擦り、しばし黙ってみては見つめあい――おさえきれない脱線を繰り返す話(パタティ・パタタ)で空白の輪郭をなぞった。話したかったこと。話せなかったこと。話すべきか、わからないこと。世界を分かち横たわっていた時間の数だけ、たくさんためこんできたことばの、最初のひと筋をたどりながら。これからのため、これまでのことを話しながら。
 二人は、家路を行く。

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