[きみ]と。後編
 翌日、私は電車に揺られていた。たまには帰っといで、と母の電話越しの声に誘われるがまま電車に飛び乗ったのだ。郷里に顔を見せるのは半年ぶりのことである。
 片道一時間の短い旅。ニニシッポリの駅前には、いつの間にやら現代芸術的オブジェが立っていた。鏡面仕上げと思われるピラミッドはでんと腰を据え、冬の日暮れに照らされるつんけんとした立ち姿はいっそおぞましい邪魔さである。ここまでくると芸術とは一体なんなのかを問い詰める気力すら出てこない。バスターミナルからの景色をさえぎる金属製税金泥棒に背をむけ、自販機で買った烏龍花伝を舐めながら一路実家を目指した。
 実家の玄関で出迎えた母は、旋毛を逆回転させる勢いで私の頭をくしゃくしゃと撫で「お久しぶりだね娘さん、元気そうヂャン」と大いに笑った。まるで肉食獣が我が子と戯れるがごとき様相であり、久々にこれをやられて耐えられず「うにゃー」と目を閉じた。顔に出さぬまでも薄く不安視していた小言は案外に飛んでこなかった。私は拍子抜けしつつ、揉みくちゃにされながら「こそばゆいこそばゆい」と念仏めかして呟きをこぼした。ブーツをほっぽってリビングに上がると、ひとまずは剥いた林檎を食べながらのゆるりとした団欒となった。父はまだ単身赴任の身なご様子で、家は静かなものだ。
「一人で過ごすってのも甘えたがりにはいい修行」
 母は寂しげに肩をすくめた。父は寂しんボーイなのである。
「そういうものかな。悪化しそうだけど」
「アレもしょうもないように見えて大人だから、きっと大丈夫」
「ふぅん」
「そうだ、カレー食べるかい……。今日はとびっきりにおいしく作れたんだ」
「いただきます。ごはんたっぷりでルーは少なめね」
 母は、機嫌よく頭を振った。リビングにはすでに芳ばしい香りが舞って空腹を刺激するし、なにより母の作るカレーは常に一流だ。
 皿が運ばれてくると、なんとなく友達ができたと話した。母は意外だと云わんばかりに眉をあげた。小学校高学年で理屈っぽくなってからこちら、あまり学友にかかわる話題を好まなかった私のことだ。そんな眼差しに晒されても致し方ない。
 友達が一つ目の少女だと説明すると、興味深げに「ふふーん」と鼻を鳴らした。私はカレーを食べながら母の応答を待つ。文筆業であるためか、暇を飽かすことの多い母が一から作りこんだカレーは、クミンなどスパイスが感激衝撃素敵な芳香を含み、素晴らしい味わいだ。なにか云ってよと声をかけようにも匙が止まらない。母も私も物思うまま黙しては銀匙を口に運んだ。額に汗をかきかき咀嚼していると、語らぬまま時間がたち、こうなったら非を鳴らされるのではないかと、いよいよ不安になってきた。
 皿を空けた母は大きく一息ついて、
「妖怪とつるんでるなんてねぇ」
「まあ、ちょいちょいと。いい子だから日常に彩りが増えた」
「物好きもいたもんだわ」
 母は冗談めかして陽気に笑った。
「あの子にも同じことを云われたことがある」
「あんたと付き合いがあるんだから偏屈か素直かのどっちかでしょ」
「後者。私は同類と話すと機嫌が悪くなるもの」
「まあ、なんにせよ友達ができることはいいことなんじゃない」
「そうだね。うまくやれば安易に友達を作れる社交性をぐんと育めそう」
「自信過剰なところまであいつによく似ちゃってもう。こないだ電話したときに同じようなことをうそぶいてたよぅ」
 云いつつ、母は皿を片付ける。私自身、神経質そうな丸眼鏡をかけた父と共通項をときに見出すが、そこまで似ているのか。改まって告げられると面映い。
「父さんなら古今も東西も問わず、誰の心にでも鏃を立てて射止めるだろうな」
「かくいうあたしも心を射ぬかれてね。ただ、さ」
 母は一拍おいてシンクに寄りかかった。
 類稀なスパイスの妙味を楽しみながらの思案を遮られ、どうしたものかと見返した。こういう慎重な態度をとるのは珍しく、いつもの陽気さに影が挿すのは穏やかではない。
 冷蔵庫へと顔を背けた母は、
「お互いの関係、大事にしたほうがいいよ」
「藪から棒にどゆこと」
 私は手をとめた。あまりにも当たり前のことを云われると困惑するものである。
「妖怪っていうのはさ、あたしらが油断してると、どんなに仲がよくったって消えちゃうことがあるんだよ。これは忠告ってほどのことでもないけど」
「要領を得ませんな」
「怖い顔しないで。ねえ、ちょっとオカルトっぽい話をしていい……」
 やおら問われて頷き返してしまった。母曰く、妖怪とは「望み」の断片らしい。闇に怯えて、想像もつかないものが棲むのではと疑う。そこに意味を与え、畏れと好奇心をもって投影して生まれたようなものなのだという。記紀神話には産霊ぶとの語があるのは私も存じている。それはこの世に魂が結ばれ、形作っていくという意味を持つ。
 良きにつけ悪きにつけ、妖怪は、人の思いや望みによって結ばれていた。それは永らく人と在ってきた者であろうと、変わりはない――らしい。
「だからさ、本当に大切にしてあげなきゃ、ふっと消えちゃうことだってあるのよぅ。なんでかはわからないけど、ぐぐっと握った砂の粒が指のあいだからするって抜けてくみたいにね。あんたが昔好きだった一つ目のお姉ちゃんも、さ」
「あはん……。もしかして初耳な話をされてるのかな」
「云ってなかったっけ。あのお姉ちゃんもね、いきなり姿を消しちゃったんだよ。あたしもびっくりしたな、あんときは」
 母は取り繕うように頭を掻き掻き、
「だからさ、大事な友達なら、目を離しちゃダメだぜ。娘さん」
「はぁ……」
 定まらない思考の欠片を集めとするが、おじゃがを噛んでいるとほくほくした食感とともに崩れてしまい、うまくまとまらない。実際のところ、私が参照できるようなものは本で読んだ青春と、最早こじ開けることも叶わぬほど錆びついた錠前で封をしてある、数年前の記憶でしかない。私は経験則の不足、曖昧模糊とした別れのほのめかしに困り果ててしまった。「うむむむ」と唸る私に母は笑いかけてきた。
「ねえ娘さん、あたしはあんたの寂しがる顔を見たかないからいってるだけだからね。意地悪とかじゃなくて。だから、そういう声を出しなさるな」
「うむ」
「あと眉間に皺よってる」
「おっといけませんな。年食ってからつけがくる」
「そういうこった。乙女たるもの、いつだってニコニコっとしてなよぅ。っていうか、不安がらせるようなこと云っちゃいけないね。せっかく友達できたのに」
 母は気まずげに肩を落とし、またしても林檎に包丁を当てた。食後の甘味を別腹に収めながら当たり障りない近頃の話をした後、私は雑多な冷蔵庫から赤玉ポートワインを拝借した。帰る前に体を暖めておこうというのが狙いである。
 居合わせた母は瓶を指差し、
「あ、こら、勝手に飲んじゃだめ。もうあんまし残ってないんだからさ」
「これは申し訳ない、いやほんとうに申し訳ない」
「謝ってもお酒は戻ってこないよぅ。気付け薬の代わりに取っといたのに」
「諸行無常の響きがあるね」
 二度三度とコップを空けた。
 強い甘みと、むせるような葡萄の薫りが喉を降りていく。
 母はふくれ面をしてブーブー云うが止めはしない。フリーダムな応対であるが、昔話を振りみればそれもまた当然かもしれない。母もまた私ぐらいの年頃には赤玉ポートワインの瓶をやすやすと乾して、往時は若い狸衆との呑み比べに大勝を飾ったというのだから。京都洛南は伏見に座する生家で暮らしていたときなど絶頂期であり、一度ながら天狗と張り合ったこともあるそうだ。洛外は塔ノ島に咲き誇る桜を肴とした、屋形船に揺られながらの酒宴。そこで呑み比べた挙句、戦利品として団扇をぶんどり、勇名を馳せたというのだ。団扇は古びたブラウン管テレビのうえに鎮座ましましているが、なんともはや威厳もなにもない。母の生業は文筆業であるからして、そこから発した虚言という可能性も否定できない――とまあ、この親にして私ありである。
 それに床下収納にもう何本かが常備してあると存じ上げている。一本や二本乾したところで困りはしないのだ。そんな大人げないことをするような私ではないが。
 もう一杯、あと一杯と味わいつつ胃に送ると、じきに指の先の先まで火照りが行き渡った。ほかほかふわふわして気持ちよいが、ここに気だるさが混じると危うい。私は自室から持ち出した書籍をバッグに投入し、すばやく帰り支度を済ませた。そそくさとした手回しは逃げ支度のようにも見えたかもしれない。
 荷物を抱えて玄関で靴を突っかけていると、
「ちょい待ち、娘さん」
 呼び止めた母が私を抱き寄せ、またしても頭を強く撫でてきた。
「お、ピアスなんてつけるようになったんだ。気づかなかった」
 と母は私の耳をさすった。こそばゆくて変な笑いが出そうになる。
「安物だけどね。色づいてみようと思い立ったんだけど、結構痛くて驚いた」
「そりゃあ当たり前でしょ、穴を空けるんだから。ね、正月が明けたらさ、ちょっとお高くとまった店に行こうぜ。かわいいのを買ってあげる」
「うん、行こう。楽しみにしてる」
「機会見てまた電話するね。それと学校は休んじゃだめよぅ。先生に厄介かけると」
「あとあと面倒、でしょ。大丈夫、都々目さんがいるから毎日楽しく行ってる」
「そっかそっか。それはいいことだ。じゃあ、帰り道は気をつけるんだよ」
 私は手を振って挨拶の代わりとし、ほてほてと実家を出た。帰り際に押しつけられた袋詰めの林檎が重く腕の関節を嘆かせた。
 酔っ払う頭を首に乗せて、私は定まらないリズムで足を動かした。午後八時の闇は、浅からぬ静謐に満たされていた。この道を通ってもべとべとさんに追われなくなったのはいつからだろう。母と買い物に出た帰りなどは、少しでも夜が深まるとよくついて廻ったものだ。私は怖がるどころか面白味を見出したものだが、音に敏感というか、フェティッシュのある母はいつも嫌な顔をしていた。よく声を揃えて「先へお越し」の符丁を唱えたものだ。越していく姿形は悪戯っぽく笑う糸目の男の子だと記憶している。
 それも遠い昔のことだ。今は面影もない。
 中学生の頃、仲の良かった子と話しながら通った通学路の四辻を曲がる。かつてはパノラマを閉ざすように聳えていた板塀は倒されてしまっていた。元の面影はなく、すっきりとした家々の灯りが路上を、夜を汚していた。
 帰るたび、よく知る景色は削れていった。高層化を推し進められた建物はにょきにょきと景色に割りこみ、昔あったものは造成で潰されていく。記憶のなかにあるものを奪うのは都市計画だ。メタボリズムが古きを噛み砕いては新しい建材で埋めていく。思い出は角砂糖。甘く、脆く、かけた粒子は蟻に運ばれてどこかにいってしまう。
 空を泳ぐ月も地上からの光に倦み、砂糖の白さだった。
 歯を立てたらサクリと欠けるに違いない。
 私は欠伸をして、乾いた目尻に涙がたまるに任せた。
 酩酊のせいか寂しい道々がとぐろを巻いた迷路に変わり、そこに母の声が溶けた。どんなに仲がよくったって消えちゃうことがある。足取りが感傷的にこんぐらがっていく。
 ふと、あの子は元気にしているかだろうか、と考えが浮かんだ。
 最も長くを友人として過ごし、そして私をはねのけたあの子。過去のあれやこれやを巡らせながら水音がちろちろと鳴る橋を越え、駅へ出た。
