Dec.31.2024
年末すべりこみで更新ですよ。お久しゅう。ツイター(この呼び方をする依怙地さよ)ではちょこちょこブツブツ言うとりましたが、まあ生きちゃいます。
調子があまりに悪くて長らく遁走状態でした。書きたいことを書けないと気が下り、気が下るとまた書けなくなり、非数学的なので書けないに書けないを掛けてもただただおしまいになり、延々とダウンワード・スパイラルしまくってたってワケ。月録書く気力以前に、記しときたいことを探す元気がなかった。このところはわりとマシになってきましたね。できれば、精神状態のグラデーションのなかで、マシって程度から大丈夫な程度までは持ってきたい。
 そもそも何が悪いって、睡眠時間の短さと中途覚醒が悪さをして平生からのウツウツに拍車かけてたんでしょうな。いつも意識が混濁して文章をうまく書けん。あんまりにひどいときは小説も読めん。二〇代時点でも離人感とか呆然としてしまう感じに陥りやすく、だいぶ人として終わってたのだが、齢を食ってさらに一個先のヤバコンディションに落ちるようになった。このところは眠れなけりゃ兎に角眼をとじとくのをテーマにしてギリ回復傾向にある。薬の他、キューピーコーワヒーリングや各種サプリを併用。中途覚醒しても身体を起こさず寝たフリを継続。それでどうにかこうにか。
超久々に月録のhimlファイルをチェックしたら一年前の未投稿日記で途方に暮れた。ぼっち・ざ・ろっくのSICKHACKが駄菓子菓子っぽくて良い、とか書きかけのテキストが残ってやんの。当時でさえ周回遅れで単独アルバムでないもんかと望んでおりましたが、いまだその気配はない。
 あと、チバユウスケの回復を祈ってた。その後、亡くなってしまい、当時はこれでしばらく呆然としてた。というか、ここしばらくで本当に沢山の人がこの世を去っていったな。チバの他にも櫻井あっちゃんや、さユり嬢や、アーティストに限らず田中敦子さんさえ。こういうのがわっと押し寄せると、やるせなさで力が抜けてしまう。
 そっかァ、と思って見送れたのは谷川俊太郎くらい。大往生。氏の詩集はいまでも、文字通りの枕頭の書でございます。
 どなたにも、どうか穏やかな眠りがありますように。
サイト上のcssとhtmlが雑にコピペするうちにグチャッてたのでちょっと直した。それにともないお話をいくつか間引き、この月録ページも簡略化した。text-alignで文面を整えつつ不必要なカラムを省いたことで相当すっきり。あれ、たいした意味があるようなものでなし、htmlの記述もダダ長くなって大惨事だったからな……。そもそもtableタグの手直しが面倒くさくて、横着が八割の再利用だったから、そうなって当然っちゃ当然なんだけど。
 つうか、text-alignをjustifyにしたら英字を全角にしなくてもきれいにそろうことおびただしい。ら、楽~、入力が。なんで小説ページにしか適用してなかったんだろ。謎。組んだ当時はChromeでのフォント表示がMSゴシックみたく等幅だったからかね。もしかすると。
そうそう、先だって明治本朝獣異草子が完売したのでした。イベント頒布時の勢いを見越して多めに刷ってもらった直後、コロナ禍でとうのイベントが吹っ飛び、わたしのツイ垢も謎の凍結で吹っ飛び、初速まで吹っ飛び、初手から大変なことになった向こう側での完売御礼にございます。
 落ち着いて振り返ってみれば、はじめての個人誌としてはだいいいいぶ多めの部数だったと思う。誰からの支持があるわけでもない。ネタ元は発売から数年経ってるゲーム。しかも長編小説って、ねェ? 書き上げたのは自分の執着によるものなれど、それがちゃんと売り切れるような本になったのは、ひとえに鄭重な編集・装丁・頒布をしてくれた大戸ニキと、最高の装画を描いてくれたハルヨさんのおかげですな。それはもうありがたい話で、いつものことながら善意依存型すぎて恐縮です。
 と、直截には言いがたいのでここに書いておく(いや言えよ)。
