SF気味スカム短編小説。 未来世紀タグロニア:in the Boundary |
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盟暦八四年。三月。午前七時。 迷うことなく、腕に巻いた国境警備隊支給の時計は時間を刻む。 タグロニア南部境界線は晴れ晴れとして、天球は真っ青。境目に倣ってずらりと敷かれた隔壁は、陽の光でてらてらと鈍く輝いていた。大地に茂った背の高い雑草をかきわけて国土を分割するさまは、さながら国を守る大蛇の胴。タグロニア側には隔壁に付き添そって立ち並ぶ数十メートル単位で電柱が有線ラインを形成。 そうした境界線の中央に、われらが検問所はある。 タグロニア側――不浄の地を見渡すように、検問施設上に築かれた鉄塔。 てっぺんのアンテナ点検ステップから、おれは世界を見下ろす。冷たい風がほっぺたをべしべしと殴り、制御繊維マフラーの端っこをはためかせていく。しっとりとした土のにおいが、どこかから運ばれて鼻を通過。朝の清々しさ。 景色に目を馳せると、彼我の間に隔たる秩序の速度が違うことを思い知らされる。 脚を一八〇度回転させ背後に目を転じる遥か向こう。 もう一度振り返った先に広がる無人地帯の景色ときたら、一変してどうしようもない。アイロンをかけたように平べったく、一本道が無を開闢して通るだけの薄情な土地。遠景にある山々すら書き割りの様相だ。建築物はナノマシンを大量に含んだ大地に消化しつくされ、草木しか見えてこない。非人道大戦終結まで散布された百以上のナノマシンと生物兵器の複合戦術によって、地面はおろか生態まで変質し、未知の資源が生まれている世界だった。救いはあんまりない。おれはときどき、この検問を通るトラック団が資源化された謎の物質を載せていくのを見ては、大地をひねさせたナノマシン戦争への怖気で震える。 無数の資源が採れる彼岸――統合軍の調査部隊は一国のサイズに及ぶその全容をいまだに把握していないし、多種多様な、遺伝子を狂わされた怪物の数々がひしめいている。 想像するだけで恐れ入る。そこへ飛びこんでく人間も、時代が要した破壊にも。遠い昔に思いを馳せ、うわべだけの感傷に浸ると総毛立った。 こうしたロールプレイにはたまらないものがある。かつての騒がしい時代の名残を眺め、浸る――シラフなら小っ恥ずかしくなる遊びだが、こうして晴天のもとで、ただひとりでいると、なんとも言いがたい澄んだ感慨をもてる。 外套の内ポケットに手をつけた。 電子ライタで先端を焼いて軽く吸いこむ。深く甘ったるいかおりを帯びた煙が舌をなでつけ、咽喉にゆっくりと染み渡り、肺を奥まで満たしてくれた。吐き出す紫煙が風に乗って、ふわりと流れる。 ハードボイルドなり。内心でほくそ笑み、もう一回吸いこむ。別に煙草は好きじゃない。この似非ながらも恰好が決まった仕草がお気に入りだった。 「そんな恰好してたって決まりませんわよ、こんな時勢の下では」 だからこういう馬鹿げた横槍を入れられるたら、こめかみにかちんとくるわけだ。 鼻にかかった声色で言い、ステップに設けられた急な階段を上がってくるのは、部下の女――サナ・ムーブ人格適合済み転体・合法格・ワトスン十世二等兵。実に長ったらしい名前だ。おまけに、十世という呼称は、貴族的で気に入らない。 螺旋状になった金髪を揺らして上がりきったワトスンは、なかば息切れしていた。国産ブランドの高級パジャマに便所サンダルという酷いセッティングだ。 「朝食ができましてよ、中尉」 だらしなく舌をもつれさせていた。隣にこられると身長差が目だって居心地が悪い。 「そうかい」 おれは言い、首をすくめた。顎がここ数年でついた脂肪に埋まって、なおのこと居心地が悪かった。 「吸うかね」 指に挟んだ吸いさしをくるりと反転させた。ワトスンは頂くわ、とだけ言うと巻き髪を押さえ、真っ白で小粒な前歯で褐色のフィルターを噛んだ。 ワトスンがぐらりと柵に寄りかかった。煙草は手品のように灰へと還元していく。 大酒飲みもスモーカーも、好物を消費するのはあっちゅう間、驚きだ。思わず笑みがこみ上げて、鼻で二度三度と笑った。ワトスンは煙を宙に吹き上げ、 「ほんのちょっとしか吸わずに捨てるだなんて、葉っぱが可哀想ですの」 「安煙草にかわいそうもなにもあるもんかい」 「考え方次第、ですわね。ごちそうさま」 おれはすっかり燃え尽きたフィルターを受け取り、 「どうだかね。さあさ、飯をもりもり食おうではないか。腹を満たして、今日も存分にきりきり働くぞ」 「はいはい、きりきりね、きりきり」 きりきり働く。素晴らしいこの言葉は、通行者から賄賂をせびることにミーニングがあった。書類に難をつけ、荷物に難をつけ、国境警備の少ない給金を潤すことに。 屋上から戻るまでの間に、本日のメニューを問いただす。返ってきたのは、配給Fパン・ またもカロリー六式。考えるだけで腹まわりの脂肪が厚みを増しそうだ。 というのも国境警備隊のメイン糧食であるところの合成蛋白は、軍用と同じ安価なものをとってるらしく、カロリー値がむやみなほど高い。激しい運動をしないこの手の仕事をしていると、ほとんどが贅肉となって襲いくるのだ。体をチューニングしていればまだしも、おれのような真人間が高エネルギーに耐えられるはずもない。軍にいた頃ですら、食料庫からガメたそいつを食っていたら体重が増えたような代物なのだ。 安たんぱく、安カロリーによる肉体責め。時と肉はげに残酷に人を苦しめる。これははるか昔から変わりはしない事実だ。ワトスンの薄く肉付いたプロポーションを一瞥し、 「お前みたいに食った分に見合わない体になりたいもんだね」 「この体を維持する分のカロリーを維持するのも存外に大変ですのよ」 そのわりに胸はたっぷりとしてる。おれは思ったことを飲み、へぇ、とだけ返す。 屋上から二階に下りると、ワトスンが判断を仰ぐこともなくパステルオレンジに塗ったコンクリート壁が続く。だだ広いこの施設の半分がこんな調子だ。湿ったコンクリが放つ政府式パッケージデザインがよほどお気に召さなかったらしい。すっかり暖色に支配された通路は、どこか商業モールのカラーリングを真似ている。昼以降には塗料にたっぷりと入った彩色粒子が色見を一斉に変え、大陸統合以前、諸国に伝わっていた各種の二次元的文化遺産のデータを投じる。ちょっとした電気式画廊だ。 奥の食堂、といっても食卓がひとつおかれているだけのごく小さな台所だ。四人の警備隊員も集まっていた――おれを含めて総勢六人。事の次第では言葉を疑うこともあるだろう。検問を守るのに、たった六人しかいないというのはいかにも心許ない。 一応二班もいるが、ローテーションが回ってるあいだはこの六人で対応するしかないのが現状だ。スタイルは五年前からこの状態に固定されていた。 「おはよう諸賢」 おれが言うと、元気のない返事とうっそりしたうなずきが返ってくる。 気だるく返事をするのはヨハン・ポッツとパウル・モーロフ――平隊員の二人。遺伝子バンク製の合成人間。怠惰極まる波長が二人の印象をひとつにひっくるめて、どっちがどっちだか分からなくなるほど調子が似てて、区別をつけて名前を呼べた試しがない。 ため息を吐いて見上げたのはマリアン・ネステロスキ准尉――頬を青ざめさせ、だだ長い銀髪と顔の境目がわからないほど。まるで蝋人形。軍警察経理部にいた頃はさぞモテたろうが、ここにあっては、なよなよした補欠要員でしかない。 悪い奴じゃないが、すこし神経質で、清廉すぎ――酒が抜けるまで機嫌が最悪。 「マリアン、また密造酒でも飲んだか。飲めん酒で身持ちを崩さんよう、おれにいくらか分けて節制したらどうだ」 「頭に響きます、グレゴール。静かに飯を食わしてください」 「つれねぇな。勝手に持ってっちゃうぞ」 「お好きなように」 とマリアンは吐き捨てた。カップに残った 椅子を引いたおれは、食事に手をつけず待つ大男の横に落ち着いた。身長二メートルを越すパトリィク・パトリッジ軍曹は、軍からの付き合いだ。おれの左遷じみた異動をやられた巻き添えを食ってここに投げられたかねてよりの部下だった。筋肉だるまに義肢なんて容貌に似合わず、いささかシャイに過ぎるこの男が、料理をこさえてくれている。 皿の盛り付けは実に色とりどり。数少ない「生」な食品、バターで絡めとられた、偽卵と練りソーセージのわずかに焦げた香りが食卓を満たす。パトリィクの仕事ぶりは無言で体を抱きしめてしまいたくなるものだ。おれとワトスンがだったら料理というよりか、実験のようになっちまう。それはもうおぞましい。 窮屈に背を丸めるパトリィクは、おれが食器に手をつけると追従した。鼻歌交じりに食べるワトスンは至極ご機嫌。