ゾンビ(?)人外掌編。
spirits of the dead's good dream
 世界はねじを回された。発条が動き出したのは、冬の日のことだった。
 事の起こりに感づいたのは科学者だかオカルト好きだか知らないけれど、少なくともぼくの周りでは墓守のルシコフ爺さんが、最初に受け容れていた。
 あの偏屈なロシア移民の爺さんに聞かされ、それを見たときにぼくはたまげた。腰を抜かして、爺さんの棒みたいに細い脚をがっしり掴んで、しっかりしろと怒られたもんだ。
 彼ら、あるいは彼女ら。ハイチ原産の語彙を借りるならゾンビ、と呼べる屍は、しかしホラー映画とは違う印象だった。なんといえばいいのか。怪物とは思えなかった。
 棺桶に積もる土を突き破って地上に出てきたばかりの少女の屍。それはぼくがはじめて恋をして、そして思いを伝えられないままに亡くなってしまった少女の屍だった。
 その容貌は十二歳のままで立ち止まっていた。
 ぼくがふたたび出会った彼女には、掘り返したばかりの土独特の湿って甘いにおいがくっついていた。屍衣のワンピースから伸びた白皙の四肢ときたら、透き通るように綺麗だった。黒髪はまるでトリートメントしたばかりみたいにつやつやで、細かな土の粒子が常夜灯に照らされて、きらきらしていた。ぼくはルシコフ爺さんに立たされると、茫々と顔に見入ってしまったくらいだ。
 地上に出たマリアンヌは、ぼくの呆けた顔の数倍はぼんやりとしていた。映画のように、人を襲うなんてことはなかった。困ったように、墓石にぺたりと座りこんで、眩しそうにまん丸な月を眺めていた。その姿は日向を目指す花のようじゃないか。
 現に、頭のてっぺんからは植物のつたがひょろりと出ていたんだ。ぼくは自分の想像に得心して、微動だにしない横顔を見つめた。
「これはいったいどうしたもんかね」
「んだこと知らねぇ。おめぇ昨日も言ったろうて、死体がぎょうさん地面から出てきたって何べんも言うたろうて」
「そりゃそうだけどさ」
「うちの中にぁもう幾人もおるでよ。みぃんな大人しいもんじゃ。映画なんて嘘しかはかんもんじゃの、やっぱりの」
 ロシア訛りの聞きとりづらさも忘れて、ぼくはただ頷いた。
 驚愕を独り占めすることはできなかった。非日常感が世界単位で拡大しているなんて、そのときのぼくは考えなかった。そのことを思い知らされたのは、朝起きて、家のリビングで朝食を食べているときだった。シリアルを浸して甘くなった牛乳をストローで吸っていると、ニュースのアンカーマンがおっかなびっくりに事態を報じていた。
 事態に問題はありませんが、州衛生局は依然として――なんていう、まあ、お決まりの何も分かっていませんというパターンだ。ぼくはその日、大事な植木鉢に水をやると、大学の講義を蹴ってもう一度、墓地へ行った。
 墓地の入り口の真ん前に留めたピックアップの天井に座ったルシコフ爺さんは、唾を飛ばして野次馬に文句をたれていた。その様子ったら、ちょっとした偏執狂的風情だ。ぼくが駆け寄ると、彼は裏手のほうへ顎をしゃくった。裏手の柵に開いてる穴から入れ、と。
 枯れ草に手をついて土でジーンズの膝を汚し、隙間に体を押しこんだ。どうにかこうにか抜け出したところで見た光景のシュールさたるや。
 その頃、まだその墓地の中央には巨樹があって、左右に大きく広がる頑丈な枝によって形容しがたいホラーっぽさをかもし出していたんだ。樹の根元には、蘇った十人近い屍たちが集って、日向ぼっこをしていた。なんというかティム・バートンめいたファンタジーを感じる集団だ。その中にマリアンヌはいた。根元に腰掛けてうたたねをしていたんだ、こくりこくりと首をかしげる姿は子供みたいだったんだ。
 ふと目を開いた彼女は、ぼくのほうを何秒か凝視して、腰を上げた。よたよたとした不安定に歩むマリアンヌの頭には、花が咲いていた。パンジーだ。
 白貌には笑顔が浮かんでいた。ぼくが戸惑った視線を浮かべるのも構わずに、軸の定まらない歩みでやってくる。不思議と警戒心はなかった。
 マリアンヌはぼくの近くに来て、鼻をひくつかせると、
「土のにおいがする」
 ぼくもまた、華奢な体から匂いたつ爽やかな草木の香りが頭の奥まで感じた。
「おにいさん、土のにおいがする」
 にこにこしてぼくの手をとり、においを嗅いだ。ひやりとした手。肌はざらりとして乾いた樹の表面を思わせた。ぼくは今になってその特異さと不自然さを感じとり、ああ、この子は人間の屍ですらないのかもしれない、と思った。
 ぼくはわけがわからず胸が苦しくなって、目頭が熱くなるのを感じた。涙がこぼれ落ち、思わずマリアンヌを抱きしめた。
 それがぼくとマリアンヌの再会した、いや、マリアンヌによく似た別の少女と出会った日のことだ。
 ある寒い日、世界がかちりかちりと、ねじを回された週の出来事だった。


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