 ちなみにいまだから書くけど、本の内容には多少、忸怩たるアレがある。あれの作業やってたのは、小説に関しての懊悩でいま以上にアタマ狂ってた時期で、助詞の使いかたやそこからくる視点の距離の制御とかいろいろどうにかしようとドッタンバッタンなっていた。文章的に狂いのある部分がある。一箇所、致命的なコピペの修正ミスをやってるところもある。なのでウギャーッてな内容だけど、それを込みにしてもお気に入りの本です。ヘボい部分があっても書けてよかった。
 そんな本が、同じく主人公がビアンで特殊エージェントな超オモロ伝奇的スチパン小説――精霊を統べる者(後述)が刊行されて間もなく完売ってのは、なんか伝奇運命を感じちゃったよね。オホホ。これはまあ単に奇遇って話。
工合悪くてときどき前後不覚になったりもしつつ、本を読むペースはなるべく変わらんようにしてた。といってせいぜい月十冊がいいとこ。読むものの射程範囲を広げる努力もしてたが、いろいろ読んでも大当たりではしゃぐ小説となると、いつも読んでるような本になっちゃう。それも数はそんな多くない。
 まあそれはそれとして、今年は以下の九冊が魂の糧になってくれたのでした。
 魂に秩序を/マット・ラフ
 精霊を統べる者/P・ジェリ・クラーク
 タイタン・ノワール/ニック・ハーカウェイ
 彼女が生きてる世界線/乙一
 ワニの町へ来たスパイ/ジャナ・デリオン
 バビロンに行きて歌え/池澤夏樹
 ボクは再生数、ボクは死/石川博品
 読者は読むな(笑)/藤田和日郎
 そぞろ各地探訪/panpannya
 ふと十年ぶりくらいにバビロンに行きて歌えを再読してみたら刺さったり、乙一が転生モノ書いてると知って読んだ彼女が生きてる世界線で泣いちゃったり、そぞろ各地探訪でしばらくやってなかった長距離散歩をしたくなったり。
 そんなかで、精霊を統べる者タイタン・ノワールの二作品はもうこれ読めただけで今年は大勝利ってな本だった。かつてゴーストマン鋼鉄の黙示録エンジェルメイカーが一年のあいだに刊行された個人的に驚くべき時期があったけど、あの時期に匹敵する。
 精霊を統べる者は歴史改変隠秘学スチパン特務エージェント百合大活劇小説。オカルト技術によって革新を経て精霊(ジン)が隣人となった一九一二年のエジプトを舞台に、錬金術・魔術・超自然的存在省の筆頭エージェントであるファトマ嬢がカノジョや相棒とともに、グールを引き連れて都市に跋扈する黄金仮面の魔を追跡する話。
 スチームパンクって、日本で言うと伝奇小説なのだよな……。その事実を噛み締めながら読める嬉しさに尽きる本で、批評性とエンタメ性の歯車がめちゃくちゃに気持ちいいラインで噛み合ってるから、読んでるあいだはめっちゃ幸せだった。ファトマ嬢が仕込み杖を使う褐色ヒロインなのも激萌え(褐色ヒロイン大好き)。お話のバックボーンとなる陰謀劇も伝奇的魅力にあふれてる。もうね、異能バトルあり、捜査機関本部襲撃あり、百合もシスターフッドもあり、差別問題、歴史改変小ネタもあり、とてんこ盛り加減が心地よすぎ。終盤における、強制力で縛りつけようとする敵に対して民衆の力で抗するシーンも、いまを生きる人をエンパワメントするような現代的楽しさがある。そこに加えて鍛治靖子氏の訳が格調とラブリーさを兼ね備えているのが素晴らしい。
 惜しむらくは三九六〇円という定価か……。でもいざ読むと全然払えるわそんぐらいの金額、となること間違いなし。できれば過去に執筆された同シリーズの短編、ノヴェラをSF叢書でまとめてほしいな。絶対買うから。
 タイタン・ノワールは待ちに待ったハーカウェイの最新作で、珍奇設定テック・ノワール小説。不老不死をあたえる巨人化薬で神のごとく強靭、巨大になっていく貴族階級「タイタン」に支配された近未来都市の闇を、すっとぼけた私立探偵が歩んでいく話。
 ハーカウェイの作品は毎度毎度、どんな話なのかあらすじからは予測をつけがたい設定が滋味深いけど、またしても変なことこの上なかった。でも基調となるのはちゃんとハードボイルド&ノワールだからかなりとっつきやすい。陰謀を追っていくうちに泥沼にハマり、ウィットで窮地を脱し、たまに敵対者とボコりあう図はアドベンチャーゲーム的だから、そういう意味でもとっついやすいかもしれないな。それらを描く酒井昭伸御大とコラボレートしたソリッド文体も恰好良い。たまらん。そして、おなじみの過剰な語りや奇橋でイカした人々、真顔で変なこと言うシーンも実装されているから嬉しくなっちゃう。ヒロインなんて、今回は日本のトレンドに衝突するような巨女(二メートル超)だし。
