案する体の
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Title
 サイバーパンク残虐百合中編小説「Plastic Spectre」
Story theme song
 暴かれた世界/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
 Kissy Kissy/The Kills
 デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
Plastic Spectre
Ch.3
 白い壁。白い錠剤。白い日差し。
 わたしはそこにおらず――短からぬ空白(ボイド)――おまえはそこにいる。
 ベッドに横たわったおまえを屑に変える錠剤と、錠剤と、錠剤。めぐるはずの血を停滞させて凝り固めてしまう薬。静止させ、麻痺させる薬。何も残らない、空っぽになった薬のボトル同然に変えてしまう薬。飲めば飲むほど習癖としてなじむ。怪我を、切り落とされた腕を、飛散した破片に背よりえぐられて壊れた子宮を、無感動なおまえの内面を、最低限の福祉で徹底的にくるむというのを建前に、不必要なくせに機密まみれの兵士をとじこめる消毒液くささが充満した座敷牢のなか、白い、莫迦の面をしていた。呆然と言っても足りない。精薄者。白痴だ。空っぽの顔に看護師が微笑みかけ、医師が微笑みかけ、カウンセラーが微笑みかけた。もたらされた調停は騒乱を停め、一旦の終わりに導いてしまっていた。対話。対話の時代。さんざん殺しあっておいて手を差しだしあう都合のよさは人類史が反復してきたものだ。しかるべき反復。卑怯とそしられようとも政治を、停滞から流転を生む仕組み。民主主義的思考。どうかここはひとつ、平和に生きましょう、みなさん――都合よく腐った鹿爪面と笑顔は人道を行くに能うのだ。その笑顔は騒々しくつづけられてきた殺しあいを嘘にしていたし、第一群の戦いであろうと不問とされた。
 敗残者にすら優しい白色を塗りたくった。
 白色で何も見えなくされていた。
 そこには興奮などない。そこには懊悩などない。そこには憤怒などない。
 そこには何もなかった。
 そこは時間もないゼロのまっただなか。
 口をつぐみ、時制のない虚ろ(ボイド)な天井に問う。
 なぜ生きている、と――答えは明白で、あの声、最後に残された声があるからだった。
 ねえきみ、やすやすと潰すには惜しいなぁ、次の機会があれば殺してあげるよ。
 知り、望み、隠す。
 わたしは、おまえは何もかも――

 白い壁。白い錠剤。白い日差し。
 午后(ごご)の影のなか桐の香りが鼻につき、真あたらしい壁の白さが目に痛い。
 古めかしさを装う屋敷――千代田区の中心地――唐木会の牙城は二棟一対の超高層建築の頂に築かれ、野蛮な権力の質量で心を静止させる。直参でないと立ち入れない聖域は、大声で恫喝する行為を捨て去り、泥濘で法なき法を濫用する老獪な経済を象徴していた。作りものの幽邃の一角、気圧コンディショニングの殻で静まり返った竹林の天蓋へと逃がす目に、曇天の砂色がどろりと落ちこむ。
 おまえはアルミシートを破り麻痺性の白堊を一錠、二錠と含んだ。ガリガリ。障子のむこうから親分衆の声が耳についた。板張りの廊下に腰を落とし刀をよりかけて三錠、四錠と含んだ。ガリガリ。三次団体が浸透工作を繰り広げ、法度を犯す横紙破りな商売(シノギ)で北米圏に拡がっていた。若い衆が嫌悪の目で見るのも構わず五錠、六錠と含んだ。ガリガリ。仁義なき分派への牽制をめぐる合議は、喧々諤々のなじりあいとなりかけていた。誰それが悪いと叫ぶ幼児めいた罵声。ガリガリ。決まりきった話題の点検でしかない。くびきをはずれた黒摩(クロマ)組。ガリガリ。自分たちの産み落とした鬼子が呪わしく、怖くてしようがないのだ。潰したい思いを再確認すべく舟木組長はここに出向き、おまえは護衛(タテ)の一人として同席していた。ガリガリ。えぐい苦みが首筋を絞めた。神経症的多幸感が、ゆるりと不感症の膜をかけようとしていた。ガリガリ。おまえは若い衆に笑いかけた。表明された嫌悪が畏れに変わって、目を逸らされた。ガリガリ。組に肩入れしていながら、おおやけにはお雇いの人斬りでしかない怪物。本来なら、そこにいるべきでない何か。ガリガリ。空虚で冷えついた笑みは表情という絵柄でしかない。裏に何かが隠されているべきなのに、なにもつまっていなかった。ガリガリ。舌の根に張りつく薬剤のざらつきを、あふれだす唾で飲み下していく。
