▼世間もヤバいがわたしもヤバい。例年よりもヤマイダレにやられ、風邪っぽい重めの症状に殴られて鬱傾向も強まり、しばし完全ダウンしてた。意識がはっきりせず、仕事中もうまくことばが出ずってのは久しぶりだし、前駆として日本語を思うように記述できなくなった時点でヤバみに気づくべきだったのかもしれぬ。揚句、何か書こうと思ってから一瞬で時が過ぎ去ってましたね。
現状は回復傾向にあるから、さっさと元気になりたい。
と言って気軽に元気であれる世相ではないのが悲しいね。
▼体調が回復したら赤羽徘徊をしたい、と企てて鬱状態をしのいでたんだけど、どうやら無理らしい。駅前周辺の風景を、それはもう大きく変えるだろう都市計画について読んだのがしばらく前のことで、それから何度か行くタイミングを逸して、揚句のこれ。風景の連続性を完全に失くしてしまう前に行けたらいいな。好きな街が見知らぬものとなるのは悲しいことだから。
▼そんなご時世なればこそ、バイオハザードRE3を超絶大変楽しんでた。届いたその日のうちにクリアしちゃうくらいには楽しんでた。心身ともに参ってたんで救われました。DBDのパロかよ……とプロジェクト・レジスタンスなる情報にだいぶヒいてたもんだけど、あれが嘘のよう(現金な性状)。
詳細情報が公開された段階で原典通りではないことは表明していたけど、果たせるかな、アレンジはかなりのものだった。アップデートとディテール強化のRE2に対し、ほとんど作り直しと言って差し支えないね。まず説明をザックリ省いて放りだす旧3の作劇を回避してたのからして当世風って感じ。冒頭のジャンル映画っぽいニュース映像や搬送される謎の生物兵器~ってなムービーはプラスの意味でB級回帰。そのあとで1の事件を経て、ジルが組織的な裏切り、白眼視のもとで密かに捜査してたら、引っ越しの間際になってまた事件が……と段階を踏んで混乱のなかに放りだすのも、きれいにキマってたな。襲撃から逃れた先で市民がゾンビから逃げてる図はかなり心地良い。
それをやるためにラクーンシティを再構成するのは、相当に大変だっただろうな……。そもそもラクーンシティは考証が甘いためにかなり異様な造形――製薬企業による企業城下町で、かつ都市空間に大都市圏を思わせる部分があり、なのに人口は十万人くらい――をしてて、しかも市内地図を見ると立地はかなり手狭だったりする。たぶんだけど感覚的には縮尺は十倍、住民数も三~四倍くらいあるべきなんだよな。プレイしてて強く感じたのは、そうした手狭な全体像はいじらないまま走りまわるための動線を配していく難しさだった。例えば序盤におけるネメシスとの接敵イベントなんかは、半径数百メートル以内をグルグル動きまわるだけと言っても良い。それをただ狭苦しいように感じさせず、生活感も残しつつ迂回路を作ってく努力のおかげで、「ラクーンシティを歩いてる」との実感があるのは良かった。もちろん、もっと広く行ったり来たりできればもっと良かったんだけど。
旧3の弱みとなるシナリオもしっかり見直ししてあった。アンブレラ社が派遣した
バイオハザード対策部隊のオペレーターと協力して脱出するとの背骨を正して、贅肉になるイベントを削ぎ、ウィルス/ワクチンと関連した新規イベントで筋肉をつけてる。そもそも旧3のストーリーは陰謀や状況の核に触れる要素が欠け、「脱出する」との目的意識に頼りきり、そこに傭兵稼業やウィルス感染で大味な枝葉をつけてた。これを全体的に修正するのはただしく、そして危ない綱渡りよね。実際、変更点をけなす評は多く見当たる。贔屓目に見ても力技なとこはあり、第二主人公であるカルロスの親友を登場して即射殺されるモブ扱いに降格してるのとか、もとの関係性が好きなならいまいちなのも当然だろうと思う。個人的には相当笑ったし、あの作劇だとあそこくらいしか配置するとこねーよなってもんではあるんだけど。また、新規イベント――医師の救出作戦がために、ワクチン開発の主体をめぐってアウトブレイク周辺がパラレルと化しちゃうとこも考えもの。アンブレラの研究員による罪滅ぼし。これはこれで悪くはないし、もちろん、ラクーンで起こった物事は主人公=個々人が観測した主観でしかない。一種のブラックボックスと言ってもいい。だから変更も問題はなかろう、とは思うのだけど、なんかやっぱあつかいが可哀想。これはまあマーヴィンの感染シーンもそうか。なかなか折り合いをつけるのって難しいよなー。いっそ、これが布石になってアウトブレイクを再構成したリメイク版が出ればいいな……とか思ってしまう。REシリーズの作りでアウトブレイクを、しかも友だちとの探検をやれたら相当に素敵だろうな。
