アレだよアレ、
サ!脳の新刊に寄稿した
アレのお試し版だよ。めんどくせーので部分的にルビ省いてます。
 時の頃は明治四四年一一月。
 辻にそびえる時計塔が夕七ツ――四時をしめしてより半刻近い。江戸改め東京にあって、まだ瓦葺きの多い八丁堀に、夕映えが垂れこめていた。
 その一廓、蒸気を巻いて待つ旧式汽罐車(ガーニィ)の後部へ、詰襟姿の女があがろうとしていた。すらりと長い色黒の手足を、軍人風情の烏羽色や長靴が堅く包み、しかしくるぶし丈で揺れる綿の襞織り脚 衣(スカート)は軍務と似ても似つかず、凛とするか可憐かの区別もなかった。女学生と軍国主義のあいの子という不可思議。その装いを五尺三寸の背で着つけるとあれば、市中なら眼を惹いてやまない。惜しむらくは朝寝髪で、引っつめたひとつ結びは粗く、若白髪の筋と不服そうな跳ねをめだたせ、軍帽のもとで低く尾を垂らす。
 血色のいい唇は縫い糸を通すようなへの字で結び、運転席から振り返って一礼する遣いには眉の微動をいらえとした。
 この女の名を墨洲威吹(スミス・イブキ)という。
 つい数分前までは、しとねのぬくもりにあって幼い情婦に首筋を吸われていた。心地よい接吻とあわせて浸るまどろみに、会議どうこうと訪ねて水を差したなら、寝起きの蒼白な不機嫌も際だとうというもの。眠り。逢引き。これらへの邪魔だては一方ずつでさえいかさま腹だたしく、一斉にとなれば度合いを倍がけしても足りなかった。
 陸軍払い下げのがたぴし車は急ぎで遣わされたに違いない。急発進でひどく揺れ、神輿にでも担がれるように、墨洲を芯から落ち着かなくさせた。乗り心地を慮って螺子留めされた座席は尻にこそ優しいが、人別帳外すれすれの生まれが故か、むしろ高処から見下ろす居た堪れなさをよこすばかりだ。汚れた窓には、雀羽色の喧騒が照る。お天道さまのかげりに魔のうろつく頃合いは、古く、逢魔が時とも云われた。ふと誰そ彼と口をつく曖昧は白 熱 套(ガスマントル)に手加減ひとつなく刷新され、かの修辞も消えて久しかった。
 心ここにあらずな眼に、煉瓦はずらりと浮きたつ。古びた江戸を葬りたがる組み替えまみれの帝の住処。名を改めたのちに一等国の誇りを得ようと、お雇い外人にここからそちらと図面を事細かに引かせるも、あたら頓挫し、お上の手を離れてよりこちら、市井の身の丈からの改造が進みに進んでいるのだ。
 平屋ばかりの八丁堀から少し行くうち、薄烟りの空を覆うモダン建築群の戴冠した、無数の建設クレーンや煙突が明かされた。拡大の欲望は力学の探求で高みを望み、市井の解析機関は応えて算術を歌う。鉄とセメントをあらたな骨肉として、些少と云いがたい高さの上背がひしめくに能うのも、およそそのおかげといって過言ではなかった。生ぬるい蒸気の漂うなか、幻燈めいて窓に過ぎる人混みのうしろに、今度は煉瓦をしのぐ白亜で三越呉服店が照り、豪勢な八階建てに左右対称形(シンメトリ)と玄関のアーチを誇るばかりか、吹き抜けまではらむあの高層ルネサンス様式など、時世が好む像の典型といえた。輝かしい威容は手招きし、絶えず足を運ぶご婦人方は、物見高さのお手本だ。
 こしらえは外面だけにとどまらない。かのヴィクトル・ユゴーはパリ地下の下水網をして巨獣のはらわたと呼んだものだが、当地は疫病の猖獗にうながされて以降、土の下に引き写しを秘めていた。欧化明治の精華は銀座から京橋までの内外を越えて根を伸ばす。これぞ帝都。列強に連なるわが国の顔。そう云いたげでしかたがなかった。御一新からこちらの富国強兵、はたまた二度の戦役(いくさ)を経て、多くの命と引き換えに一等国らしい面構えを手に収めたからには、大手を振って飾らずにいたらもったいない、と。