 手持無沙汰の無聊を癒し、退屈な時制を白く飛ばすのに、これより手頃なものはない。病室で飲まされた屑に変える薬と違いゆるやかな震えをくれる。
 重奏をなす、退行的で汚言症的な声と声のなか。
 燃あがろうとしている――
 おまえは結節点を見た。
 破滅への発火点――
 咽喉が高く鳴る。
 あのときにどこかしら似た、焦燥の気配。虚ろの膜を通して震えた。もっと、もっとだ、とおまえは声になりきることのない声で言い募った。
 すべてを焼け落ちさせる温度――
 名を呼ばわる声が、混濁の水底からおまえを引きずりだした。
「よお墨洲、相変わらずの阿呆面だな」
 荒涼たるロビーの基調となるするどい白の奥行きに、声と足音が溶けていく。
 うっそりと振りむいた先に、皮肉っぽさで笑みのゆがんだ男――北叢克己がいた。トム・フォードの白スーツ。指へ絡み金属質に歌うバタフライ・ナイフ。それらで四十過ぎの齢ぶりを削ぎ、野卑な若さをたたえる男もまた、汚れを担う人種だ。
「北叢の旦那、わたしみたいな下賤なお雇いに声をかけちゃいけない。ただでさえ罪まみれのお面が増し増して黒ずみますよ」
「言うじゃねぇか。いいぜ、顔色が良すぎていっそ胡散臭いくらいでな、渋みが足りねぇ」
左様(さよ)で。好き()きってやつですな」
「で、今月ぁ何人()った……」
「話が見えないですが」
「その口ぶりには飽き飽きだ。刃物(ヤッパ)でいくら血を撒いたかくらい、毎度、素直に教えてくれてもいいもんだろ……。誰かさんがはりきって大立ち回りをやるおかげでな、おれもあがったりだ。伯父貴らは誰かさんのが笑えるからそっちに任そうの大合唱となりゃ、話を聞くくらいしか楽しみにならねぇ」
「耳の痛い話で」
「だろう。けどおまえの憐れみならうけとってもいいぜ、墨洲。で、どうなんだ」
「聞いて得する話しとぁ思えやしませんが」
 と、おまえは片目を細め、ちらと巡らせ、指を二本を立てた。二十。口笛の、賞賛もどきで嘲笑う抑揚は気にもしない。北叢は歌う刃尖(はさき)を腹へ振り、
「半分でもいいから回してほしいもんだ」
「お上に言うことですな」
 とおまえは半分までさらした(しのぎ)で止める。
 舟木によろしく言っといてくれ――告げて刃を引く北叢に、鍔を落とす高音で応えた。繊細な殺しだけでのしあがって名を冠する組まで得た男。同類の馴れ合いに、均衡の乱れを含んでいた。唐木会のサディストが、おまえを重用するあまりの乱れ。
 もっともそれとて興味薄な世俗だ。
 瞑目で背くと、多幸感の波打ち際に立つ。直立しながらにして手足を天に投げだし卒倒するように不安定な感覚。歩みの気配が脳のはしを引く。
 名を呼ばわる声が、混濁の水底からおまえを引きずりだした。
「墨洲。あらたな標的が決まった」
 と舟木。
「どいつをやるんです……。何人を殺すんです……」
 と、目をあけたおまえはそこが車中と知る。
 むずつく頭をかきむしった。過度な多幸感が感情に描くカラーバー。わざと乱して引き裂けば、不快感の尾を、ロードノイズにぐるりと撹拌された。水素エンジンが鼓動らしい鼓動もなく走らせる、このマイバッハの、静かな車内がいつだって事務所がわりとなっていた。事務所には滅多に顔をださない。一なる表情しか知らない人形が浮かべる、ひび割れのような、大事な芯が抜け落ちた人でなしの作り笑いを、組員がひどく恐れるからだ。不快なびくつき楽しむ気もないおまえは出入りをやめて久しい。