おれも高カロリーを忘れて胃に放りこんでいった。 表面がかりかりのソーセージを噛み締めると、実物に近似した肉汁が舌を濡らす。棒状の配給Fパンを裂き、バターを塗りこめていると、ため息が聞こえた。軍に入りたての頃、教官がよくよく多用していた 不機嫌なのはただひとり、マリアンだけ――酒の影響。 国境警備隊に異動、もとい左遷されてからのストレスが高じて始まった、アルコールの過剰摂取が、目に見えて、顔にダメージが出てた。老廃物やらアルコールを急速浄化できるライフコロニーがなかったら、アル中だろう。宗教的センスすらある集団セラピーに通い、名もうろ覚えな男と抱き合って泣いていたかもしれない。 おれは一通り食い終わると、 「ごちそうさまだ、パトリィク。今日の公的通過予定は何件になってる」 「十五件です。そのうち三つが軍絡み、残りは民間で書類申請が出てないものも一件」 「資源系かい……」 と、言いながらおれは腕を組んだ。パトリィクは首をすくめ、 「詳細は出ていません。どうやらタグロニア国研が関係しているようで」 「ほいだら資源系だろうな。いくらかは袖の下を用意してんだろう」 「だといいんですが」 おれたちの会話はここで一旦打ち切られた。 とおもいきや。マリアンが横槍を突っこんで、 「あなたがたの心意気には恐れ入る。軍が部内健全化に乗り出した矢先だってのに、そばから汚れた金に手を出すってんだから。正気とは思えん」 「なに言ってんだ、いつもどおりの仕事だぞこりゃ。あちらが用意してくるんだから、こっちは受け取らなきゃ。なあワトスン」 「お金があればなんでもできますもの」 ワトスンは鷹揚に笑む。そして細い体に見合わない量の合成蛋白糧食をていねいなナイフさばきで解体し、嚥下していく。おれは流し台に食器を出し、 「ワトスン、そいつをたいらげたら二種装備で外な」 「アイ・サー、コピーですの」 「パトリィクは中央からのデータをまとめといてくれ。なんか内務省からいっぱいきてた」 「コピー、ルテナント」 「ヨハンとパウルは――ああ、あれだ、銃器類の整備をやっとけ。サボんなよ」 おれが注視するとヨハンとパウルはワンセットの首肯。食堂を出る前に足を止め、 「休んどけよ、マリアン。まったくもて死にそうな顔だ、おれは死人と仕事をしたくない。頭ん中身がすっきりしたら機材関係の請願を中央に出してくれ」 マリアンは訝しむように目を細めて片手で頭を抱え、もう一方を振って応じた。 自室に戻って仕事のためにめかしこんでく。国境警備隊の将校向けに配給された衣装は大層古めかしい様式だった。統合軍にいた頃は着たこともないタイプ――官僚主義という文化を復古されたような様式美だ。制帽、威圧感を増す重苦しい革製外套。 おまえらの仕草はなにひとつ見落とさんぞ、なんて威圧がこもった衣服。こいつのいいところは、凄まずと衣装がフォローしてくれるところだ。どれだけ笑顔でも、官憲のたぐいはオートメーションで圧迫できる。文化が築く言外のルール。なんというか、釣り餌をほいと垂らすことができる。書類をごまかしたトラッカーに笑顔で近寄れば、素人のおれでも判ぜられる程度の動揺を引き出せた。本来スルーしてもらえるとこで取っ掛かりができたことへの、小さな揺らぎを釣り上げるわけだ。 便利さを活かせば、ワイロも入りやすい。それをどうするかは概ね慣れの問題だ。 おれはネクタイを締め上げ、懐のホルスターには軍用オートマチックを挿入する。外套をしっかりと決めこみ、深くかぶりすぎないよう制帽を頭に載せれば完璧だ。 兵舎から連絡通路で無人地帯側に渡って、検問所のオフィスに行く。合流したワトスンはすっかり仕事モードに切り替えていた。着こんでるのは戦闘BDUから支援システムを抜き取るという、現場仕事を嘗めた仕様の装備品だ。 深い灰色はおれのバックに立ち、威圧感を増すのに適してる――ただそれだけ。実質的なメカニズムったら、外骨格メカニズムによるチープな人体保護しか残っちゃいない。基本的なところはどこまでも見かけ倒しでしかなかった。 こんなモノを配給するのも国境警備隊の予算が少ないからで、賄賂をやりくりして上から文句が来ない一因でもあった。 「ようし、ゲートのロックを解除しろい」 ワトスンは管制機器に触れ、国境線を遮るゲートに電源を入れた。 五メートルほどの高さで、彼岸と此岸をきっぱり切り離したゲートのいただきにくっついた告知フォームにも電源が通される。通行可能時間や許可人種、持ちこめない物資といった一連のインフォメーション。どれも中央政府が考え出してくれた文言だから、おれたちは、そいつをダウンロードしてだらだらと流しておくだけ。あとはお客さんがたが通るのを待つだけ、というわけだ。おれはオフィスの奥にあるデスクを陣取っていかにも軍事官僚とばかりに、未整理の書類を天板にぶちまけた。備品請求を突っぱねる会計部をだまくらかすための陳情書の下書き。倉庫にしまってある銃器やらなにやらの安全運用期限チェック表。賄賂帳簿。どれも先に待ち受ける面倒なイベントの兆しを見せてくれる。 そいつらを眺めつつ、ワトスンを呼び寄せてコーヒーを淹れろと指示を出す。にこりともせず、それぐらい自分でご用意なさったら、と言いつつ淹れてくれた。デスクワークのお供として培っただろうコーヒー絡みの手癖はなかなかだ。それは誰もが認めるところ。苦味を楽しみながら書類を掻きわけるのも悪くない。自分に言い聞かせた。 淹れたコーヒーカップをそそくさとデスクに据えたワトスンは、礼を言おうとしたときにはソファに深く腰かけていた。マグカップを握り、一口含む仕草は家柄をうかがえるような優雅さ。国境警備隊という職務の剣呑さからどこまでも外れてた。 ネット接続された副脳はしっかり国境庁の監視線――エクセンとリンクしていた。膨大なデータ容量が頭になだれこんでるはずだが、影響は微塵も見えない。 そういった機能はここに送られてくる前に得たものだ。元ユーラシア統合情報軍、外野から それがこんなところに飛ばされたのは全 ふりだしにもどる。まったく不運な女だ。 「あら、豆を変えましたの」 「ツーランク上のにな。せっかく淹れてもらうんだから、たまには良い豆でもよかろうて」 「そんな買い物をするなんて珍しいこと」 「失敬だなきみは」 このゲートを通る人間には、常連というのがいる。 法的範囲から脱しながらものらりくらりと咎められないポイントを探りだしての採掘や、「向こう側」での珍獣を追いかけまわして研究施設によからぬ資料を届ける業者。国内法で禁じられたささやかな非合法行為に及ぶ荒事屋だ。それというのは、フロンティアスピリットと辛抱強さ、そして節度があればいい商売になる。政治的な社交性として心がけるべきなのは、おれらの気を損ねないこと――賄賂を弾ませることだけ。この手の連中には軍から上がった古株も多く、ゲートをくぐる前からあの先へのルールまでをわきまえていた。 ゆえに銃弾や鉄杭をぶちまきながら、司法にケツを掘られることのない存在でいれた。 荒事大好きな、向こうとこちらの境界線を歩む亡者。なかでも特段に常連と呼べる連中が来たのは、十三件の通行者をさばいた後の夕暮れ時だった。 ワトスンはコーヒーを飲みながらも、ビシッと背筋を伸ばし、 「十四件目がいらっしゃいましたわ」 おれが名を尋ねると、ワトスンは聞き慣れたヤツのファーストネームで応じた。投げ置いた書類の紙面を指先でとんとんと突いたおれは、椅子を立つ。 「シャンディ商会……」 「ですわね。ピックアップ、トラックが各一台。搭乗員は各三人。車内にふたりずつ、荷台にひとりずつ。ピックアップには参種エグゾスケルトンの積載が目視できましたわ。採掘用の装備。潜りにいくのかしら」 ワトスンが早口に言った。いやに分析的な口調は、軌道上から大陸を覗きこむ通信構造体に支えられていた。機械じかけの浮島の瞳と副脳をつなぐ、大規模視点。 窓を振り返ると、雲が解いた卵のような色合いを地平線に縮ませる空に、黒い影が浮いていた。あれが通信構造体だ。言えば壁の表示系にデータの数々を呼び出せる――が、それをするのも面倒だった。どうせ常連だし。おれはコーヒーを飲み干し、 「まぁた辺境軍の機嫌が悪くなりそうなものを引っさげてからに。どのくらいでゲートに」 「二分半というところかしら。目立つったらないですわね」 「まったくだ。つうかその前に入ってた通過予定はどうした」 「道に迷ったんじゃなくて」 「ったく、てめぇで書類申請したんだから時間に余裕をもってこいってんだ。陸軍の ゲートを開いて検問所の前にトラックを止めさせ、おれは傷だらけの窓をノックする。ハンドルを握る巨体は窓を開けると身を乗り出す。 