 タイミングよく到着した電車に乗ると眠気が蒲団めかしてかぶさってきた。呆然と眺める車窓には曖昧な夜光が流れる。等間で伝う振動に揺られているうち、抗うことも叶わず、浅瀬に誘われた。短い眠りのなか、長い夢をみた。幼い記憶が鮮明に蘇り、凝縮され、再生される。ただ視線の高さが今のままで、それだけが違和を残した。忘れようにも忘れきれない。かといって忘れねばやり切れず、先に進めない。そんな時期にかかわる夢だった。
 中学時分、最後列に陣を組んだ私は隣席に座する同窓生に恋をしていた。席決めの籤引きによる廻りあわせで縁が結ばれた季乃祈さんは、児童文学を好む人であり、あの時期の私もまたその界隈を読んでいたのだ。エンデやライラントの本について語った。ときどき貸し借りして、感想を交わすうち、仲を育み、いつの間にやら恋をしていたのだ。
 祈さんは天真爛漫を絵に描いて顔はもちろん背景にまで印刷したような子だった。それまで触れたことがない種類の人間に私は感銘を受け、自己紹介された際など「世にはかくも柔和な女の子が」とおののいたものだ。幼い私はいつもにこにこと微笑む祈さんとの日々に一切の幸福ポイントを振りわけていた。学校での勉強。休み時間の楽しいお話。放課後になれば彼女のペットである柴犬を連れて出た町中への散歩。「また明日」と云い合う明快な日常。振り返ってもみれば、物心ついてから最も読書量が少ない一年でもあった。
 誰かと歩く幸福に踊る、呆れるほど前のめり姿勢だった。
 仲睦まじさは同級生連に後ろ指をさされるほどであったが、気にするほどでもない。笑いあい、ときには泣き、二人で過ごした。しかし魚の釜中に遊ぶが如しとはこのことである。安らかさの適温に慣れきって、完全に油断していた。
 物事は一年と続かなかった。私が彼女を愛するように、彼女もまた私を――このような淡すぎて正しい色味に欠けた期待は、私からあっさりと正気を奪った。
 夢はまさにその瞬間を切り取り、嘲笑した。
 繰り返されるのは夕焼け空のもと、「好きなのです」と緊張して角ばった息継ぎをする私の不恰好さだ。勢いが止まらなかったのだ。祈さんは眉をひそめていた。
「なんで」
 ためらいがちの三文字で私をすくませた。
 好きである理由をこんこんと説明しようにも、舌足らずだった私は喉に餅を詰まらせた老人よろしく黙りこくった。うめいた。持論を開陳するには口が重く、また恋情もその甘味にそぐわない異様な重さでのしかかってきたのだ。
 深まっていく夕闇に、怖い顔をした祈さんの瞳がガラス球の透明度で浮き立つ。私は声を掛けねばと焦るのだが、胸に鈍い痛みがあって息すらできない。
「そんなの変だよ。わたしもタミちゃんも女だよ」
「おかしい、でしょうか……」
「絶対変だよ、そういう好きって男の人と女の人のでしょ。それに、わたしとタミちゃんはお友達だよね、そういうのじゃないでしょ……」
 叱責が私の胸を突いた。彼女は日頃から難しい言葉遣いを嫌うタチであったから、このときもまた単刀直入だった。「好きとか、なんか違うよ、変だよ」とよっぽを向く仕草は、容赦ない拒否となった。云い返すことすら叶わずに一歩踏み出す。
「そういうのって、気持ち悪いよ」
 ぼそりと放たれた矢が、浅からぬところまで私を刺した。
 祈さんは、柴犬が嘆くほどリードをぐっと引き、
「帰る」
 ともりはじめた家々の明かりが連なる路地を駈けていく。後ろ姿は夜に滲み、すぐに見えなくなった。追いかけるか、大声で引き止めるかすべきだったのかもしれない。
「あ、ねえ、待っ――」
 過日の私は、つっかえてしまったのだ。ぽつねんと夜に取り残されて独り泣いた。
 意味不明の声にならない感情はしどろもどろな私を乗っ取った。夢が演じさせるのは不様なまでに戯画然とした泣きっ面だ。その後の委細は心のどん底で扉に鍵をかけて閂をさし溶接どころか二重門までとりつけているので細かくは掘り返せないが、日常会話すらつまずくようになり、不自然な形で疎遠になった気がする。
 あの日の出来事が一度繰り返す。二度繰り返す。
 三度、「なんで」と問われたところで、眠りが醒めた。
 車窓には見覚えのある駅前のネオンが輝き、下宿の最寄り駅である如月へと辷りこむ。降りなければという一心で夢を洗い流し、空っぽの頭でホームへと出た。がらんとした改札を抜けて帰り道に出るうちに、夢の残り香は遠のくどころか増してきた。数年前のつらみで胸をえぐられつつ、ひとつの思いを認めざるを得なくなった。
 都々目さんへの好意である。かつて過ごした日々や抱いた思いに似通っているどころか、それをいくらか上回っていた。
「都々目さんのこと、好きなのかもな」
 そう口に出してみた。すると顎先から頬までが烈火をまとった。全身に燃え移ったそれはまぎれもない恋の実感だった。恋心とは、いざ火がつくと万華鏡の鮮やかさで世界を揺らすことを知っていた。一色。二色。三色。日をおうごとに増えゆく色合いが私の目に飾りを通し、きらきらしていた。都々目さんと過ごす日々が色づいているのも当然だ。
 きらめきの意味を知っているからには否定などできない。鳩尾がふわりとあたたかくなった。一方では祈さんとの記憶の葛籠を開けてしまった痛みが蟀谷に沈む。
 喜びと痛みが絶妙に入り交じって、まだ残る酔いに化学反応を起こし、行き先が見つからぬ情に「残念な結果が待ってるなハハハ」と云い渡す夢の残りが頭を盛大にふらつかせた。食べたカレーを大地に帰してしまいそうなぐらつきである。他人への思いがこうもまとまらないとは。下手打てば過日を繰り返して目前の幸福を棒に振りそうだった。それというのも今に至る前、無為な年月で青春を残り汁の一滴も残らず浪費して過ごした、怠惰でぺったりした生活が悪い。だが今更悔いても意味はあるまい。
 案ずるのは、私はどうしたく、どうすべきなのだろうということであるが、歩けど歩けどわからずじまいだった。一言一句たがわずに伝えられる自信はなく、口を噤んでいられるような自信もない。どれほど虚勢を張ろうとも、ないものねだりになる一方だろう。こんな調子で、今後、都々目さんとうまく接せられるのだろうか。
 不安に頬をつままれたせいだろうか。目頭が熱くなった。凍てついた夜風が一筋の涙跡をさらって、頬がいささか痛かった。


 家に帰り着くと、あらぶる吐き気にさきがけてシャワーを浴びた。
 髪も乾かさずトイレでけろりと吐き、蒲団にもぐり電気毛布をたぐり寄せる。そして泣く意味すら押し流す瀑布となった鼻水と涙で枕を濡らしていると、いよいよ世界の終わりに到着した暗澹たる心持ちとなった。無闇に濃い悲しみが紙吹雪よろしく暗い部屋を舞い踊り、夜目になれるとともに縦横に張り巡らされた、恋の赤い架空線に手を伸ばしてピンと弾いてみる。すると手触りがなく、虚しさが私の額をパシリと叩いて表面張力を破られた洟水が垂れた。実際には脱力した手の甲が落下してきただけである。
 違和感なく話こめる誰かと出会ったから、前のめりになりすぎて恋と信じこんでいるのか。芽生え始める自己疑念を胸の内ですくいとる。神妙に考える。そんなことをしていると答えもなく胸騒ぎがしてくる。頭の上まで引きあげた蒲団の重みと日向の匂いが仮初めの愛情で迎えるが、やおら人恋しさに連結してしまい、また目頭が白熱する。
 あの子が横にいてくれたら。手を握れたら。体温を肌に移してもらえたら。
 望みばかりが膨れ上がってゴム鞠のように膨れた挙げ句、醒めきらぬ酔いが鋏となって意識をプツンときった。眠りに落下する刹那に「ワガママハナラヌ」と自分に説教を垂れられた。そんなこと重々承知。果てしなく余計なお世話である。
 翌朝起きると、勢い良く飛び起きて冷水で顔を洗った。
 水が伝っていく頬を思い切り張る。
 くすぶった顔をしていても、どうせ夜な夜な感傷を振りかざして嫌らしい自己愛に浸ってしまうのがオチだろう。今をもってゆるみきった心の螺子をしっかと巻き直すのだ。これまで独りでいるのに順応できていたのだ。今更、恋情一つに踊らされてどうする。私は偉い人間であるからしてくだらない二の轍を踏むような真似はしない。この誇り高い自意識を棒に振るほど安っぽくもない。というかそもそも恋慕する相手に妙な心配をさせるような仕草をむき出しにするなど、もってのほかではないかッ。
「まったく、もってのほかである」
 と声を上げ、冷水にひりつく頬をさらに叩いた。それから、強くやりすぎたと後悔しながら優しくさすった。何事もやりすぎは禁物である。
「痛くされるならともかく、するのはイカン」
 独りで何を云っているのだろうか、私は。急に我に返るのはよろしくない。


 クリスマスイヴイヴからイヴを無為に過ごし、おざなりな薄雪が降ったクリスマス当日をバイトで潰して売れ残りのケーキを安く買い上げ、一人寂しくかっ喰らっていたところ、お出かけの日は眼前まで迫っていた。数日ぶりに会う都々目さんはにこにこ顔であり、前髪をとめて彩る鋏ピンが愛らしかった。眼鏡は珍しく、黒いセルフレームである。
 ファーストフード店で食事を摂ると如月西町南の停留所からバスに乗りこみ、おとなりは種俣市への、ゆるりとした旅路についた。車窓に揺れる景色は楽しいものだ。電車のように万物が素早く往きすぎてあゝ無常と思うでもなく、見聞を広げるに足りる。以前は「思春期など所詮は外界を知らず半径五キロ圏内で全生活を終えるもの」とたかをくくっていた私だが、走っていく景観を見ていればそうでもないなと得心できた。都々目さんと過ごしていると世界の本当の大きさを理解できる。
 見知った景色が終わり、ささやかな未知が始まっていく。おとなりに座る都々目さんは、二台持つカメラのうちの軽いほうを持ち上げては写真を撮っていた。下唇をゆるく噛む癖は見慣れているはずなのに、横様から見るとまた新たなときめきを見いだせた。
 そのかわいげに、感情もろとも顔面がほころびかけた。不用意にだらしない面を呈するのもよろしくないので右の口端だけをニシャリと笑わせた。
 用心していれば雑念は出てこない。少なくとも祈さんのときと同じ失敗だけはしないで済むはずだ。鉄面皮の緒を食いしばってこれまでの数年を偏屈に過ごしてきた甲斐もあったものである。そのせいで中学校ではロクに友達もできず、これまで長らくの待機期間によって青春を空費したのだから罪深いものではあるが。いや、罪深いと叫ぶことで分割払いできるよう罪深さを細切れにするのも、これまた罪深いのではないか。
 妙なことで懊悩しても詮ない。私も途中からカメラをむけた。停車したバス停のそば、錆びて塗装がぷつぷつとほつれたコカコーラ印のベンチにて、香箱座りをした三匹の猫が顔をじっと突き合わせていた。白猫、キジ猫、サビ猫が真面目な顔でなにやら鳴き声を交わしている。まるで会議でもしている様子だ。私はその光景を収めた。
 またバスが動き出し、猫たちは遠のいていく。
 見慣れない種俣の町をファインダで舐めていった。カメラのレンズをむけるようになってからというもの、捉えるべきはいかなるものか今一つ分別がつかないことに気づいた。何が見え、何が見えていないのか。何に面白みを見出し、見出だせないか。限定された覗き窓に気に入った像を結ばせようとして迷っては失敗して、シャッターチャンスを逃して、ぎりぎりで見送り、機転のきかなさに顔をしかめる。いかに真摯であろうとも、視座が定まらぬゆえの無為が見えてくるのだ。