「田丸組。三次団体――大友会が洗いだしたらしいんだが、どうやら黒摩と麻薬(ヤク)絡みで親密なつながりがあるらしい。目標は組長を含めて十人。得物の詳細(ネタ)はない」
 と、舟木の両手が虚空をスワイプした。表示共有で十の立方体がポップし、強調表示(ハイライト)された表示域が、個人情報へ二重写しで盗み撮りの顔写真を透かす。高解像度(ハイ=レズ)。白む色感は、相貌にあるべき差異を人形に生じる安っぽい誤差と見せかけた。
 おまえはろくに見もせずに鼻で笑い、
「構いやしません」
「兵隊あがりの駒を連れてるそうだ」
「どうせ経歴をかさにきている手合いでしょうて。()ればいいんでしょう……」
 言い捨てるおまえを舟木は嬉しげに眺め、
「ああ。邪魔ならなます切りにしろ。だが屈するなら従えろ。こっちの岸に足を浸してようと死にたい人間ばかりと限らん」
「どうだか。点前をわきまえない連中は相変わらず多い。はしくれにゃ、命の幅でてめぇがどれだけできるかもわからん、しゃれこうべを連れ添いにままごとをする盲目(めくら)と大差ない阿呆しかおりゃしませんよ」
「でなきゃさっさと危ない橋から足下ろして、身奇麗なうちに逃げてくるだろうしな」
「踏み外す時ごろを読めもしない人間は死んでるも同然ってなもんでしょう」
「おまえらしい言いようだ」と舟木は目を細め、「なんにしたところで連中を見る目は自由裁量、肝心要はあくまで状況の解釈。落とし前は必ず」
「つけさせないと一切の話は収まらない」
 かわすのはいつも通りの会話。受諾するのはいつも通りの死刑執行。指をあけて握らされるのはいつも通りの報酬を入金した洗浄ずみ口座のカード素子。
 高価値標的連関表(ブラッド・リスト)を塗りつぶしていく――
 準備と決行日時を告げる声。
 本当の敵を見つけろ――
 顎を指先が引き――接吻(キス)――烟草の苦みがしがみつく唇は、存分にやれ、と所有したがるものの声色で言った。殺すほど近づく。確信していた。
 深く、深く、おまえはおまえ自身にうなずいた。
 所有されることなき本能の導くまま。

 求めつづける再会――あの女、片澤との。
 主なき猟犬。殺すべき敵は知りながら、嗅覚の範疇まで近づくすべを知らない。それを補う偽りの主のもとで燻ったの。あるいはときに猟犬が主の手綱を御するのにも似ていた。だが、そこには決定的な違いがある。仕えず、利用する。本能に仕えるそれはもはや狩猟の嗅覚でなく、怪物の視座だ。怪物は仕組まれた因果を知っている。おまえという破綻が許される日はこない。いつか必ず因果は追いつき、裁かれるだろうことを。
 だからおまえは単分子相刃(モノフィレッジ)を澄ませ、歯車に耳を傾け、歩みつづけた。
 生活の垢をも欠いた空疎な部屋で何度、支度を反復しただろう。義肢と膚をつなぐ分子間力をしかとたしかめた。それからまず指を伸ばすのは、介錯人らしさの表現をつめこむ、柔らかな黒のヴェルベット外皮でくるまれた小物入れだ。無数のきらめき――いかつい指輪やピアスが乱雑にあふれ、買いあたえた舟木の美観をたたえた。他者としてのあの男にはわずかなりとも興味も見いだせないのに、選ばれる品々だけは別段だ。
 土耳古石(ターコイズ)の薔薇しあげをつまみ、小指へ環を通す。
 大粒の土耳古石(ターコイズ)をつまみ、薬指へ環を通す。
 銀髑髏(スカル)をつまみ、食指へ環を通す。
 いつか愛したものと似通う、磨きあげられた艶で左の黒手をふちどった。殺しの物語を組みたてて、身体を再定義し、みずからを刃とした。髪を結いあげた。舟木はみすぼらしくあることを嫌い、それをおまえに表現させた形が、膚触りのいいディオールのスーツだ。社章(ロゴ)でなく、デザイナーの思想で表すブランドらしさ。反コマーシャリズムの美観は、名を売って知らしめる古臭さを打ち消し、身ぎれいさで着飾るヤクザにも通じた。それを覆い隠すように、アクロニウム・スペックラインの異形なる白、彩膜(カモ)じたてのコートを羽織る。