「あぁらグレゴ、まぁた太ったぁ」 とパワーズは言った。 野太い声に名を呼ばれ、おれは意識せずに眉根を寄せていた。ひと月ぶりに見る肉塊めいて丸々とした容姿は、肥えた牛のそれだ。顔面被覆材となる濃い化粧は、こすれど落ちないデス・プルーフ仕様――向こう側へ行くのに、よくもまあ手が入るもんだ。 「あんたほどじゃねぇよ、ビッグマダム」 「いやん嬉しい、あたしのことマダムだなんて言ってくれるなんて」 真っ赤に塗られてテカる唇のはしを吊って、嬉しそう微笑む。おれは肩をすくめた。 「参種の持ち出し書類はあるんだろうな」 おれは耳元に顔を寄せて問う。すると手早く通行許可証でサンドした札束が出された。聞くに勝る新札の香り。思わず鼻を鳴らすとパワーズは、 「んもう卑しい」 厚みからしていつもの数倍はあろうかという分量。給料に換算すればいかほどになるやら。 「して、なんでこの量」 「ボーナスよ、この前もお世話になったしね。それに今回の採掘でがっぽがっぽは確実」 「景気のいい話な。辺境軍の連中、家に帰れんようで気が立ってる。せいぜい気を付けろ」 「あらあらあらあら、心配ありがと。大丈夫よ、あちらさんの将校から今日はポイントウェイクで警備活動にあたるって聞いてるの」 パワーズは顎についた肉をたぷたぷ揺すって妖々と笑っていた。 おれは懐に書類を収め、ワトスンに目配せした。わざわざ汚染地帯に潜るとはご苦労なことだ。ゲートをくぐりゆく見送りパワーズに手を振る。気怠げにぷらぷらと振り返す若者どもを見送っていると、ゲートがゆっくり閉じていく。オフィスに戻って札束を計算してみるとたっぷり二百万ニューブル。マリアンは受け取らんし下っ端のヨハンとパウルは二五万として、残りは一人頭五十万。充分すぎる。 「これでしばらくは物欲に栓をばできそうだ」 「どうせまたすぐに小銭に変わってしまうんだから、詮ない話ですの」 「この額はなかなか使えきれねぇだろ」 呆れ気味に見たワトスンの口元には、口パクではした金というセンテンス。なんたるお嬢様――情報将校の金遣いの荒さは昔から語り草だが、ここに飛ばされてなお、その性癖が残ってるとは。三つ子の魂百までと極東由来の言い回しがあるが、そいつの好例だ。 しかし、毎度思うのだがワトスンはなにに金を落としているのだろうか。 「でもこれだけあればミートウェアの改修ができますわね」 「またか」 おれはワトスンの嗜好に考えが至って、ああそうだ、と納得した。 「ええ、大きなお乳も飽きてきましたの。重いだけですのよ」 ワトスンがわずかに背筋を伸ばしただけで、BDUにみちっと収まった豊乳が際立ち、なんともイヤ味ったらしい。 「世の御婦人方が聞いたら唾を吐きかけてきそうな話だな」 「持てる者は機能性があるものを選びますのよ」 「没落 「なにかおっしゃって」 「没落 「あなた黙って聞いてれば」 「ちっとも黙ってないじゃないか身持ちもならねぇクソアマ核弾頭が」 おれは唸るように言い、ワトスンの胸のサイドを両手で挟んだ。 「よくもおっしゃってくれましたわね、この腐れ肥えいわしの牛糞がらめ」 ワトスンが歯を噛み締めるように言い、おれの腹肉を鷲掴みにした。 不毛の地平に立つ。たがいの肉をぎうぎうとホールドした睨み合いが取っ組み合いになりかけたところで、外から声が聞こえた――若い男が及び腰で覗きこむ。光線を発しそうなほど殺意めいた視線を飛ばすと、泣きそうな白い面が書類を手にじりじりと後じさる。おれは歯ぎしりを止め、ワトスンに一時休戦を申し出た。 五分後。その休戦で溜まった一時的鬱憤の矛先が生っちろい顔をした男に向いた。 ゲートの前に停まったトレーラーの横で、そわそわとする若造――見たところによると十代。銃口を見たら小便を漏らしそうな顔つきだ。 おれはマグライト片手に、渡された書類を審査するふりでワトスンに耳打ちした。この書類、と言うとワトスンが目配せで応じた。通行許可書類は、今日通るはずだったもう一人の常連、マサムネ・コンシダインの名で登録されたものだった。 どうして若造がこれを持ってるやら。一応、法上の手続きを考慮すれば、この書類は申請者以外が手にしていいものではないし、そればかりは賄賂云々との条理から外れてる。最低限のこと――破っちゃならない、普通は破ろうとも思わないルールだ。ワトスンに書類を預けてわざとらしくブーツの踵を鳴らし、おれは若造に歩み寄った。慌てて差し出される文言と賄賂。それとムカつきを誘う作り笑い。 おれもにっこりとガイ・フォークスのお面みたいな笑みを顔に貼っつけ、 「お前さん、何者だい」 次の一挙動は決まっていた。左手で賄賂が入った真新しい封筒を叩き落して、右の拳を振りかぶる――瞬撃は第一原則――風音を立てるほどには鋭いフックで若造の顔面を殴りつけた。ぴしっと決まる手応えは、シャンパンの蓋を抜くように、小気味のいい痺れを拳骨に伝えてくれる。間髪なく鳩尾に深い一発を叩きこむ。逃げ腰な身じろぎのせいで変な場所に当たり、肋骨の下端がぽっきり折れる感触と乾いた音。 これだから素人は。 避けきれないなら最低限ブロックをすべきだ。これがナイフ格闘だったのなら接触とほぼ同時に腱を断てたし、三秒以内には内臓の各所へ切っ先を埋められた。銃を持ってたらなお速い。息をつまらせてくずおれるなか胸ぐらを掴み、引き寄せた。 おれは鼻から息を思い切り吸い、 「パターンにならうなら尋問だな」 「やめてください、俺はなにもしてない」 「正規申請してない書類を持ってるだけで罪状は固いぜ。懲役十年は固い」 なにせ、向こう側からでの非合法行為は法的に折り合いをつけた商売だ。限られた人間以外がこういうのを手にされちゃ、困る。とても困る。 おれはカーゴを開け放つワトスンに向き直り、 「どうだ」 「醜悪極まりないですの。あなたの浅薄な美観でも、きっとこれは不細工なデカブツに見えますわね。ああ、醜いったらない」 さりげなく非道ぇこといいやがる。オクトコードで若造を拘束して転がすと、おれは両掌をぱぱっと払った。ワトスンの隣に立つと口の端っこから感嘆符が漏れた。 「 「生きてるのを密輸しようなんて、度が過ぎてますわ」 おれは言い、横隔膜から飛び出してくる反射的なしゃっくりを押さえた。コンテナの床から天井までまるっきり埋め尽くしているみっつの巨体を見上げる。積載空間を占めしてるのは、巨大な環形動物。地の底を蠕動して進むたぐいの、ミミズ。そうとしか呼び方の見つからない化物――どう押しこめたのか、コンテナの床壁天井と四面をみっちり占有していた。輸入規制法案第七項目で規制される汚染生命体の密輸入。こりゃけっこうな重罪だ。 「 「連絡済みですわ。ちょっと時間がかかるそうですの」 「またずいぶんと悠長なこって。バケモンを侮ってるんじゃないのか」 「かもしれませんわね」 どうせそれまでは暇だし、ちゃんと取り調べでもやっておくか。珍しく職業性のあるやる気が出る。本当のところは暇つぶしの面が強いが。 国境警備隊に与えられている尋問権限は充分だった。トレーラーは呼び出したパトリィクとヨハン、パウルの三人に任せればいい。おれは緊張しきって呼吸も落ち着かない若造――財布に入ってた身分証明が告げるところのミック・ドサンコをオフィスへ連行した。 ミックを前に、手の内を明かすように相手方に掌を見せ、さあお喋り、と促す。拳がふっかけたダメージが残ってるのか、咳きこんで顔を伏せる若造。 旧来的な黙秘権をとってつけるようなだんまり。 ただ口を開いてくれれば苦労はしない。ソファでは没入権を行使したワトスンが眠るように目を閉じ、戸籍アクセスして、ミックを揺さぶるデータを探している。顔面から流れた一筋の血を指先に埋めこんだバイオセンサーですくい、DNAパターンを調べの足しにしていた。戸籍偽造で書き換えてる可能性もあるだけに希望を持つのは禁物ながら、それで嘘の尻尾をつかむくらいはできるはずだ。 となると目下必要なのは逃げられないためのお膳立てその一と、プラスアルファの面白みだろう。執務デスクの引き出しで唯一整頓が行き届いた最上段を開き、医療キットから無針注射器をつまんだ。先端部のプラ製蓋をとって、若造の腕をつかむ。肉が薄く枯れ木みたいな感触――気味が悪いほどに人間味に欠けてやがる。軍用ジャケットの袖をめくると、表情が驚きから恐怖に変わらないうちに薬剤を投じる。 プシュッという軽い音。痛みはないはずだ。 「おめでとう。晴れて囚われの身というわけだ」 「なにも知らないんだ俺はなにも」 「リピートすんな、鬱陶しいったらありゃしない。耳がつんぼだと勘違いしてるんじゃないか。こいつは自白剤ってわけでもないし、即死する毒でもござらんよ」 おれは気軽な抑揚で言い聞かせる。