Plastic Hurt
Chapter.3
内務庁が保有する、分業的に細分化された神経。犯罪を地図化する網を織りなす一端が、坂詰会だ。闇に治安を枝づけする仲介役。古びた路地を抜けるなか、物部は語った。国内での火器運用に便乗して稼ぐ不届き者を計数するピケットだ、と。一朝一夕で獲得されたものではなく、十数年前、先達によって確保された橋頭堡だった。第9室が扱いを知悉した、大事な神経節。利用しやすい犯罪追跡の足がかり――監視のごまかしやすさすら含めて。だが、物部は欺こうとする技前を抜かりなく見抜いていた。
くすんだボンネットを、爪の尖端が叩く。冷たい静寂。
2502レイヤーが消える数秒の間で、サイレンの音が耳につくほど大きくなっていた。仕事をわきまえた管轄の警察部隊。到着まで間もない。動きだすハマーの身震いじみた鳴動が、物部のフラットに隠した思いを代弁するように、大きく思えた。
蒲田の狭隘から脱する。燃え立つような都市の燈明が、夜を切り離し、彼岸にあるかのようにして、遠くたたずんでいた。輝き。揺らめき。超高層建築の森林が、彼方へと超えていく黒い門のシルエットを浮かせては、虚空へとさまよいでる階梯への道をひらいていた。ストーンヘンジ都市。どこまで行けど到達できないと信じこませるような、スケール不在の遠近感が演じる妙。間延びした白光は、はかなさすら放射していた。
視界を漂う樹状ビジョンに目配せすれば、ただちに地図が表示された。
拡大――拡大――俯瞰。平面から立体へ。立ちあがるワイアフレームにコンクリート質の外面テクスチャがのぼると、生活空間の残骸が現れた。大規模な団地――アーリントン墓地とカタコンベの中間にある、眠たげな様相で都市生活者の文化的な魂を埋めた、共同墓標。ずらりと奥行きを満たす南多摩旧汚染域。
旧いクーデタのヴァンダリズムが傷跡を残した場所だ、と拡張識が注釈を添えた。危険性という価値観もくわわる。軽度の生化学汚染。それから、重度情報ネットワーク汚染。
そこに、水瀬は向かっているという。恐らくは、羽澤のもとへ帰りつこうと。
「都合よく引っかかるもんだな」
おれはそう言い、つっかかる調子を避けつつ、
「トレーサといったが」
「いわゆるところのバグ。きみは使ったことない……。元は別用途のために植えておいたものなんだけどね。組織暴力トレーシングのためのナノ粒子。文字通りのひっつき虫」
「非順列断片か」
物部がこくりとうなずいた。より専門的な言い方をすればね、と。
「犯罪環境考査課は逐次的なデータ収集のためにバグ散布を許されてる。それを有効活用した結果さ。まあ、私的運用だから内規をぶっちぎってはいるわけだけど」
「ハイテクのぞき趣味とはえらい趣味だ」
「のぞき見そのものは昔から治安機関の十八番じゃない」
一瞥をくれる毛玉はどこか共感を求めているように思えた。ああ、ごもっとも。おれはまあそんなところだな、と相槌を打った。物部はアクセルを踏みいれ、
「それにさ、気を抜いて眺めているとなかなか楽しいよ。独特の言語形態と風習がある」
「で、そのナノバグが水瀬にとりついた確証は」
「ある。実際、ナノバグのマップに痕跡があった。それに、閉鎖区画へ行く理由も」
物部は一瞬目を伏せてから、
「恥ずかしながら、あそこは尋問小屋だったからね。ぼくら、第9室の」
「どれだけ叫んだって誰も寄りつかない場所だな」
「うん。防音材を使ってタイル貼りに改装したしね――いや、内実はともかくとしてね、あそこに向かってる。とっくに解体したはずの秘密基地に。悪いことができないようにって何年も前に捨てた場所なんだけど、嫌なところで追いつくもんだ。でもまあ、今日という可能性のために、ずっと根回しをしてきた甲斐はあったかな」
「徹底してるんだな」
「それがせめてもの罪滅ぼしさ」
呪言でも唱えるように、低く言った。
