ゾンビ(?)人外掌編。
spirits of the dead's good dream
 世界はいつも気づかないうちにネジを巻く。
 巻ききると今度はゼンマイが動きだす。その音は、何かを変える仕組みに寛容な人からすれば面白いかもしれないけど、うとい人はそれなりに驚かせる。
 そんな日が訪れたのは春先の夜のことだ。
 とてつもない流星雨が観測された数日後の夜。
 ことにいち早く感づいて意味を受け容れたのが科学者かオカルト好きかは知らないけど、ぼくの周りだとレオ爺さん――レオポルド・“トラビス”・クファシニェスキと厳めしく長たらしい名前を本人以外が発音してるのを聞いた前例(ためし)は一度もない――が、真っ先に状況を許容していた。スリーク・メモリアルパークの管理人にしてなんとも古めかしいことに墓守を自称する、ポーランド生まれのいささかけったいな年寄り。他人との接点の作りかたに頓着しないレオ爺さんとぼくとは、たがいに少ない友人の一人だ。そんなだからか、非常事態だがね、とわざわざ携帯電話に着信がきた。冷静さと引き換えにすることで根拠なしのまま楽々と意味づけできるスピリチュアル志向でいけば、あれは第六感のようなものが、ぼくの趣味につながりを見いだしたのかも、と考えられなくもない。そうでないならひねた年寄りなりに、無茶な状況を共有することで混乱を薄らがせたくて呼びつけたんだろう。
 そんな次第で日付をまたぐ手前、こっちに来てみろと呼びだされた。おいパット、面白い光景が広がっとるからよ、すぐン来い、と。
 ぼくは首を傾げながら、メモリアルパークまで自転車でひとっ走りした。いざ着いてこそこそと招き入れられてみれば腰が抜けた。文字通りの姿勢、だ。腕を組みそっち、こっちと睨むレオ爺さんの棒みたいに細い脚へとすがらずにいられなかった。
「しっかりしろや木偶の坊。マット・デェモンみてェな抜け作ッ面して」
 呶鳴(どな)る声には楽しむような調子があった。
 マット・デイモンはそれなりの面罵に相当して、次点がマーク・ウォールバーグだ。これがトム・ハンクスだと褒めことばに該当することはこの数年で学んでいた。つまり朴訥さとかそういう観念への端的な代入として。
 そんなことを考えている場合かといえば、そうではなかった。さほど広くもないメモリアルパークのそこかしこにできた墓荒らし風情の大穴。爺さんの後ろについた時点から眼についたそれは事件、というか現象で、これをやらかした十や二十の人影が墓場の中心にむかって茫然とたちすくみ、または遊歩していた。そういう背筋に冷や汗が浮きはじめる光景にこそ、ぼくはすぐに思慮をめぐらせるべきだった。
 呆けたような彼ら、あるいは彼女ら。
 いわく、人影はみな彼ら(ゼイ)というかそれ(イット)と言うほうがただしかろう、死者なのだという。
 逆流防止弁がついててしかるべき天国の門にせよ、棺桶に厚く積もる重たい土にせよ、どう押しあげたものかわからないけれど、兎角、ふらふらり、と地上に戻ってきてしまった屍だ。レオ爺さんはそういうようなことを言って、ぼくはそれを聞くとなしに聞いた。たしかにさだまらない足取りは、天国の重力になじみきっているものと見えた。
 ゾンビ。ハイチ生まれ、ピッツバーグ育ちの語彙を借りるならそう呼べそうだけど、その風体は、なんとなくホラー映画と違う趣をたたえていた。たしかに膚色は白々としてはいるけども、死が大切なものを奪って生じる無慈悲さとは違った。それこそ血みどろ(スプラッタ)映画のメイキャップみたいな腐敗とも縁がなさそうだ。