 都は変わり果てていく。
 山里より連れだされてより十と幾年。過日にも陸蒸気の車窓から見える景色が鮮やかに過ぎた都は、一日ごと、眼まぐるしい変転を遂げてきた。
 墨洲は田舎育ちも手伝って、過去を拭っては生も死もひとつの盃に混ぜ、したたる明日の夜露を落として浮世の味に変えてしまう、淫らな混沌が嫌いでなかった。昼夜を問わずの怯えは縁遠く、無警戒なおしゃべりは深更にも伝って、まして幽鬼のすすり泣きなんて巷にたゆたう長閑な噂。老いぼれの嫌う新奇な書き割りのどれもが墨洲には好ましかった。人並み以上に、だ。なにせ血の出自たる生まれ故郷、九里土の山あいは、常世の湿りけが苦くにおいたち、死を忘れた足音にみなが身をすくめていた。
 汽罐車(ガーニィ)は、銀座から伸びる煉瓦街大通りのはしくれを抜けようとしていた。乗客をすしづめにしてのんびり滑る市電とのすれちがいざま、衝撃が腹を打ち、おおう、と墨洲に息をこぼさせた。砂利道で突き固められた大穴につっかけたのだ。舗装は一段といわず西洋に後れをとり、土をさらす道が多い。それでも頽灰の府(バビロンドン)の、以前、研修で逗留したリイゼント通りの黒ずむ街角よりか、にわかに舞う土埃を含めてすら清く、真っ当ではあるのだが。もっとも、西欧諸国の後塵を拝すからにはそれも後先に控えていた。あまねく蒸気機関は煤煙の墨で空を濁らせ、現に人力車を引く俥夫や荷となる洋装の紳士淑女には、新式の防 毒 面(ガスマスク)を口許にあてるものが眼につく。道すがら、咳や痰やと吐くものも見えた。同道を歩むときと違い、窓の薄汚れは人波にあからさまな通弊を宿していた。
 墨洲は誰に届けるともなく息つき、
「呼吸器で災いの門、蓋をする、とね」
 病とかける古びた川柳だが、往時を忍ぶどころか当世にこそ当てはまる。繁栄は着実に蝕み、墨洲を無関心の裏でどぎまぎとさせた。
 別の通りに転じるや、運転手がペダルで蒸気じかけに馬力をかける。墨洲は胸を押す勢いに委ね、窓で焼けつく都市の幻燈から背いた。速度はたゆまず、日本橋をすぎて外神田へ北上すると、間もなく上野は帝国図書館の前で急制動の土埃を巻いた。
 大煙突に煤煙をあげる本館は厳粛な四階層を演じたがるが、実際のところ、巨体にいびつな継ぎ接ぎをさらすのがせいぜいだ。構想通りとは望むべくもない。裏の顔の期待が、増築したばかりの左翼に早くも足場を組ませていた。
 墨洲はぽんこつから飛び降りてのんびりと玄関を踏んだ。閉館間近の板張りを突っ切り、立入禁ずと札のさがる縄をはしたない大股で越え、階段をあがれば、軍服姿が三十八式歩兵銃の捧げ銃と敬礼で迎えた。数年来の顔見知りとあって足止めもされず、白手袋が観音開きを押してなかにうながす。ここよりは隠された区廓。墨洲はポケットから個人鍵をとると、受付に座する重箱状の小型機関にさした。入館記帳がカタカタと打つあいだも、下階に増して古紙のかおりに鼻をくすぐられた。奥へ行くと忙しげな男女がいそいそと足音も低くすれ違い、その素性は司書と似ても司書にあらず。みなが専任の使番――特別資格を持ち、民俗機密へ触れるにあたう。まこと、この献察庁なる部局で働くに相応しい連中だ。