羽澤の過去を語ったときのように、物部の奥底が透ける。返答を探すまでもなく唇を思案で縫いあわせる。わからなかった。復讐の因果をたどって始原に至るこの男に、どういう気持ちを抱けばいいのか。憎悪。忌避。敵意。どの感情も芽生えず、ただかすかな憐憫と、水先案内人という認識だけがあった。それくらいのことでしかない。おれは、この男を信じていた。確信だけがあった。自分と同じように、どこかで間違い、それを正すことで自らの奥深くを回復しようとしている男だ、と。だがおれはなにを回復できるのか。名誉。正気。元通りの日々。もう正しようがなく、あの赤い炎で焼かれてしまったじゃないか。
頭痛。安らかさを求める。頭痛。ソフィとともに眠ることを求める。頭痛。
また、ひどい頭痛がしている。
都市のうちにあって不完全な台形を描く、広大な封鎖区画の端から端、一辺が二十キロ近くになる範囲を、防疫線は覆いきっていた。鉄。コンクリート。特製プラスチック。三位一体で高さ三十メートルを築く壁は皓々と白く、病魔を封じる表層色彩は時の流れにくすむ。さらに上に塗布されたナノレイヤーの囁き――生物学、拡張識工学、法制上の警告――淡い緑がうごめく。そして内側には黒硝子の細片となった夜の気配がすがりついていた。壁にひらいたほつれ穴を抜けた先に、人工の灯りはない。都心から数十キロ、壁一枚を隔てただけで道はひなび、殺伐とした郊外が横たわっていた。当然――公的には人の住まう場所じゃない。深いひび割れに時間を滞留させたアスファルトを照らすのは月の薄明かりだけだ。
闇と結託して額の裏に忍びこむ霧もまた厄介だった。
夜の深さに反した白。これをよく見れば、幾千幾万と引き裂かれたこまかな四角形の集合体だと認められた。全通信帯域幅と身体電位にかぶさっては拡張識のデータを分解、とんでもない量の画素片を寄り添わせて、再構成し、視野へと満たす白色騒音だ。くそエフェクト。おれが呟けば物部が応じる。近頃のナノテクでもまだ除染できない第一次首都圏争乱の落とし胤、封鎖の理由、電層災害さ、と。電層災害。こうやって大仰な造語で表される現象の根本には大気、水中、土壌を問わず封鎖区に蓄積した、独自ドメインのナノチャフがあるらしい。風もない廃墟に白がスクロールし、近寄り、息を吹くだけでふわりと画素片が散る。リアルタイムの振る舞い。どうせ贋物だ、と開き直れもしない。
霧――圧迫する記憶――早朝の薄闇を、ソフィと歩いた記憶。指先を掴むぬくもり。滔々と好きな音楽のことを喋りつづけるのに耳を傾けた。いまへ歩みだすまでの猶予期間だった。
喪われた時間はあまりに多すぎる。
頭痛がした。
かならず追いついてやる。
頭痛が杭のように奥底へ沈む。
「濃いやら薄いやら、厄介だな」
「拡張識を落とさない限りはつきあわなきゃならないよ」
「できん相談だ」
おれは言い、しなびたオレンジの房のようにかさつく唇を舐めた。
拡張識からのログオフ――ナノマシンで端末化した人間にとっての脅威だ。アシストの欠落は認識力を削ぎ、防壁をとけば脳をさらすことになる。隙間を狙ってくる遅効性ウィルス。アンテナを使った脳誘導電位。ひらいた頭蓋への入口を掘る方法はなんでもござれだ。
「まるで呪いだよ」
言いながら周囲を見回す物部は、巨体に反して気配を殺す挙動がきわめて上等だ。軍隊育ちを思わせる、効率よく、被弾しにくいよう縮こまるスタイル。それを環境同期彩膜が包んでいた。書類をごまかして装備課から持ちだしたというジャケットモデルが夜間視認性を潰す。色素変成デバイスにより、一秒に数十回、色相を遷移させながら、体型にあわせて伸縮し、輪郭を溶かして幽霊めかした曖昧さをつけくわえている。同じものをかぶったおれの腕先もずっとちらついていた。闇とのあわいがはっきりしない色のどよめき。