 これまでグローバルな視野で多くを見てきた気になってきたが、そんなもん大概心得違いであると。貝殻で海を量っていたようなものである。思っているとまた交差点を歩む人々や、通り抜ける自転車、電線の連なりを撮り逃がした。
 人一人の掌に捉えられるものは少ない。これまでに数多の写真を撮ってきただろう都々目さんは、どれだけ広い掌をしているのだろうか。その大きさというのは町という小宇宙を飲みこんで余りあるに違いない。数えきれぬほどレンズを振るっているからこそ得られた広大な視野には遥か遠く及ばずながら、私もどうにか一枚を受け止められた。
 たった一枚、されど一枚である。猫たちをディスプレイに見ると、そこはかとない満足感を掴みとれた。ふと、都々目さんがにこにこ顔を傾ける。
「ねーね、いいもの撮れましたか」
 私は曖昧に首を振り、
「そう大それたものではありませんけれども」
「イッシシシ、それは気になるはぐらかしかたかも」
「勿体ぶってるわけじゃあないのですよ。ただ、冷静になって一回見返さないと、良いとは云いきれない気がしましてね」
「そういうものなの……。後で見せてくれるかな」
 私は、カメラを伏せつつ「もちろん」と云った。カメラのこととなると、都々目さんは積極的になる。前に使い方を教わった際も、ぺたぺたと触れる手に胸が高鳴ったものだ。
 のろりとした旅路は住宅街のそばで終わりを告げた。暖房の適温に慣らされて少し汗ばむ肌を、晴れ日を転がす寒風が冷ます。空では太陽が鈍い冬晴れを照らしている。なんとなしに「寒いねえ」「そんなことのたまいつつアイスを買うのはいかがかとッ」などと云いあいながら目的地に向かった。アイスを買ったのは都々目さんである。バス停のそばに設けられた自販機から取り出したクリームソーダ味は、およそ冬に似つかわしくない爽やかさだった。赤い舌が、季節感を無視した青と白の境界を舐めゆく。
「おいしいですか」
 私は掌をさすりながら訊いた。
「とても。寒いときに冷たいものを食べるのもなかなか風流です」
「花鳥風月を楽しむ心がけは大事ですが、どうにもお腹にこたえそうですなぁ」
「わたしはお腹が丈夫だから。小烏丸さん、一口いかが」
「好きな味ですが遠慮しておきましょう。あまり丈夫ではないので」
「ありゃりゃ残念」
 シャクリと前歯で削る音が耳に涼しすぎる。
「まあ、おいしいでしょうな」
「うん、おいしいよぅ」
 呑気な呟き。だが、それを耳にする私の心電図は完全な一直線を描いていた。「その歯形に触れたら間接チュウになってしまうではないかッ」と脳細胞はにわかに発火してチリチリと痺れた。高いどころの話ではなく絶対に飛び越えられないハードルである。興奮を蹴りだしてどうにか平静の面持ちを装った私はずれたマフラーを直しながら、大きく深呼吸をした。息が荒くなりかけたのだ。もしかすると、ああした無防備さもこちらの心根から好意を誘う要因なのではないだろうか。邪気がびた一文がないというのも、いざ肩を並べて悠々と歩いていると防ぎようがなくて脅威であった。
 あとどんなもんで到着なのだろう。見慣れぬ景色のせいか、距離感がそれほど働かない。先日読んだ本や聞いた音楽の話などをしながら五分ほど行くと、話が途切れた拍子に都々目さんが「あともうちょっと」と足を速めた。食べ終わったアイスの軸棒で道をさす。昼でもなお浅い闇がこごるガード下、ある種の境界を越えた向こう側に、階段が見えた。
「あそこの階段を登ってすぐのところなのです」
 私は顎に手を当てて「フム」と頷いた。ふわふわとした足取りで踵を鳴らし、都々目さんはいよいよもって宙に舞いそうだ。自然と私も口角があがる。
「ご機嫌さんですね」
「だって、小烏丸さんのことを存分に撮れるんだもん。それもステキなロケーションなんですから。もう浪漫ティックがとまらないよぅ」
 都々目さんが駈け出した。幾人かとすれ違い、そのたびに振り向かれ、こども連れの主婦などはくすりと笑っていた。気恥ずかしさが靴底と路面を接着する前に私も足を速めた。散歩の日々に鍛えられたお陰だろうか、昔だったらひとっ走りするとしつこく脛に居座っていた軋むような鈍い痛みもない。ガード下を走れば、しけったコンクリートの匂いが鼻を、冷ややかな風が耳たぶを擦っていった。
 傾斜に沿った大階段には、日光が散らばっていた。一段めに足をかけ、息が弾むに任せたまま一気にのぼっていく。日差しの強さもあいまって額に汗が浮いてくる。どうにかこうにか十数メートルの高低差をのぼりきった。だが、期待は長続きしなかった。
 都々目さんは階段の終わりで立ち止まる。
 軽やかさをなくした唇からこぼれるのは、当惑だった。
 硬直した肩に並んだとたん、他人行儀な緑色をしたフェンスと、集合住宅の亡骸が出迎えた。誰かの居室であった部屋はすべてくりぬかれ、背にした空の鈍い青がぽっかり開き、すっかりと見晴らしがよくなってしまっていた。まとめられた瓦礫のそばには、退屈げに腕を畳んだ重機が居座る。がらんとした土地にとぼとぼと歩み寄っても視野におさまる景色はなんら変わりがない。ただただ空っぽだった。そんなもの、口を結んで眺めるのがせいぜいである。都々目さんが編み目に指をかけると、かしゃり、とフェンスが空ろに揺れた。
 うなだれる仕草が、私を焦らせた。考えてもみなかった成り行きにどうすればいいものやら手が疼いた。気を逸らそうという使命感で肩を叩きかける私を遮って、
「ごめんね小烏丸さん」
「何がですか」
「わたし一人で浮かれてたかもしれない。こんな風に取り壊されてるのなんて知らなくって。もうちょっとちゃんと調べておけばよかったね」
 どう答えていいやらまごついた私は、
「いや、取り壊しの計画なんてそうわかりますまい。まして前に一度来ただけなのに」
「それはそうなんだけども」
 と、都々目さんは物憂げにため息をついた。
「小烏丸さんと見たかったんだけどな」
 がっくりと落とした肩が見る見るうちにしぼんでいく。黒縁の眼鏡すらも鼻先へずるりと落ちていく。どれだけ楽しみにしていたのかがわかろうというものだ。私はためらう気持ちを拭って、双肩をがしっと掴んだ。わずかに跳ねる体は見かけとたがわず、骨ばってか細く、手荒く扱ってはならぬと言外の規則を語っていた。
 フェンスから引き離し、操り人形のように、くるりと先ほど上ってきた階段に回れ右をした。都々目さんはされるがままだ。
「なあに、目標が消えてしまったなら必死こいて探せばよいのです」
「そ、それはどういう」
「前に来たとき、この辺を満遍なく廻りました……」
「ううん。そんな奥まったところまで入ってなかったかも」
「よろしい。ではロケーションを探す余地はいくらでもあるということだ。横道にそれてみれば何かしらあるはずです。しかもまだ日は高いんですよ」
 私は袖を引いて腕時計を一瞥し、
「まだ二時だ。諦め悪くいきましょう」
「うん」
「旅の符丁は臨機応変ッ」
「うんッ」
 都々目さんの真ん前に立ってぎゅっと手を取る。慎重さを欠いたまま握った、ちんまりとして、氷のように冷たい指の先は、皮が固く、ざらりとしていた。反して指の腹や掌はとても柔らかい。小さな笑いが返ってきた。
「さすが小烏丸さんは頼もしいね。そういうところ、素敵です」
 寒空のせいで冷えきった指が、強く握り返してきた。褒められて悪い気がする道理などないのだが、自分の無謀と相まって心拍数が上がってしまい口から心臓が飛び出しそうだ。ごまかすためにも、私は飛び石を踏むように大きな足取りで前へ進んだ。


 舞酔塚商店街の入り口に至ったのは、一時間ほどさまよった後のことだった。
 そこは小さな通りを左から右へ、右から左へとひらひら折れ曲がった先、静かな通りに蒲鉾型の瀟洒なガラス屋根でふたをされていた。ひっそりとしていて、いかにも世間からはぐれ落ちてうらぶれた色味だった。これが第一印象だ。
 都々目さんは感嘆符を乗せて「探してみるものですね」と目をぱちくりしていた。
 外から一見すれば、普通のそれより小ぢんまりとしている。しかし、いざ煉瓦敷きを踏んでみれば、猫の額ほど広さで奥へ奥へと伸びゆく、細長い道筋が重々しく語りかけてきた。靴底に凹凸をこする古めかしい煉瓦のかすれた赤み。そこに垂れる陽は、幅の狭いガラス屋根を横切って補強する骨組みの影で節々を区切られており、淡い煌めきを泉のようにさんざめかせていた。視野を圧倒してくるのは四方に張られてはアーケードをしっかと支える鉄骨であり、表面で粗く毛羽立った、白のペンキも主張を欠かさない。うっすらと鼻をくすぐる埃っぽさの裏には、青い芝草に似たにおいがあった。
 木造であったり、煉瓦造りであったり、ならんだ店はどれも造りがばらばらながら、大人しい色調と古めかしさは和を保っていた。歌声喫茶セイレェン。九塔龍雑貨。静岡食堂。路に面していながら質素であり、それでいて褪せた昭和の色で目を引く。しかしそれらには鎧戸が固く落とされていた。看板もかすみ、寄せて返すは静けさばかり。この商店街自体、骨董品として横たわっているのだと思い知らされる。
 シャッターの軋み鳴く音が規則的に尾を引く。振り返ると厳ついレンズが、私の素振りをまるごと捉えた。ときに看板や、おとなしく眠った店先を、真剣な眼差しで睨んでいた。私はときどき観察モードの不意を突かれては現実に呼び戻された。
 こうしている商店街にいるのは私たち二人ぽっちであるという確信が芽生えてきた。あんまりに生活感がない。普通なら賑わっているはずの場が黙っているというのは、いささかいたたまれないものだ。されとて息が詰まる不愉快さがあるでもなし。人の世の只中にありながら、人がなくとも破綻しない。これは珍しいことであろう。
 都々目さんのそばから離れた私はぶらぶらと見て廻り、ときどきカメラで視野を四角く切り取った。重々しさの根にあるのは視界の通らなさではないか。そのことになんとなく気づいたのは、いくらか進んでからのことだ。道の細さもあるが、どうやら、微妙なアーチをかけて道筋が歪み、ゆえに視野がいささかの狭苦しさをもって塞がれているようだ。奥をすっきり見通せない形。それは一際にみっしりとさせ、ちょっとやそっとでは髄を見せてはやらないと突っ張ねる態度となっていた。森閑として姿形を呈していた団地の亡骸と違う。いうなれば静寂の奥に生きた圧力があるような。
 さらに脚を進めると、曇った天蓋のせいで不足する陽光を補っているのか、傘付きで吊るされた電球が、ちょっとした暗がりをくり抜いていた。それでも白光は広がりきらず、わだかまった影や、切れかけてちかちか笑う灯りが、隅々に憂いを塗っていた。
 私はカメラをかかげ、電球たちのけだるい光の連なりを撮った。
 脛にくすぐったさが通り抜けたのはそのときであった。
「んひゃぁ」
 ついつい私の年頃には不釣り合いな悲鳴を吐いてしまった。飛び上がって足元を見てみれば、それはなんとスネコスリではないか。
