電脳軍事探偵異聞
Fake pilot
座礁:Run aground.

あなたは見られている。
帝国の極秘機構、エンジンによって、いつ何時も監視されているのだ。
開発したのはこのわたし。
賊徒を検出し、叛乱を未然に防ぐために。
だけどエンジンは、一般人を巻きこむ凶悪犯罪までも検知する。
政府とって「無用」の犯罪。
だけど、わたしには「無用」の犯罪なんてない。
まずはパートナーが必要になる。
いっしょに犯罪を阻止してくれるプロが。
当局の目をかわしながら、誰にも知られず、わたしたちは行動する。
被害者であれ、加害者であれ、エンジンが描出した目標(ターゲット)は必ず見つけ出す――




 六五八二日前
 ――皇紀二六八四年

 時は、人類が直面した未曾有の大戦のさなか。
 女は歩んでいた。
 自らの信仰を試すような殺戮の前に。
 崩落した港町――瓦礫の浜と果てた水際で、暗い潮に血がほどけていた。鼻につく海水のにおいは人魚の児らの屍臭と燃焼した火薬で戦場のカクテルとなり、生身の五官を刺してやまず、吹きつける雪と風も人の柔膚を切りつけるばかりだ。人体を呪うこの地で、しかし、背高の女はこともなく水面から歩み出た。
 戦艦級重義体の堅牢さは寒さどころか、傷口からとうとうと伝う人工血液も気に留めさせない。死を遠のかせては一歩ずつ確実に運ばせた。強固な生を保証する人造の身体性が戦場に身を躍らせ、身には急速放熱のもたらす湯気がしがみつき、そのくせ内側は凍てつきはじめていた。魂 魄(ゴースト)が艤装を拒もうとしていた。隠秘学(オカルト)じかけの支えはいつしかとけ、地を叩いた砲撃体系は、ひび割れを爆ぜさせた。烈火の絶えた砲身は雪を重ねて、鋼の価値は沈黙に錆びついた。街は無数の砲弾による洗礼を受けとったことでクレーターにまみれていた。女はうつろな街路を行くうちに、「敵」を見つけた。矮躯に焦点があえばひどい眩暈が女の足元を揺らがせた。揺籃症状(ヴァーティゴ)。心の痛みを解離させる処理が電脳に圧をかけ、なおも消せない苦痛の過負荷が脳神経をおおうのだ。膝を折っておろおろと抱きあげれば冷めゆく血が、重みが、嘘くさく腕にまとわる。喉から絞りだした悲鳴は、嗚咽へ、そして叫びに変わり果てて泥を塗りたくったような曇天を打つ。
 気づけば、分厚い毛皮外套を肩にかけられていた。大柄な男――提督が、その体から抜け落ちていく魂の温度を守るようにして女の長身を胸に寄せ、入れ子のようにして腕に抱かれた躯を、嘆きとともに見下ろした。漂白された人骨ほどに白い幼子。
 北方棲姫。
 それが幼子の名だった。
 二人がその手にかけた白き幼子の、名とも云いがたい名だった。
 たしかに撃退作戦は成功した。犠牲はなく、ただ、女と提督のみだけに大きな傷を残しただけだ。いつものように、それは正しいことだった。
 だが、この瞬間の傷は深すぎた。
 提督は、女は、こどもを、祖国に未来を形作る「明るさ」の象徴を愛していた。演習艦隊時代の荒んだ身のあり方と孤独感は、仲間を得て拭い、帰還した自分たちを見ようと軍港に訪れ、手を振ってくれた子らには熱を憶えた。命を賭けて守りたい、怪物たちの手によって散らしてよいものではない、と。一人じゃないと教えてくれる存在との出会いだった。心は変節を迎え、よき人になれた。だから守るため、激戦地を隠密裏に転戦しては、特務偵察の役目と撃退の任を負い、ひたすらに鉄火場で身を焼いていられた。ときには裏切りに染まった新ソのドイツの間諜に横ざまからの一喝をも叩きこんだ。
 今回も陽動目的の活動だったが、「いつもの激戦」としか思っていなかった。数年来の虚しさは失せ、なにも怖くはなかった。何人もの仲間がいた。拳と砲口を掲げ、これまでに幾人もの――あれを人と数えてよければ――敵目標を屠ってきた。最初こそヒトの似姿を殺すことへの違和が敵意とないまぜになりもしたが、じきに気にならなくなった。
 自分たちの似姿に過ぎなかったから。