そんなキワキワなとこはありつつ、RE2同様に映画指向を挟みこんだ演出はそれなり以上に楽しかったな。特にダイアログ/ムービー内の仕草/視点切り替えで各キャラをちょっとずつ掘り下げてるの嬉しい。まずもって、主人公は感染しないのか、という点への小さなアンサーが好き。開始早々、ジルがゾンビ化の悪夢に見舞われ、眼が醒めたあとで部屋を見てまわるとベッドサイドに大量の薬が散らばってるし、手近なファイルを読むと発症はせずとも感染の予後に懸念があると描写される。ただ運良く発症を免れてるだけかも。この感覚が、ウィルス汚染でダウンする流れがはらむ違和感を軽減してて結構印象的だった。話の筋を知ってるからなおのこと。しかもその直後、襲撃を食らって過去作の主武装――サムライエッジを失ってしまう演出までつけてあるし……。なんでその武器を使わないのか、という理由付けにめちゃ弱い。手ぶらはマズいと遺体からグロック自動拳銃を拝借するくだりで、ごめんね、というつぶやきで感情を上乗せしているところも心憎い。カルロス周辺にしても、お話をシェイプアップするに伴い、第二主人公として最適化された造形なのが明瞭だったりね。弱い部分を残す元ゲリラの若者でなく、傭兵としての対応力、軽口に義理堅さをともなうあんちゃんとしてのそれ。だいたい初登場時からして、ジルを助けるべくロケットランチャーをブッ放し、しかもそれが旧来ファンにお馴染みのM202なのとか、もー過去作リスペクトの素敵演出ではございませんかよ。これでM202が隠し武器として登場することを期待しちゃった(普通にAT4でスンッ……てなったけど)。
他にもシリーズを追うごとに少しずつ後退してた(そして近作で盛り返す)ホラー映画パロの趣とともに、敵キャラのあつかいを良くしてたのが嬉しかった。
特にハンターシリーズなんか、造形と登場シチュエーションがすこぶるラブリーになってて嬉しかったな……。両生類ベースのγは、アンブレラ・ヨーロッパ支社がプロダクトを持ちこんだ、との設定だったのを、開発中止の憂き目にめげない研究員が勝手に飼育して、というクリーチャー系SF映画の道理に寄せてる点で相当アガった。ちゃんと研究施設とファイルまで用意してあるんだもの。下水道最奥に設営された研究室(どうやって機材搬入したんだ……)で読めるのマッドサイエンティストみにまみれたファイルとか、テンプレだけど笑っちゃう。造形にしても、成長しきらないオタマジャクシと人体の間の子めいたシルエット、粘膜質で嚢胞の浮いた外皮、退化した腕という鈍重そうな見かけに凶悪さを秘めてるのが控えめに言って最高。RE3ではネメシスとタメをはる造形だと思う。ヨチヨチ歩きで油断させつつ、歯列がぞろぞろと生え揃った口蓋をいきなり突きだしてくるインパクトたるやもう。これに関しては存在をまるごと省かれたグレイブディガーの特徴も掛け合わせてあるんじゃないかしら、と思ったりしなくもない。しかも即死攻撃をかます強キャラでありつつ、生物兵器としての汎用性ゼロなところもかなり好き。
ハンターβのデザインも1に登場したαのシルエットに寄せる形で一新され、それでいてまったく異なるディテールで遺伝子操作のベースは違うとわかるようになってた。爬虫類風でありつつ、昆虫のキチン質を思わせる口周りと外皮。そもそも登場する病院自体が怖い作りになっているのだけど、そこで動線上に姿をチラ見せ、その果てでの1での初登場ネタもやっててだいぶご機嫌。
ドレインディモスなんかも露骨に賑やかし要員から昇格してたな。状態異常も含め、かなり生理的イヤさ重視。専用ステージが用意されて、しかもそれが排泄物でも混じっているのか悪臭ぷんぷんたる腫瘍状の巣と化した変電所っていう。造形自体も、ミミック(デルトロのね)や1のキメラを思わせる生理的なイヤさが強まってて善き。なんか全体として一シチュエーションに絞った登場と演出の強化で印象づける、というやりかたがかなり前に出てたな。