オクトコードのロックを外すと、手首を巻いてたつやつやした赤色がほどけた。球体となると重心移動しながら転がり、おれの足元にくる。 「まあ、なんだ。一見して自由の身になったように思えるだろうし、逃げようとするのはとめんぜ。おれはここで質問を投げかけるだけだ」 おれは意地悪く言う。ミックの目がヤク中のように一転し、腕を振り上げ、 「なめるなよ官憲」 鬱憤が爆発するような叫びと袖口が閃くのとはほぼ同時だった。エンジンに耳を当てたような激しい金属質の罵声。火薬の力学的反応が胸を殴打――顔色のあせたクソガキがオートマチックを操れるとは。確認が手ぬるかった自分に忌々しさを覚える間もなく椅子に叩きつけられ、めまいに襲われる。逃げ行く足音が古代社会主義国的スタイルの銅鑼よろしく耳を打ちまくる。影に隠れて白々しく口元を抑えるワトソンに向き直り、 「ざけんな、いくら追い詰められたからって公僕を撃つようなやつがいるか。くそったれ」 「わたしに抗弁を立てないで下さる……。きっと、捕まったらこうしようって予定を立ててたんですのよ」 ワトスンが言い、腹立たしげに若造の背中を指差した。とたんに豚そっくりに叫んで脚をもつれさせ、地球の引力が増したように硬い床へ落ちてく。 おれは外套に食いこんだ銃弾を人差し指でぴんと弾き、ミックに歩み寄った。抱き起こすのも厄介なほどの痙攣は、いきなり到来した金的へのダメージを端的に表現。痛みは股間に落雷があった程度だろう。小型銃を奪って解体すると右足を掴み、椅子まで引っ張る。さすがは 若造の呆けた面は痛みの出どころを理解してるだろうか。正体を知るには、女相手にひけらかした日には嫌われること間違いなしの一行トリビアがいる。 ナノマシンは尋問に便利だし、尋問用パターンは現行採用されているってこと。 銃弾がぶつけてきためまいも、こいつへの痛覚神経干渉と等速で消失していった。気を取り直したところで、おれは自信満々に笑み、 「いい子にお座りしろ。取って食いやしない」 おれの指先に導かれて、漂白された空っぽの表情が揺れる。その調子、次は体を動かせ。子の歩みを見守るようにしているとワトスンがこめかみをさすり、 「大当たりですの。データを引けました」 「ほいで」 「本名はアレン・ヴァン・タイドグラフ。ミック・ドサンコは偽名でしてよ。データ改ざんが半端だからすぐにわかりましたの。大地はガイアのもの連合右派として指名手配中」 「環境保護とカルト宗教が悪魔合体した奴らだったか。まったく気持ち悪いのが引っかかってくるもんだなおい。神様神様とぶつくさ言う奴は勘弁だぜ」 「汚染生命体を御神体にするんですのね。頭の出来がずいぶんな方ばかりと言うとちょっぴり礼を欠くかもしれないけれど、往々にしてお気立てに難がありますの」 ワトソンが遠回しにけなす大地はガイアのもの連合――大ガ連、自称自然の使者。度重なる非人道大戦で使われたナノマシンで傷ついた大地を自然のふところ返す。こういった宗旨で活動する組織だ。いっときは環境保護系NGOだったが、過剰なデモ活動とテロすれすれのおこないで現在ではナチュラルカルトとして指定されていた。 スピリチュアルがどうの自然のパワーがどうの、と可視化もできない、ガキの作ったスゴイ級キャラクターの設定集みたいな考えが根幹――おれとしてはそれだけで吐き気を催すような連中だった。大地の使者なんてクソ喰らえだ。 「ほいだら正味の話をしようじゃないか。お前の目的は……。場合にもよるが、自白をすればいくらかは罪が軽量化するんだが」 「知ったこ」 ミック改めアレンが言い終わる前に、おれはデスクの天板に触れる。 踊り狂う右の金玉。泣き叫びよじれる左の金玉。そんな痛みだろう。 「で、なんだって」 「誰がそう簡単に口を」 文句をつければ刺激。おれはプログラムをちょいと変えて、精管をいじってやることにした。ごねれば刺激。泣き言を言ったら刺激。黙秘を気取ろうとしても刺激。十分間で一生分は玉をいたぶると、今度は股間がしびしびとセクシャルな感覚に見舞われるようコードを送りまくった。神経に届く信号は足腰を立たなくさせる――痛みは自然と慣れがくる一瞬があるにはあるが、こういう馬鹿馬鹿しいのは長続きする。 さいわい、おれはまだこのデバイスで股間を蹂躙されたことはない。そしてまた、使われる側の痛みを想像することもないので、嘲笑いながら嬲り続けられた。 おれは同じイントネーションで、 「で、なんだって。あん、どうなんだ」 アレンは床でくねり、 「アッー」 やってるうちに夕食の時間もすっかり過ぎ、あとには消耗戦が待ってた。訊く、黙る、刺激、唸りの無限ループ。なにもせずとも季節が巡るように飽きがくる。 「まだ……」 「アッー」 「なあワトスン。よく考えたらこういう尋問の訓練を受けてないかもだ、おれ」 「今更ですの。でも始めてしまったものは止められませんわね」 ワトスンの欠伸につられてかけ、おれは大欠伸をこらえた。 やる側を退屈させるほど、アレンは辛抱強かった。まさかと考えて股間をむんずと掴んでみたが、ついてるべきものはちゃんとついてた。効果は最大域のはずだ。 経験則はイヤな答えを用意する。まさか化物が目を覚ましたのか。ご冗談でしょう。 引きつった頬を正せぬまま椅子を立った。と、怒り任せの爆音。そして全世界中のミミズが発狂したようなおぞましい大絶叫に揺さぶられ、吐き気がした。 数秒続いた叫びに耐えながら外に出た――横転したトレーラーのコンテナ背部は内側から破かれ、飛び散った破片が常夜灯の光を鈍く照り返す。横を見ればオフィスの壁にもねじれた鋼材が突き刺さり、えらく前衛的だ。状況を勝手にアラートと判断した監視端末が回転灯をまわし、赤い光が不吉な帯になって等間隔でそこらじゅうを舐めていた。赤。死のイメージに直結する騒がしさ。 音のない夜にコンクリートを打ち鳴らす足音が聞こえた。はっとして注視したトレーラーの陰からは、必死の形相でパトリィクが走り来る。その後ろでは手にしたサブマシンガンをフルオートでぶっ放すパウル――いやヨハンか、まあとにかくどちらかがくっついて走る。おれは思わずオートマチックを抜き、一歩踏み出した。 「中尉、出てこないでください。まったく山盛りのクソをクソで煮染めたような怪物ですよあいつは。クソッタレのド畜生め」 全力疾走するパトリィクが叫ぶ。言葉少ないあいつがあんな大声を出すんだからよっぽどだ。息を呑んだおれは、思わずたじろぐ。パトリィクの背後では硬化組成コンクリートの地面がめくれて、ひび割れが走る。巨躯に迫る異様な現象――ひび割れの根元を目で追うと路面には大穴がこしらえられていた。ぴったり、あの化物にあったサイズの。 マガジンを交換しながら走るパウルあるいはヨハンがずっこけ、直後に灯光の届かない闇から出てきたなにかに足を掴まれ、明に引きこまれていく。間延びした悲鳴。水の入った風船を割るような音が何度となく弾け、そのうち何も聞こえなくなる。 「一体何があったんですの」 こめかみを押さえて出てきたワトスンとすれ違いに、パトリィクがおれを押し倒した。どろりとして緩慢な視界で、地面を突き破って現れる巨大な嘴を認めた。 硬い地面を掘り進むのに最適の尖った鼻面。 巨木の頑丈さと、蠕動の柔軟性をもった胴体。 胴体に生え揃った鉤状のスパイク。 身動きの早さなんて問われないようなサイズの、デカ肉が押し迫る壁となり突入体勢となっていた。真正面から目視したそれは明らかに正気の埒外――そして無人地帯の流儀だ。コンテナでのおとなしさが欠片もない、暴れ狂う男根の様相だった。 開かれた嘴のはしばしが粘液にてかり、人ひとりを軽々と飲みこめる巨大な口蓋の奥からは何本もの触手が伸びる。ワトスンが触手に捕らわれ、ひきずられて抵抗もできない。引き倒されて悲鳴をこぼし、分厚く鋭い顎でついばまれる。助けなきゃならねぇ。思ってももう遅く、ワトスンの下半身はすべて飲みこまれ、オフィスのドアにしがみつく上半身と拮抗してた――古代の八つ裂きの刑じみてる。 ぶちりと鈍い音を立ててBDUが裂け、色白い地肌に赤い裂け目が走る。力をこめた腕の関節で脱臼が起きて、関節に大きな隙間があく。 すぐに肉が破けて血がほとばしり、背骨とはらわたが噛みちぎられた。身をくねらせて皮一枚、筋繊維の欠片一本でつながった下半身が切断される。胸の悪くなる咀嚼音が聞こえるさなか、ワトスンの上半身が玄関口に落下、と思いきやかぶりを振って、 「なんて化物ですの、このボディも安くはないのに」 ワトスンが器用に手を動かす。バタフライ泳法の要領でこちらへすっ飛んでくる姿のけったいさは例えがたい。おれはパニクってうわうわうわうわ、とガキのような喚き声を吐き出していた。