 忌まわしい人魚の児だから。
 人ではないのだから。
 だから殺せた。
 同族ではないのだ。だから心に被覆材をかけるのはたやすかった。
 だが、腕に抱かれた「それ」は違った。かつて自分を応援してくれた幼子に似ていた。この戦いを、安寧を築くものと信じ、旅立つ艦隊に手を振ってくれた幼子に似ていた。抱きなおせば、北の地に不似合いな薄布と柔い膚が首筋を擦った。両足は砲撃で壊れ、骨がのぞいていた。右手は砲撃の嵐を浴びたすえに折れ曲がり、ちぎれ、まるで壊れた針金細工だ。小さな、とても小さな左手だけがうつろに指の先をひらき、血がにじむ手袋(ミトン)のすがるいびつな零式戦闘機(ゼロ)の模造も、キチン質を大きくひび割れさせていた。
 ほのかにあいた瞼のはざま、ひと睨みで艦娘を射すくめるに足りる魔瞳は、じわりじわりと朱色の呪を失いはじめていた。
 多くの人間から命を奪った魔が躯から失せ、つかの間、吹雪がやむ。
 おおいかぶさる巨躯の隙間から射した細い光が、一条の物憂げな死を射て涙滴を揺らす。もはやその瞳に朱は見えない。
 五官を伝うすべてが、禁忌で胸に穴をあける。
 五官を伝うすべてが、心の奥底を切り刻む。
 五官を伝うすべてが、幼子の姿で女をまじなう。
 女はうめく。わたしは、この幼子を殺してしまったのだ、砲弾で、呪式で、と。
 敵方ではあってもこどもを――これほどに小さな身体を、無残な屍に変えてしまった。
 それが擬態であろうと、真実こどもであろうとさほど変わりはない。はじめて、女に戦争という形を突きつけたということだけが確かだった。苦しみが咽喉の奥から、腹の底からわき上がる。叫び、叫び、叫びつづけた。身の奥深くでなにかが焦げついていた。
 女は大切なものを得たが、それを大きく揺るがされたときに、人は、艦はどう変わるのかを考えたことがなかった。
 そのうちに声が尽き、涙が枯れた。
 残敵掃討にあたる僚友の雷鳴じみた砲声だけが、死を祝福するように響く。作戦は目的を遂げたのだ。女を取り残して。
 女の名は長門という。
 誇り高き虎髭(こぜん)艦隊の旗艦にして、この戦の敗者だ。


 六五八〇日前
 ――皇紀二六八四年

 真っ白なシーツに紅が落ちた。
 罰するための傷よりこぼれた昏い水玉は罪を思い起こさせ、重くなる身体に苦痛の喫水があがった。陸奥は寝台のかたわらにかけたまま、長門の手をとった。
 握られた指をといて、鎧通しを自分の掌にやんわりと移し、
「わたしたちはいつかくる未来を、痛みであがなっているの。でなきゃやりきれないわ。自分と似た姿を、自分が大事にしている者と似た姿の敵を殺すなんて。それにね長門、こう考えるの。あの子たち、わたしたちに似た人魚は人類を呪う苦しさを負わされているって。生まれたとき。形をなしたとき。そのときから、誰かに負わされてる苦しさを、倒して断ち切れているんじゃ、魂をほどいて帰るべき、静かな海に戻っていけているんじゃないかって思うの。ただ何の意味もなく、ひたすらに倒しているだけじゃない。きっとほかの誰かからは傲慢に見えるかもしれないけれど、戦いつづけて、そう思えたの。それが終われば未来だって待っているじゃない。帰りつく場所があるじゃない。せめて帰り着くまでは生きて、戦いましょう、わたしが一緒にいる。だから自分を傷つけるようなことはしないで」
 不似合いな饒舌が、沈黙を埋めた。
 長門にぎざぎざの穴をあけた空白を、少しでも埋めようとする声だった。つとめて笑ってみせる両の眦には、涙が浮き、胸のうちを隠せずにいた。
 手を握られた。
 抗義体の刃を突き立て赤く染まる自分の手――指は大切な何かを見失い、ウナラスカの冷気がしがみついていた。流れだした血は命を含んでいないように思えていた。だが、傷のひらいた掌を重ね合わせ、指同士を絡めてぎうと握られた。
 肩を抱かれた。