 くりくりとした眼が見上げては、丸っこい体を気だるげに震わせて頬をなすりつける。私の心はすぐにカワユイものを慈しむ乙女らしく優しき心に置き換わり、しゃがんでちょこんと尻を落とすモコモコに触れた。豚猫めかした輪郭には綿の手触りがあった。頭を撫でると鼻先をなすりつけてきた。かと思えばちょこまかして、閉じた股の間に頭を押しこんですり抜ける不遜な行いをしてから、軒の隙間に消えていった。
 こそばゆさに顔をふやかせて戯れていた私だが、撮られているのを気づいたときにはドキッとした。都々目さんはファインダ越しに頬をゆるめ、
「こういうところにもスネコスリって棲んでるものなんですねぇ」
「なんだか久々に見たなぁ。一昔前は、私の地元にもいたのだけれど」
 私は猫背になって呟いた。ああいう子らを見かけなくなったのも、地元の家並みが変りだしてからだ。考えているところもカメラに撮られた。
 と、どこかから笛の音が聞こえてきた。すわ狸囃子かッ。くわっと右目を眇めて振り仰ぐと、頭上にしがみつく骨組みが映えていた。どこから始まっていたのか、二階の足場らしい直線が走っていた。手すりの細工などからしてどうやらハリボテではなく、丁寧な造作がなされていると窺えた。頑丈な鉄骨は未知を支えているのだ。
 私は阿呆丸出して口を開けて上を見つつ、
「上から聞こえてくるみたいですね」
「ねーね、あっちに階段があるみたい」
「あらほんと」
 都々目さんが指差す先では、細長い階段が二階へと伸びていた。一人通ってやっとの急な階段を登ったところ、キャットウォークというには広く、通路と呼ぶには簡素にすぎる道が巡らされていた。それはときに二階建てのベランダをもまたいでいた。握った手すりには、ごつごつとした蔦の装飾が絡む。我知らずと足音を潜めて進んだ。鎧戸が連なる列の向こう側に、三つ四つと柔らかい光を漏らす店があった。
 下階はともかく、こちらはまだ生きているらしい。私たちが独占しているわけではなかったようだ。見れば古書肆もある。私は手近なところ――通路に品々が大きくせり出した店に目を凝らした。玩具店である。意味もなく息を殺しつつ店先を覗けば、小さな異世界が目を圧倒した。小さな紙袋が束になった引き当てカードやソフビ人形が鈴なりになった金網、新幹線ゲーム、鈍く輝くミニカー、声なく笑う着せ替え人形、プラモデルや銀玉鉄砲やらの退色した箱。所狭しと陳列される童心を刺激してやまない品々が、とても懐かしい匂いを漂わせていた。そこには薄い埃の匂いと茶の香りもあった。
 感心しているところに「お客さんかい」と、艶やかな声がかかった。
 呼びかけの主は奥座敷でちょこんと座った白い雌猫であった。眼の周りがパンダのように黒丸で囲われていた。話を聞いてみれば、この猫こそ「陽坂堂」の店主、猫又の十野御津利氏なのだと知れた。撮影の許しを請うたところ、唯々として迎えてくれた。なかなかに心の広いお方である。
 立派なレンズが、懐かしい、といっても女子にはなかなか縁がなさそうな玩具を眺めていく間に、私は座敷にかけて十野氏に戦いを挑んだ。こういっては十野氏に礼を欠きそうであるが、エノコロ小路での敗北が海馬の隅に残っていたのだ。手を差し出して可愛げある頭をなでようとしたところ、じゃれつく肉球がふにふにと指をかすめた。猫の手が素早くこちらを追う。氏はなかなかに気乗りの良い妖怪だった。
 必死にジャブを送りつつ、
「年頃のお嬢さんがいらっしゃるとは珍しいもんだわい」
「おっしゃるほどですか」
「一昔前は違ったけど、まあ忘れられたも同然だし」
 十野氏は手をとめてぽつり云い、
「大抵の輩は老いぼれた町にゃ目もくれんのよ。一階の店も片っぱしから鎧戸を下ろしておったろ……。だいたいは他の商店街と同じようなもんだわい。モールとやらに客を取られて、せいぜい上にしがみついとるメィニアックな店が電気つけとるくらいでな」
「なるほど。そういえば妙ちきな本屋がありましたね」
「気が向いたらよってやってくれぃ、あすこの阿呆天狗は暇しとるから喜ぶわいな。うちにしたって、たまさか子供らが顔をのぞかせるくらいときておるから静かだわ。その子らが流行りものを教えてくれるから大助かりだけどね。まあ、なんにしても珍しいよぉ」
「たで食う虫も好き好きというやつでして」
「うちはたでかいッ」
 十野氏は声を裏返して「ニャハー」と笑った。再開されたジャブが熱を帯びて手先をかすめていった。私は「いや猫でござんしょう」と頬を拇指でこすってやる。すると気持ちよさげに鼻息がふんふんと手首にかかった。猫らしからず風呂が好きらしく、さすればさするほどに手入れされた毛並みが気持よく指にまといつく。顎の下を撫でてさしあげると喉を鳴らして、いささか年甲斐がない。
 私がそうしていると都々目さんが立派なレンズで狙いをつけ、和やかさを写しとっていった。やおら「こんな風にあの子と触れられたら楽しいやもしれぬ」などとはしたない妄想が綿菓子のように膨らんで、盆の窪がぞわりと熱くなった。己の猥褻を直視するのは慣れない。煽られた不埒さを勘鋭そうな十野氏に悟られぬよう、別れを告げて座敷を立った。
 店を出て、ぼんやりと通廊を歩く。そのうち、アーケードを通る風が妙な欲情を落ち着かせてくれた。冷ややかさには感謝しなければならない。
 落ち着きの底に降り立つと、都々目さんは楽しい思いをしてくれてるだろうかな、と考えを切り替えた。真剣に写真を撮る様子を想うと鳩尾に熱がさす。
 柔らかに深い、あの黒曜の瞳を介したカメラは、小さな手に支えられて必死に世界を切断していた。まっしぐらに被写体へとむかっていた。仕草の数々が愉快につながっているのは、付き合いが数个月しかなくとも重々わかる。あの顔を見れてよかった。元団地の前ではどうなるかと心配したが、案外立ち行くものだ。
 下唇を噛んで、すべてを一点に絞る態度の愛らしさに、思い出し笑いが頬に滲む。視線をつまみ上げて瓶に保存したいくらいの、あの顔をしてほしかった。私といっしょであることに意味を感じてくれてる証拠だ。それを得られた実感が遅れて訪れ、得体の知れない満足感となった。「消えちゃうことだってあるんだよ」と母の言葉が反復されるが、それがなんだというのだ。
 私は、そばで、手と手が触れあう距離で、ともにあってほしいと望んでいる。過ごす時間は宝物のようだ。ついこのあいだのサボタージュも昔の私が考えた以上の後悔で鉄線を巻いてくる。あの人の大切さを、知っているのだ。ここに舫うことなどわけない。
 だが、私はそれだけでいいのかな。
 ぽつりと尋ねてくるのは、好きでいることの重みだった。
 もっと深く知り、触れたい。鼓動を知りたかった。強迫的に拍動が高鳴る。できるのならば抱きしめることだってやぶさかではない。
 手を握っては開き、昼の底にわだかまる寒さで固く痛む関節をほぐした。そうしていると前触れもなく都々目さんの指や掌の、ふにふにとした肌触り、湿っぽさが蘇ってきた。か細い指から手の腹へのあたたかみに触れていると心拍が乱れるのに、どうしてか安心した。ずっとああしていたかった。だが衝迫に揺られたうえで、許されるのだろうか。それを知る勇気は財布に含めておらず、含めていても空に巣掻くも同然かもしれない。一度は大切な人に拒絶を突きつけられているのだ。「消える」という動詞の最大の主語はなにであろうか。これは詩論家バシュラールの言であるが、消えるということに考えを及ぼすのも厭わしく、遠のきかねない有象無象の重さに頭を抱えそうになる。
 同じことを繰り返したくない――だって、怖いではないか。嫌われるのは、話せなくなるのは、一緒に並んで肩がむず痒くなるあの瞬間がかき消えるのは、ひたすら怖ろしい。都々目さんを私なんぞの恋で怯えさせるのはもっと怖ろしい。なにより、気持ち悪いと云われるのが、いちばん堪えるだろう。
 どうしたくて、どうすべきか。数日前と変わらず答えは出ない。下手に踏み出せば、どん底へ踏み外す。それだけはわかっていた。手首は丁番が外れたように震えた。
 ええい、今は楽しさを享受すべきだろう。せっかくの散歩旅なのだぞ。かつて、尊敬すべき寂しんボーイたる父は「行き詰まった問題ばかりに頭を抱えてたら大事なことをフイにするよ」と賢明な指南をしてくれた。そしてこうも続けた。「棚上げして一旦、他所を見れば閃きがあるかもしれない」と。この場においてはまったく正しい。
 いかめしく皺がよってしまった眉間を揉んで鼻をすする。なんとなしに場酔いをしているのを実感した。天蓋から注ぐこの光たるや、静寂とあいまってノスタルジックな神妙さを押しつけてくるから困る。私は頭を冷まそうと手すりに寄りかかった。
 しかし安全を保証する鉄の感触がなかった。肩透かしへと連鎖するだけで、柵が失われているではないか、と認識して血の気が引いた。
 体を立て直そうにも遅い。
 直視した天蓋からの光芒が眼を焼き、悲鳴もあげられぬまま引力に飲まれた。


 とぼとぼと通廊を歩いて行く。
 やはり人気はなく、凍結した足音だけが淡々と響いていた。
 私には怪我はひとつとてない。もう駄目だと覚悟をしたが痛みも衝撃もなく、意を決して目を開けばなんてことない、先ほどまで立っていた場所だったのだ。本格的に場酔いし、どころか白昼夢に踊らされていたらしい。
 どこかから祭り囃子がチャカポコと聴こえては遠のいていった。粒立った笛や太鼓の奇怪な調べは得体が知れない。厚みがない上澄みは事実どこかで祭りが催されているのではと思わせた。しかし一部においては馬鹿囃子とも呼ばれる怪異であるからして追ってはならぬ。そのうち、さらさらと耳慣れない水音が混じった。手すりから乗り出してみれば透き通ってガラスのような水脈が張っていた。水の匂いがする。それも、いささかの滞留を経たあとの生っぽい匂いで、息を吸いこめば頭のてっぺんまで濁った。香水を肺いっぱいに吸ったような違和感がしつこく鼻に残る。
 具合が悪くなった私は蟀谷を釦のように圧しつつ足を進めた。手すりを握って伝っていると、通路のど真ん中に揃えて置かれたワークブーツを見かけた。近寄ってみれば、それは私が履くものと同型であり、前に立つとつま先が不気味な鏡写しとなった。
「なんなのだこれは」
 気味の悪さに背を粟立たせつつ脇を通り抜けた。
 天蓋から射す光の色は、進んでくほどに濃い橙で淀んでいく。空気が錆びついているのだ。夕暮れが赤錆を走らせ、いよいよ密度を増していった。
 道のりは一方通行ながら、果てが見えない迷路のようだ。
 商店街にあわせてカーブを描く単純な道はたまに朽ちて崩れており、対岸へ渡された渡り通路を踏んでは、くねくねと阿弥陀くじのように迂回を求められた。これといって面倒ではなく面白みすらあるが、もし次に踏む足場がへし折れたらと考えたら背筋が寒くなる。きっと、私は水底へ沈んでしまうだろう。だいたい私は泳ぎが得意ではなく、それどころか見下ろせる水面は透明なくせに底面は暗くどよめいているではないか。墜落、溺死、屍蝋とよろしくないイメージが嵩む。
 と、そこを鮮やかに赤い魚影が通り過ぎた。ぞっとして怖気と息が漏れた。
 金魚、なのだろうか。それにしては海豚ほどの体躯に見えたし、というかそもそも何故こんなこところに水が張っているのか。我に返って混乱しかけた。