死という人間にとってはセンシティブな問題を、妄想チックですらある倫理的問題を棚上げすることで、堅実な生命維持を得た 見るに耐えない。より直截的な言い方をすれば気色悪くてたまったもんじゃあない。 「仰け反る余裕があるのなら助けておくんなまし」 「血のにおいがきっつい」 と言いつつおれはワトスンの上半身を背負った。 「レディの体臭について言及するのはマナーを逸していてよ」 止血モードのおかげで出血こそないが、外套の背はねっとりと汚れているだろう。しかも首に両手をまわしてるので幽霊を担ぐ気分――これもまた不吉だった。 パトリィクが慌てて起き上がり、地面に逃げていく鼻面に弾幕を張る。おれも軍用オートマチックを両手でホールドし、銃撃に加わった。跳ねる頭に照準を合わせ、開いた嘴のなかに銃弾を撃ちこんでいく。銃声と弾丸が粘膜を貫く音の奥で、牛の唸りめいた叫喚を残し、化物は身をくねらせて後退し穴の奥に消え去った。 おれは弾を撃ち尽くした銃をおろし、舌打ちをした。 「ド畜生、なんなんだありゃあ」 おれは言い、転がる若造を蹴っとばした。耳元に顔を寄せたワトスンは、 「見たままの怪物ですのよ」 「見たことないものを頭で処理できると思うか。なに食ったらあんなクソデカいペニスみたいな図体になるんだ……。いくらナノマシンが遺伝子をぐちゃぐちゃに攪拌してもあのデカさはないだろ。狂ってるよ畜生狂ってる」 おれは声を潜めて、すぐに後悔する。十メートル単位のデカいナニが迫ってくる――そんな図なんて、想像するだけで吐き気にやられそうな光景じゃないか。 「確言はしかねるけれど、あれは元々あの形ですの。ナショナルジオサーバーにも細かなデータベースがありますわ。旧A大陸西部に生息してるそうでしてよ」 「デカペニスが昔から地面の下にいたなんて考えたくもない。つうか向こうの化物なんだろう、なんでこっちにいる」 「サハラにもいるとか」 「答えになってない」 おれは言い、首にしがみつくワトスンを背負いなおした。パトリィクが困惑混じりに、アレンの手首をオクトコードで縛っていた。仕事に忠実な男だ。 ふと、電灯が潰え、闇が落ちた。 天井近くに取りつけられた非常灯が輝き、古びた水銀灯のように青白くよどませた。こうなることを想定していなかったパトリィクが、ごく小さな怯えを振り落とすように、 「消えましたね。電源を押さえられた……」 「馬鹿な。あんな土虫野郎になにができるってんだ」 おれは言い、マガジンを抜いて拳銃をテーブルに放る。こんな豆鉄砲を持ってるくらいで安心できる相手じゃない。制圧じゃなくて殲滅する道具がいる。 緊急装備をしまったロッカーからライフル――生電社C7(TM)戦術級汎用ライフルをとる。七・六二ミリ口径弾薬を用いる本体のマガジンウェルに弾薬がぴったり満たされたマガジンを挿入し、パトリィクに投げ渡した。おれもパトリィクも 殺し屋のぴしっとした表情になったパトリィクは背が低いソファーの背に座り、 「すぐにでも軍に連絡をとりましょう。連中に任せておさらばしたほうが」 「無理ですの。通信仲介ノードが全て沈黙してますもの。きっと通信ユニットが壊されたのでしょうね」 ワトスンが平然と言った。おれは背を揺すって、 「じゃあ長距離通信用ノードを」 「御免こうむりたいですわねえ。今そちらに電力をもっていったら生命維持モードが解けてしまいますもの。死ねという言葉と等価。非道いことをおっしゃらないでね」 「クソ、有線端末は向こう側にしかないぞ」 「わたしの保護電源も三時間ほどで底をつきますの。突破するしかないかも」 ワトスンは言い、おれの肩に顎を乗せた。脚を持ってかれた奴がよくいう。 「あの怪物、ゲートを越えれば追ってこれませんわよ。向こうの土壌からのナノ侵食を防ぐために、フェンスの根元から七百メートル下までは完全に防護索が張り巡らされてますの。それがあれば頑丈な頭でも貫通はできないはず。少なくとも、地上に出ない限りは追ってこれませんの」 「そうはいっても、三匹だろ」 「リスキーですわね。連絡橋で戻る手も」 ワトスンが言いかけ、 「ああ、鍵つきでしたわね。向こう側からでないと開けない」 兵舎とここをつなぐ連絡橋の扉はロックされてる。ここの電源が落とされた時点で封鎖されるようになってるのだ。高性能爆薬なりバーナーがあれば別だが、生電社C7(TM)じゃ対処のしようがない。侵入を防ぐため、しっかりした作りが仇になってた。 ワトスンの溜め息。そして沈黙。 緊張の糸が切れたのかアレンが小声で笑いだした。喘息患者めいた咳を交えて床で弓なりに背を逸らし、録音したような等間隔の哄笑へと変えていく。 「御遣いのおこないを妨げた罰だ、官憲め。くたばれ、お前ら全員くたばってしまえ」 とアレンは言い、 「ガイアの霊が宿ったグラボイドは傲慢な者を許さない」 「 おれは舌打ちする。 やっぱりこのたぐいの気狂いはたまらんな――あるいは わずかな振動が、眩暈の延長線のように体を揺さぶる。 おれはあそばせていた脚を引くと生電社C7(TM)を引き寄せ、いつでも応戦できるよう身構えた。 どこから来るやら。思案したとたん、背後の壁が爆発――爆薬の物理的反応とはどこまでも違う、硫黄のようなひどいにおいが鼻をつく。こうやって襲われ、打撃でヒットされる、その重みには、経験則をいくら積んだところで心を順応させられやしない。対応力が澄まされ、目配せするまでもなく選択肢の入ったアクションに移ろうと体が動くのみだ。肥えたわりには思うがままに動いてくれる体に力を振り絞り、しゃがんで出口に走る。 もうもうと粉塵が舞う空間から鼻面――虫食いめいて穴が開いた黒い嘴から鈍いオレンジ色の滲みが垂れる。おれたちが銃弾で歓迎してやった一匹。崩しきれなかった鉄骨に阻まれて進退窮まったらしいく、腹立たしげに喚いては、触手を吐き出して床を探索してる。これがまた萎んだペニスのようだ。床を叩く触手は泣き声をこぼすアレンを目指してた。怪物がめくらであると同時に、音で居場所を判断しているのがわかる。クソッタレ、気付かんうちにまんまと餌を撒いてたってわけか。 さらに今度は床面が割られ、火山噴火のようにテーブルが叩き上げられる――粉塵を吹き上げて出てきたもう一匹。テーブルがおれのデスクに乗っかって私物を潰す。気に入ってたマグカップが破片になるのを見てしまい、おれは怒鳴りたくなる。こらえろ。右頬に力をこめて怒りを散らし、床に残る建材とアレンをくわえるのを観察した。 壁から入ってくる触手がアレンの首を絞めていた。綱引きみたいに引き合う。このチャンスを逃してしまうなら銃を扱う仕事はやめたほうがいい。 忍び足でおれの横につくパトリィクにハンドサイン。 おれたちはシンクロした身のこなしで、壁に挟まった一匹へと照準をつける。ダットサイトで顎の付け根を狙い、銃爪を引き絞った。軽々しい反動で送り出される弾丸――対人弾頭と違って高速徹甲弾は遠慮なし―― 侵徹した弾丸は燃焼で化物の顔面を煮え立たせ、その焼灼と等しいか、上回る憤怒にかられた口が大きく開いた。アレンを掴んでいた触手が飲みこまれ、別の一本が飛ぶ。おれの生電社C7(TM)をぐるりと捕らえる。おれはグリップを手放し、スティック状の手榴弾からピンを抜き、ただれた喉奥へと投げ入れた。ホールインワン、跳ね返りもせず、喉奥へと入っていった。パトリィクが愛用のマチェットを振り下ろし、触手をたたき切る。粘液でべとつく生電社C7(TM)を拾う間もなく、おれは顔を覆った。 目の前で爆熱が膨れ、内圧が限界を超えて耐え切れなくなったのか熟れた果実のように割れ、はじけ飛ぶ――爆熱が腕を焼き、ねばついた破片が降り注ぐ。爆薬の刺激臭。それと硫黄を濃縮したような悪臭。ふたつが混ざって室内に振りまかれる。 部屋の真中には空疎な穴が開き、一匹はとっくにとんずらをこいていた。 「内側からやりゃあ、クソ汁垂れ流してくたばるみたいだな」 「そのようで。中尉、怪我が」 パトリィクが言い、 「手から血が出てます」 「ライフルを持ってかれたので擦っただけだ。あとはなんとも――いや、ひでぇ臭いでゲロを撒いちまいそうだな」 おれの足元には内燃で焦がされたらしいアレンの頭が転がってきた。なかば噛み砕かれた頭蓋骨から、灰色の脳みそがこぼれてる。おれはそいつを蹴り、 「こうどこもかしこもクソまみれだと笑顔になれる話題が欲しくなるね」 べったりとくっついた肉片を払い落として、太ももで手を拭う。耐えがたい匂いだ。しかも鼻につく。おれは吐き気をこらえて、生電社C7(TM)をとる。床に開いた地獄の底に直通とも思える床穴からは、ごりごりと音が漏れる――逃げたもう一匹が掘り進む音が、大仰に反響していた。 手榴弾を放りこめば。いや無駄だな。