 熱く、そのくせすぐ冷めていく滴――撫でるように腕を伝い落ちた。空虚から長門の心を呼び戻して、漂う心を舫うように強く、何度も身を強く抱き寄せられた。何を云おうとしても声の像はほつれるばかりで、こどものように泣きじゃくった。
 長門はただ必死に、陸奥を抱き返した。


 現在
 ――皇紀二七〇二年

 長門は、壁に掛けられた大型モニタをじっと見つめていた。
 地下鉄警察管轄の監視カメラが撮影した映像――映るのは車内に立つ、六人の男女だ。
 ボロ布同然、黒ずんだ外套をまとう長門。
 五人の、下卑た笑みで頬を飾ったやくざ者が囲む。
 眼を覗きこんで嘲り笑う男が、長門と二言、三言と声を交わしたかと思うと、顔をゆがめて短刀(ドス)を抜く。半秒後、長門は膝を蹴り潰していた。刃を跳ねて掌底で喉笛をえぐり、倒れると今度は二人めが銃を抜き放つ。だが無意味だ。わずかな身の傾きで照準を避け、あとじさる手許を追って躍りこみ、不用心な拳銃をもぎ取って電光石火に顎を打つ。とめどない速度で伸びた長い腕は打撃に適した距離(リーチ)から三人めを逃さない。金槌のように握った銃で蟀谷を殴りつけ、引いた肘で四人めの鼻梁を潰す。どころか五人めに肝臓狙いの膝蹴りも叩きこんでいた。喧嘩とも呼べない制圧は、およそ四秒で終わりを迎えた。
 どうでもいい光景だった。長門からすればほぼすべてが反射でしかない。自分の顔を覗きこんでいた男の面構えひとつとして憶えてはいない。
 ガラス一枚で動物園のような満警署内の喧騒をへだてる戸がひらかれ、
「ずいぶんな手際じゃないか」
 女捜査官は部屋の主らしく堂々と革上衣を外套掛けに投げた。そのくせレンズが色づく黒眼鏡様の非侵襲端末(スペックス)に透く眼は、一時も長門からはずれない。
 黒糖のように浅黒くもなめらかな膚にかかる、乳白にくすんだ白い髪の階調。それらは大和級二番型義体の特徴だ。退役してなお、治安活動のため身体を重義体とする者は多いと聞く。この女もそのたぐいなのだろう、と長門は判じた。
「被害者なら、まずは殴られないと正当防衛と云うにも具合が悪いとは思うが。身体がよろけただけというのもこれでは難しい。ま、タコ殴りにされるというのもしかるべき報いではある。連中はアイシンの末端構成員でな、強盗と強姦の前科持ちな上に泥婆羅(ネパール)系麻薬シンジケート、文殊菩薩(マンジュシャリ)とのつながりがあって手配をかけていた。そこでわれわれの手でお縄を頂戴、と。どうだ、ざまぁない、だろう……」
 冗談めかすことばにも、長門はふっと視線を合わせるのみだ。
 満州人民解放戦線(アイシン)――満州族同胞から金をせびり、他民族を憎む汚れた愛国を説く軍閥と反動の野合だ。下らないお題目を耳にしたことはあるが、いまさら興味は惹かれない。一時間前には生臭い息を垂れる肉とだけ長門は感じた。
 ぼうっと眼路を飛ばしたオフィスは、女の小ざっぱりとした口ぶりの延長にあった。満警の中央所轄署で聖域となる部屋は、壁を隠すキャビネット群は整然としたうわべを保つが、雑然と散らばる調書、手配書が殺風景には見せない。二人分の執務卓を眼のはしにとらえれば、一卓は高電圧式拳鍔(スタン・ナックル)が転がる横、立て台を古びた写真で飾り、横並びの海軍士官には艤装を携えて腕組みをした女捜査官も見えた。日付は戦中。戦後を生き残ってきた英雄の一人と思い知らされた。戦後に歩めた者の部屋なのだ。その事実も心地がよすぎる重義体向けしつらえの応接椅子も適度な暖房も、どれもいたたまれない。長門自身はボロを着て黒髪はもつれ、垢じみた顔を浮浪者然とさせた、帰る家もない獣のありさまなのだから。
 人らしい居場所は似つかわしくない。二、三度と内心でその事実の重みを転がしながら茶の入った紙コップをもてあそぶ。嗅覚素子をかすめた、黄金桂茶に含まれた金木犀のかぐわしさひとつとっても縁遠い。
「引き止めついでに質問したいのだが」
 と女はモニタを指さし、
「元海軍の手際、というところじゃないか。わたしも軍上がりでな。あんたの動きは、おおよそ特務の近接格闘術とお見受けする」