 考えるな、考えたら負けだ。うめきとともに手すりにしがみついた挙句、
「少しおっかないだけで十二分ではないかッ。何故にこんなビビらねばならぬ」
 と、変な独り言が口をついてでた。
 逃げるように走って飛びこんだのはテラスに食いこんで開けた場だった。ひざまずいて息を整え、見回してみれば喫茶カランコロンとあった。洒落た卓子のセットに椅子が上げられ、うら寂しさが満ちていた。一旦休憩をとって息を整えれば、先ほどの怖気がまるで嘘だったかのようにからりとした。
 腰を上げると、渡り通路で古本屋の軒先に出た。瀟洒なガラス戸にはクローズドの看板が掲げられ、奥には藤色のカーテンが引かれていた。私は残念に思いながらも、なんとなくここで足を止める気にもならず、散策の足を動かし続ける。どこまで行けど静かだ。木の虚を覗くような静けさは、闇の向こう側や背後から、見知らぬなにか現れるのではないか、との落ち着かなさとなる。夜道をゆくうちに覚えるような、悪い予感だ。理性に言い知れぬ怯えを認めさせる間も寄越す。余計な世話が心臓に鐘を打たせる。しかし足取りは依然とまらずに、いつの間にやら先が気になるとの好奇に囚われている私がいた。
 好奇心に釣られていくうち、標識が出てきた。鮮やかな黄色を含んだ水脈で分水嶺めかして立ちすくんでいる黄色の危険表記。見覚えのある極太のエクスクラメーション記号と、ゴチック体の『この先「路」注意』がいやにとげっぽい。俗にビックリマークと呼び習わされる記号の意味するところが、妙に引っかかった。
 先へ行くにつれて夕暮れの色はじわじわと赤みを増してくる。
 不自然な角度でさしこむ光は、舞台劇を飾るホリゾントのようだ。
 そういえば都々目さんはどこへ行ったのか。思った途端、「あ」などどえらく頓狂な声が出た。古本屋を覗いたら、すぐに合流しようと期していたのだ。
 出し抜けに「おーい、都々目さんやーい」と一声あげてみようかと思った。しかしいい年をしてそのような呼びかけはいかがなものだろうか。お一人様で茶番がすぎると痛々しい。残暑が酷いあの日が思い出された。
 思案がいささかこんぐらがった。あんまり待たせていてはならない。夕日の色はもはや赤を超えて黒に近づいていた。ぼんやりと腕時計を見たら、針が消えていた。目に見える時はなく、原初の体感で夜の帳が近寄ってきているのだと理解させられた。ふと横道にそれてみると、商店が夜光の帯を垂れていた。
 店を覗いてみると、影が奇矯な生活もどきを演じていた。小さな小さな四角形の凝集した影はわざとらしく人らしい挙動をしており、まずいものを見たかもしれぬと直感的に顔を伏せる。だが、戸を横に押しやって出てくる影は咎める素振りもない。ただ、ついと流れて通廊の奥に去っていった。うまく説明はつかないが、ここは人のいるべき空間ではないのだろう。何かが違う。そう、超現実主義の絵画が真似る、そこはかとなく嘘くさい「この世」に似ているのだ。商店のなかでは、コーラやオレンジハイを冷やして輝く冷蔵庫が、色合いを信じこませようと本物を演じていた。店先におかれた真新しい冷凍ストッカーがアイスを抱え、真実めかして唸っていた。店先のボンカレーの広告では、微笑が黄色くにじんだ。
 本物とは違う。本物の表側を切り取って焼きつけているだけだった。ここまで進んできたことに今更ながら後悔し、うなだれた。
 不意に、子供ほどの背丈を伸ばす影が私の隣を通り抜ける。やおら気温が下がり、歯の根が合わずに震え、顎をうずめたマフラーの下では鳥肌が立つ。ここにいてはならぬとの考えが強まり、重くこごる足の筋肉を無理に動かした。進むべきではないのだろうが、かといってここに身を留められず、また引き返す路とてない。振り向けなかった。
 角を曲がって数十メートルを進んでからこちら、商店が連なる通廊を十指で足らない数の影が流れていった。人影といっても影は所詮影の他には気配を示すものもありえず、賑やかなほどの動きながら心細さばかりが増した。
 闇が迫りつつある。暮れの赤は菫色となり、ついに夜色が爆ぜる。
 何故かわからないが引き返せないとの確信があった。怯んだ拍子に怖気が腹で醸造されてしまい、芯のない不安を顔にむかって押しあげる。行きはよいよい、帰りは怖い。聞こえもしない童歌の調べが怖気を誘って心にささやきかけ、視野が塞ぎこむ。眼にはしに映る防火バケツの紅すら、電灯の落とすスポットに不吉なぬめりを帯びているではないか。透き通った水に波紋が立ち、眼球の大きな出目金が水面から飛び出しては着水する。その拍子に跳ね散った水玉が一つ手の甲にかかって、予想だにしない冷たさで肌が針で刺されたように痛んだ。反射的に手を引っこめて、水の伝う筋をさすった。
 どうしてこんなことをしているのだろう。
 疑問を呈したら一気呵成に心が醒めた。都々目さんはどこか。心細かった。優しい手がはかなく、とても懐かしいものに思えた。あのたおやかな温かみが隣にいてくれたら何事も怖くはないだろうに。しかし触れられない。どうせ正しく触れられはしないものだ。いつかは踏み外して嫌われて遠ざかって失ってしまうものだ。
 気持ち悪い。嫌な言葉が耳の奥に響く。いつか祈さんがこぼした、認めたくない、直截な拒絶だった。それがどうしたことか都々目さんの声で聞こえる。違うと否定したくなるが喉は微動だにしない。代わりに見えるすべてが水っぽく歪んだ。私は携帯電話をとりあげてみた。希望はなく意味もなく、液晶画面のすみっこには圏外の二文字がこびりついていた。ぶらさげた土鈴がカラコロリと鳴った。
 足を止めずにいると赤く錆びついた扉が行き止まりにあった。
 扉をあければ都々目さんがいるだろうか。突拍子のない考えだが、妖怪ならばさもありなんと胸に忍びこんだ根拠もない期待が肯定する。独りで闇を進む勇気はもはや尽きていた。握りに手をかけると、本来ならつるりとしていたであろう表層にこびりつく、発疹めいた錆が掌を刺す。強く握ると薄い痛みが這った。押せども引けども開かず、焦りが棘になって私をがんじがらめにした。むきになって乱暴にしていると涙がこぼれた。おいていかないでほしい。嫌いにならないでほしい。独りにしないで。悲鳴を喉につまらせる。
 だめだよ、その先に行っちゃ。
 そう聞こえた気がした。ふっと手をとめる。いや、実際に聞こえたのだ。背後から腹に回された両腕が、私をずいっと後ろに引き寄せた。自然と扉から手が離れた。首の付け根に熱が感じられて、鼻息がマフラーのあいだからふわりと忍びこむ。
 安心とも怯えともつかない苦しさが喉を震わせた。
「そこから先はだめだよ。小烏丸さん。ね、帰ろ……」
 かすかに息を弾ませて、都々目さんは首筋に呟きかけた。戸惑い身をこわばらせながらも、どうにか「うん」と云った。まるで幼子であるが、たしかにそう声に出したはず。躊躇いがちにゆっくりと振り向けば、ふにふにとした左右の拇指と人差し指が私の右手をとる。手をひいて通廊を戻っていく足取りはとても力強く、私は黙って付き従った。


 どこをどう通ってきたのか、いつの間にか狭い袋小路の奥にいた。都々目さんは突き当りで真鍮色に輝く蛇腹に手をかけると慎重な手つきで横に畳んだ。エレベーターだ。堅く絡ませた指がぎゅっと握って離さぬまま、赤い絨毯に導いてくれる。無数の階数表記をたどる指が迷いなく頂点の釦を押せばかごが昇りゆく。
 ようやく、都々目さんは手から力を抜いた。しかし胸の寄る辺なさを代弁する震えは私の手先をとりこじかけにし、離さないように強く、ぬくもりを握りしめさせた。指先にうつる体温が、芯まで通った孤独を溶かしてくれる気がした。
 私の顔のそばで、吐息が漏れ聞こえた。
「見つかってよかった。ああいうところは一人でうろつくのに適してないんですよ」
 身をもって知りましたと笑い飛ばしたいが、息が喉につかえるだけだった。ぐずぐずと洟水を啜りあげる度にしゃくりあげる。
「こういう小道ってね、深い考え事とか心がぐらつくようなことがあると、迷いやすかったりするんです。大昔は神経質な子供とかが隠されちゃうこともあったんだって。なんて云ったかな、たしかナメラスジとか、霊道とか、そういうの。いやぁ危ないとこだったよ。でもよかった。探してたらね、鈴の音が聞こえたから」
 そう云って振り返り、わずかに首を傾げた。うなだれた私と目を合わせるように。抗おうと意識したわけではないけれど、私は顔を背けてしまった。
 都々目さんは困ったような慰めるような顔をし、
「あのね、何か心配なこととか、嫌なこととかあったのかな。困ったことがあったら、相談にのりますよ。解決できるかなんてわからないけど、でも話は聞けるかも」
 悩み――そんなもの見当はついている。何度も考えを巡らせてきた。棚に上げられる余地もなく、腹の底で黒々として鯰のようにわだかまっているではないか。左右に一寸でもブレるだけで探り当ててしまう大きな感情だ。
 まぎれない好意であるそれは、私が好意を抱いていいのかとの懊悩とも隣あわせであり、口が裂けても云えたものではない。吐き出してなるものか。重みを増す独り言に腹を圧迫されたせいか、止め処なく涙滴が目尻からこぼれて落ちる。泣いても無駄なのに。嗚咽に至らぬよう、せめてもの抵抗として奥歯をぐっと噛み締めた。
「ど、どうしたの、怪我とかした……。痛いところとかある……」
「そうじゃない。なんでもないんです」
「なんでもなかったら、どうしてそんな泣いてるの……。いつもの小烏丸さんだったら高笑いとかで誤魔化してるとこなのに」
 問いかけには応じられなかった。壁に寄りかかって、仕立てあげられたばかりのように明朗な赤を沈ませた絨毯を見つめる。いつもの私とはなんだろう。己の気持ちも見ぬ振りをして大きく構えられる余裕だろうか。薄っぺらな鉄面皮だろうか。
「余っ程のことがあるんじゃないの」
 私は首を横に振った。無言でいる時間は短いながら、酷くねばついた。
「変に立ち入った感じになっちゃった、ごめんなさい。云いたくないこと、あるよね。わたしなんかにそんなこと訊くような筋合いなんてないですよね」
 沈黙を取り違えたのか、都々目さんは困り笑いをした。違うのだ。いま優しい声をかけないでほしい――それよりもなによりも卑下した表現をしてほしくない。顔をあげると弱々しい眼が、涙の向こう側で緩やかに像を結ぶ。
「あの、わたしウザかったかも。本当にごめんね、また一人で勝手に舞い上がって」
「違うんです、そんなじゃないんだ」
 私は頭を振り、指先をほどくと壁にもたれた。こんな近くにいては己をどう御すれば間違いないかが判然としない。息を吸い、背筋をぞわりとのぼる思いのままに、
「ウザくなんかない」
 ようやく絞り出したものの、聞くに堪えぬ、汚らしい金切り声となった。私は溢れるものを抑えることすら叶わず言葉が大きく膨らむ。息をひねり、
「都々目さんは好きです。大好きだ。でもそれは友達としての思いでは絶対にないんだ。恋の好きなんですよ。そんなこと平気な顔して云えるはずないでしょ。云えるわけない。そんなこと伝えたら嫌われちゃうかもしれない。そんな苦しいことないんだ。一から十まで理解してる。でもこのままでも押しつぶされそうで、どうしたらいいかわからないんです。本当はこんな、こんなずるい云い方だって本当はしたくないんだ」