効果域からはとっくに外れてるだろう。 「最悪のお返しですの」 とワトスンが呟く。頭からかぶった肉汁で左右の螺旋髪がほどけ、ゆるい波形を描く。 「ああ、腹を下したときの屁みたいだ。お次はなんだ」 「そうだ、ポーターですよ」 と小声で言ったパトリィクは頭上を指さした。にこやかな笑み。合点がいくとおれも同じ笑みを浮かべ、何秒と経たないうちに頭を抱えた。 連絡橋の下に取りつけられた荷物をやりとりするためのコンベア。 あれならどうにか戻れるはずです。パトリィクは元副官らしい役割で意見を言った。向こうに行けば脱出用装備もいくらかあるはず、とも。 だがそこを通れるのがおれしかいないってのが気に食わなかった――パトリィクは肉弾凶器で、ワトスンは真っ二つ、パウルはよく見たら腕だけになってパトリィクのベルトに掴みかかっていた。本体はどこやら。そいでおれがどうかといえば、腹は肥えてるものの、奴らよりかは小柄なお陰でサイズはぴったりだった。 狭い空間を這いずるってのは愉快なアクションとは言いがたい。匍匐前進が億劫だというのもあるが、体にぴったりとフィットした四角形の連続体を進むのがなによりイヤだった。これは外套を預けてきて正解だ。 息苦しさ。 酸素が浪費されていくことへの怯え。 保守点検で改善されたばかりの移送ローラーから立ち上る、機械油のとろみ。 すべてが唇に忍び寄り、顎の付け根から首の裏に吐き気を及ばせる。 背負った生電社C7(TM)がたまに引っかかって立てる耳障りな音が、いやに大きく聞こえた。奴らに聞こえたらどうするよ。なんとなしのビビりがとまらない。投影されるのは、初めて戦場に投下されたときの記憶だ。味方と分断された一件。乾いた土に掘られた塹壕の陰に潜み、検索ドローンに悟られぬよう息を殺し、土をかぶってかわす、あの経験。忘れがたく、その圧迫を思い出させるこのシチュエーションは胃をきゅうきゅうと締めつけていた。条件づけされるべきではない条件の焦げつき。同じ流れ。息を殺して密やかに脱出する、という作業の難儀さがのしかかってくる。 微細な揺れに合わせ、かたかたと小刻みな音。地を這う魔の存在感。真下にいやがる。 状況と一致することばを、ガキの時分にじい様がぶつくさ言ってたのを思い出した。オレは音を立てないよう、力を抜いて這いながら回想した。 「じいちゃん、またその映画見るの……。よく飽きないね」 小遣いをせびろうと祖父を訪ねたおれは、いっしょになってソファに深くかけ、映画を眺めた。そうすれば機嫌がよくなって多めにもらえる、と思ってのことだ。 青みがかった映像では兵隊と黒い骨格をもつ化物の大群との攻防を繰り広げてた。特殊部隊と、脳みそをもってるのかも分からん宇宙人の戦争――この言葉のままな映画だ。じい様は重火器が火力を剥き出しにするシーンで、嬉しそうに手を叩いていた。たしかにそれは格好良く、ガキのおれも釘付けになった。 「完璧な映画だがや。観てみぃ、あのパルスライフルのデザイン。弾薬カウンターもアドオン 「でもあの怪獣、全然倒れてないじゃん」 「この戦力差がええんじゃい」 話が進むに連れて登場人物が倒れていく。化物が身を砕かれ酸をブチまいていく。おれは初めて通しで見た映画に夢中になっていた。小遣いも忘れて。 「気ぃつけろよ、ダクトってのは入るだけでフラグが立つんだ」 「フラグ……」 「大変なことになる前触れっちゅうことだよ」 言ったとおり、ダクトへ逃れた軍人衆は化物に襲われ、最後には自爆を選んでいた――どうやらああいう狭い空間に逃げるのはいい兆候じゃない。幼いながらに、それはよくわかった。だが、そいつを現実に適用されちゃたまらない。 「縁起でもねぇ。そういうジンクスを担ぐのは映画だけだ」 おれは言い、不安の種を潰すように匍匐を早めた。 どうやら、じい様の忠告はまんざらでもなかったらしい。いや、正にどんぴしゃりだった。体の芯まで突っ切っていく振動が前触れなく空気まで揺るがし、どこかでなにかが軋んでひしゃげていた。轟音が頭をしっちゃかめっちゃかにするのがわかった。 心拍数が一気に上昇する。おれは息をつまらせながら必死になって這う――たった数十メートルなのに、距離感が不明瞭。 「畜生、勘弁しろよ」 願いが聞き入れられることなく、体が重力に引かれていった。支えを失い、自重に任せるがままねじ切れていく連絡橋。戸惑うように地面へと傾いで、背後から冷えた外気が流れてくる。振り返ったが最後だ。鉄のスライダーとなったコンベアは夜の虚空へ開き、そいつをつるりと滑って、夜更けの低気温によって凝った地面へと送られる。 地面到達まで三、ニ、一、ゼロ――どうにか受身はとれたが、着陸とともに全身へ劇痛が走って頭がちかちかとした。人間は何メートルもかけて落ちてなお、まともに動くようには作られちゃいない。おれは吐き気を堪え、生電社C7(TM)のグリップを掴む――腕の鈍い痛みで骨にひびがいってるのを予感する。振り見れば連絡橋の柱がひん曲がって、あっちゃもこっちゃもまるで溶けた練りあめみたいに、ぐんにゃりとしていた。コンベアも折れてぶら下がっていた、のだが、どうにかつながってはいるらしい。僥倖だ。 鼓膜が腫れあがったように音が遠のいて、割れ響く陥没と隆起の音がえらく遠くの遠雷みたいだ。心拍が高鳴るのに合わせて、新たに発生する掘削痕が盛り上がる。十メートルの距離で地表をぶち破らんとして、凶暴な鼻面が迫り来る。 運がよけりゃあブッ殺してやる。 隆起が静まった。足元から突き上げるつもりか。考えた直後に足元を突き破って土を吹き散らした嘴――おれは速やかな退歩を踏んですれすれで避け、醜いオレンジの滴りを含んで土がこびりついたそいつが閉じるのを待った。 きっかり一秒――噛み合わさるのを見計らって手榴弾を落とし、踏みつける。レバーが外れた手榴弾から燃焼剤が溢れる。おれの体内では炭素繊維の人工筋肉が躍動していた。人間が生み出せない極限の脚力で鼻面を蹴りつけ、体を押し上げる。フラッシュバックめいてコンベアまでの距離がぶつ切りになる。飛び出た鋼材をどうにか両手で掴む。ずしりと腕の関節が痛み、脱臼しそうだと喚いた。贅肉をこうも忌々しく感じたことはない。 足元で激しい爆圧が舞う――高熱が尻を焼き、刺激臭が額の奥まで香った。 焼夷弾の化学性の火炎だ。高度二メートル以内で噴霧された燃焼剤が猛火となって舞い踊る。化物は焼けてく頭を振るい、地面になすりつけ、自然の節理に沿ってる限りは消しがたい粘着質の燃焼剤を落とそうと必死だ。おれは限界まであけた口蓋めがけ、破砕手榴弾を振るう。分泌されていくアドレナリンの感応で闇に沈んでいく軌道がよく見えた。 口に含んですぐに反撃がくる――消化不良の骨と一緒くたで吐き出されたつや消しイエローの「FRAGMENT」表記が、おれの読みの甘さを嘲笑う。 最後の一線で、化物が上手に回った。 二の轍を踏まんぞ、ということか。背が焼けて毛が焦げるような危機感。 落胆で吸引力を強めた重力井戸から抜けるためよじ登り、内壁に手を突っ張る――中空で炸裂した破砕手榴弾が爆圧と破片でおれの脚を殴り飛ばす。 「痛い痛い痛い痛い」 とおれは喚き散らし、ナノマシン誘導で神経をつつきまわすアドレナリンが許容する限りの力を四肢に漲らせて傾斜を一気に上り詰めていった。最奥のわずかな段差に指をかけ乗り越え、関門を頭で押した。鈍い動きを分厚い額の骨で後押ししていく。 とろみのついた冷気へ落ちていく。 劇痛。 これはオレの右つま先の痛み。これはおれの右踝の痛み。これはおれの右ふくらはぎの痛み。これは右膝関節の痛み。これはすべておれの痛み。 寝返りにあわせた劇痛に叩き起こされた――どれも破砕手榴弾の破片が刻んだ傷。おれ自身の失策だ。たぶん数分の気絶。見当識が木のうろみたいに空っぽだった。おれは壁を頼りに立ち、四の五のと考える余裕もなく胃液を壁に浴びせた。しこたま吐いて、胃が焼ける感じがしつつもすっきりすると、腹に見当識がやってきた。 武器庫だ。武器庫に行かなきゃならん。おれはアドレナリンが切れて宿酔いみたいにムカつく腹を抱えて、階段を降りた。どこかから八つ当たりめいた喚声。クソ化物の逆切れ。ざまぁみやがれ、人間様に楯突いたらこうなることを思い知れ。いやもっと酷い目にあわせてやる。現実との付き合い方を知るべきなのは人間だけじゃなく、てめぇのような毒汁まみれのクソケツ穴怪獣も同じだ。 ぶっ殺す。 おれはとにかくそれだけを考えて、兵舎のドアを開けた。小走りになるだけで肺がぜいぜいと騒ぎ立ててさも大事というが、空挺作戦ならこれくらい序の口だった。そう昔なら。今は昔、肉には勝てん。乾いた空気中に硝煙の臭がした。空を見上げると、刃を当てて削ったように鋭い月が嘲笑っていた。 