 歩み寄りながらの物云いには同調と同情が等しく潜んでいた。構えなき構えに見憶えがある、と女は云った。完全な身体の統御で虚から打撃を生む。閉所での最低限工程は、海軍が対人白兵防衛術(スカウト・ジャム)と呼んで特務艦娘に与えた型――南方の格闘術と旧米帝移民軍人の指導から組まれた、「殺さない」ための手順なのだ。
「どの部隊にいた。特務艦隊か。特殊戦部隊か」
 長門は、否定も肯定もせず見返した。
 女は眼を細めて顎をしゃくり、
「それにその体、本国の謹製だろう……。生義体なのだろうが、軍時代のアイデンティティをさだめ、もとよりの貌を崩してもいないと見た。よほどの勲章を得ない限り、そうそう与えられない型だ」
 長門は応える代わりに喉を鳴らし、肩をすくめてごまかすだけだ。ループする動画を戻す気もなく眼を戻すと、女は困ったように半面で笑った。
「だんまり、か」
 ことばが見つからない――云うべきことばなど、ないのだ。自分を塗りつぶし、野生動物のように大連の地をさまよっては降りかかる火の粉を払う。それだけの戦後だった。伸び散らかした髪。感情のない眼。黒ずんだ指先。どれもが長門の過去を知るものなら信じがたい負の彩りだった。この汚らしい獣がビッグセブンの一柱、その末席を汚すのか、と。
 俯いた長門の気を引こうと女は踵を鳴らし、
「わたしは武蔵だ。あんた、名は」
「訊いてどうする」
「ほう、ようやく口をきいてくれたな」
「不思議なものでな。名前を尋ねられるときというのはたいてい、まずい場に足を踏みいれている。これもそういうことなのか」
「振る舞いにもよるさ」
 と、武蔵は身を引く。思い直したように腕を組むと執務卓に腰かけ、放浪生活はどうだ、と訊いた。長門にはやはり云うべきことがない。
 武蔵はサングラスを押し上げて眼を伏せ、
「わたしの知り合いにも、わざとらしいほどの日常に馴染めない人間がいた。戸惑うことばかりだものな。このご時勢、また分かたれた世というのは。適応するにも手間暇がいる。あんたは、どうなんだ……」
 訊くまでもないだろう、見たままだ。そのごく短い思案が長門の表情となる前に、ぬるくなった茶を味わうでもなく乾し、コップをおいた。
「なかには、自分がやってきたことへの贖罪意識からか、罰を求めるようにあえて火のなかへ足を進める者もいた」
 と武蔵はモニタを睨む。
 何十回めかのループだった。座りこむ長門の顎が掴まれ、ゆるゆると首を振る抵抗に男の唇が侮蔑をちらつかせる。手を振り払い立ち上がる姿は黒々として影のようだ。あんたも、そうじゃないのか。武蔵はそう云って、暴力を描く手脚の軌道を見つめる。その問いにもさしあたっての解答は見つからない。
 ややあって武蔵は紙コップを取り、
「あんたは、根っからの慎重派なんだな。悪いが少し失敬する」
 オフィスを出ていく背とすれ違いに、灰色の三つ揃いを調えた紳士が戸をくぐる。指差す姿――あの女の弁護士だ、と警官に告げる唇の動きを読めた。読唇は特務として身につけた嗜みのひとつだ。忙しい日だ、と長門は他人事のように眼をふせた。


 二〇八三日前
 ――皇紀二六九六年

 時は、人類が勝利を得た未曾有の大戦のあと。
 少女は楕円ぶちの非侵襲端末(スペックス)を、ぐいと強く押し上げながら云う。
 わたしのことがわかりますか、と。
 もう何度目だったか、少女には思い出せない。
 余分にぶらついたブラウスの袖に隠された手先でまた眼鏡を押し上げ、額に浮いた汗を拭う。帝都。夏。その年の最高気温は、実に三五度の値を記録した。機関を保護するための冷房はこの街のあらゆる場所で効かされ、少女が身をおく部屋も保全措置によって二十度前後に保たれていた。額の汗は気温によるものではない。興奮によるものだ。プログラムの修正は、もう完璧な状態になっているはずなのだ。
 真正面では、大機械が世界を案じるに相応しい唸りを高めている。