 満足に息継ぎもできないまま瞼をぎゅっと閉じる。苦しかった。苦しくてしかるべきだ。選ぶべきでない言葉をとってしまったし、それは私自身の誓いを破ることでもあった。苦しさが喉輪のように締め付けて当然だ。都々目さんは呆れただろうか。自分勝手で、さもしい物云いに嫌悪を覚えただろうか。喘ぐように息を継ぐと、埃っぽさと乾燥した空気の混合体となった数リットルで肺を満たして必死に激情をなだめた。
 しかし思いは絞り出しきれずに、舌の根をかすめ、
「怖いんです。都々目さんが消えちゃうのが怖い。私が考えていることを知って、それを嫌って、離れていっちゃうのはヤだ。これまで遊んできた時間が、話してきた話題が、ぜんぶぜんぶぜんぶ、ふいになっちゃうかもしれないのはヤだ。積み重ねてきた、私のなかの都々目さんに消えてほしくない。ヤなんです。もうひとりになりたくないんだ。好きな人とお別れしたくないんだ。だから黙ってるべきだったのかもしれない。でも、あなたのことを好きでいる、この気持も収集がつかない。頭がぐちゃぐちゃになるんだ」
 もう、どうすればいいのかもわからない。
 静寂と混ざりあう都々目さんの呼吸が、耳に痛かった。己の空洞を明らかにしてしまったようだった。喉を枯らした不恰好な音の並びは決まりが悪く、なにより、心の壁から剥ぎとった叫びのくせに、こんな安っぽい言葉として実を結ぶとはみじめではないか。駄目なのだ。やはり、声にしては駄目なのだ。
 好意は空気に触れただけで酸化し、知られたいとの願いとは別の無惨な色形として伝わる。ちょっとした不注意で全部おしまいにしてしまう忌々しさは、数年前のあの日によく似ていた。間違ったということだけを確信した。
 私を呑み干そうとしてくる嗚咽に耐えて歯の隙間から息を漏らした。情けなさだけが狭いかごに跳ねた。私は尻を落として萎えた足を抱え、片腕で眼窩をおおった。いきなりの乱調子に目を白黒させている都々目さんが、拒絶を湛えているのではないかと恐れたのだ。地に穴があいていれば、あんまりな愚行もやりきれなさも、残らず無視して永遠にこもれるだろう。それこそ土壌が、この愚かしさを分解して押し流してくれるまでずっと。
 ゆるやかな上昇の終わりをチャイムが告げた。
 ふと、肩にこそばゆさが巡り、すぐに痛みにも似た怖気へと変わった。埃を拭うように、細指が私の手を取り除く。隣では座りこんだ都々目さんがまんじりともせず私を見つめ、瞳の柔らかな黒は素直に澄みわたっていた。睫毛がふわりと宙を掻いた。ただ、頬から耳までが桜桃の赤をしていた。「他人って不思議なことのかたまりだね」と囁き、楽しげでも噛み殺すように、唇がきゅっと引き締まる。
 私は今とんでもなくひどい顔をしている――自分史上最大級の醜さだ。嫌な面を見ないでほしい。だが顔を隠そうにも腕は石のように重く、自由に動かない。
「ちょっとびっくりしちゃったよぅ」
「申し訳ない、いつになく取り乱しました」
「あのね、一個だけきいていい」
 背が震えた。やめて、何も云わないで。都々目さんは返事、あるいは願いを聞き届けるまでもなく、
「さっきの好きって、その、本気なの、かな……」
「聞かなかったことにしてください」
「さすがに無理だよそんなの。心臓バクバクだもん」
 都々目さんは眼差しを私の目許から抱えた膝まで行き来させてから、
「小烏丸さんは覚えてるかな」
「なんですか」
「前にね、わたしを仲間って云ってくれたこと」
 覚えていた。仲間どころかダブル戯けなどと酷いことを云った。
「初めていっしょに帰った日ね。あのときもすごい嬉しかったの。あんな内輪に巻きこむ云い方、されたことなかったから。口から心臓が飛び出るかと思いました。でもさっきのは、もっともっと、心臓が止まっちゃうかと。小烏丸さんが、あんなふうに考えてるなんて知らなかったから」
 優しい語勢と、イシシという笑いにわずかながらほっとした。
 都々目さんはすっくと立ち、
「だから、不思議なことのかたまりだなって。ずっと遊んできたのに知らなかった」
 あっさりした口ぶりで、呆気にとられた。嫌悪も食い違いもなく、だからこそ余計に、どういう顔をしてなんと句を継げばいいのかわからない。さっきの叫びから一転、胸の内側は乾ききっていた。打開するすべがないのは変わりない。
 押し畳まれる蛇腹の乾いた音が、くたくたの心にからりと響いた。それから小さな手が私の手をとって起き上がらせてくれて、外へと導かれると軽快な光が目をしょぼつかせた。夕暮れを迎えた商店街には揺らぎない電灯が輝いては、訪れる闇をゆるやかに迎え入れていた。心を飲みこむような淀んだ道筋ではなく、誰かが息づいた町の一筋だった。
「都々目さん、嫌じゃないの」
「ぜんぜん。嫌とか、そういうのよくわかんない。それより、ね」
 足を止めて振り返った都々目さんが、まじまじと見つめる。それから眉を下げて「落ち着いた……。もうしょんぼりじゃない……」と問うてきた。私は唐突なそれに余裕なく首肯にて答えた。黙していると後ろ頭を撫でられ、なおのこと二の句を継げぬままでいると今度は、浅葱色のハンカチを握りしめた右手が伸びた。滑らかな布地が、涙腺がゆるんだ代償かひりつく目尻から顎先までをぺたぺたとさすった。涙を拭いては「あはぁ、洟水出てる。かっこいい顔が台無しですよ」と云った。イシシと笑う。照れ臭くて目から火が出そうだ。
 都々目さんは掌をとってぎゅっと握り、
「また、ちょっとつないでていいかな」
「はい」
「離したらね、またいなくなっちゃいそうで怖いのです」
 そんなことを云われるなどとは、考えたこともなかった――いなくなるのは私ではなく、大切な人だと思っていたから。外の通廊を歩む。二人でゆくには狭く、一歩一歩と進む度にどこまでも音が響いていく細道を伝い、階段を降り、狭隘を演じる商店街を抜けていく。つなぎっぱなしの左手は、じんわり汗ばんでいた。拇指、人差し指、中指、薬指、小指と順繰りに力がこもる。節々の軋みがあった。血管がどくどくと脈打っていた。湧き上がるのは、手をつなぐのが楽しいことだという事実だ。
 大切な人と膚を重ねることができる楽しさ。おたがいを感じあえる楽しさ。私のからっぽに熱を注ぎこんでくれる、淡く沁みるような楽しさだ。それを味わうだけの余裕はまだなかった。やってきたバスは私たちを乗せて、如月西町へ帰っていく。消える景色。ちょっとずつ知っている景色が戻ってくる。バスを降り、喋ることもないまま歩んだ。
「ねぇ、どういう風に落ちをつければいいのかな」
 云いながら、都々目さんは夜闇を踏んだ。
「小烏丸さんの好きって気持ちにどう答えればいいのかなって、思ったのです。正直ね、よくわからないの。こんな気持ちになったことないし、こんなに胸がぽかぽかしたこともない。初めてだから、どう云えばいいのか、よくわからない。もしさっきのが告白みたいなのだったならね、お返事は、少しだけ待って……。どうすればいいか、考えさせて。いまなにをしても、どれだけ大声で云っても、大事な部分を伝えきれる気がしないから」
 決定的瞬間だった。静かに、滔々とこぼれていくのを最後まで聞いてやっと、それが、あの断末魔のような私の叫びに対する答えの一端なのだと気づけた。はぐらかされていなかった。好きだからなんだと知らんぷりをされてはいなかった。
 できる限り深く息を吸って、満腔の自意識を喉にひっかける。
「わかりました」
「うん。じゃあ今日はこのへんで。ごめんね」
 気づかぬうちに、いつもの交差点に来ていた。柔らかな手が離れ、触れあう袖が遠のき、肌が急に冷めていく。背けられた眼差しが夜闇に昏く光る。
 最後の言葉が、ありがとうではなくごめんねだった。些細な違いであったけれど、明日からはもう、これまでと同じ日は来ないのだろうという気がした。漠然と梯子を外された。いてもたってもいられず、私は下宿までの路へ駈けだした。


 散歩旅から数日、待てども暮らせども、はたまたうたた寝をしつつ風呂に浸かって溺れかけれども、音沙汰はなかった。あるのは先日の無作法を悔いて枕に顔をうつ伏せては、足をバタバタして埃をスノードームのように舞わせる時間くらいのものだ。先日すべてを吐き出したことで心持ちは落ち着いていたものの、なかなか割り切れはしない。
 足がかりなきままにぬるま湯の海をだらだら延々と泳ぐような気になってくる。いつ沈むとも知れぬ水面から開放されたい。しかし陸地を直立歩行するのも怖い。
 だらしなく横たわる二律背反にしかめっ面をしつつ、アマテラスよろしく部屋で座りこんで本を読んでいた。ときどきバイト先である仙頭書房の店主・綿貫氏に呼び出されては自主的に天の岩戸を開き、臨時で店番を任されたりもしていたが、やはり暇は暇であった。胸を大きく割ったうつろを満たそうと本にすがる機会は多かった。この暮れの時期に薄暗い店に寄りつく客もなく、ぼうっと文面を追うのに終始したことで無口に浸った。電話で綿貫氏に命じられるまま、おやつどきに鍵を閉めてくすんだ家路を辿る。家に帰れどすることはなく、散歩がてらに独り名入万塗神社の鳥居をくぐったりした。そうしていると暦の感覚が消えていった。わが家にはカレンダーがないし、長期の休みは何がなくとも穏やかさで日々を蝕むものである。伊那白と遭遇したのは、そんなことをして五日になる午後のことだ。
 名入万塗神社の参道、その中程に座って遠くに伸びていく町の遠景にぼうっとカメラを向けていると、のぼりくる長身があった。それが伊那白だったのだ。
 前面フルオープンのトレンチコートに相も変わらぬミニスカート、黒ストッキング、お乳を強調したシャツでいろいろフルスロットルである。そんな軽装をした日には私なら風邪をひくだろう。見ているだけで寒く、私はコートのジップを顎下まで引いた。
「あら、小烏丸さん。ごきげんよう」
「よう。コンコンチキも神社参りなんぞするのか」
「休みにまで腹を立たせる言葉遣いであたらないでくださいまし。あたくしだって好んで、このような辛気臭い土地に足をおいているわけではございませんの」
「仕事ってやつか」
 私の視線に、頭頂の狐耳がはためいて肯んじる。伊那白は神社の子だからということから、ときおり地脈の様子を見て廻らねばならないというのは以前聞いていた。
「そちらこそ、珍しいですわね。不信心者と存じ上げていたけれど」
「神様にお参りに来たわけじゃないわい」
「あらそ。すこしは神頼みも悪くはないでしょうに」
「どうだかね」
 と、私は肩をすくめた。遠くの鉄塔に意識を逃してだんまりをしていると、隣に伊那白が腰かけた。香水のかおりにくらりとし、薄い煙草の匂いがそれを焦げつかせる。
「煙草くさい」
「あら、バレまして……。失敬するわね」
 と伊那白が手に取るのは鈍い金色のパッケージだった。喫煙の害を訴える文章が日差しを受けて綺羅びやかにぬめった。唇にはさんだ尺取虫ように細い一本をじりりと焦がす音、それから憂鬱な紫煙をこぼす短い吐息が流れてくる。この種の棒状物体にはココアシガレットくらいしか縁がないが、においを嗅ぐと何故か落ち着いた。