 遺体保全処理(エンバーミング)のせいかな、とぼくは思った。多くの人は大切な人が亡くなってしまいお別れをする段になると、傷だらけなら化粧で隠し、きれいに保つための防腐剤を打つということくらい、葬儀にたずさわった経験のないぼくでも知っていたし、南北戦争――つまり損壊を前提にしているすさまじい大量死――で評判を高めたそれが、化学物質で土壌を汚してしまう可能性に眼をつぶってまで使われつづけているのも知っていた。もっとも、死後に時間を重ねながら整ったさまの説明になるかは別だ。というのも効果を保つのは埋葬から数週間程度だ、と聞いたこともあったから。手つかずの墓穴だっていくつもあったし、まだ状態のいいそれ(イット)だけが動いたんだろうか。
 どこか他人事のように考えるばかりで、怪物の影を透かして恐れる気持ちはなかった。いわゆる身の毛もよだつとか、血の気が引くとか、そうやって感情を修辞する気だって。
 誰もが呆けている、と思ったのは一瞬だけ。濁っていてしかるべき眼に宿る光は、夜なのにどこかまぶしげだった。たまに、漫然と夜の散歩を楽しんでいるとすら思えた。
 そして一度まばたいたぼくに眼を疑わせたのは、あんまりにも懐かしい顔だ。
 一人の女の子だった。
 まだ墓穴から蘇って間もなかったんだろう。屍衣の黒いワンピース・ドレスは土や砂埃がすれて汚れていたけど、白皙に黒子の多いその膚ときたら無垢そのもの。丸っこい輪郭と片眼を眼帯でとじるような前髪が個性的な髪型ときたら、トリートメントしたばかりに見える艶やかさで、ほのかにしがみつく土の細かな粒子は、常夜灯の光を反射し、大地が命を吹きこんだと言われたら信じてしまいかねないきらめきをたたえていた。
 ぼくはレオ爺さんに腕を引かれて起きながら、茫々と見入ってしまった。
 マリアンヌ。
 それがあの子の名前だ。
 マリアンヌ・ルー。
 何度も一緒に遊んでくれた女の子。人間関係の初歩でつまずいて子どもならではのシンプルさも嗜みがたく、まごつくどころか硬直してしまうぼくの手をがっしりつかんで、家の庭から引っ張りだした女の子。ぼくの頭に花冠をかけては、わかりきったことだろうに似合わないねぇと笑った女の子。ぼくがはじめて恋をして、それが意識のてっぺんに来て気持ちを伝えようと考える日が訪れもしないうちに亡くなってしまった女の子。自宅の前で、老婆がよそ見運転する車に命を奪われた女の子。ぼくはあの日からしばらくして一生分に相当するだろう感傷を使いきった。容貌に重ねた時の流れは、まさしくあのときから約十年分でたちどまったままだ。ポラロイド写真の化学反応みたいに、徐々にはっきりしてくる像で思いだしたのは、屍衣の色彩が、単に死に際をふちどるのでなく、生前、よく着ているのを見かけた服でもあるということだ。眼をあけたあの子もまた映画とは違い、人を襲うなんて所業は想像もつかない様子だった。その横顔はぼくの呆けた顔の数倍はぼんやりしていたはずだ。行き場に困ったように背の低い墓石へちょこんと座りこむと、短いあくびをひとつ。まん丸の月を眺める眼はまぶしげに細められた。
 なんとなくだけど、日向をめざす花を連想せずにいられなかった。現に、頭のてっぺん、つむじのあたりから植物が芽吹いているし。
 マリアンヌ自身も植物の静けさで、月光を浴びながら微動だにしなかった。
「これはいったいどうしたもんかね」
 とつぶやいたぼくは眼を放せないまま、
「見たとこ審判の日って感じでもないけど」
「どちかっつと夜中にションベン垂れンため起きだしたときに近ぇな」
「そんな気軽さで蘇られてもだよ」
「んだな。ったくとんでもねェこと。おめェ、墓石のそばん土ィぼっこんぼっこん動きょって、昨日の今日で穴から仰山おいでなすってよ。生きててそうそう見らンねェ光景よ。共産主義がばったりいったときよりすげぇ」