 世界に輪郭を与えようとしているのだ。
 関東軍からの「投資」で開発された最新鋭機。その大なる機関は、いまだ固有名を享けもせず、エンジンとだけ呼ばれていた。それも当然だ。その機関自体には価値がない。きわめて高度な処理能をもつだけなのだから。冷えたリノリウム床に敷いたクッションの上で、少女は固唾を飲み、眼前の床に直置きしたモニタを、いつもの癖でじいっと覗きこむ。
 と、新たな表示が現れた。
 カメラの表示フレームだ。モニタが備えるカメラには、起動を示す赤い光点――フレーム内で、フォーカスをかけられた。栗色の髪を汗で額にはりつかせた、十代も前半としか見えないふっくらとして幼げな面差し。輪郭を縁どる補助線が狭まる。
 考えこむように、じりじりとした沈黙。やがて、少女の問いに答えがあった。
 管理者(アドミン)、と。
 紅花が咲くように、頬に朱がさして眼が見開かれる。少女は思わず柏手を打っていた。ぱふっ、と布を打ち合わせる間抜けな音が、エンジンの起動を祝う。
「やったぁっ」
 少女は云い、伸びをして後ろに倒れた。天井に手を突き上げて降れば、袖が飛行機雲のようにひらひらと付き従う。と、思い出したように発条仕掛けのように身を起こし、
「よし、それじゃあこれより試験をはじめますよぉ」
 エンジンは、少女が少女らしくあれた時間の大部分を費やしてきた研究の結晶だった。戦後の数年間。帝国海軍が抱いていた、偽りの光輝に背を向けて没入した研究の粋。それは誰かを救うための盾ともなるし、誰かを殺すための鉾にもなる。
 表示された地図に灯る、無数の細かな光点から視点が引いて尺度が変わり、細かな通信接続パラメータがまとわりついていく。それは八百万都市たる帝都の住人だ。一人一人、電子化された神経の這いまわる帝都に脳の辺縁を切り売りする都市生活者の足取りや、通信の痕跡が視覚化されているのだ。覗き見というにも規模は計り知れない。
 これをみれば、姉さんも喜んでくれるよね――少女は飴粒ほどの小さな笑いを含んで、ふわつく感情に頬が熱くなるのを感じた。三角座りをして膝に丸っこい顎を乗せると、甘えんぼ袖を垂れさせたままに両の頬をさすり、
「んーと、管理者じゃ味気ないよね。そうだなぁ。わたしのことは」
 と、カメラへにっこりと笑いかける。
 自分がアイデンティティを委ねたかつての名を、思い浮かべる。自らを納得させるように大きくうなずいてから声を上げた。
「巻雲って呼びなさいっ」
 それが、はじまりだった。
 急速に高まる振動は、電子によって形作られた「エンジン」が視る夢の胎動を知らせていた。すべてがリンクされていく。「中心」をぼかしながら、回線という回線に根を張り、情報という情報に枝を茂らせ、エンジンの内側に初めて有用性というものが生まれようとしていた。カメラや、都市にはられた電脳の個人認証を調べつくす。飲みこむ帝国の法が許すことのない域にまで食いこむ。そして描き出される、犯罪が起こる「可能性」こそ、関東軍が求め、少女――巻雲が生み出した強力な対敵動作体系だった。
 やがて、エンジンは帝都を離れる。
 大いなる機構は大連の地に宿される。
 なにより巻雲は、自分に微笑みかけてくれる人を喪うこととなる。


 現在
 ――皇紀二七〇二年

「きみに会いたがっている人がいる」
 弁護士を自称する紳士は告げたのは、満警中央署を出てすぐのことだった。
 保釈金を払ってもらう義理はないのだが、と呟いてはみたが当然のように聞き流された。護衛だろうか、堅牢な樫を思わせる男たちは蒙 古(モンゴル)系と見え、分厚い身体と薄い体臭の違和が、その身に多くの人工器官を呑む人間であると長門に知らせた。口をつぐんだエスコートと有無を云わせぬ恭順の手つきが、マイバッハの後部座席を開き、なかにうながす。走り出した車窓のむこう、清調超高層建築群(マンチュリアン・ゴチック)に灯る、いかにも寂しげでぽつりぽつりと途切れがちな光点の連なりが、長門の眼には探照灯と見えた。帰りつけはしない世の光。マイバッハは燈明に濡れた西安路を南下するうちに、星海広場への路に転 輪(ハンドル)を切っていた。