 ハーカウェイ作品おなじみの要素として、「変なセックス」もきっちり引き継がれてたのは笑った。今回は直接的なシーンではないのだけど、ヒロインのほうが膂力強いから事後は体が痣だらけという。なんか妙にフェチくて笑ってしまった。いやはや、前作の訳出から五年が経つ間に重ねた期待はまったく裏切られない。ハッピーです。しかし一度読み終わると他のも読ませてくれとは強く願ってしまうもんで、いまは是非タイガーマン辺りを訳出してくれー……の気持ち。頼む……。
 そんなマジ面白くて人に薦めたくなる二冊に対して、面白かったけど全然人に薦められないのが魂に秩序を。超長い。超ゆったり。そして超つかみどころがない。解離性同一性障害を抱えた子、アンドルーの遍歴に一〇八八ページが費やされている。浜野アキオ氏による訳はかなり性に合うから楽々読めてしまうし、登場人物たちもヘンテコで好きなんだけど、まあ、本当に長い。アンドルーを取り巻く現実。アンドルーの内面にある多数の人格がひとつの家に住まう世界。ふたつを行き来する混乱気味のお話に付き合って楽しかった、と言いきれる人がどれだけいんのか、と思わなくもないのですな。波長があえば本当に楽しいのだが。いやしかし、のちにバッド・モンキーズやラヴクラフト・カントリーをほどほどの長さで書いたのって、ここで無茶苦茶な尺構成を楽しんだあとだからなのかね。そんなことを考えつつ、フラフラした子とメンヘラちゃんがおたがいをささえあう青春小説としての感触はかなり良かったのでわたしは大好きです。あまりに長いけどな!
 ……この三冊だけで七千円超えるんだから、本当に高価くなりましたな。翻訳モノは。それでも値段以上の価値はある。国内作品で強い興奮を得られることって、そうそうないからな。
Mother2リリース三〇周年イベント「Mother2のひみつ。」の図録も良かった。実イベントは夏場開催とあって、猛暑に耐えらそうもないのを理由にスルーしちゃったのを若干後悔しつつ、図録なり資料集形が刊行されんかな、と思ってた矢先に刊行情報を見て、つい予約しちゃった。矢も盾もたまらずというやつです。それでいて入荷遅延をかまされ、落手したのは発売約一週間後だったが……。
 ともあれ、RPG史はもちろん自分史に残る最高のゲームだから、もう嬉しくてしゃーなしな本なのでした。定価六千円と設定資料集のなかでも値の張る部類ながら、非常に力の入った仕様なので満足度は高い。というか糸井重里による旧シナリオ案や、九二年時点での全体的なシナリオの流れ(この時点でほぼ完成形)、スタッフの手書きによるマップ構築だけでもとはとれるんじゃないかしら。
 個人的には話が固まる前の段階――プレMother2の資料がありがたかった。これがまた完成版よりも、より時代感覚をむきだしにしてて面白いのですな。背景設定のオカルト色がえらい強くて、八〇年代の現代日本オカルト観を引きずっている。冒頭の作りもまったくの別物が想定されていて、未来の使者が電報を届けにネスのもとを訪ね、受領したとたんに忽然と姿を消す……というふうになっており、ジュブナイルSFと都市伝説的な色彩の混在にときめく。他にも直截にエスパーとの表現を用い、実作の最低国にあたるステージをムー大陸にしてるのも露骨だったり。
 それから、「ファイバレン(Fiverent)」の正体がわかったのも楽しかった。フォーサイド以降の次に訪れる街として想定されていた、ケープケネディ(いまでいうケープ・カナベラル)風の街。ちょっとしたメモによって風聞のボツネタに肉付けされた瞬間には得も言われぬものがあった。実際のケープ・カナベラル自体、航空写真で見るとかなりゲームのフィールドっぽい風景だから、ドット上で再構築されてたら見栄えしたろうな。