ナノチャフ密度の変化――景色がうつろうにつれて霧に濃淡がつく。線路から離れると篝火となったドラム缶の揺らめく火が、路傍にはった霜をつやめかせていた。
色あせた商店街のアーチがかかる区画には、サイエンスの幽霊となったおれたちの他にも幽霊がいた。目立つのは薄汚れた都市生活者とスラブ人だ。分厚いデイパックを背負う屍のような猫背が、襤褸を重ねる達磨めいたのっぽが、一桁の気温を無視したTシャツ姿が、胸にベーコンのナノレイヤーをぶらさげるデブが、焚き火のそばガンジャの芳香をくゆらせる若造が、明日の寄る辺も知れぬ人々がデータの残骸を身に載せる。輪郭を隠されている。蜃気楼のように背丈を引き伸ばされている。スクラッチで顔が乱戦状態のチェス盤となっている。生の感触にかき乱し、こちら側に住まう者として帳尻をあわせていた。
誰もグロテスクなバグの継ぎ接ぎを気にとめようとしない、不気味な光景だった。
よそよそしく切り離されながら息づく二重都市。見る影もない町をどうとも思わず、汚濁を知りながら、平気で腰をすえている幽霊たち。それらを横目にゆるやかな傾斜路から路地へ折れていくと、いきなり道が狭くなる。かつての住宅街はしずまりかえっていた。人影もなくなり、また道がひらけると、小高い地形に角ばった輪郭が見えてきた紗幕を介した、半端に掘り起こされた化石のように眠たげな様相。地域再建のために建造された場。くつろぎと平穏の地となるはずだった、ヴァンダリズムに殺された団地群が、戦場の跡を思わせる。その奥に、層状モジュールの遠いきらめきが散る。切り離された辺縁の遺跡――
「気をつけて。地雷がある」
白熊のひそひそ声。じきに、波紋のような切れ切れの青が、曇った視野に映える。
「ああ。対人だ」
「よく言い切れるね」
「昔はしかける側だったからな。詳しいもんさ」
低く答えた。遠いネブラスカの記憶。目の奥でおれの解き放った烈火がきらめく。地雷たちが敵兵を薙ぎ倒していくいびつ全能感。目の奥で夜に舞う鮮血がきらめく。四肢を欠損しながら撃ち返してくる怪物にやられた仲間。目の奥で銃口炎がきらめく。近距離からの爆炎で焦げた膚。頭痛が隠した闇の緒をくすぐる。頭を振り、蝿のようにたかる頭痛を払った。
やがてニコンが、路上にうずくまる高比重グラスファイバ・パンケーキの灰色に青い輪郭線をまぶした。アームスコー硝片跳躍散弾。地上一メートルに跳ねて細片を吐き散らす南ア生まれの伏兵。天辺にともる、白葡萄色のランプが掲げるのは、モーションセンサ警戒だ。
隊伍は行儀よく道を横切り、段差をまたいで地形を囲っていた。円い表示層の青――素子の読んだセンサ射界が破線をかけていた。霧が深く奥行きがわからないが、この調子じゃ一帯をフォローしているのは確実――とはいえ、小さくとも道はあいていた。魔法の呪文を求めるセンサ間の小径。おれは先導を告げ、チャフによる破損で表示バグが起きても気にせず道筋を書きこみ、慎んで歩んでいく。光学的張力は筋をわずかに外しただけで破れかねない。
「こいつら、こっちじゃ規制されてるたぐいだろう」
と、おれは靴の底を念入りに擦り、安全を確かめながら呟く。
「国際規定には批准してるけど、だからって持ちこみは不可能じゃない」
「まあ、やる気になればうちからいくらでも引っ張れるだろうな」
「やんなるね、いやはや」
物部は、演技がかったため息をつく。危なっかしい道具の密輸シェア――五割を占めるのが北米由来――アムステルダムコネクタから東欧系マフィアが送りだす。共産圏の崩落から半世紀近く経ってなお、あの地域の濁りは深い。聖地たるアルバニアでは汚職政治の結託が一般的。ルーマニアは軍事衛星すら私有化。チェチェンに至ってはドブの底だ。経済活動を営む怪物は山ほどの在庫を抱えて世界内戦と踊っていた。