「優等生が煙草なんぞを吸っていていいのか。それにメンソールは脳卒中のリスクを足すそうだぞ」
「学校の内と外では態度を使いわけてますの。意外かしら……。それに人間と違ってね、あたくしは煙草の害毒なんてそうそう身に堪えませんのよ。ご忠告だけはありがたく胸にとめておきますわ。あなたの心配りなんてそうないものね」
「ああそうかい。便利なこって」
「で、あなたは、どうしてまた妙なところでお尻を据えてらっしゃるの。この寒いなか石段でお尻を冷やしているとお腹に悪いし、風邪を召しましてよ」
「べつに。ただ写真を撮ってるだけだ」
「都々目櫻織とお揃いの遊びね。あの子とつるんで、あなた変わりましたものね」
 変わったといわれても実感はそれほどない。身に覚えがあるとすれば休まず学校に通うようになったのとカメラを持つようになったことの二点のみだ。
「恋する乙女の顔ってところかしら」
 と伊那白は空に煙を噴き上げる。なんてことを云うのだ。頭が沸騰しそうになり、いや本当に沸騰して、意識がまっ白に白熱した。「あの頃とおんなじ」と唱えた伊那白は、一息に根本までを灰にした。そうとも、あの頃と同じだ。私は大失敗をやらかした――そして、今はどう答えてくれるのか怯えていた。折り曲げた人差し指の第二関節を噛んで痛みの釘を差さないと、意識が飛んでいってしまいそうだった。
 私は、ここ何个月か、独りで迷妄に転げまわった事の起こりと結びを話した。初めてした会話らしい会話から、過ごしてきた日々の愉快さまでを短くまとめた。
 最初こそ「あの子、存外にワイルドですのね」だとか「あなたもちゃんとそういうときは避難しなきゃいけませんわ」などと横槍を挟む伊那白だったが、じきに無言で耳を傾けるようになった。紫煙を空に噴いて鉛色の雲の色合いに交えながら、耳をはためかせる。そういえば祈さんとの関係が崩れ去ったときにも、こうやって聞いてくれたのだ。
 四本五本とタバコの吸い殻ができる頃には、話も終わり、灰色吐息にも飽いたのか相槌を打つだけとなっていた。語り終えて実感する。本当に楽しい月日だったと。
「まったくの前傾姿勢ですわよね。本気がすぎる」
「否定のしようがない前のめりだ」
「わかっててもやめられないものですものね。とらずともよい態度だってとってしまう」
「不徳のいたすところだ。まともでいる機能がついてない」
「機能上の問題なのかしら」
 と伊那白は煙草の箱を軽く振ってから、また一本を取る。
「どう考えても。世にツンデレという枠があるが、私はデレドンというところだ」
「デレドン……」
「デレデレのちドン底だ」
「救いがたい語感ですのね。いっそアハレというもの」
「まったくだな」
 私は云い、ショルダーバッグからとったドクターペッパーで口を潤し、
「それだけならまだしも発色が単色から複色に変わったので対応しきれていないから、アハレというか壊れかけのテレビというか」
「これ、あなたの話しよね」
「そうだとも」
「機械の話でもしているような気になりかけましたわ。なにがなにやら」
「私も何を云ってるやらサッパリだ。心が空きチャンネル色だからか頭が回らない」
 そも、わかったらこんなところに人知れず腰掛けたりはしない。おたがい黙りこくっていると、一陣の風が吹いた。麦色の髪を横に押し流し、不意に毛先が含んだ花の香を私に感じさせる。こんな距離になったのは、さすがに初めてだった。
 なんとなくカメラを伊那白にむけると、柔らかい微笑みが返ってきた。
「なんだ、写真をとられるのには乗り気なタイプか」
「まあね」
 私とは大違いだ。こくりと頷いてから、二度三度とシャッターを切った。こんな顔もする女なのかと感心した。切れ長の目がさらに細まる。
 伊那白は立ち上がると尻から砂を払って
「あたくしね、季乃祈が嫌いでしたの。あの子があなたを独占したような面持ちをしているのが嫌だった。あのことがあってから、あなたの陰口を叩いていたのも、代替えを立てていたのも、とても腹が立ちましたの。なんて雑なことをする人なのとね」
「出し抜けになんの話だ」
「ただ思ったことを口走っただけですわ。あなたがやったみたいに」
 口角を大きく吊って笑う様子は、人を化かす狐のそれだ。風に揺らめくコートの両ポッケに手を突っこむと、首をわずかに傾け、私の顔をじっと見た。
「でもね、都々目櫻織にはなぁんにも思いませんの。あなたもあの子も、二人揃って前のめりなんですもの。ほんとに楽しそうだなってね」
 くすりと笑って参道をあがっていく。太い尻尾が右へ左へと機嫌よく躍っていた。常日頃と違わぬ暴言を云い返す気にならず、ふんと鼻を鳴らすことしかできなかった。「良いお年を」の一言を残して、堂々たる尻尾は境内へと消えていった。


 世はド年末なのである。
 あと四分の一日が過ぎれば、今年が終わってしまうのだ。いかんせん仙頭書房が季節感に欠けているのですっかり忘れていた。かつて履歴書を持参した際に「時節柄を問わず働けます」と告げたのだから、考えようによっては自ずと月日をのっぺら顔にする布石を敷いたようなものである。
 町を漂うにも気力が足りないので、家路をたどった。道には往きすぎる年を間近にして浮かれ立つ、独特のせわしなさがあった。どうしたことか今日に限って、腕を組んだカップルやら笑いあうカップルやら照れあうカップルやら、恋愛総動員体制が目についた。繊細な心が毛羽立ち、世が世ならはばかられる引っつきあいは空気と化合して毒霧を撒き散らす一方である。キャアキャアヤイノヤイノとうるさいのなんの、もはや色恋の伍・壱チャンネルサラウンドである。「居並ぶ者どもの間に挟まって別離を叩きつけてやろうか」などと呪わしいことを考えてしまったくらいであるが、狭量を解き放つ力も残っていなかった。居場所を見いだせぬ空気にあぶれた末、このまま困りごとを持ち越すかと思うと、夕日が陰鬱さをはらむのもむべなるかな。機嫌はとめどなく下降線を描いていった。
 なにより滅入らせるのは、伊那白が宣告したところの陰口どうこうだった。あんな仲良くできていた祈さんなのに、関係が何センチか変わっただけで、掌を返して良からぬ物云いをされるのか。悪口雑言とは無縁の人だからこそ好いていたのだが、今頃になって嫌な面に接するとは残酷である。腑に落ちないというか、落としてはならぬ気がする。腹を下して何日も床に臥せりかねない。酷薄さは煮ても焼いてもレンジでチンしても食えはしないのだ。できれば冷凍庫にしまっておくべきである。
 滅入っているせいか、日頃なら焼き菓子に見える下宿も遠目には煮物の具に見える。階段でつまずきかけながらも無事部屋に帰り着くと、冷え冷えする空気を暖房で散らした。コートも靴下もジーンズもシャツも片っ端から脱ぎ捨て、下着のまま習慣である腕立て伏せと腹筋を済ませてしまう。それから元気そのものな橙のクッションにかけてちんまりと三角座りをし、林檎を齧った。食べども食べどもまだ余りある赤い球体は爽やかに美味しいが、なぜかいやにうら淋しい気持ちになるばかり。
 ほろりとこぼれ出てくるのはため息ばかりである。ため息とともに幸せが逃げていくとの通説を信じたくはない。だが黙々と林檎を咀嚼し、息をつぐ代わりに深く息を吐いていると真実味は多大だ。非常に困る。果実をさくさくやっていたら、ついに日が落ちて部屋が暗くなってきた。この時世にナニをしているのやら。私は芯をくずかごに投げ入れた。本当の一人ぽっちとは、修辞がきかないくらい張り合いがない。
 声なき声で訴えかけるのは、多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐えるとの箴言である。誰が云ったか、意味すら忘れた古い言葉がそこはかとなく苛々させる。
「もうやだーーーーーー」
 もぐもぐと声を尖らせど何にもならない。都々目さんと会えぬことで胸が荒み、終わらない宙ぶらりんで気が塞ぐ。とはいえ、それは私の匙加減でどうこうできるでもない。電話をすればいいのかもしれないが、下手な言質をもって催促ととられた日にはそれこそ理性が真っ二つに折れてまた折れて最後は砕片になってしまうだろう。そのまま往く年と来る年のあいだに開いた溝に転がりこみ、挟まれ、最後は蚤のようにプチッと潰されかねない。
 輾転反側としていても仕方がない。私はうごうごとシャワーで禊を落とし、無為をひらりと裏返すことで有意義にしてからベッドに転がった。例によって髪は乾かさぬままである。毛布に頬をうずめ、うとうとしたかと思えば意識がくしゃりと丸まった。針が飛ぶようにして深い眠りについていたと気づかせてくれたのは、うつろな部屋で暴れ廻る剣の舞の音色だった。携帯電話の着信音だ。
 かけ時計を見ればもうすぐ十一時ではないか。半端に寝てしまったらしい。俯せで寝ていたせいか背骨がじんわりと痛んだ。私は寝起きで揺らぐ頭を持ち上げ、
「あい……」
「もしもし、あ、あの、都々目です」
 絶句した。よもやこのようなタイミングで連絡があるとは思わず脳が空転したのだ。どうしようどうしようと焦燥が脊髄にまで延焼して変な間ができてしまう。わざとらしく空咳をしてから「どうも」と云ってはみたものの、声は別人のもののようだ。
「どうもどうも。夜遅くにごめんね。あの、いまお家にいる、かな」
「ベッドでごろごろしてたところです」
「そ、そっか。もしかして寝るところだった……」
「それもできず天井のシミを数えておりました。年末というのは居心地がよろしくない」
 嘘はさり気なく吐けた。しかし返答しにくい文言ではないか。
「なにか御用でしたかな」
「うん、あの、これからちょっと出てこられる、かな……。お散歩、しませんか」
 まだ半分寝ている頭は混乱をきたした私は、度し難いことに「散歩ですか」と上ずり気味に鸚鵡返しをしてしまった。硬直していても前に進まない。ベッドに正座してひとしきり膝頭をもじもじした後、勢い任せに受けた。
 常日頃より怠惰はいかんとは思うが、そこら中に服を脱ぎ捨てておいたのは正解だった。慌てて着替えてブーツをつっかけると、宵闇に飛び出した。こんな時間に、あの人を一人でいさせるのは心配が多い。そう思うと居ても立ってもいられない。それよりもなによりも、早く会いたかった。
 待ち合わせの場所はすぐ近所、名入万塗神社や鳥居の群れが聳える丘の麓だ。私はどうにも自由のきかぬ体を引きずって、一つ二つと曲がり角を通り抜けた。夜に列をなす街灯が星々のように煌めいていた。海底のような静けさに、除夜の鐘が突き抜けていく。
 冬のにおいが鼻を通り抜けては粘膜を乾かしていった。
 何百メートルか走っただけで息切れが喉を焼いた。
 これから会って、どういう風にお話をすればよいか。どんな顔をして、どんな想いで、どんなところを見ればよいか。様々なことが脳裏をよぎる。知恵を絞っても歯磨き粉の最後の一絞りが出ないのと同じく妙案は出ない。そも、どんな話をされるのか――それに関わる思案が頭にこびりついていた。受け止めてくれるだろうか。あるいは、波風立てぬよう拒絶をされるだろうか。悪い方へと想像が傾きかけるのは憂鬱さの表れであろうか。ひょっとしたら痛みに備えて無意識の保険をかけているのかもしれない。