 もっとも、もし実装されてたらいまなお抱く愛着も存在しなかったのかもしれんのだけど。ファイバレンから宇宙へ旅立つと思しき展開は、資料内で「スペースオペラ」とさえ表現されている。地球の内奥にむかった実作とは真逆の展開。大宇宙からの侵略者と戦うために宇宙へ行く、というのは実にストレートな想像力だよな。あえて強いことばを選んでしまえば凡庸でさえある。そうして当たり前のように外側へと押し広げた地図を、一旦は閉じて、むしろ地球空洞説を採ることの大胆さたるや。もし原型を保って宇宙の広漠としたフィールドが広がっていたら、「探検」としてのワクワクは生じなかったんじゃないかな。エジプト風、アマゾン~コンゴ風、失われた世界風――ストーリー後半に用意されたそれらのステージは、地球の深みをめざす秘境探検の色彩を備えればこそ厚みを増し、幼い頃のわたしは、どこかにあるかもしれない(と思いこめる)景色へのワクワクを抱けたから。現実のかけらがはめこまれつづけていくことによるフィクションの補強。子どもの頃はそこまで具体的に考えていなかったけど、いまだと強く感じることです。わたしが幼少期をすごした九〇年代は、まだ水曜スペシャル的な地球上の未知領域が多く残されていた印象があって、もしかすると、それらとうまく重なってたところもあるのかな。世界ふしぎ発見とか、世界まる見えとか、たけしの万物創世記とか、なんかそういう番組と相通ずるもの。
 あとは、発売直前まで記述されていたゲーム内容の修正リストもだいぶ面白かった。完成品のMother2には大きな特性として、進行上、次はどうすればいいかの判断でつまりにくい構造がある。ヒント屋による次手への案内もそうだけど、ことばや演出による動線が、あの時代のゲームとしてはかなりていねいに作られている。それに関わる過不足がキワキワのタイミングまでいじられ、そこでやっと均された処理も多いことに驚かされた。ちょっとした動線の処理がほとんどながら、それらがなかったらプレイ感覚がデコボコしてただろうなー。ナラティブに障る部分をがんばって削ってた証拠の塊。面白いけど緊張感もある。
 ゲームのナラティブについて考えることが多い昨今なので、そこら辺の資料はだいぶ読み応えがあった。惜しむらくは、除外された資料もあるという序文の記述か。完成したMother2に通じるものだけが残され、アナザーMother2を仮構する余地が減らされているのは残念無念。いや邪念を切り落としておく編集方針もわかんなくはないんだけどね。
 ともあれ、ずっと触れてきたゲームの、いままで触れえなかった部分に触れられる感覚が楽しい本でございました。
という喜びとはまた別で、糸井重里には言いたいことが多々ある。特に政治への態度に関しては本当に多々ある。外面的には冷笑としてしか作用しない振る舞いも、武器としてのことばで他人を抑圧するおこないも、あまりにもよろしくないし、本気で顔面グーパンチしてもいいくらい。普遍的な部分の祈りや愛情がこめられたものとして、いまなおMotherシリーズを信じればこそ、抱かなければいけない怒りが常にある。
 たぶん、本人には冷笑のつもりなんてないのだよな。御上の眼をやりすごして、のらりくらり楽しくやろうという思想。時の政体にコミットすることなく、インフラとして乗りこなしていく感覚。左からの転向者として、それらしくはある。恐らく、インフラを変えられないなら賢く利用しようとさとす感覚もあるのだろうけど、言うまでもなくそれが絶対的な利として成立する時代はすでに過去のものなのだ。その実状を無視して、大昔のサブカル人らしいよそを指さして笑ってみる態度も残したままだから、ものすごいヤな歪みが生じる。昔から雑文とかで使ってる、言い捨てる語調(ソフトなことば選びに見えて口汚いやつ)もちょっとね。
 まあ、進歩的では決してないのだ。いまさら何を言われたところで本人の態度は変えようがない。後期高齢者だし。むこうに見えてる範囲で価値や意味が後退していても、それは外側にある価値や意味より、ずっとゆるやかな速度なのだろうし。実感なんてないのだろう。でも、だからこそこちらは怒っていなければらならないんだよな。冷笑として機能する言い分を、当たり前のものにしないように。

return top