 レオ爺さんは言いながら望遠鏡を構える――さすがに、近くで観察しようとする気の有無は話が別らしい。まあ映画では不用意に近づいた蛮勇から引きちぎられていくもので、ケーブルテレビ観察が趣味のご老体はその原則を心得ているんだろう。
「あいつらァうちンも幾人かおるでよ」
「え、なんで」
 たしかにレオ爺さんはこのすぐ近くに住んでいるのだけど、それにしてもだ。
「いやァあったけェとこ好きだンだ言うて、おめェさんが手入れしてくれた温室あンだろ、窓ンとこはっついててよ。いま中ン入って膝ァ抱えポンヤリポンヤリしよるよ。みィんな大人しいもんだわな。ワカモン映画なんて嘘しか吐かんもんだ、やっぱの」
 思っていたより不用心だった。
 望遠鏡をさしだされたけど断った。幸いにして眼はそれなりにいいほうだ。
「嘘っていうか脚色でしょう。ていうか呑気すぎるよ……いや、そういうもん……?」
「ほういうもんよ」
 訛りよりも入れ歯に由来する聞きとりづらさも忘れてうなずいた。非現実性はかなりのものだから呆然と見ているしかない。それでも緩慢な遊歩と静止にじき慣れたし、手の施しようも思いつかないから細かいことはまた明日という話になった。ひと眠りして特段悪い夢を見なかったあたり、ぼくは案外、順応力が高いのかも。寝起きにそう思った。
 現象は、驚きを独り占めできるほどに狭い範囲だけで起こったというわけでもない。非日常感が全世界単位というか、土葬文化のある土地土地で拡大してる、なんてことはテレビをつけるまで考えつきもしなかった。それだけ夢見心地だったということか。陽が昇る前、朝食のおともにニュースを眺めながら、自分の想像力の解離っぷりを思い知らされた。シリアルを浸して甘くなった牛乳をストローで吸いながら眺める液晶画面のむこうでは、CNNのアンカーマンがなんともいえない面持ちで事態の動向を報じていた。
 いまのところめだった問題は確認されておりませんが、各州における法執行機関は接触を避けるべきとの点に共通見解を持っているようです。また、国土安全保障省はいまだ予断を許さない状況だとして、とかなんとか。
 まあ、お決まりのパターン。
 内的な態度よりかは顰めっ面重視の調子。
 なんにもわかってませんが大問題ですから、きまじめな視線だけは絶やしません、と。
 そんな外面を見ていると胸が妙にそわそわして、ぼくは思わずテレビを消した。
 食事をすませて、大事な植木鉢たちへの水やりからはじまる日課にして趣味の一環をすませていくあいだも、なんとなく落ち着かなかった。漠然とざわつく気持ちをなだめるのには土いじりがとても効果的――昨日まではそのはずだった。この十年の、日々の柱として。なのにあたらしい鉢への種まきや、芽がでてきた野菜鉢からの間引きといった小さな作業の数々を、指先の痺れが阻み、いてもたってもいられないと表現される気分は日常生活を尊重してくれなさそうだ、とわかった頃には、急きたてられるがまま、家の鍵をつかんでいた。世界は根っこからルールを変えて死者たちを蘇らせた。ひと晩明けて、ぼくの心は改訂ルールにすっかり翻弄されていた。
 順応どうこうじゃない。鈍らせてきた。ぼくは、ぼく自身を。誰のせいでもない成り行き任せ。だから時間をおいてやっと、なにかしなきゃと鼓動はせっついた。大学の一限を蹴るのはためらわない。日々をやり過ごす法則にしたがえば大事なイベントに立ち会えない予感がした。せっつかれ、認めさせられ、明晰であるよりむしろ被害妄想的にまっすぐ考える頭を窒息させるように、みっともない勢いで飛びだした。
 メモリアルパークの門前はこれまさに黒山の人だかり。門の近くに停めてあるパトカーの前では、二人組の制服警官が手持ち無沙汰とならない程度に、でもやる気もなく人々をほどほどになだめていた。他方、門をしっかり塞いで停まるピックアップの天井でご機嫌斜めなのがレオ爺さんだ。曲がった唇は銃口となって唾の散弾銃を撃ちまくる。