他にもブラッドの臆病者だけど良いやつとしての演出、バカ武器=パラケルススの魔剣とか、キャラや各要素をアレンジした演出の散りばめかたは良かった。RE2におけるアネット・バーキンみたいな、感情面に訴えかける演出はないにせよ。
ゲームとしてのプレイフィールで振り返ってみると、それ自体はRE2よか短めと言ってもいい。くまなく探索、アイテムは逐一入手、敵もどんどん処理――と、それなりにじっくりプレイしても五時間前後でクリア。前作は初見で八時間前後だった憶えがある。これを考慮するとそれなりに短い。もちろん、それ自体が手抜きかっつうとそうではない(旧3と同様の前作アセット流用もこの場合茶目っ気だろうし)。ここに関しては構造上の違いが大きい。たぶん。
レジスタンスとの抱きあわせ故の短さと断じがちだけど、アクションとしての精度を重視する作りのほうが、影響は大きいんじゃないかな。
アドベンチャー性からアクション性へ。こうしたアップデート感覚は旧2~旧3への流れと同様。それでいて旧3で半端だったアクション性の補強を、RE3はちゃんとやり遂げてるのがいいですな。緊急回避システムがプレイ感覚だけでなく、特殊部隊員であるジルの所作としてかなり合致してたと思う。プレイ感覚にしてもかなりアグレッシブ。ゾンビの動きを読み、相手が一人ならナイフでの制圧はたやすい。より脅威的な敵でも、回避直後の急所攻撃でノックダウンできる。さらに言えばネメシスによる追跡のさなか、ゾンビと接敵しても攻撃をかいくぐり、走り抜けられたりもできる。操作や回避タイミングも、SEKIRO辺りをプレイしてたような人なら気楽なレベル(少なくともノーマルモード程度は)。ナイフの破損。弾薬の損耗。被ダメージ。それらにビビって尻込みや遠回りをすることはそこそこ減らしてあった。
そういうわけでRE3は、
勢いよく突っ走っていける感覚に的を絞りまくった印象が強い。これはまたステージと構成にも連携している。と、いうのはどういうことかと言うと「さまようため」でなく、「通過していくため」の構造へ注がれる意識ですな。
さてRE2がどんなゲームだったか、と考えると、
さまよって探ることに重きをおいたゲームだった。舞台のベースは息絶えた警察署。辺り一面に闇の濃淡がしがみつき、死が横溢して、鼻につくのは血の錆くさい重みばかり。そんな空間を歩き、アイテムでいくつもの仕掛けを解きながら行ける範囲を広げ、ときにショートカットで思いがけないエリアをつないでく。たやすくは対処できない敵におびえながら、ときに警察署近傍の街区にも行き来して、脱出の道を求める。そういうバイオの原点に近い探索の怖さ、楽しさがプレイフィールの中心にあった。平林プロデューサーがメトロイドヴァニア型と発言していたのも、そういうのを強く意識してのことよね(そもそもバイオ1とてメトロイドヴァニアとジャンルが名状される前からそうした性質があった)。そして何より、狭めのフィールドに詰めこまれ、しっかり回収していく形式が、プレイフィールとあわせて長めなプレイ時間を担保していた。二周目以降は別として、一周目の速度はそれなりに抑えるように設定されていたように思える。
翻ってRE3は、最初から最後まで
走ってくぐり抜けていくことが重視されている。ステージは街路、ビル、変電所、地下、警察署――つまり目まぐるしく死の淵に転げ落ちていくラクーンシティの都市空間そのもの。目的を達し、あるいは敵に追われ、一度通過してしまえば二度と訪れない場所も多い。探索要素にしてもおさらい程度で、プレイヤーを悩ませるところはかなり減らしてあった。どんどんと時間軸/視点にカットを入れ、新しい武器を調達し、強敵をぶちのめしながら次のシチュエーションに突破していく。エイリアンからエイリアン2、ターミネーターからターミネーター2のそれみたいな、言わば二部作としての成立ですな。そういった性質の違いが速度を早め、プレイ時間を短くしている。これを認識、あるいは受け容れられるか否かでだいぶプレイ後の感想が変わるよね。わたしとしては、お話とシチュエーションにちゃんと整合性がとられてるおかげで、最終的に自分のなかに残った体感密度自体はRE2に勝るとも劣らないものになってる。アクション重視でありつつ、警察署や病院を探索するときのこわごわした雰囲気はバイオハザードとしての怖さを尊重した楽しさだしな。