 公衆衛生燈の安らかな光。
 星の意匠をおいた広場に、隠秘学(オカルト)の法で印を結ぶようにして光の道が灯る。
 長門は護衛たちに導かれた。いくら治安状況の落ち着いた地域でも、都市が眠る静けさをうろつくものはおらず、黒塗りが停車しても見咎める人目はいささかもない。
 扉が開かれると、ひりつく夜気が膚を包んだ。広場の涯てにある小高い戦勝記念眺望台に登れば、しんと凪いだ星海湾のパノラマが広がった。長門は、ぽつんと佇んだ小さな後ろ姿に目を凝らす。ふたつのお団子に結ばれた髪から降りた二本の尾が海風にひらりと揺れていた。護衛たちを離れると、躾けられた犬の群れに似た立ち姿を尻目に、
「あんたがあいつらのボスか……。すまないが、ここしばらく手持ちがなくてな。金は貸しておいてくれたら幸いだ」
「貸しなんてありませんよ。穴戸さん」
 と、少女は振り見る――洋外套(コート)の袖にあふれる白い袖が、芍薬の花のようだ。眼鏡は夜光を剣呑に照り、不意に呼ばれた名とそろって危うさを秘める。
「偽名はいくつかあるようですけど、その名前をいちばん使ってますよね。どうせ呼ばれるのなら使い慣れてて気安いものがいい。そうじゃないですか……。心配しないでください、わたしは口が堅いですから」
「こちらを知りつくすような物云いだ」
「あなたのことならなんでも。長いあいだ、海軍情報部特務艦隊に勤めてたこと。その仕事に違和感をもったこと。関係した各位が、あなたは死んだと思ってること」
 少女は、当然のように云った。もはや自分から切り離し、しかし根の部分ではへばりついたままの過去に呼ばれ、長門は衝撃で心臓を掴まれた。思わず踏み出し拳に力がこもる。応じようとする護衛を、少女が制した。
「ここしばらくは電脳麻薬に浸ろうとしてたけど、それも限度があった。いまはより上手に自分を壊す方法を探している。情報には困らないんです。星空みたいな電脳空間から降り注いでくる情報を、科学による占星術をもって選定して活かしたい。だから穴戸さん、あなたを探しだしたんです。わたしは蓮見小春。蓮見と呼んでください」
 なまじっかではない眼差し。
 長門は見据えられ、軽視を許さない。
「わたしたちは助け合えると思うんです。あなたに必要なのはサイボーグカウンセラーでもお薬でも、ましてや首吊り縄でもない」
「じゃあ何だと言うんだ」
 長門は問う。いまさら何が選択肢として残され、何を選べと言うのか。蓮見は、ことばを慎重に選ぶように息を呑み、目的、と云った。
「生きる目的です。より具体的に云うなら、仕事」
「仕事……」
 鸚鵡返しの長門を見つめ返す蓮見は、ややあって、都市の遠景へ振り返る。
「この都市には、実に一千万の人が住んでいます。その共通点として未来を知り得ないということがあげられる。自分がいつ足を滑らせるか知らない。この街ではどれだけの間隔(スパン)で、どれだけの人が殺されているのか、ご存じですか……。十五時間に一人。一日に一人は、確実に死んでいるんです」
「忌々しい事件はいつだって、そこらじゅうで起きている。防ぎようがない」
 長門もまた、尖塔の群れに眼を転じた。
 満州国の断面図たる魔都、大連。人命をすり潰して生まれた大陸の坩堝であるがゆえ、大都市は愛着や憎悪とないまぜにそう呼ばれる。諜報戦争と企業抗争、魔の法、そして多くの人の生が宿っては呑まれていく薄闇色の中間街(グレイ・シティ)。ある者は繁栄の都と呼び、ある者は運命を鎖した棺と呼ぶ。それがけばけばしいおためごかしにまみれた大連の実相だ。
 蓮見はそうした事実に爪を立てるように訊く。もしそれを防げたら、どうしますか――顧みるまでもなく、可能だと信じる声色で宣言はつづく。