「あとそもそもさ、こういうのを取り締まるのも内務庁の仕事だから、業務上のコネを悪用すれば手に入れるのもそんな難しくないんだよね。残念なことに。賄賂って得を目当てに見逃す子らもいるし、それを蹴りだして職員でいるには徳が必要だなって思うよ」
それは洒落か、とおれが問うと白熊は足を止めた。弁明の言を選ぶように微妙な身振りをしてから、諦めたように頭を振り、ごまかしへと転じた。
「地雷原、抜けたみたい」
二十メートルに及ぶ警戒の帯を抜け、やっとひと心地つく。おれはシグを右から左へ持ち替える。関節がきしむ手の先を振りながら、
「だな。それにしてもはた迷惑にすぎる話だ」
「それでいてよくある話。汚職と無縁の治安機関なんてそうないもんね」
物部は太い首を嘆かわしげに振った。
「皆無だな。法より出世、さらにいえば金。ジリ貧になれば倫理に先んじるもんさ」
かつての相棒、クリス・マークィスもそうだった。勇敢な女。だが家族を切り崩すほどの勇気と頑迷さはなかった女。息子の未来を守るため押収物をくすね、故買屋に流し、不釣り合いな高額を得て、しかし抜かったために内部調査で食い殺された。輝ける未来は高くつくの、と告げる疲れきった声。それも遠い昔のことに思えた。
遠い。どこまでも遠い。なにもかもが、おれから遠ざかっていく。
見回せば、気を巡らせない間に白い闇の濃度が極限まで達していた。すでに敷地内にはいっているはずだが、自分がどの地点に足をおいているのかもはっきりしない。見当識失認を誘いうごめく姿なき嵐のなかで、視界深度は五メートルから、さらに狭まってくる。
収斂したノイズが足元すら霞ませる。おぼつかなくなっていく。吐いたそばから気化していく息を、大小の画素片が包んで、デジタルノイズに見せかけた。物部=サン、と問いかける。応答はない。おれは眼差しだけを転じるが、そこにあるのは平坦な、霧だけ。へたに体を動かせばどこに向かおうとしていたかもさだかではなくなりそうだった。おれは道に敷かれた白い石板を頼りに歩くうち、何かにつまずく――死体――喉から血液が流れつくした肉の塊。鋼灰色のスーツと漆喰を塗りこんだようなパラクレイトの胸部装具。特殊治安機関の装いを失敬すれば、懐から内務庁のロゴ入りIDがでてきた。先客か。喉にこさえたもう一つの口は真新しく、横にすべる断面が切れ味を見せつけていた。
水瀬イザナの剃刀。腹がうずき、思わず奥歯を噛みしめた。
背後で足音がした。霊感的反応――体が自然に応じ、シグの銃口を向ける。
視神経に雫を散らし、分離し、ふたたび凝集するノイズ。形がない白のなかにたしかな輪郭をもってこまやかな人体の曲線を作る。
視界の中心をゆがませる光が視神経をうがち、歯車の光点が静止した。見知った顔が組み上がろうとしていた。乳製品のような肌に雀斑が散り、白銀をまぶしたような髪が夜に揺れて流れ星となり、おれの脳に飛びこんだ。目と目が合い、深く息を吸う。ひどい眩暈が覆いかぶさろうとしていた。ソフィ……。おれは名を呼ぶが、そのとたんにソフィの顔立ちは変わり果てる。桃色のケロイドが白を飲みこんで右の目を濁らせる。息が止まる。頭痛がした。悲しげなまなざしがおれを責めていた。眩暈がした。指の節々が熱を帯びてきしる。頭痛がした。体に広がる熱い痛み。正気を呼び止める、針のように硬く細く冷たい頭痛。
おれはかたく目をとじた。
あのとき、そうしたのと同じように。
あのとき、目を背け、逃げだしたように。
フラッシュバック――藺草の香り――過去を想起させる青いかおりがした。新しい畳パッドの薫香。座禅の直線的精神軌道。言われるがまま背筋を伸ばした。和風趣味も悪くないでしょう、と医療スタッフがほほえんだ。まあね、とだけ応じ、胡座をかくようにという指示に従った。瞑目。カウントにあわせた呼吸。肺胞を膨らませ、心を落ち着かせた。
八つ数えながらゆったりと息を吸い、頭蓋をうわごとで満たした。