「おや墨洲書記官、ちょうどいいところに」
 と横に並んで云う紳士は面会相手の秘書官で、差しだす紙袋から餅の香りを漂わせ、
「樋口さんに渡しておいてください」
「手前の給料分くらいは仕事しようや、秘書官殿」
「これから巡邏云々の茶飲み話でしょう……。難儀なこと考えるなら甘味は手助けとなりましょうし、どうせあなたも食べるんだ。よろしく頼みますよ」
「姐御もあんたも人遣いが荒いよ」
 墨洲はべえと舌をだし、紙袋をつかんで右手、左手と投げていらい、紳士と別れた。足どりがよりゆるむのは遅れて行くのがお約束であるが故、だ。
 奥まるほどにまとわりつく臼でもまわすような響きは、機密の頭脳たる解析機関が館の深部からこぼす胎動だ。記録を体系化し、索引をつけ、保存する。禁域を恐れもせずに渦巻く即物的で実利的な、碩学の膚触りをした生硬な手続きは、つねならざる毒々しい習俗を分類する特務の城寨(おしろ)に相応しい。
 そも古来より、神秘は現世と表裏一体にあった。一枚裏に透かせても直視はできず、触れがたい。知は藪知らずのように奥行きをかぎらず、裂けめをさらすのがせいぜい。しかしこの頃ときたら、眼を啓いた輩が率先してこれを探し、しつこく彼方と通じる事例がひと昔よりよほど多いとの由々しき時勢にあった。古籍は紐とけば呪われた階梯となり、詳らかとすべく機関処理に頼るすべもある。あるいは探求する輩が智慧を播き、拾ったものが不可知の裂けめを探し、揚句、身にあまる理法の祭壇が招き()ぶこともままあった。これらが国内に起これば類を問わず裁くに値し、葬るには策を練ることが望ましかった。
 なればこそ、各地より集められた情報の分類、研究は要され、庁の有する機関は国内有数の計算力を誇った。使番はその歯車に調査記録を挟んではすり潰し、昼となく夜となくこねくりまわしてやまない。
 やがて、案じられたすえに生じる実務を担うべく、献察庁の急先鋒に、墨洲はいる。
 急な呼集の原因もそれだ。せめて間が悪くなけりゃ不貞腐れもせんのに、と思えばまた眉は斜めるが、紙袋からひとつ拝借すれば気もほだされた。
「やっぱ漉しあんにかぎるわなぁ」
 と舌の根に唱え、大福に胃に落としていく。
 機嫌よく床を打つ底鋲の声高さで気遣わせたのか、使番がレバーに手をかけて待つ昇降機に慌てて乗りこんだ。四階で降りると、電信機と気送管(プノイム)の書きつけ送受栓が陰気な真鍮色で艶めく廊下のつきあたり、扉を叩く。気の抜けた返辞に応えてあけたむこう、猫の額ほどの一間は本をあふれ返らせていた。左右の壁にたっぷり(はば)を伸べる棚は、天井まで届く背に典籍をぴったりしまい、床にもこぼれ、秘書室が隣に控える事実も狭さを裏付けるが、それで息苦しくならないのは、むかって最奥、昼なら執務机に後光をかける大窓のおかげだ。老体がしわと雁首をそろえる面倒な会議もすでに跡形なく引けていた。
「墨洲威吹、ただいま出頭しました。会議に間に合わなんで申し訳ない次第です」
 と気だるさに十八番の云い訳くささをぶらさげ、手近な椅子にかけた。
 報告書の束に加え、コラン・ド・プランシーやハズリッド、井上圓了に平田篤胤と文献を乱れ積む執務机の影から、手がひらと振られた。傾いでのぞけば細面の女――樋口室長が、特別あつらえの寝椅子で茶を飲んでいた。四十前の齢頃にしては可愛げの濃いマガレイト編みと詰襟で眠気をふちどり、腹に乗せたクッションを抱いたらすぐにも寝入りそうだ。