遠くのモスコグラッドが輝いていた。生活に溶けたハイテックの光でなく、燃え盛る烈火が都市を照らしていた。おれは間抜けっぽく目をこすり、 「何が起こってる」 わけがわからない。脳が思考を拒絶しようとしていたので、目の前の状況に集中することを決断した――決断、というのは便利だ。それを割り切って脳みそを漬けることで、思考を刈りこめる。決断そのものに意味があると決めつける。 おれは兵舎と隣接した武器庫のドアを寄りかかるようにして開け、火器ボックスの前に倒れこんだ。独立電源による運用可能モードを緑の薄光で知らせるそいつの認証パネルに手を置く。電子錠が解かれ、ランチャーや軽機関銃なんて一般火器が底面部のライトで縁どられた。こんな装備じゃ事足りない。おれは片隅でフックに引っ掛けられた鍵をとって、指先から血の気が引くほどぎゅっと握った。酸洗済みつや消し仕上げのざらつく感触。 こいつだ。肺が痛んで息が乱れる。咽喉をぜいぜいと鳴らして息を整えてると、背後からじゃり、と土を踏む声。おれは生電社C7(TM)を引いてグリップを握り、 「誰だ」 振り返りざま、片手で生電社C7(TM)を構えた。 「中尉ですか。一体何をやってるんです、こんな緊急事態に。ひどい臭いだ」 「マリアンか。こんなところでなにを。いや、考えてることは同じか」 「なんてことない、装備の補給ですよ」 とマリアンは言い、サプレッサー付き自動拳銃を下ろした。酒が抜けきってるらしい、動きがきびきびとしてる。 「どういうこっちゃ」 おれも銃口を下ろすとマリアンはドアを閉め、筋肉のあらゆる動作を諦めるように、腰を落とす――シャツが血みどろで、首に浅い傷。おれがいぬ間にこいつもなにかしらやってたか。経理部上がりにしちゃよくやる。軍警察の教育も捨てたもんじゃないかもだ。 「襲撃されたんですよ。不躾な輩だ。まだ残りが潜んでいるかもしれない、掃討を手伝ってください」 「そりゃ大変だが、手伝いはできん。あっちで化物を密輸しようとした阿呆と、それどころか化物とも乱闘があってな。ワトスンが腹から下を持ってかれて、てんやわんやだ。しかしなんで襲撃なんぞ」 「大ガ連の同時攻撃です。畜生、ゆっくり寝てられると思ったのに」 「同時攻撃……」 「非科学的な能なしいわく、大革命だそうです。どうやって持ちこんだんだか向こうの化物を放って、いかにも学のない演説をテレビジョンのメインチャンネルに流してた。ハッキングとは下品なやり方だ。それに体制にあんなくだらない方法で異議を挟むなんて。革命というのはもっと崇高な意志があるべきなんです」 マリアンは言った。軽蔑と思想哲学が交じってる――悪いがおれの興味をそそる分野の話じゃない。 「うわお恐ろしくどうでもいい話だ。クソッタレどもめ」 話半分に聞きながら奥のシャッターを持ち上げてクリアリングを済ませた。お目当てはそこに鎮座ましまする、休眠状態の鋼鉄製の箱――おれの背丈とどっこいのケージに備わる管理端末に手をのせ、個人処理チップから運用コードを走らせる。画面右で防護シャッターを開いたふたつの鍵穴を埋めた。認証。点検を重ねてそのくせ起動された試しのない、戦闘単位のスペックを劇的に深化する機動システムがめざめる。 給水タンク――メカニズムを装着することのない随伴歩兵から、そう呼ばれ、ときに笑い話の対象にもなる、ずんぐりとした滑らかな鋼鉄がひざまずいていた。肉厚なシルエットは宇宙飛行士たちを守る宇宙服にすら似ていて、とても機動兵器とは想像しがたい。だがポテンシャルは想像を絶するもんで、おれも軍時代には世話になったもんだ。 さきの端末をこつりと殴るように叩くと、単独装着用のプログラムが働いて機体に通電された。ロックが外された正面装甲を引き下ろすと、ポケットの中身や靴も放り捨てて足先からゆっくりと機内に差しこんでいく。窮屈なパッド類の感触。保護材質の奥にあるセンサ類の胎動を感じた。体にフィットして隙間なく肉体を捉えるクッション性。センサーが体重や体型を計測し、動作機構を再定義していく。 マリアンは拳銃からサプレッサーを抜き、外に気を巡らせながら、 「そんなもん着こんでどうしようと」 「言ったろ。門の向こうで化物が暴れてるんだよ、大ガ連のクソが持ちこんだクソデカペニス野郎が」 「忙しい事この上ない」 「まったくだな。あの怪物どもを殺さにゃならんし、ワトスンたちはあっちでジリ貧だ。助けてやらにゃなるまい。まがりなりにも軍隊上がりだからな、義理堅いぜおれは」 おれは言い、上部装甲に埋められたスクリーンに浮かんできた、手動起動モードオプションに触れ、 「それに賄賂で稼いでる分、たまには「らしい」こともせにゃならんだろう」 「らしくもない。これで金をせびらなくなったら立派な国境警備隊員ですよ」 「立派でまっとうな人間で飯を食えりゃあいいが、生憎そうじゃないんでね。仕事人はたまに演じるに限る」 こういうことをやるのは久しぶりだった。前任者が向こう側で異常繁殖した化物に食われて、そいつを始末した初仕事以来。その頃はマリアンもいなかった。 腕部装甲に腕を通して測定が完了すると装甲が閉じ、クッションパッドが圧力を増した。生体電気信号の感覚リンクが通ると筋肉の小さな動作までフォローし、コンバットアカウントが確定した。引き締まるクッションは腹のたるみを拒絶――モデルのように姿勢よく歩き、行動のひとつひとつを適切な速度と精度で生み出すための拘束となっていく。スマートさとは無縁の形質ではあるんだが。体を保護することを示す鈍重さは、敵意を殺すためのオプションを隠匿しているかのようだ。おれは立ち上がり、 「頼みがあるんだが」 スピーカーは好調。音量は大でも小でもない。 「なんです」 「できれば 「ご随意に。補助電源も用意しときましょう」 ありがたいこった。思いながら箱から一歩を踏み出し、がっしりと地を踏む。 踏み出すと、脚部スパイクが接地面をとらえる硬い感触。顔の前で照るスクリーンにはオールグリーン表示が輝く。あとは武器だが、こまっしゃくれた特殊火器を選ぶ余地はなかった。おれは体勢が崩れないよう膝を突き、床に寝かせられていた凹凸の少ない、無骨な長方形にグリップをつけただけの装置――弾体加速器をとった。グリップを握ると一気にアプリケーション類が認証を終え、火器管制が反動やらの雑多な要素をとりまとめてくれる。厳密さが欲しければオプションをつけにゃならんのだが、そいつを載せてる状況じゃない。 シャッターを押し上げるマリアンに手を貸し、 「そいじゃ一仕事、かまそうじゃねぇの」 おれは隔壁に設けられた凹凸を足場にして蹴り、重力の網を脱するとすぐさまスラスタを点火した。背部展開の表示に合わせて爆音が弾ける。軍の教練で必修だったマニュアル式と違う進行方向に応じた自律制御のおかげで、姿勢を崩さずに舞うことの難度を無視――おれはあの制御法がいかにも苦手だった。 舞うとともに、制約が削り落とされていくのも感じた。 拡張された身体の自由によって、できることの選択肢が増える。ただそれだけで空間認識能力の奥行きが、驚くほどに鮮明になっていた。人間がいかに多くの問題に縛られているのかよくわかる。主義、規範、身体性やらは常に人間を縛っては変えようとする。そのなかの一片でしかない身体性が高められただけで、こうも気分が違うとは。おれは鋭い冷気を帯びた大気の層を衝き割り、十メートルに及ぶ隔壁を飛び越え、姿勢を崩さず浮遊することの難度を実感することなく落下姿勢へ突入。危うさひとつなく着地した。 しゃがむとともに飛翔感は霧散――数百キロの機体がこうむるべき、あらかたの着地衝撃力はアブソーバが押し殺していた。闇が落ちたゲート前の足場ときたらひどいもんで、掘り返された地面はでこぼこ。光源を増幅してみれば大穴がいくつも目視できた。すこし窮屈だが伏せたまま耳を澄ませ、恥知らずな化物の気配を求める。こういうのは下手に動いた側の負けだ。音を頼りにするなら余計に。餌は着地で放った轟音だけで充分。わずかな振動ですら逃すことない 一匹分の音源――反応が映像化され、化物の像が影絵のように浮かぶ。 奴と俺との間に確たる殺しの引力が生まれた――三度目ともなれば感動の一つもあったもんじゃない。ただ殺すという確信だけがあった。 迎え撃ってやろうじゃないか。弾体加速器の伸縮式ストックを引き出し、ポリマーパッドを肩に当てて、グリップの根元にあるセレクタを二段階あげていく。射撃モードを 砂塵を噴いて姿を見せるのは、燃焼剤でこっぴどく焼灼された頭部だ。地上を器用に滑る巨体との距離は切り詰められていく。 おれはニーリングのまま、弾体加速器を発砲した。 銃口を跳ねさせる火力を両手でホールド。 