「事件は、ある種の事件のいくつかは、いきなりに起こるわけじゃないんです。たいていの犯罪は計画的になされ、事前に周到に青図(プラン)を引いた痕跡(パタン)を残しながら実行に移される。それを未然に防ぐための、表があるとしたら……。悪いことに関わるだろう人を描き出した表です。強盗。誘拐。殺人。そうしたものに関わる人たちは、だけど、その恐ろしい状況に紐付けされるなんて気づきもしない。多くは一般人と云っていい。実際にどんな事件が起こるかまではわからない。加害者なのか、被害者なのかも。だから尾行とか特務機関みたいなことをして、悪いことが実数になってしまう前に食い止めるんです」
 熱弁にも、長門は沈黙で応じた。莫迦げた話も度が過ぎれば笑いすら噛み合わない。こと空想癖に寄った言説は。蓮見は心許ない様子で袖をこすりあわせ、
「あの、一緒にやってはくれませんか」
「暇を持て余した金持ちの道楽か、でなければ病院から抜けだした瘋癲か。一杯食わせようというつもりかもしれんが、興味はなくてな」
「たしかに、あの、ただ云うだけじゃ信じてもらえませんよね」
 蓮見が唇を不満そうに結ぶ。
 ふわついた袖が弧を描いたのは、鼻息がため息に代えて漏らされたのと同時だった。夜気に凍てる鉄が長門の手首を噛む。手錠だ。順序良く、もう一方の輪もすばやく欄干に閉じられていた。蓮見は鎖を引く長門に困り顔を寄せ、
「情報には欠けもあるけど、決して嘘ではないんです。誰かが苦しんでいる声を聞いているのに助けられない。その無念さがわかりますか……」
 と云い、裾を重たげに翻し、控えた護衛のもとへ歩む。悲鳴が長門の鼓膜を打ったのはそのときだった。背筋を刃に刺されたような全身の硬直。それをほどいたのは女とこどもの甲高い拒絶だった。興奮した広東語の呶鳴(どな)り声に応じる動悸をこらえ、長門は必死に理性をかき集めた。自分に関係のない物事だ、と。しかし云い聞かせても「悪い癖」は心の芯を熱して、慈悲を乞う叫びが、看過させてはくれなかった。
 首の裏を焦りに似たなにかが焦がす。
 長門は外套の胸から抜いた十徳ナイフから錠前外し(キーピック)を展げ、骨の髄までなじんだ手際ですぐさま外した。声は眺望台の下からだった。生義体が許す限りの勢いで階段を飛び越すと、薄闇の底へ着地し、植えこみの陰に眼を転じた。三人の影。雨に打たれたように濡れた若い女。胸にかばわれた女の子。そばでは中年男が安での自動拳銃とライターを握る。女を濡らすのは液体燃料だ、と冷たい確信に鳥膚が浮いた。
 長門は息を詰まらせ、肉食獣のように地に手を突き地面を蹴りつける。やめろ、と思わず叫んでいた。ライターが、指をすり抜けていく。
 怖気を突きたてる認知を肯定して、一歩を踏むたび、激しい炎が膨れあがる。三人は瞬時に包まれた。男が自分の頭を撃って崩れた。惨状は俯瞰に似て視神経素子にまとわりつき、無臭の死を演じた。早回しのように肉体が黒く、ひたすら黒く焦げつき、小さく、胎児のように丸まっていく。
 耳をつんざく悲鳴が、甲高く頭を貫く。
 膝がひどくがたついて足がもつれかけても走った。
 見えるすべてが黒く焦げつくような絶望。
 胸郭を絞るうめき――くそ、くそ、くそ――だが思いを裏切って、みっつの死に絡む火は瞬時の凝固で、色彩の粒子(ビット)に分解した。急速に闇へ溶ける死の欠片。微塵の跡形も残さず長門の前から消えてなくなる。
 事前にそうと教えられた手品が少なからず種の存在、嘘臭さをにおわせるように、すべてが偽物だと深く感じさせる認知。肩で息をしてしゃがみこめば、ふっと字が浮かんだ。
 記録(ログ)――殺人:と号452案件/皇紀二六九九年三月一二日午前四時。
 脳に注いだのは、無常な記憶の行列。
 俯瞰を思わせたそれはまさしく俯瞰だったのだ。監視カメラ。街灯に備えつけられた視座が見据えていた、もはや起こってしまった事象。
 手遅れなんです。蓮見はそう云い、長門の隣に歩み寄って、
「あなたが見たのは五年前、ここで起きた事件です。あなたが立っている場所で、一人の女性と一人の女の子が殺された。一人の男も死んだ。無理心中でした」