 すぐに精魂が尽き果てた。考えもこんぐらがり、全力疾走は萎びた徒歩に変わった。最後の角を曲がったところで肩を上下させていると「小烏丸さん」と、呼びかけられた。マフラーをぐるぐる巻にした都々目さんがぽてぽてと走り寄ってくる。
 大きな瞳が夜を駈けて流星のようだ。とても綺麗だった。
 私は陶然としつつもなんとか軽く手を振って、
「ちょっと急ぎすぎました。無理はいかんなちくしょう」
 数日ぶりに話すからか、顔をまともに見られなかった。
「息切れてるよ、大丈夫」
「なあにちょっとした運動不足解消にはもってこいです。ここのところ、動かずにぐうたらしていましたからね。それに一人で待たせてるのも心配です」
「うう、ほんとに、こんな時間にごめんね。もっと早くすれば――」
「年の瀬にこういう散歩っていうのも悪くはないです」
 と私は遮った。ひりつく頬を持ち上げて、精一杯の微笑みを装った。歩き出すと雲を踏むような心地がした。隣に好きな人が立ち、ともにあることの心地よさがあった。 
「今日までね、ずっと考えていたのです」
 何歩か先をゆく都々目さんは足を止めた。振り向きざま、私を真っ直ぐな眼を見つめる。
「わたしは、小烏丸さんが伝えてくれたことに等しい思いを、もってるのかなって。だって、気持ちに応えるには少しの、薄っぺらな気持ちじゃ吊り合わないじゃないですか。だから、わたしも心から好きって云えるかなって考えてたの。そういう気持ちって、自分でもよくわからなくて、もやもやして……」
「とらえがたいものだと思います」
「本当にそうだね」
 都々目さんが、一歩また一歩と歩み寄り、私の前に立った。わずかに俯いてから、また顔を上げて、鼻梁からずり落ちるセルフレームを押し上げる。意を決した面持ちで、レンズ越しのしっかりした眼差しを結んだ。緊張で私の胸はきりりと痛んだ。
「でもね、ずっとずっと考えて、なんとなくわかった気がした。いまのわたしの気持ちも、好き以外では、ないと思うのです。いっしょにいたい。遊びたいよ。お話をしてたいし、小烏丸さんのことを、もっと写真に撮ったりもしたい」
 小さい手が恐る恐る伸ばされ、私の指先に触れた。寒さで麻痺した膚でもわかるほど冷えた、夜そのもののような体温。「なにより、もっと近くにいたいっていうのは好きってことでいいんだよね……」という優しい囁きは耳当たりよく、背筋が震えた。もう何も聞こえない。見えない。感じられない――五官を聾して、私から何もかもを奪った。怯えが去来しては、もうそのドン底にいなくてもいい、と安堵に変わる。
 多くの会話を重ねる必要はなかった。照れにあてられて声を忘れたまま、手をつないで夜道をさまよった。指と指を絡ませていると、たがいの熱が交わり、痛いほどの冷たさがそそくさと失せた。横を見れば耳まで赤くなった都々目さんが、はっとした顔で見返してから、通り一遍ではない笑みをくれる。瞳はしっとりと潤んで、瞬き一つで私の鼓動をさらう。
 偽りなく、この上ない。この夜が終わらなければいいのに。
「ねーね小烏丸さん。お蕎麦、食べませんか」
 指差す先の公園に夜鳴蕎麦の屋台が見えた。もっとも、屋台といえど肩に担いで持ち歩ける、天秤の体をなす小さなものだった。出汁の香りに惑わされ、胃が恋路に相応しくない音を張る。生につきまとう重力的苦悩だ。是非ともない。
 店主の狸氏が差し出した器には、尾が鮮やかに赤い海老天が盛られていた。ふだん見ないような大ぶりの海老に関東風の濃い出汁の色が沁みる。なんとも完璧な装いではないか。立ち食いの物珍しさと空腹で拡大された味わいは類まれであり、舌の根まで伝っていく。ふわつく頭には出汁の芳しさが満ちていく。てきめんにお腹いっぱいだ。猫舌の都々目さんは、眼鏡をぼんやりと曇らせつつ汁を舐めていた。
 一息つけば、屋台の淡い光に白い吐息が溶けた。遠くから響いていた除夜の鐘をつく音がやんだ。今年一年が、終わったのだ。
 お代を払った私たちは、寂れた小道に足を差し出した。熱を腹に投じたためか、私も都々目さんも掌がしっとりしていた。夢見心地だった。世界がきらめいて、このままどこまでも歩いていけるような気がした。
「これで、来年もちゃんといっしょにいられるね」
 と、都々目さんは云い、
「小烏丸さんは知ってそうな話だけど、年越し蕎麦ってね、ずっとそばにいられるように食べるんだそうですよ。だから、その、いっしょに食べれてよかった」
「それを狙ってということならずいぶんな策士だ」
「イシシ、ハカリゴトをしたみたいでちょっぴり悪者気分です」
 なんと愛らしい云いようだろう。手をゆるやかに引くと、都々目さんを抱き寄せる。小さい嬌声が胸元に沈む。こんなことをするのは生まれて初めてだ。出汁の香りを含んだ横顔に顔をうずめる。あたたかかった。都々目さんから鼓動が伝った。無防備な音だ。二人ぶんの脈拍がくっつき押しくら饅頭をすることで大きな、ひとつの音になっていく。
 涙が出そうだった。ただし今度は、つらみからくる涙ではない。


 水面へと浮き上がる泡のように、眠りは醒めた。幸福感はいずこか――起きて早々に我が明晰な頭脳神経を駆け巡るのはその一点であった。
 俯せの私を蒲団の重みが押さえつけていた。妙に頬が冷たいなと思って朦朧とする頭を上げれば、枕に染みたよだれがパンゲア大陸の地図を広げていた。かたわらの携帯電話には午前十一時と照る。まさか、夢なのか。
 蒲団をはねのけようにも筋肉が渋った。節々も痛んで動かない。丸っきり風邪の症状だった。では先ほどまで身を委ねていた幸福もまた、四百四病の一端で虫食いにされた脳が見せた、いっときの幻影だったのだろうか。ひどい。ひどいと言い切ってなお余りあるひどさではないか。私の都合を一遍とて残らず無視した夢うつつに、虚しさばかりが沸き立った。顔面を枕に突っこんでいると、華奢な体の肌触りが蘇る。それを確かめようとしても掴みどころが判然としない。爪先から頭の天辺までを気だるさが冒しているので地団駄も踏めなかった。なんと腹立たしい初夢だろうか。一富士二鷹三茄子どころの話ではない。
 このご時世、夢オチなど許されていいのか、いや、よろしくない。枕に顔を擦りつけ八つ当たりした。己の願望を写した初夢を呪った。
 この期に及んで印刷機のようにお望みの結果をぴったりと写しやがってッ。
 夢の終わりに泣いたのがまるっきり無駄ではないかッ。
 私は蒸発していく夢の残り香を吸いこむことも叶わず、枕に臥せったまま「ンオオオオオオオオオオオオオオオオオ」とこの世ならぬ断末魔を上げた。一人でいることの寂しさや架空の都々目さんがくれた愛情が発熱して頭をぐねぐねにする。脳をこねる破滅が黙示録の喇叭となって世を揺るがしたのか、古本の塔が崩れる音がした。
「あちゃぁ倒しちゃった」
 予想だにしなかった私のものではない声に、背筋が凍りつく。
「おこ、怒られる……。なおさなきゃ……」
 無理をして起き上がると、毛布にくるまる都々目さんがいた。三つ編みがほどけて波打つ黒髪が午前の陽に揺れていた。眼鏡を介さぬ眼を眠たげに半分伏せたままで本を積み直す手は危なげである。危惧した直後、手をぶつけて他の一柱を巻きこんでいた。
「なんで都々目さんがいるの」
「わぁ、ごめんなさい」
 と飛び上がった。ベッドを降りようとしたら力が抜けてフローリングにころりと軟着陸した。都々目さんは硬直して見下ろし、私はぐらつく頭を持ち上げて見上げた。おたがいに驚愕が余りあって、変な体勢で見つめ合った。どうにか鈍る体を起こしてぺたんこ座りをすると、重い頭が錨を下ろすように落下しかけた。
「なんでいるの」
「なりゆき上といいますか、イシシ」
 寝起き顔が笑い、かぶっていた毛布を私の肩にかけてくれた。
 聞けば、夢心地を通り越して風邪で地に足がつかない状態になっていた私は、都々目さんに狼藉を働いたあと、盛大に膝を折ったのだという――髪を乾かさず寝る習慣、下着姿で過ごす無精が祟ったのだ。病に負けてぐったりとした私を、都々目さんは下宿まで運んでくれたのだという。鍵を閉め忘れていたとの事実には我がことながら呆れた。こう多くに用心が欠けていると風邪ゆえとの弁解もできぬし、なんだか申し訳が立たない。かといってそれを云い募ったところで「小烏丸さんのことだから気にしない」と笑われるだけだった。
 身の縮む思いで床に転がっていると、都々目さんも寝転がり、私に寄り添う。部屋を洗う光は春の沢のようにきらめく。窓を背にした都々目さんの瞳が輝いていた。光の粒子を吸いこんでいた。柔らかな反射が、深い色合いを浮き立たせているのだ。
 顔を寄せられ、不意に距離が詰まった。
「熱、さがったかな……」
 額と額がごっちんこする。照れくささに眼を閉じていると、
「まだ熱い。風邪、早く治してね」
「風邪薬を買うところから始めませんと。病気への用意がありませんで」
「それはまた不精な。じゃあ、わたし後で買ってくるね」
「手間をかけるのは気が引けます。それにおうちに帰らずともよいのですか」
「電話してあるから大丈夫。小烏丸さんのためなら手間なんてなんのそのだよ。あとその、お腹が減ったら云ってね。残ってたごはんで雑炊を作ったの。勝手に冷蔵庫とか漁ったら悪いかなとも思ったんだけれど……」
「なにやらなにやら申し訳がない」
「気にしないで。小烏丸さんにこゆことしてあげられる機会って、そうないから」
 都々目さんの物言いに、頭がぼおっとなった。なんと甘い響きだろう。風邪が虫食い状にする脳に染み渡って安らぎを寄越してくれる。
「ありがとう」
 私は云い、熱を帯びた頬を緩ませた。
「どういたしまして。あ、そうだ、こういうのは気が早いかもしれないけど、具合が良くなったら初詣に行きませんか」
「ええ。早く風邪を追い払わないと」
 私は手を伸ばし、都々目さんの柔らかい髪を指で転がしながら、
「そうだ、いっしょに御神籤を引きましょう」
 こくりと頷いた都々目さんは、
「大吉とか出るといいなぁ。中吉から上と小吉から下のは見たことないから」
「それは珍しい」
「あんまり楽しくない珍しさだけれどね」
 くすりと笑いあう。
 眼を下弦の月のように細めた都々目さんが、頭を撫でてくれた。「でもね、そういうことの前に、一つだけしたいことがあるのです」と頬を寄せ、聞こえるか否かくらいの声で告げる。頷き。身じろぎ。照れが心臓の裏に隠れる。
 浅く息を吸ってから、私たちは、啄むような口付けをした。
 最初はすこし遠慮がちに。次は身をぎゅっと寄せあって。これでいいのか、どう接すればいいか、たがいに確かめる口付けだった。とろけるような心地よさ。かすれた汗と石鹸の混ざったいい匂い。しっとりとした吐息と、浅い眠りが鼻先を撫でていく。
 私は祈った。はじまった蜜月が、ずっと、永く、続きますようにと。「あと、小説を読ませてくれるのも待ってるの」と少々不穏な声もあったが、こればかりは聞こえないふりをして丸まった。頬に触れてくる手の感触で肌がぞわりとし、喜びに揺られた。やがて本物の眠りがやってきて、私は熱のなかで幸せを抱えたまま、安らかな午睡に落ちていった。
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