と、ここまで考えて思いだすのが、旧3ってバランスのよろしくない作品だったということ。たしかに元来はより多彩なシチュエーションを有していた。新聞社、薬局、時計台、公園、墓地。リメイクにあたって断片化、削除された空間は多い……んだけど、用意された演出意図やお使い要素がどうだったか、と問うなら、わたしの認識ではわりと楽しさが希薄だった。どちらかといえばプレイ時間の無理やりな引き伸ばしという面が強くはなかったかしら。道具を集めるための単純な行ったり来たり、というか。盛りこもうとしていた新要素――都市部全体を舞台としたバイオハザード、緊急回避、追跡者、ライブセクション――も噛みあいきっていなかった。それが二十年をかけて溶けあい本当の形になったんだ、という感慨深さが強い。
そんな感じで善きの思いを連ねる一方、レジスタンスをやらなかったこともあり、高価ェよって意見には完全に同意してしまう。好きじゃないんだ、PvP。協力は好きなのだけど、他人とつっつきあうことにはそれほどの興味がない。だから、もっと安くてよかったよねって話。DLCで出せば……というのも、かなりわかる。あとはシステム上では、サブ武器の手榴弾があるにも関わらず即死攻撃への回避行動がオミットされてるのもいただけない。ロケットランチャーがM202じゃないのもいただけない(考証的に言えば焼夷ロケット弾とわかっていても)。
でもやっぱバイオハザードの新作としては、やはりスゲー楽しかった。その空間が怖い。ゾンビが怖い。と、いうような状況は良いよね。
▼バイオにかぎらず、ホラゲーの魅力の軸を生活の残骸を駈けていくことにおいている。サバイバルすること、よりかお散歩が近いかな。感覚的に。どこかを歩き、探り、見てまわる行為。都市空間とか歴史感覚が扱われたメディアに眼をやるとき、「現実と地続き」なんて表現を好んで使いがちなんだけど、なんというか、現実の生活/風俗/風景が歪んだ図への執着が根っこにあるんだと思う。SIREN、サイレントヒル、零、夕闇通り探検隊、トワイライトシンドローム。世界観が好きなホラゲーを挙げると、一瞬でこの並びになるのもたぶんそういうこと。何らかの形で見知っているはずの景色が、真っ当でない理由で異化され、恐ろしいものに変わっている。そんな空間を怖気に濡れながら仮想的に歩き、感じる――という楽しさが、操作感覚と並んで重要になる。
バイオシリーズも、当然、その一画になる。例えば一作目こそ館モノであり、造形や仕掛けは異質だったけど、舞台は現実の延長に転がっている断片の数々で構成されていた。日記や記録。小道具。それらの持ち主であったかも知れない生ける屍。人のいた、無残な形跡が残されたトポス。そういう現実の延長にあるリアリティは舞台がラクーンシティに移行することで強まり、それこそ旧2/旧3をリアルタイムでプレイした小学生の頃、芽吹きはすれど、まだ開花に遠い散策欲/探索欲を刺激されまくった。旧3の頃なんかはずっと家でおとなしくしてなきゃいけない事情があり、自転車に乗れないから友だちと遊ぶときもあまり遠くへ行けず、という閉塞的環境だったので、余計にかも知れない。RE2/3は、あの日のバイオが寄越してくれた感覚を、いまの自分に、いまのやりかたで突きつけてくれた。それだけですでに点数はつけられない作品なのかも。
▼RE3は細かい愛嬌が多いけど、ことUBCSの着用する装備が映画版バイオ2に登場するSTARSコスからの引用っぽいとこなんかは笑ってしまう。そもそも映画2のSTARSコスだって、バイオ1のクリスがモデル。ボケとしては二重になっているんだよな……なんか……すごい……。
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