 おどれらRIPだァなんだ気軽に言うんに、わざわざ静かんとこ乱しに来ンか、RIPがなん略かおどれら知れや、ググる(グーグルイット)脳みそもォつまっとらんようなジャスティン・ビィバー以下の薄ボケ笑いしおって云々。
 いくらなんでも物言いに熱が入りすぎだ。
 もっとも、さらに近くで見聞きしたがる野次馬根性と、それをより意固地にするスマートフォンでの写真や動画の撮影を見てみれば、レオ爺さんの勢いだって理解できなくはなかった。第三次世界大戦では核が使われて、第四次世界大戦では棒きれと石ころが使われるだろう。どこかしらでそんな警句を聞いたことがあるけど、この調子だと、終末後はみんなして壊れたスマートフォンで殴りあいをやってそうな、掌の大きさは問わない横並びのフィット感。むしろその文化的従順さのほうが、死者たちよりよほど映画のゾンビみたいだった。それに加えて職業的なうまいこと言いたがり屋もでしゃばっている。ローカル58やフォーサイド・カルチュラルブロード・キャスティング――近隣に局をおくメディアの取材班だ。いくら夜が明けたにせよ、<当事者>が外にでてきているにせよ、安らかに眠りたまえと刻まれた墓石の近くにあってはちっとも似つかわしくない。
 手をこまねいて人だかりの後ろのほうにいるうち、眼敏いレオ爺さんと視線があった。入りたければ裏手に、と顎をほんのりしゃくった。
 ぼくは裏手の頑丈な柵に歯抜けがあることをよく知っていた。
 はげ気味の枯れ草からのぞいた黒土に手をつき、ジーンズが汚れるのも構わず、錬鉄のあいだに身体を押しこんだ。大人の図体ではぎりぎりの窮屈な隙間にぶつけた脇腹が鈍く痛んだ。どうにかこうにか抜けて、夢見心地でふわふわしたいくつもの足つきを避けて突っ切るうちに、掘り返したばかりの土特有の湿ってなんとなく甘い香りを感じた。あるいは、これは死者から発せられる体臭なのかもしれない。
 連なる墓石を見てまわり、たどりついた光景のそこはかとない超現実感(シューリアル)たるや。
 墓地のまんなかには昔から野太いセコイア・デンドロンが植わっていた。左右に大きく広がる頑丈な枝は巨人みたいに不遜で、夜眼に見れば怖いくらい。そんな樹の根元の、日の当たるところに十人近い死者たちが気ままに座りこみ、屍衣の黒に陽を集めて、気の早い日向ぼっこをしていた。
 まるでティム・バートン映画だ。
 ぼくはまるでもなにもないことを思い、妙に幻想的な光景に踏み入った。そこにマリアンヌがいた。根元に腰を下ろして、うたたねにこくりこくりと首をかしげさせていた。
 何年も前のあの日。ぼくのなかでいまだ停滞し、でもこの瞬間に上書きされかけている、最後のお別れであるはずの埋葬のさなかに見つめた、あの永遠の眠りとは違った。停滞じゃなかった。はじまって終わり、またはじまる。リズムだ。
 スニーカーの底が、かり、と砂利を鳴らす。するとマリアンヌの顎先が揺れ、花水木(ハナミズキ)の花びらみたいに薄いまぶたが、ゆっくりもちあがった。見あげる眼差しは凝視に変わり、やがて樹皮に押しつけた肩を突っ()えにして不慣れそうにたちあがり、思いだしたように手を据えた。よたよたと不安定な歩が重なった。
 その光景に交じった小さな変化に、ぼくはやっと気づいた。マリアンヌの頭に一輪の花が咲き誇っていたのだ。見れば、ほかの死者だって思い思いのと表現したくなるような、さまざまな種類の花を咲かせるじゃないか。
 マリアンヌはパンジーだった。
 ふくよかに色づいたオレンジ色のなか、赤みの強い覆輪(ピコティ)がとても楽しげだ。
 素っ頓狂で小くて、かわいらしい変化。