 そうして完成させる。
 契約条項を満たす亡霊、墨洲七奈瀬として。
 執行の夜を行くおりは漆塗り風に黒光りするマイバッハにかけ、平均時速八十キロに眠った。目覚めとともに降ろされ、必要な人間を必要なだけ殺した。
 春も、夏も、秋、冬も、腐敗した四季をめぐり――求められた数だけ――朝となく、昼となく、夜となく――求められた数だけ――男を、女を、老体を、子どもとて――求められた数だけ――事務所で、路上で、車中で、埠頭で、寝床で……
 いくども刃を引いた。
 もうすぐ、もうすぐだ――
 いくえもの悲鳴を聞いた。
 もうすぐだ、達するまでは――
 いくつもの生首を転がした。
 もうすぐ発火点に達してすべてが――
 事務所の階段を蹴りつけて壁を走り、鉄砲玉の頭上に舞いあがり頭を斜めに切り落とす。キチキチ。着地しざまに倉庫の床を転がって、白鞘を振りかざしていた舎弟(コマ)のアキレス腱を切り裂く。キチキチ。手近な情婦(イロ)の髪を掴んで蹴りつけ、障子を破り、太り肉を護衛(タテ)による掃射への盾とし進む。キチキチ。勢い任せに飛び、殺し屋気取り(スプリンクラ)が振るったチェーンソーを紙一重にかわし、首を切りとる。キチキチ。男の、女の、老いた、若い、幾人もの組長たちが恐れおののき、泣き、咽び、腹を切った。キチキチ。それぞれに無関係な、数えきれやしない人斬りが重なり、主観の時制など溶け落ちていた。キチキチ。
 彩膜(カモ)の描く亡霊のぶれをまとったおまえは、亡霊そのものの踊りで、殺して、殺して、ときに殺されかける一瞬の恍惚をごく小さな糧としていた。
 長持ちのしない恍惚をとりこめるだけとりこんで進む。
 結実すべきいつかを目指して、ひたむきなまでに突き進む。
 おまえは犯罪結社の掟に正当性を死にあたえ、報復合戦を通り越して一方的虐殺の舞台となった半年のうち、二次団体と三次団体、のべ十の組をとり潰しとした。拳銃で撃たれた。短機関銃で撃たれた。散弾銃で撃たれた。突撃銃で撃たれた。手榴弾を投げられた。刀が振るわれた。強化外骨格が立ちはだかった。およそ手にはいる限りの道具に出迎えられて、それでなお死にはしななかった。軍上がりも相手にした。だが、多くは半端もの。舎弟(コマ)や鉄砲玉でおさまる真っ当さに、おまえを止める役割などつとまるはずがない。()った命の数だけ歯車ははまり――キチキチと――胸の裡に鳴った。
 だが足りない。まだ足りない。
 ただ一点が空転を残し、満たされる日を待っていた。
 あげた首級はことごとく目に焼きつけた。眼窩にはまるツァイス素子(ディヴ)の分解能とくれば、高品質きわまりない処刑の儀を、頭蓋に縫いつけた極薄のテラバイト素子へ保存し、親分衆の業腹な歓心を得た。おまえはただ一人の執行者として価値をしめしつづけた。
 血を求めて歩いた――
 親分衆の手が汚れることはない。恥知らずは配下だけだった。大金を遣わし、大層なことばを上塗りし、舟木組は汚れ仕事の武闘派らしさをしめした。おまえの歩みは介錯人としての恐怖と上納金(カスリ)を稼いだ。
 おまえは最尖端(エッジ)を歩んだ。
 当たり前のように繰り返す汚れ仕事の根をたどれば、一年半前までいきあたろう。
 戦後の四年におよぶ病院での軟禁はいきなり終わりを告げた。残骸を嗅ぎつけてじきじきにやってきた舟木に連れだされた。求めに応じるなら手を貸そう、と。提示された最大の報酬は、あの女の足取りへの手がかり。おまえは疑い、そしてすぐ疑義をしりぞけた。首都騒乱の破片を掘り起こしにきたのだからそれくらいはできるはず、と。おまえは肯んじ、まんまと一刀で武闘派の末席に名を連ね、裏の特別請負(クロージング)を担いはじめた。つまりは背任が認められた傘下団体、三次から五次までの決算にして、とり潰しだ。
 それは境いめとなった。