 樋口は湯呑みをおき、
「ごくろぉう。きみの痛罵には敵わんからねぇ、遅れてきてもらうにかぎるよ」
「同感でありますな」
 とこぼす尖らせた唇は、いつものやりとりに珍しく云い返す気をのぞかせ、
「暴言なんてもの、吐かずにいられるんならそれに越したことはない。いくら反吐拭いの布巾ほども役にたたんお役人が相手とはいえ」
 身を起こした樋口は二本の鉛筆をとって十字とし、
「ほらそれだ、その身より悪魔よ去れぇ」
「一体全体何ですね」
「悪魔払い。西洋の狐落としみたいなもの」
「生まれついての口周りだもんでね、加持祈祷のたぐいじゃ塞がってくれやしませんのですわ。夏姐、早いとこ本題に入りませんか」
「なんだい機嫌悪いなぁ。よろしい、本題ね」
 鉛筆を茶目っ気ごと机に放り、今度は墨洲の投げた大福の紙包みをとった。まずは一服。墨洲が二個めの舌触りを黙々と嗜むうち、樋口は手巾(ハンケチ)で唇を払い、
「墨洲二等巡邏書記官、本日付をもって、きみに高等地方巡邏を任命します。この前、石川で神性騒乱と思しき兆しが確認された。そいつの調査だ。内務省宗教局からの一等委任だから、きみが好きに動けるように手配もすんでいるよ」
 一等委任とは、荒療治を依頼する婉曲表現でしかない。
 墨洲は組んだ足のうえで頬杖を突き、声音にさらなる気だるさを含み、
「編成はどうなるですね。単独で……」
「洒落公に同行してもらう。現場の様子が怪しいようだからね。現状はよそで仕事をして明けたばかりだから、行きがけの合流となる」
 と樋口が云いきるまでもなしに、眼を細めた墨洲は口をまたもへの字にしつつ、
「現場とやらの詳細はいかように」
「つかみきれていない。ただ、現地を封鎖している連中から洩れ伝わる情報で、切迫した状況が進行しているとの推論がたてられているとは」
「切迫ね。探りいれるのが間際ってどうなの」
 クッションが鼓のように叩いて返され、
「触らぬ神に祟りなしというでしょ。できれば放っておきたかった、なんてのが腹に秘めたる本音だわね。きみもお歴々と顔をつきあわせればわかる」
「死にかけの金玉面なんざ金もらっても勘弁。手抜かりで下手打っちゃ困りませんか」
「手が足らんと下手なことになりがちなものよ」
「まあ否定しがたいですな。洒落子なんぞを雇ってる時点でお察しだ」
 と云ったのちに異口同音でハハハ、と笑いがこぼれた。押し問答なぞ飽いて久しく、粗雑にすべる舌こそ仕事人一流の仕草として染みついた。樋口は笑いの語尾を抑揚なく引きながら、机上から書類をとりあげ、
「細かいことはこちらを参照してくれたまえ」
 神妙に受けとった束はずしりと重かった。
 一枚の表紙を除き、ほかはすべて上質の厚紙を穿孔した記号語文書(パンチ・シート)だ。花瞼(まぶた)を伏して文頭をなぞると、額を映写幕とし、符牒(コード)が語りだす。人がために複雑な符号塊をほぐした語の編む幻像だ。盲者の読解を由とする知覚に、まず秘匿されしティクオン漆号(ヒドゥン・ティクオン・セヴン)記の字がつむがれた。その名を冠する大解析機関は、先頃ミスカトニック大技研(MIT)の薦めで導入されただけあって、出力式の無駄を削ぎ、仕上げもそつがなかった。