眩暈がした。汚らしい考えが眼底にこもるような眩暈。
八つ数えながらはっきりと息を吐き、うわごとの渦を消しさった。
眩暈がした。己が奈落の底から昇ってゆくような眩暈。
ネオンの蛇となった輝きが瞼にのたくり、無色の虹が、複雑に絡みあい、やがて光の海へ四散。シカゴの光輝が華やかに蘇った。脳髄がデコードする地獄の兆し。瞼をひらけば、心臓の絶え間なく搏動だけがおれを包んでいた。医療スタッフはおだやかに告げた。それが、憤怒という内圧を逃がすための初期思考調整です、と。
あのとき、おれは新しい生活をはじめるために最善をつくしていた。名誉除隊したオペレータに向けた戦後保障システムに包まれながら、見知らぬ日常に戻るすべを探していた。なにより、戦争の残り香を消すため必死になっていた。重々しい恐怖。虐待者を殴りつけたあの夜の、ほんの数秒だけの悪意がおれを圧迫していた。あの油じみた喉首の厚みと、死に向かって痙攣する命の残りを数えあげ、圧搾する手触りが残っていた。ほんの数秒の、だが、どこまでもほんものの殺意。気まぐれな無分別が、ソフィを裏切り戦争熱をむしかえした。人殺しだった日々。南軍とそう変わらない、機械じかけの怪物としての熱だ。
約束をしたはずだった。誰も殺さない、と。小さなソフィを守るため手を汚し、大きな瞳を涙で濡らしてしまった。もうそうならないように約束をしたのに。おれは、いつかおれ自身の手でソフィを壊してしまうのではないかと思った。
おれに必要なのは、腹に巣食う怪物を飼いならすことだった。
転機――ホーム・オブ・キュアへの訪問。金と上等な社会福祉をもらえる、元機械化部隊オペレータ向けの臨床職業訓練ってところ。そう言ったのは、軍時代にはともに最尖端をめぐり、あのときおれをホーム・オブ・キュアに誘った男だった。政府機関と連携した医療システムのもとでおこなわれる、研究と同居した職業訓練。セラピーと拡張識アドオンによるフィルタリングがあなたの可能性を最大にします。パンフレットや医療スタッフの口を、自己啓発めかした言い回しが飾っていた――胡散臭く自信満々の語調。
「この実験は、あなたの理性の軸をさだめてくれるはずですよ」
初対面でさんざっぱらおれの過去や考え事をほじくったあと、担当スタッフの女はそう言ってほほえんだ。同年代だろうこの女の頬ときたら粘土の柔軟さそのものだ。真剣な目。わざとらしく深刻めかした顔。笑い。ころころと顔つきを変える触れたことのない人種――おれは戸惑い、舌のどこにすべらせようと枯れ草の絞り汁にしか思えない日本茶を飲みほし、
「さだめる……」
「そう、さだめる。左右にぐらつく理性をね」
担当スタッフは人差し指をメトロノームのようにチクタクと振り、
「その気があればどうとでもなるんです。わたしたちが南で回収し、改修した技術なら、無意味な振り幅をなくして、あなたの可能性を最大にできる。例えば、あの散々な内戦で生じてしまったPTSDに処置を加え、不必要な恐怖や、衝動的な暴力、そういう心理的な圧迫をとりのぞくんです。あなたが参加するのは、そうした処置への根拠を獲得するための臨床試験です。オペレータを暴力の影響から保護するための心理解剖学に、より深度を与える。心をダメージから遠ざけるプログラムというのは、ずっと昔から研究されているんです。この実験はね、あるいはそうした研究の総決算となるかもしれないんですよ。まあ細かいところは進展次第ですけれど」
「ずいぶん細かく教えてくれるんですね。モルモット扱いかと思ったが」
「まさか、モルモットなんて……動物実験じゃない。協力していかなきゃいけないんです」
おれはどう応じればいいやらわからず、片方の眉をあげて冗談っぽく笑った。あのときはまだ、変節の効果を知らなかった。息を吸う――ひどい頭痛がした――息を吐く。
怒りを殺す。