 ぼくは手を貸すことも忘れたまま、見つめてしまった。その頬には心地よいそよ風にむけるような、ほのかな笑みの前駆が浮かんでいた。こちらの戸惑いもよそにのんびりとやってくる。不思議と警戒心はなかった。マリアンヌはぼくのそばを、壊れた時計の針がぐらつくのと似た軸のさだまらない足取りで旋回し、すんすん、と鼻を鳴らすのが聞こえた。
「土のにおいがする」
 と、マリアンヌが言った。そんなの一インチも想像していなくて固まるぼくもまた、揺れる髪からにおいたつ、爽やかな草木の香りを感じた。マリアンヌがぼくの手をとる。不思議そうに指を、掌をにぎにぎと触って、無造作に引き寄せるとひと嗅ぎし、
「おにいさん、土のにおいがするね。いいにおい」
 懐かしさが眩暈に変わりそうなその声は、眠たげに薄く間延びしていた。
「ああ」
「なんで?」
「さっきまで植木鉢をいじってたんだ」
「お花好きなの」
「うん、好きだよ。きれいな花も、見た目どうこうじゃなくがんばって咲く花も」
「あたしといっしょだねぃ」
 えへ、と笑いつつ触れてくる指はひんやりとしてなめらかで、少し硬質だった。ぼくは拇指で手の甲に触れ返して、ようやく特異さと不自然さを感じとり、樹皮のむかれた木のそれと同じ感触なのだとわかった。ああ、眼の前で花びらを踊らせるこの子は人間の屍でなく、ましてや抜け殻でもない――憶測は思うに留まり、奥行きを失っていく。動きだした何かに触れて、考えこめる余白(いとま)はこの胸にちっともなかった。
「いっしょか。そうかぁ……」
 咽喉どころか顎まで震えてしまってうまくしゃべれやしない。眼頭が痛いくらいに熱くなるなんてそうそうなく、どうしたらいいかわからずにしゃがみこんでしまった。
「どうしたの、なんで泣くの……どこか怪我したの? 膝すりむいたの? 痛い?」
 そう言ってマリアンヌも崩れるようにぺたん座りをして、心配したふうに覗きこむ。たしかに汚れた膝小僧は怪我に見えかねない。そうだ、これもいっしょじゃないか。はじめて出会った日、つまずいたぼくの両膝はズタボロだった。あのころのマリアンヌでさえ憶えていたかわからないけど、小さな手で抱き起そうとしてくれたことは、忘れようがない。ぼくは子どもじみた間抜けな泣き笑いをこぼすばかりだ。
「ありがとう、大丈夫だよ」
「本当……?」
「うん、大人だから」
「大人なのに泣くんだねぇ」
「大人だから泣くこともたまにあるんだ」
 鼻を啜りあげながらの情けない受け答えは、半分がばかげた言い訳で、うちもう半分はばかげた本音だ。うんうん、とマリアンヌはうなずきかけて頭をなでてくれた。幼い気遣い。ほとんど忘れて遠くにあった馴れ馴れしいお節介焼きが、唐突に過去から進行形の現実としてぼくに触れる。記憶と忘却が少しずつ入れ違いになっていた。たくさんの過去があふれようとしていた。もうたいていの怪我は痛くない。鈍くなった。鈍くなれた。うわついてない素振りをしてそんなふうに都合よく重ねてきた思いこみはあっさり嘘になり、動転して、傷は潤んで、収拾がつかなくなってしまうくらいには衝撃的だった。
 ぼくはマリアンヌを見つめた。
 小首を傾げたままで、まじまじと見つめ返された。
 その瞳に十数年を隔てる曇りはなかった。
 いま、この子に何を言って、何を伝えていいのかがちっともわからない。
 だけど、ぼくがこの子のそばにいたいのだけはたしかだった。

 膚寒い春先。
 カチリカチリと世界のネジが巻かれた週。
 停滞していた何かがジリジリと動きだした日。
 こうしてぼくはマリアンヌと再会し、あるいはあの子によく似た少女と出会った。
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