キルゾーンに据え、銃爪を絞り、絞り、絞る。 生身の人間なら支えるのも困難なリコイルの嵐。射出される散弾は貫徹力の代わりに初撃インパクトを最大まで高めていた。円形パターンを形成した弾幕が着弾エネルギーで鼻っ柱にひび割れを巡らせ、範囲から外れて体節に侵入した弾は頑丈な表皮をめくれさせた。それでも突進を止まらない――抑止できるとは考えちゃいなかった。主力戦車を真正面から迎えるのと同じようなもんだ。いや、実際に向き合ったことなどないのだが。考える間にも粉々になった硬化組成コンクリートをわきへ蹴散らして突貫してくる。 往生際の悪い暴力的速度を、おれは肩口から迎えた。 超高速で命中した散弾の効果を思い知れた。肉塊はすでにダメージの限度を超えて、勢いを自身でも許容しきれずに圧潰―― おれはそいつを無視し、 迂闊さを悟ったのは、その瞬間だった――すぐにでも離れるべきだった。 化物の巨影が足元で明滅したと思った直後、同類の屍を巻き添えにする突き上げが、 「ふざけんな、いつの間に」 上下左右の見当識が狂う。判断が追いつかず、背中から落ちた。襲いくるプレッシャーに頭がくらりとして眼前のスクリーンにはノイズが混入。 影が直前までいた位置に降りてくる。さきの二匹と比較できない、頭目格とも言えるような、ずば抜けた大質量の嘴がハンマーめいて叩きつけられた。 恐ろしいほどの重圧だ。かすめただけなのに骨格のメインフレームを軋む。 渋る 連続的な、幾百もの風船を割るような音。 血しぶきとともに棘が発射されるのをカメラが捉え、推測がすぐさま事実となる。蓄積するダメージ。定点にとどまらないようスラスタを噴かして跳ねるようにし、石灰質の砲弾を回避していく。ジグザグ軌道で回避しながら、弾体加速器を回収し、セレクタを なりふりかまってられないかもだ。いきなり出てきたバッテリー交換要請が足をひっぱる要因――国境警備仕様を忘れていた。制限をかけるため電源ケーブル接続を基本とする馬鹿らしい仕様が邪魔だ。着地し、弾体加速器を構えた。視線を振るっても、直前まで横たわってたはずの巨体はない。さも幻影だったかのように消失してた。さすがに土の底で最後まで高み、というかは低みの見物をしてただけあって、頭の回りはいいらしい。 警告音が刺々しく鳴る。頭の奥に針を突き立てられる感覚が導く右方向へ照準。ほぼ勘頼りの一発を放つと同タイミングで、殺した二匹より確実に格上な金属質の嘴がスクリーンに溢れ、追突された。炸筒が感圧破裂して爆炎を引く化物のシルエットというのは、さながら地獄への急行列車――猛烈な加速度でおれを押し続ける。センサ類が猛烈なアラートを発しながら懸命に動作するが、無駄だ。前後からの圧迫。詰め所の壁面にのめりこみ、コンクリートを粉砕しながら、おれはオフィス内に押しこまれた。速やかな逃げ足を阻む瓦礫をのけつつ、真正面に向けた弾体加速器を発砲。 過激なフラッシュ。いつ押したのかセレクタは 身を伸ばした巨影がおれをなぎ払う。おれは子供の頃を思い出す――大の大人に頬を張られたような絶対的な力の落差を幻視した。すでにスクリーンの弾数表示が二桁に下り、稼働限界も二分を切っていた。 突っぱねられて瓦礫のなかを這いずってると追いかけてきた化物に鼻先で蹴飛ばされた。おれは執務机の残骸と窓を巻き添えにしながら、地を二度三度バウンド。脳みそをシャッフルされる痛みと軽いショック状態。弾体加速器を捨て、右へ左へずれこむ平衡感覚を撫でながら ふと、 おれは奴の頭に右腕を押し付ける。パイルが射出され、火花を散らして嘴を穿った。装甲ごしでも耳をつんざく叫びが鳴り渡った。妨げるように開かれた口蓋に挟まれ、装甲が悲鳴を漏らす。化物は地面を滑って後退し、地中――化物の領分へとこちらを連れこもうとしていた。そうなったらゲームセットだ。チャージされた第二弾を下顎に据え、こちらの頭をくわえる両顎の間に腕を突っこみ射出。直後、炸薬を着火させた。ある種のメタルジェットによる、スクリーンが焼灼しかねない、鮮やかな青の閃光。 目を細める。ホワイトアウトから復帰したカメラに映るのは、ご自慢のくちばしが内側から剥離しかけた様子だった。 凄まじい出血。哺乳類と永久に交わることのない、オレンジの血溜まりを踏みつける。 破壊衝動のままに、分厚い上嘴の割れ目へと指を突き入れる。無効化するなら一番の武器を手始めに壊す。環境に応じて単純化したナマモノは、往々にして一点特化だ。奇形的な特性を崩せば、呆気にとられるほど楽々とポテンシャルを奪い取れる。まあそこまで到達するのに時間がかかったわけだが。根元を踏みつけ、嘴を思い切り引いた――指先が尖ったマニュピレータはがっちりと捕らえ、逃げ出すことも許さない。腕部出力上昇につれて筋繊維が断裂し、血管が潰れて血潮を噴く。容赦なく一片をもぎ、むき出しの肉に鉄拳を叩きこみ、肉を抉り、掴みとり、触手をちぎり、もうひとつの嘴もへし折る。稼働限界が残り一分を切ってるが、殺すには充分な時間だ。おれは、最後のパイルで奴の喉奥を貫いた。 足の踏み場云々という以前の、更地より始末の悪い荒地。 二階で気配を潜めていたパトリィクが薄い笑みで迎え、 「どうにか仕留めたようですね」 「パイルが装備されてなかったら危なかったぞ。 と言い、おれは眠りこけるワトスンの二の腕を爪先で突く。うつ伏せだから死骸みたいだ。ワトスンは涎がわりに黒みの深い血液を口のはしに伝わせ、 「終わりましたの……」 「どうにかな。予備電源は大丈夫そうか」 「まだいくらか残ってますの。休眠していたから」 「そうかい。まったく給料のわりに合わんぜ。閑職を返せってんだ」 おれは言った。壁を支えにして腰を落とすと、パトリィクから外套を渡された。 何週間分のアドレナリンを奮ったやら。コンクリート材の墓地めいた冷徹さを痛む背に感じ、疲弊感を支えていた気力は粉砕されていた。だから、咆哮のピッチを高めたような音が外から鼓膜を打とうと、無視したくなるのも致し方がない。パトリィクに肩を借りて窓から見渡すと、巨大な屍傍らで蠢く影があった。鶏が嘴頭になったような化物のミニチュアが、三匹ほど――四肢から脱力するのを、パトリィクの鋼鉄みたいな筋骨が支えた。 罵詈雑言を吐き散らしたくなるが、クソッタレなんて手短な表現しか見つからない。こちらを見上げた嘴顔の悲鳴に似た咆哮――頭頂でフラップ状のひだが逆立ち、連鎖して周りの二匹も威嚇じみて叫んだ。他方からも響いた声。こうなると、もうどうにかなる気がしやしない。ライフルの弾薬は、それほどなさそうだ。 月光が陰り、化物どもの顔が持ち上がる。 耳の奥に微弱な痛みがさんざめく。 それがにわかに沸き立ち、吠えたてようとする嘴顔をたしなめる強烈な光が注いだ。蒼く照る閃光が一筋のラインへと収斂して砂礫を焼き、反射した光がパトリィクの高い頬を抉るような影を生んだ。光条は慌てふためき逃れようとする嘴を捉え、切り刻み、三匹の首をいとも簡単に切っていく。光学的手法で一方通行に繰り広げられる虐殺に呆然としてると、窓の外では金属製の蛸足とでもいうべき滑らかな金属が踊り、闊歩していった。 T49M2三脚歩行戦車だ。窓から乗り出すと、メタリックなくせしてぬたぬたした足取りが停まった。かぼちゃの馬車を思わせる曲線を描いたゴンドラ状操縦ユニットが屈んできた。軍務から退いて数年を隔てて目前にする歩行体は、改めてみると夜の海を走る軟体を思わせて不気味だ。天井部にある円形装甲ハッチを押し開けたのは、マリアンだった。 「ぎりぎりじゃないですか。中尉」 「ああとも、とってもぎりぎりだ。さっきは大ボスを殺すのにもぎりぎりだった」 おれは言い、窓枠に座った。闇を切って飛んでくる小箱―― 「あんがと。そいつはどうしたんだ」 三脚歩行戦車を顎で指す。上空をかすめていくティルトローターを見上げたマリアンは、 「 おれは頷き、甘ったるい煙を胸いっぱいに吸い、思い切りむせて虚脱感を寝かせつける。遠くからは、聞きあきた種類の咆哮が聞こえてくる――上空には炎上して落ちていくティルトローターが見え、空気中には化学的刺激を含んだ爆炎の残り香。マリアンが舌打ちし、パトリィクが唸るワトスンを担ぐ。いつになったらこのクソ長い今日が終わるやら。 「やれやれだ、せわしないったらありゃしない。諸賢、休憩はお預けらしい。マリアンは内部電源にワトスンをつなげ。パトリィクは銃座に。ワトスン、機内ノードにつなげたら中央に連絡をとって軍と話をつけろ」 おれはフィルターを噛み潰した煙草を放り、ブーツの底ですり潰し、 「さて、お次はなんだ」 |
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