 おまえは、それまでの沈黙が嘘のように組を潰していった。その噂が波を打ち寄せて間もない頃、とある組の長が、おまえの眼前で腹を割った。臓物(ワタ)を引く儀で舎弟への特赦を願いいれた。おまえまでもが手をとめるような頓狂のきわみ――莫迦らしい、フィルムのなかで古びた任侠を信ずるかのように。親分衆の一角は、嘲笑(わら)うどころかサド趣味で舌なめずりをし、次も、また次も、と求めて儀式の根本となった。ケジメなる物語性の強い噂は、恐怖政治の図柄として東日本を犯罪結社の網にくまなくおよんだ。そしてそれまで存在しなかった価値を見いだされた首狩りは、黒摩組の暴走に対する、唐木会の再統合手段の喧伝として焼きつけられた。おまえは極致の反復が抱く意味を解していた。反復の振り幅は増していた。反復が反動を得て逸脱にむかっていた。黒摩会を囲う敵愾心が背を伸ばすあまり、自重に堪えかねこぼす、誰も気づかない不気味な悲鳴に耳を傾けながら、おまえは思いだした。
 血を求めて歩いた――
 どうすれば思いださずにいられようものだろうか。
 辻から道へ、道から辻へ。
 街には終わりのにおいがしはじめているのに。
 路地から敵地へ、敵地から路地へ。
 また時代の終わりのにおいがしている。
 暗がりから明るみ、明るみから暗がりへ。
 だから、おまえは思いだすのだ。
 特殊作戦の反復が終わった日を――目蓋に、作戦をともにした三人の亡骸が照った。
 あの女に追いつけていない舟木の報告と裏腹に。
 においたつ。
 月に滴るを求めて――
 舟木は首都騒乱のゲリラ狩りで内務統合省の末端、非合法な神経となり、戦後へと残した伝手、ことに統合機密監督局(IsCOO)との密約を役立てていた。機関群の機密取り扱いそのものに口出しをする組織体は情報収集にうってつけだ。おまえを見つけだしたときにも内通がものをいった。もっとも、情報網につけた見当は裏切られたが。似た経歴の女が内務庁に、とだけほのめかされたにすぎない。第一群担当案件の外殻までも消されていた。第一層目標追跡任務。のっぺらぼうの作戦概要だけが残されていた。
 見つからない。空振りの報告に、いったい誰と殺しあった、と舟木は問うた。おまえは応えもせず、おのれの身体を御供にさしだした。
 それでも白紙に無数の線が引かれ、空隙はわずかずつでも埋められていた。抹消し損ねたらしき断片の引き当てがふつふつと血を沸かせた。火器類密輸専任浸透検査官。外局がらみの捜査担当にして執行者。かすめるにひとしい薄っぺらさの報せながら、片澤に相応しい戦後仕事だ。そう思える字面をおまえは胸に繰り返し、息を飲み、予感した。反復される最後のことば――次の機会――うってつけではないか。なにせ、唐木会は銃で腹を肥やしてきたのだ。内務庁の敷いた国内銃器管制、つまりは銃へのRFID埋めこみや個人情報リンクでの監視を裂く、まったく手つかず(クリーン)の銃を中露周りから密輸して、売りさばく。商いはいまだに繁盛し、日本を経由して大陸への再放流もされていた。
 より濃いあの血を求めて――
 おまえは幾多の仕事を終えてきた。
 帰り着くと、死んだような静寂の垂れこめる部屋の片隅で、片膝を抱える。部屋は部屋でなく、夜は夜でなく、息は死に、凍える背筋のみが不思議とひどく熱い。色のない夜のなかで確信を抱く。世界はおまえという破綻を許しはしないだろう。父は言った。おまえのような人間には必ず報いがある、と――それは唯一、おまえに通じたことばだった。塗り潰すために、きっとあの女はやってくるはずだ。
 おまえはいま予期しているのだ。
 歯車がキチキチと鳴くなか。
 この暗闇のなか。
 深い闇で――
 心奥の暗い部屋から渇望が溶けだす。
 溶け、まじり、やがて浮かびあがるもの。
 鮮明に思い描き――鈍色の気配は、影をもって立ちあがろうとしていた。凶運に名をつけて呼びこむ儀式が空虚な一室に空転した。
 雷轟は窓の外に遠く、だが着実に、やってくる。
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