 救えなかった人間の抱く無感情。こどもっぽい面差しにかぶさるのは、傷がうずかぬよう装う仮面だった。蓮見は見上げる長門を見もせず、
「陸奥さんを助けられなかったときみたいに間に合わなかった。あの方が殺されたとき、あなたはまだ戦場にいたんですよね。諜報戦争のさなかに」
 それ以上は云う前に、長門は動いていた。
 火がついた衝動に誘われるまま詰め寄り、腕を伸ばし、夜に白く浮かぶ首を掴んだ。他人に何がわかるというのか。こちら側に帰りつけたはずの大切な人間を失い、取り残された者の心が。長門のもとに去来するのは三年前、プラハでの特殊作戦を終え、羽田大機場に帰りついた折、陸奥と出くわした記憶だ。
 ふうん、まだ危ない仕事を……――云うまでもないことを訊く少し意地の悪い笑み。
 わたし、あの人と結婚することになったの――棘が抜けたように柔らかな眼。
 いつか遊びに来て、あの人も歓迎してくれる――微笑みが花束のように見えた。
 またね、長門、元気でいてね――得るべき幸福を得たはずの娘は、永遠に失われた。
 特殊作戦の徒を辞める前のことだった。
 あのときの幸福であってほしいとの祈りはいとも簡単にかき消され、結局、あやふやな戦後に長門一人で帰りついた。迎える者のない雑踏。心もとない一人の時間。A  L(アレウシアン)終端戦の刻んだ空疎がのち、長門の魂を支えてくれた娘。あの娘を奪った「戦後」という病葉を、あの男を焼き払おうとした日々が頭にあふれて、身体を剰さずに焦がす。苦痛の化合する怒り。怒りを転嫁する敵意に支配されてなお、蓮見の華奢な喉に膂力を注げない。
「あんたは何を知っているんだ。わたしの、わたしの何を知ったつもりになっている」
「真実です。わたしはあなたに嘘をつかないし、軽んじたりもしない。海軍と、あの大嘘つきたちと違う。知ってるんです、大事にしてたものを守りたかっただけって」
「くそっ」
 と長門は手を離し、
「高圧縮擬験符牒(シム・コード)強行電侵(ハッキング)。海軍特務か、関東軍特務……いや、どちらでもない」
 指で首をたぐれば、接続孔(ポート)無線送信子(ラヂオ・プラグ)がつながれていた。手癖の悪い女だ。長門がそう案じて睨み下ろした蓮見は、首をさすりながら神妙にうなずいた。
「そう、どちらでもない」
 とずり落ちた眼鏡を直し、
「イデオロギーに住まずして悲劇を阻止したい、善意の第三者です」
「ヒーロー気取りか」
 長門はぼそりと漏らした。
 蓮見が眼を見開く。どうして、という一声は激情につんざかれていた。
「どうして気取ったらいけないんですか。ヒーローなんかじゃなくてもいい。ただ、助けられるかもしれない人が無意味に殺されていくのが嫌なの。眼の前で、この手が届くかもしれないところでだれも助けられないのが嫌なの」
 蓮見は声を荒げて詰め寄りながら、顔を伏せて息を大きく震わせた。冷静になろうと努めるようにゆっくりと。潤んだ檸檬色の瞳は長門をまっすぐ見上げた。
「穴戸さん、あなたは大事な友だちも、その親子も助けられなかった。でも、知っていればどうにかできたと思いませんか。凶兆さえ見逃さずにいれたら。あの、わたしはそれを掴めるし、あなたなら、きっと、絶対に間に合うはずなんです」
「わたしが……」
「そう、あなたなら。間に合って最悪の結末を回避するためのチャンスがある。まだ救い出せる人もいる。だから、協力をしてくれませんか」
 身体を引かれる感触――手許を見れば、小さな指先が、袖をかたく掴んでいた。有無をいわさずにじいっと覗きこむ、揺るぎない眼差し。そこには一切の嘘がなかった。長門には首を横に振ることも、手を振り払うこともできない。
 どうやって助ければいいんだ。
 その一言だけが、唇からこぼれ落ちた。

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