 徐々に組みあがっていく石川県は奥能登の基礎資料に、予感の矢がよぎり、刹那、眼で見るよりもよほど鮮明な押食(おじき)村の一語で、墨洲の指を射止められかけた。そこはつい数年前まで属した界隈における、因縁の地と云っても過言ではない。おくびにもださず記述をたどるうち、文字列はほどけ、地図像に転じた。五年前の、内務省提出による報告書の要約――局地的に起こった地震による地すべり、陥没といった災害にともなう地域の孤立を経て、流行り病が認められた、との旨も付されていた。変動。病。これらはもろいへだたりが破れ、不幸にも接してしまった彼方と此方の岸につきものとなる常套句だ。
 途中には特段防疫帯なる巨壁の写真も添えられていた。警備府をおいての戒厳体制は風の噂に聞いてはいたが、それよりよほど強固な築城と見えた。
 重要な項目はこの次だ。
 本統信徒の最終受付。
 現地紙の広告欄からの複写が極太字体を凝集させ、日付は一週間前と浮かんだ。あとには土着信仰を根とした新宗教にまつわる報告書が連なった。
 暗がりに眼を啓きなすって――と、墨洲は腹中にごちた。地震からほどなく、奇病に苦しむ集団の興した教義は、村落から派出し、名を変えた輩の口で裏日本の各地に広がり、内務省はそれを知りながらも、害はなしと見積もってきた。庁の警戒線がそこに警鐘を鳴らしたのだ。異常性をとらえなおし、期日をいまより四日後として押食に招く告知の複写を、神がかりの危機へ備えるに値するひと押しとした。そしてこのたびの任命とあいなったわけだ。かの地に身を沈め、巡邏書記の真義である密偵らしさを発揮してこい、と。
「こりゃ放ってもおきたいでしょうな。おれ――」
 と墨洲は云いかけながらも咳払いでただすと、
「あたしも同感ですわ、けったくそ悪い。しかしこの世にせよ冥土にせよ、どの道、帳尻あわせにゃならん日は来ますからな。なら責務は早いとこ遂せるにかぎる。処断を……」
「必要なら指図させてもらう。今上の御代に差し障りなきようにね」
 樋口は興味なさそうに告げた。
 天孫云々と募るたぐいは居心地悪く、こと母より渡召留なる渡来の血を引く帝は墨洲の気を苦くさせた。思い浮かぶ白貌黒眼。御前につくすのぁ気が重い、とうそぶく一方、樋口は寝椅子の裏へ身を乗りだした。棚から引っこ抜いた小冊を投げて寄越され、墨洲は検めもせずに懐へ収めると、
「せいぜい上手にたちまわるとしましょう」
「頼んだよ。それからその辞書、部外秘になったからよろしくね。お歴々もようやく禁書の概念を学んだらしい。神秘は表舞台へあがるに能わず、隠しだてを、とね。きみが前にだしてくれた暗萬童子信仰の報告も機密扱いになっちゃった」
「いかなる口外にも能わざる。ま、開化からも久しい時世となりますれば」
「物わかりのいい部下で助かるよ。これで口がまわりすぎなければ御の字なんだけど」
「田舎娘に多くを望まんでください。口をすべらせついでなんですが、そういや新作はどうだったんです……。雑誌に載るとかいう」
 前のめり気味に訊けば、やっぱり憶えてたか、と樋口はため息をついて本の山に取っ替え引っ替えした。幸いはぐらかされず、素朴と云えば聞こえもよかろう簡素な表紙をかざされた。眼差しに賞賛を隠さずうなずけばそれも放ってくるので、鄭重に抱きとめた。
「さしあげる。手習いだから覚束なくってよ」
「ありがたき幸せ」
 と墨洲は心から笑って、
「旅の途中に読ませてもらいます」
 山を下りた墨洲が読みだした当時、筆は折られていた。ここに載るのは、飛ぶ鳥を落とさんとしながら文壇を離れ、以来、十数年ぶりとなる樋口一葉としての復帰作なのだ。